第2部
第28話
体育祭という1学期最大のイベントを終えた僕たちは徐々に近づいてくる夏休みの足音を感じていた。期末試験を終えてしまえば、燦燦と輝く太陽と共に充実した長期休みが始まることだろう。以前、英語の試験問題で"What is your favorite season? Describe it with two reasons."という英作文が出題されたことがあるが、その時、回答内容で一番多かった季節は夏だったらしい。実際、イベントの多さという点では春夏秋冬随一ではなかろうか。学生はそのイベントを存分に楽しむ夏休みという時間もあるわけで。
「よーし、お前ら。今日このプリント順番に回せー」
ガラリと戸を開けて入って来るや否やそう言う担任。この担任はホームルームの初めと終わりの挨拶をしない。正直、学生という身分だといつまでもおしゃべり空気が抜けないので、重要な連絡事項が紛れていることもあるホームルームくらいは挨拶で区切ってほしいというのが僕の本音なんだけど、これはもう担任の性格だから仕方がないと諦めている。
渡ってきたプリントに目を通す。なになに……夏休み特別ボランティアの募集……
「あー、知ってる奴も多いとは思うが、この学校では毎年夏休みに学長のご兄弟がやっている旅館でのボランティアが募集される。これはその告知内容だ」
いや知らんけど。初耳だけど。
一方、周りは「そう言えばあったな」とか言っているようで、知らない方が少数派らしい。
内容は海岸沿いのホテル、「ゆりかもめ」におけるボランティア。期間は2泊3日で、寝床と3食、おやつ付き(おやつ……?)。勤務時間外であればビーチで遊ぶこともできるらしい。応募者多数の場合は抽選となるそうだ。
「この旅館は近くに運動公園などがあってな。特にこのシーズンは学生などの人入りが多いらしい。その手伝いだ。夏の予定が決まってない奴はもちろん、社会経験の一環として参加するのもいいだろう。調査書にもボランティア経験として記述できるぞ。完全に抽選で志望理由ななんざ聞きやしないからな。興味あったら気軽に申請書を出してくれ」
担任の説明に沿ってプリントを読み進めていく。夏と言えば色んな部活動も遠征やら合宿やらが行われる。この旅館の近くにある運動公園はサッカー、テニス、プール、弓道場や野球場など結構エリアが広いようで、合宿の際に利用する学生グループも多いらしい。
仕事内容としては、そんな学生団体を案内する仕事、部屋の清掃や食事会場のセッティングなどが挙げられている。他にも、旅館所有のビーチにおいて海の家で手伝いをするなんて項目もある。
「ただし、お前たちの本分は勉強だ。期末試験で補講になった奴はこれには行けないから、行きたい奴はちゃんと勉強しておくように」
「えー!?」
よく見たら補講実施期間とボランティア期間がもろ被りしている。まあ、楽しみはやることやってからということなんだろう。
3食(+おやつ)つき、宿泊代は無料で、勤務時間外であればビーチなどの施設利用料がかからない。時給が発生しない代わりにボランティアと言う割にはそれなりに好待遇……なんだろうか?アルバイトもボランティアも経験がないから分からない。だが、教室の空気を見ると、乗り気の人が多いようだ。夏の思い出作り、あるいは林間学校みたいなものと考えると泊まりでどこかへ行けるというだけで学生からすればよい条件かも知れない。
まあ、僕は一緒に行く相手なんかいないが。
ホームルーム終了後、教室内はこのボランティアの話でもちきりだった。
放課後。僕は生徒指導室へと呼び出されていた。
「そうか、今は特に問題ないんだな」
机を挟んで僕の向かいに腰掛けた横山先生は小さく息を吐きだす。僕は今しがた、横山先生からいじめの件についていろいろ聞かれていたところだ。体育祭で、僕が騎馬戦の際にこの話を持ち出してから、なにかと僕に気を遣ってくれている。前回は丸山先生も同席していた。
「そうだ、世良町。夏の予定はどうだ?」
「夏休みですか?特段決まってはいませんけど……」
僕がそう答えると、横山先生は少し身を乗り出して言う。
「だったら、例のボランティア、参加してみないか?話は今日聞いてるだろう?」
「あー、はい。でも、あれってボランティアっていう名目のタダ働きじゃありません?」
いろいろ好条件ではあるらしいが、ビーチとかにあまり興味のない僕からすれば、そんな特典よりも普通に働いた分の給料が欲しいところである。あれは結局のところ、若い労働力を体よく使いたいだけではなかろうか。
そんな僕の疑念を感じ取ったのか、横山先生は小さく笑いながら言った。
「はは、そう疑り深くなるな。毎年、結構好評なんだぞ?食事はきちんと若者が満足する量が出るし、仕事内容が肉体労働中心でハードなのは否定しないが、休憩時間はしっかりある。現場での勤務時間より、自由時間の方が長いだろう」
「……睡眠時間込み、じゃないですよね?」
「安心しろ。大丈夫だ」
めちゃくちゃブラック、というわけではないらしい。だがまあ、それもそうか。もし勤務環境がとてつもなく悪かったら、その噂が間違いなく広まって、教室でもあんな乗り気の空気は生まれなかったはず。
「ですが、僕は誰か一緒に行く人がいるわけじゃないので」
「だったらなおさらオススメする。学年混合で、それなりの数の生徒が行くんだ。新しい人間関係を構築するきっかけにもなるはずだ。実際、過去にそういう生徒もいた」
あー、なるほど。僕の人間関係を心配して、友達作りの機会を用意してくれようとしているのか。なんか、体育祭では騙して利用したのに、こうも気遣われると申し訳なくなる。いつか、正式に謝った方が良いな。
いや、思い立ったが吉日。「いつかやろう」は馬鹿野郎。「五日やろう」は平日出勤。……僕は何を言ってるんだ?
「あの、横山先生」
「ん?」
「体育祭の時は、すみませんでした」
僕はそう告げて頭を下げる。
「何を謝る必要があるんだ」
「いえ。あの場でいじめの話を出したのは卑怯だったな、と」
先生の同情心を誘うために、涙と併せてその話を出した。横山先生はその光景をゆっくりと思い出したように口を開く。
「ああ、あれか……卑怯、ということは最初からある程度計画していたのか?」
「僕がそんなタイプに見えますか?」
「がっつり」
信頼の溢れる眼差しで信頼のないことを言われている。そんなの、まるで僕が悪知恵働かせる悪人みたいじゃないですか!内心ショックです!
「まあ、構わんさ。本来、生徒は最大限、教師を利用するべきだ。だが、お前は最も辛い時に教師を利用できなかった。だったら多少利用されてやることくらい、なんてことない。それが大人の懐の広さってやつだ」
腕を組みながらそう言う横山先生。その物言いは、今のやり取りから、体育祭で僕がとった策に大体予想がついたんだろうと分かる。それを笑って流されると、やはり自分がまだまだ子供なのだと思わされる。
「じゃあ、これからも適度に利用させてもらっていいですか?」
「はは。常識的な範囲でな。あと、緊急時以外の残業は勘弁だ」
眼鏡のブリッジ部分をクイッと中指で押し上げるその姿が、非常に様になっていた。
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