蒼の牢獄⑦-9

 土煙が晴れた瞬間、ヴィクターは驚愕した。


 渾身の攻撃は、その強固な装甲に阻まれ、完全に止まっていた。


 一ミリも食い込んでいない。西洋の鎧のような装甲は、磨き上げた陶磁器や宝石のように光を反射した。


「それだけか、やはり弱い。これでは、暇つぶしにもならない。次は本気を出してくれ」


 神崎はそう言って、剣を持っていない手で拳を振りぬき、ヴィクターの脇腹を打ちぬいた。鈍い音がした。


 神崎の拳が脇腹に刺さった時、体中に稲妻に打ち抜かれたような激痛が走り、息が一瞬詰まる。内臓が震えて痛みを拒絶し、口から血が溢れ出た。


 体が宙に舞い、飛ばされながら、意識だけは神崎の前に取り残されたような気がした。


 脳の処理が追い付いていない。


 壁に叩きつけられるまでの間が、永遠に感じられた。


「本当は、穏便に自滅させるように工作しろという命令だった」


 神崎は、這いつくばっているヴィクターを見下ろしながら呟く。


 しかし、その声音は、今までと違い余裕が無く、苛立ちが見え隠れしている。


「こんなゴミ惑星は、他の惑星と同じで、力で制圧すればよいものを……。上の連中が一体何を考えているのか分からん!」


 神崎の拳がギュッと握りしめられる。周囲の空気が圧縮され重みを増したように感じる。そして、怒りに任せて声を荒らげ始めた。


「俺はもう、こんな未開の土地に押し込められるのはこりごりだ! やっとうまくいくと思った俺のプランを貴様ら親子で台無しにしやがって! 査定が下がるだろ!」


 神崎は両刃剣を思いっきり地面に叩きつけた。土埃と砕けた小石が周囲に舞い散る。その怒りに満ちた姿は、フルフェイスの装甲に隠された神崎の本当の姿を映し出しているようだった。


「下賤な文明しか持たない、貴様らは俺のプラン通りに大人しく自滅しろ!」


 さらに鋭くなった神崎の声を聞いて、ヴィクターは思った。


 何を言っているんだ、こいつは?


 ヴィクターは最初、神崎の言葉の意味を咀嚼しきれずにいた。


 地面に深く食い込む剣を見つめながら、神崎の行動が異様に無機質に思え、虫けらを叩き潰している光景と重なった。


 そしてなぜか神崎の今までの行動が、奴にとって虫の死骸を集めた物体を製造しているのと同等だと徐々に気が付いた。


 ヴィクターの胸の中で何かが砕け、弾けた。得物を前にトリガーに指を引っかけたような感覚に支配される。


 こいつは、自分達の事を同じ人間としてみていない。


 両親の事ですら、本当にその辺の害虫を駆除した程度の感情しか持っていないのだ。


 ふざけるな!


 お前が虫けらと思っている両親にも、生活や命があったんだ!


 お前はそれを奪い去ったにすぎない。


 そんな事は許されない!


 お前の目的の為に、無神経に人の生活を破壊しやがって。


 むしろ、お前の方が、人間じゃない。


 怒りが全身を駆け抜ける。


 ヴィクターの瞳は炎を宿し、打刀を支えに立ち上がり始めた。


 神経が焼け尽きそうなほど魔力を無理やり引き出し、限界を超えて力を込める。


 ここで限界だ、これ以上魔力を上げると、体が壊れる! と全身の神経が警告を上げ、脳の回路が焼き切れそうになっているが、全ての警告を無視して力を高め続けた。


「やっと、たどり着いたね……」


 不意に耳元で少女の囁きが聞こえる。


 ヴィクターの隣に、青い光の粒子が集まり、少女の形が形成されていく。彼女の姿はまるで、この世に存在しない幻影のようだった。


「今までは、力が足りなかった……」


 ヴィクターは息を切らしながらも、少女の言葉を無視できなかった。


 彼女はいつも現れるが、その存在や言葉は意味が分からず、ヴィクターにしか認識出来なかった為、意識しないようにしていた。


 だが、今回は違う、そう感じた。


「もっと力を溜めて、解放して……」


 少女の言葉に従い、ヴィクターはさらに魔力を高めた。身体が限界を超え、視界が揺れる中、自分を包む魔力のオーラが、青に変わり始めている事に気付く。


「ほう? 最後の力を無様にふり絞るのか?」


 神崎の嘲笑が聞こえるが、それを無視した。


 目の前に迫ってくる神崎が、一瞬だけスローモーションになったように見えた。


 自分の体が、そして意識が作り替えられ、新たな視覚が増えるような感覚になる。まるで、未来が見えるように……。


 その様子を見ていた青い少女は、口を開く。


「貴方には時間減速と先読みの能力がある。今までは、その残滓を無意識に使っていただけ。今なら、意識して使いこなせるはず……」


 そんな事が本当に出来るのか?


 そして、なぜそんな事を知っている?


 疑問が湧くが、ヴィクターはそれを頭から振り払い、少女の言葉に従って意識を集中させた。


 今まで時間がスローになった時を思い出し、頭の中のスイッチを押すイメージを持つ。


 しかし、これは既に使っていた事。あまり変化はない。


「なんだ、突っ立ているだけか? ならばこちらから行く!」


 神崎が高速で突撃して来る。


 間に合わない! 殺られる!


 その時、ヴィクターは、無意識に頭の中で銃のトリガーを引くようなイメージを作った。


 瞬間、ヴィクターの視界がぐにゃりと軟性を持ったように変化し、周囲がゆっくりと変わっていく。


 そして、神崎の速度が水中で動くようにスローモーションとなり、剣の軌道が薄っすらと残像となって見えた。


 ヴィクターは体をひねって、先に見えている神崎の剣線を避ける。


 そこにすっと、後から現実の神崎の両刃剣が通っていく。神崎は、両刃剣の特性を生かし、回転するように連撃を繰り出す。


 しかし、それすらすでに見えていたヴィクターは、神崎の剣を持っていない方へ回り込み、回避した。


 その途端に、世界が通常のスピードに戻り、ヴィクターは息を激しく切らし始めた。


 凄まじい疲労感が全身を襲う。スローになっている間、まるで呼吸を止めていたような感覚に襲われる。


「今の貴方では、能力を使い続けるのは無理。使い所を見極めて……」


 青い少女の助言が耳に入ってくる。言われなくても分かっている。恐らくこの力は、消費魔力や精神力を莫大に消費してしまう。


 無暗に使い続ければ、こちらが体力を使い果たして自滅してしまう。


 ヴィクターが再び打刀を構えると、神崎はゆっくりと振り返り、余裕のある声で話しかけてきた。


「こいつは驚いた。まぐれだとしても、俺の攻撃を避けたことは、賞賛に値する」


 神崎は、油断しきっている。俺が新しい能力に目覚めた事に気付いていない。この力を使えば勝機はありそうだがどうする? 影幻影を使っても、能力が低すぎてお取りにも成らない。


「武器の付け根を狙うのです」


 再び少女が助言を述べる。指をさして示しているのは、両刃剣の柄と刃の接合部分だ。


「帝国のパワードスーツ、鎧は強固です。狙うのなら同じ個所を狙うしかない。ですが、相手の攻撃が苛烈だとそれが出来ない」


 なるほど、だから武器から狙うのかとヴィクターは、納得して作戦を立てた。


 神崎が再び弾丸のように踏み込み、両刃剣を振るってくる。ヴィクターは再び能力を使う。


 神崎の両刃剣は速いが、その形状からどうしても左右に回転するような剣線を描く。


 先読みを使わなくても、時間減速だけで回避ができる。


 ヴィクターは、相手の癖を見切るため、回避に専念する。


 一つ、二つ、三つと神崎の斬撃を最小の動きで避ける。


 覚えた。


「どういうカラクリかは分からんが、回避だけは出来るようになったな。だが、それだけでは、勝てんぞ!」


 口ではそう言っている神崎だが、思うように攻撃を当てられないせいか、言葉に苛立ちがにじみ出ている。


 言われなくても分かっている。ヴィクターは、神崎の攻撃に合わせて、打刀を相手の剣と交差するように振った。


 直後、鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合う激しい音が、洞窟に響き渡る。お互いの武器から火花が舞い落ちる。


「ふん! 無駄だ。力は俺の方が圧倒的に上だ」


 その言葉の通りにヴィクターは、神崎の攻撃力に耐えられずに吹き飛ばされる。


 しかし、能力の時間減速を使い、壁に叩きつけられる前に体勢を変えて、壁に着地する。


 そして、そのまま思いっきり壁を踏み込み、神崎に突撃する。さらに魔力を付与して、打刀に青い炎を纏わせた横なぎの一閃を放つ。


 神崎もそれに合わせて両刃剣を振る。苛立ちからか、先ほどよりも力の入った動作に見える。


 再び激突。


 ヴィクターの打刀は、神崎が持つ両刃剣の刃と柄の接合部に直撃した。


 また空気がはじけ飛ぶような音がして、威力に耐えられないヴィクターが吹き飛ばされる。


 同じような攻防が何度も繰り返され、永遠と続くような感覚に襲われた時、それはついに来た。


 ヴィクターの青い炎を纏った横なぎの一閃が神崎に迫る。


「何度も同じ攻撃をしやがって! 無駄だ、貴様の攻撃は無力だ!」


 神崎はそう吠えながら、全力で両刃剣を振り回した。そして、打刀と両刃剣が交差した時、キンと甲高い音が鳴り響いた。


 神崎が持っている両刃剣の片側の刃が、クルクルと宙を舞う。


 ヴィクターは、同じ場所の刃と柄の接合部を何度も寸分たがわず打ち続けていた。


 そして、ついにそれが功を奏し両刃剣の片側を叩き切ることに成功した。


「よし!」


 ヴィクターは、息を切らしながら後退する。相手の武器は、片側だけになり、普通の剣と同じようになった。


「ほう、武器破壊を狙っていたか。しかし、まだ片側の剣は残っているぞ! この程度で勝利の天秤は覆らない」


 神崎の言う通り、両刃剣の片側が無くなり、ただの西洋剣のようになっただけだ。だが、そうなっては、今までの嵐のような回転を利用した連撃が出来ない。そしてなにより、相手のすきを狙いやすくなる。


 勝機が見えた、そう思った時に再び青い少女が囁いた。


「これで回避に余裕ができるはずです。帝国の鎧は、生半可な力で貫くことは出来ない。機を伺うのです」


 一度全力の攻撃を跳ね返されたヴィクターとしては、その意見を否定することは出来ない。


 しかし、このままではこちらが先に力尽きてしまう。武器を破壊したとは言え、相手は無傷だ。


 その上こちらは、ダメージが蓄積し、疲労困憊だ。神崎に殴られた脇腹が、ミシミシと痛みを訴えている。肋骨が折れているのかもしれない……。


 なので再びヴィクターは、勝負を決めに突撃をする。


 相手が剣を振り上げた瞬間、頭の中のトリガーを引き、能力を開放。


 世界が再びスローモーションになる。体の大きさの差を利用して、相手の足元に滑り込むようにして回避する。そして、通り抜け様に相手の膝の裏を切りつける。


「ふははは! 痛くもかゆくもないぞ!」


 実際に神崎の装甲は、芸術品のような美しさを依然保っている。


 しかし、ヴィクターは諦めない。最初に鎧のスケルトンと対峙した時にやった戦法だ。どんなに屈強な鎧でも、関節部分は他よりも弱いはず。


 自分の攻撃力で何度も当てていけば、必ず破壊出来るはずだ。相手が油断しきっている今なら、確実に実行できる戦法だ。しかも、身長差から相手は、上から下に振る攻撃を多用せざるを得ない。神崎の攻撃を読むのは容易い。


 しかし、能力を使っている弊害は徐々にヴィクターの体を蝕んでいく。体の反応が少しずつ鈍重になって来ているのを自覚する。手が震え、足元に力が入りづらくなる。


 ここで負けるわけにはいかない。父と母を殺した張本人に負けるわけにはいかない。ヴィクターは、自分にそう言い聞かせ、震える体を支える芯とする。


 ヴィクターは自分を奮い立たせた後、能力を使いながら再度突撃をした。下から潜り込むように懐に入ってくるヴィクターに神崎は、剣を振り下ろす。


 それを身を反らして回避。


 しかし、ヴィクターの眼前に神崎の蹴りが迫る。


 神崎は、自分の剣を避けられる事を読んでいたのだ。


 だが、これもスライディングのように滑り込んで、蹴りをやり過ごす。


 そして、再び相手の背後に回り込んだら、膝の裏に強力な一撃を叩き込んだ。


 鈍い音がした後、神崎は振り返り、こちらを見た。


「その程度か。幼児のマッサージよりも何も感じないぞ」


 神崎は鼻で笑っていたが、ちょこまかと動き回られて苛立ちを増しているように感じた。自分の周りでコバエが纏わりついている感覚だろう。


 神崎が剣を振り上げ、ヴィクターを叩き切ろうとする。


 ヴィクターは体をひねって、先に見えている神崎の剣線の残像を避ける。すぐ後に、神崎の剣が、実際にそこをなぞる様に通り過ぎる。そして、再び神崎が切り返しの、下からの切り上げを放つ。


 神崎の剣や動きは速い。だが、ヴィクターは、能力によって先にその動作が見えている。先読みしているのなら、回避は可能。冷静にそれを躱して、神崎の後ろに回り膝の裏を切りつけた。


 直後、世界のスピードが元に戻り、ヴィクターの呼吸の荒さが増す。


「能力を使った攻撃は控えなさい。今は機じゃない……」


 青い少女の声がかすかに聞こえるが、それどころではない。


 神崎は多少苛立っているが、言ってしまえば神崎の変化はそれだけだ。今の所のヴィクターの戦果は多少神崎を不快にしただけだった。


 それでもヴィクターは、再び同じ戦法を繰り返す。しかし、今度はお互いがぶつかり合っている訳では無いので、ヴィクターは吹き飛ばされない。


 二人が青い光線となり、交差していく様子が何度も繰り返される。


 拮抗しているように見えて、ヴィクターはどんどん自分が不利になっているのを自覚していた。


 体の限界はとっくに通り抜け、復讐と怒り、そして気力だけで持っている状況だ。


 神崎からは、ヴィクターが高速移動しているように見えるが、実態は時間減速の能力で無理やりスピードを出しているだけ。


 脇腹も警報のように激しく痛みを訴え、耐えがたく無視できない物になっている。


 さらに、能力を使えば使うほど、脳が締め付けられるような痛みを訴え、体は鉛のように重くなる。呼吸も目に見えて荒くなり、集中していないと意識が飛びそうだった。


 次で必ず決着をつける! ヴィクターはそう意気込んで特攻する。


「これで貴様の余裕を剝がしてやる!」


 ヴィクターはそう言いながら、今までよりも魔力を放出し、スピードを上げる。


 振り落とされる神崎の剣を搔い潜る。膝立ちになり回転しながら、渾身の力を込めて駒のように打刀をふるう。


 無防備な神崎の膝裏に打刀が吸い込まれていく。


 炎を纏った刀身が、ヴィクターの闘志に呼応するように激しく猛る。


 打刀が神崎の膝裏に吸い込まれた瞬間、鋭い金属音が鳴り響く。


「油断していると思ったか?」


 神崎の声が脳裏に残響する。


 次の瞬間、ヴィクターの眼前に粉々に砕かれ、折れた打刀が宙を舞う。


 能力を使っていないはずなのに、その光景はスローモーションに見えた。


 そんな馬鹿な! 俺の技よりも、訳の分からない魔法技術の方が上だと言うのか……。


 ヴィクターの自信が胸の中で凍り付き、雪崩のように崩れ落ちた。

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