第3話

 故郷を離れた僕は、馬車に揺すられつつ王宮へ向かっていた。僕を強引に引っ張りだした男と同席して。


 男二人だけの気まずい空間。

 そこで僕は差し出された葡萄の実をかじりつつ、この時間を乗り切ろうとした。すると……。


「あれ?」

「どうされましたかな、クテシアス殿?」

「この葡萄、種が……」

「ああ、それは我がカリュターニャ王国特産の種無し葡萄ですよ」

「へえ、種無し……」


 そんなものがあるのか、と僕は思った。

 と同時に、脳裏にある思い出が呼び起こされる。


 今から十年前。


 故郷イビサから少し内陸に行ったところに荘園しょうえんがあって、僕はある女の子――僕を差別せずに他の子と同様に接してくれた優しい子だった――と夜半密かにその中にある果樹園に潜入したことがあった。


 僕はそこで実っていた葡萄ぶどうの実を手当たり次第に食べたのだが、その時に僕は種を吐き出さなかったせいで口を葡萄の種で一杯にし、その子に爆笑されてしまった。また、僕の彼女が管理人に見つかり、夜明けに仲良く叱られたことも鮮明におぼえている。


 これは僕の十五年の人生で親しくなった、ただ一人の異性との思い出。

 やがてその子の両親が僕との接触を禁じたから、僕達は表立って遊べなくしまった。そう、表立っては。


 密かに会うことは何度もあった。村の郊外にある秘密基地――天然の洞窟で僕達は会っていたのだ。


 そこで交わされた会話の中で、今でも鮮明におぼえている言葉がある。


――将来、お嫁さんになってあげる!


 当時あの子は五歳だったからそんなことが言えたんだと思う。でも、あれからもう十年。きっとあの子も誰かと結婚して、そして寝床で……。


「到着しましたよ」


 馬車を動かす御者の言葉で、僕は回想を終わらせた。


 今はそんなことを考えてる場合じゃない。

 仕事で王宮まで来たんだ。


 礼を失することのないよう、気を付けないと。



「よくぞ来てくれた。クテシアス殿」


 階上にある玉座にたたずむ王がおもむろに口を開いた。


「お呼びいただき嬉しく存じます、カルロス陛下。私のような庶民が陛下の宮に足を運ぶなど、私にとっては光栄の――」

「世辞はよい。さっさと本題に移る。よろしいか?」

「は、はい!」


 慌てて僕は、今回の依頼主であるカルロス陛下に調査対象の女性を呼ぶよう丁寧に促した。


「おい、来なさい」


 陛下の呼びかけに応じて、僕の調査対象の女性が姿を見せた。と同時に、僕の背後に控える廷臣とその妻、さらには侍従達までもがひそひそとささやきあっているのを耳にした。


 あのが后と交わってるとは思えない、と。


 謁見の間に通される直前の馬車の中で、僕は我が家に足を踏み入れた貴族――今は王の隣に侍している彼は陛下の側近だった――から説明を受けていた。


 巷の噂を、王に対する誹謗中傷を。


 国王は異性に興味を示さない。

 国王は夜な夜な変装して町に繰り出しては娼館に出入りし、そこで朝までを満喫している。


 国家の安寧よりも、己の淫らな欲を満たすことに熱心な王。


 その結果、カリュターニャ王カルロスは『不能王』という不名誉なあだ名を付けられたのだそうな。


 正直、王としてどうなんだ? と思う。


 別に個人の性的嗜好にあれこれ言うつもりはない。

 同性が好きであっても、何も問題はないのだから。

 けど、だからといって自分の後継者を用意しないというのは、やはり問題でしかないわけで。


 それで苦しむのは陛下、あなたではなくて下々の者なんですよ? 

 あなたはそれを考えたことがありますか?


 本当は、目の前で威張った態度をとる国王にそう忠告してやりたかった。僕の推測が現実になりそうだと考えてたから。


 あなたのお傍に侍る側近の男。彼が王位を狙っているのをご存じで?

 

 僕、ここに来る道中の馬車の中で彼からこんな注文を受けたんです。


『陛下はきさきに手を出していない。お前が妃の純潔を調べれば、間違いなくとなろう。だが、それでは陛下が機嫌を損ねる。陛下はちまたと呼ばれていることに腹を立てておられるからな。まあ、これは事実なんだがね』


 さらに彼はこう続けたんですよ。


『クテシアス殿。協力しろ。ワシの孫娘の血液をお前の角に付着させておくれ。心配するな。ワシが工作してやる。さすれば、妃が純潔ではない――陛下は女性とも床を共にする方だと判断され、不名誉なあだ名も払拭されよう』


 僕は素直に従いましたよ。だって、そこから故郷に帰る道のりを僕は知りませんでしたし、従わないとその場で降車させられそうでしたから。


 『分かりました』と返事すると、その直後に彼はこんなことも呟いてましたよ。


『これで国はワシのもの。あとは孫を担ぎ出して遺言書を偽造すれば……ククク』


 陛下。あなたは近くに悪党を侍らせているんです。

 危険な状況なんですよ。

 ご存じなかったので?

 

 僕に強い発言力があればそう忠告してやりたかったが、それは無理な話。

 僕は、角の力を当てにされて呼ばれたに過ぎない。

 そんな僕が「陛下、あなたの側近が良からぬことを企んでいます!」と訴えたところで聞き入れられるはずがない。


 仕方がないんだ。

 ここで僕ができることは、仕事を遂行することだけ。

 妃に偽りの判決を下すという仕事を、ね。


「あっ……」

 

 けど、そんなふうに考えていた僕に、いや、国王やその隣に侍る男でさえも予期しない出来事が生じるとは、この時その場にいた誰もが思ってもみなかったんだ。


(にしても陛下のお妃様、どこかで見たような……?)


 小さく驚きの声を上げた妃の正体に僕が気付いたのは、その日の夜のことだ。

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