第29話

「ただいまー」


「あ、お兄。お帰りー」


 家に帰ってくると、ソファに寝ころんでスマホを触っている由愛がいた。部屋着に着替えているし、雰囲気から僕より随分早く帰っていたようだ。放課後、横山先生と話していた分遅くなってしまったか。


 僕は自分の部屋に向かって制服を脱ぎ、ハンガーにかける。荷物を置いて、部屋着に着替えてからリビングに戻ってきた。


 そんな僕に妹が「よっ」と体を起こして言う。


「そうだ、お兄。今週末って空いてる?空いてるよね。暇だもんね。彼女も友達もいないもんね」


「由愛さえいれば十分さ」


「キモ」


「……」


 この2文字、異様に攻撃力高いよね。なんでだろう。ちょっとボケただけでこの仕打ちはひどいと思います。まあ、世の中の妹というのは得てして兄の扱いが雑である。僕と由愛の場合は、仲が悪いわけじゃないのでそれは別にいいのだが。この妹の外での良い評判を考えると、自分と言うガス抜きになる存在は必要なのだということも、理解しているつもりだ。


 だから別に泣いてない。……泣いてないし。


「で、週末がどうかしたのか?」


「あーそれそれ。暇なお兄に、私の荷物持ちをする権利をあげちゃいます!」


「いらねえ」


 僕はこの妹を女として見たことなどただの一度もないが、それでも生物学的カテゴリーでは女であることは重々承知している。そして、ダブルエックス染色体所有生物は買い物が長く、多いことも。僕も買い物はゆったりするタイプだがダブルエックス群ほどではない。


「適当にクラスの男子侍らせていけばいいだろ。デートって誘えばホイホイ乗るはずだ」


 家ではこんなだが、外面が良いことは疑う余地がないし、由愛がその仮面作成に努力していることも知っている。クラスで由愛に好意を抱いている男子は少なからずいるだろうし、由愛自身もそれを自覚しているはずだ。


「お兄。男女間での迂闊な交流はトラブルの元だよ?それに、クラスの男子のお金なんてたかが知れてるじゃん」


 それ、意訳すると僕にたかりますってことじゃないです?あと、その発言からすると、トラブルの原因はたぶん金銭の方だと思う。


「お前は貯金とか割と計画的にするタイプだろう。そんな高額の買い物か?」


「あー、ごめん。お金の下りは冗談だよ」


 良かった。悪い方向の知識を蓄えたわけではないらしい……そうだろうか?由愛の性格を考えるとちょっと不安だな。


「実はさ、夏休みに部活で合宿があるんだ。その買い出しに行くんだよ」


「へえ」


 そういえば由愛は僕と違って部活に入ってたか。


「結構量があってさ。ほら、ウチって女子だけじゃん?だから、流石に男手が欲しいかもって話になったんだよ。で、私がお兄がいるから連れて行くよって流れになったわけ」


 あずかり知らないところで巻き込まれている。


「部活のことは部活の中で完結させないと、後々困るぞ?」


「じゃあ何さ。お兄は何十人と連れてデパートで大名行列しなさいって言うの?」


「なんで縦で並ぶんだよ」


 小学生の遠足じゃあるまいし。まあ、横で並んでもそれはそれで迷惑だけど。いや、横のが迷惑だな。道塞いで並んでるグループ見ると足かけたくなる。怖いからしないけど。


「まあ、事情は分かった。時間とか決まったら、また教えてくれ」


「ありがとー。あ、本当に大丈夫?」


「ん?何がだ」


「いや、ちょっと前に長電話してた人いるじゃん?あの人と予定とかすでに入ってたら悪いなあって」


 あの人というのは十中八九アイツのこと。以前、出かける用事があったが、生憎と雨だったため予定は流れ、少々電話越しで話すことになったのだった。あの日に足を捻挫したので記憶に新しい。


「大丈夫だ」


「ふーん……ねえ、お兄」


 僕の返答に何か思うところがあったのか、部屋に戻ろうとする僕にソファの背越しにひょこっと顔を覗かせて由愛が尋ねてくる。


「お兄は夏休みって予定ないの?さっきは私、友達いないって言ったけど、それこそ、電話の友達と一緒に出掛けたりとか」


「あいつと?」


 夏休みというと、今日、話があった例のボランティアが思い出されるが、あいつがそう言うのに参加するタイプとは思えない。


『え~?わざわざ海まで言って労働するの?やだよ。夏の宿、しかも海辺とか絶対厄介な客いるって。飛んで火にいる夏の虫だよ。私、人のトラブル見るのは大好きだけど、自分が当事者になるのはそんなになんだ』


 ……とか言いそう。ジェスチャーと表情まで顔に浮かぶ。


 だから僕の返答は1つ。


「ないな」


「考えた割にその回答なんだ」


「考えたからこそ、だ」


 僕がそう言うと、由愛はソファの背に顎を乗せて、ふにゃりとした顔で言った。


「でも~、今度は友達って否定しなかったねぇ」


「……!」


 以前、似たような会話をした時。僕は確か「友達かどうかは分からない」と言ったはず。


「ふふ、口は正直ですなぁ」


「言葉の綾だ」


「これが本当のあやとりってね」


「やかましい」


 僕はどや顔している妹の頬に手を伸ばして、ぐにぐにと撫でまわした。


「ひゃあ~!ひゃめへよ~!」


 本当、この妹は誰に似たんだろうか。

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