蒼の牢獄⑦-6

 全員の賛成を得て、陛下の了承も賜ったので暴力革命の路線は決定した。


「少し長くなったので、この辺で休憩しましょう」


 それから30分ほど休憩を入れる事にした。それぞれの疲労の回復と熱くなった頭を冷やすためだ。




 そんな中、総務大臣の石黒はコーヒーを飲みながら、自分の境遇を呪っていた。


 なんで俺は、こんな役職についているんだ!?


 こんな重要な会議や立場は、明らかに分不相応だ。


 俺のような小者は下っ端で十分だろう。


 いや、むしろそうしてくれ。家柄で無理やりこんな役職についてしまった。


 俺は自分と家族が守られればそれでいいんだ! こんな役職は明らかに俺の器じゃない!


 政府の圧力を跳ね除けて行動するなんて俺には荷が重い。重すぎる。


 心の中でそう思いながら、コーヒーの入ったマグカップを覗く。


 そこには、永遠と震えて波紋が立つ水面に、薄っすらと頼りないくたびれた男の顔が映っていた。


 そんな情けない自分を見て、どうしたらいいんだ!? と石黒は頭を抱えた。


「最悪、家族さえ守れればそれでいいんだ。俺みたいな情けない奴が犠牲になったって、誰も困らない。いや、むしろ家族は感謝するかもしれない……」


 あまりにも自虐的な言葉が自然と零れ、それがさらに自己嫌悪に陥らせる。


 この負の永久機関でエネルギー問題が解決できれば良いのに、とどうでも良い事が思い浮かんだ。


 揺れるコーヒーの波紋は、まるで自分の揺れ動く心そのものだった。


 どちらに流されるのか、自分でもわからない。石黒は再び、震える手でカップを握り直した。




 そして、それを遠目で見ていた伊藤は、三日月のような笑顔を浮かべていた。


 石黒のような男は周りに必ず流される。


 道を示して押し込めば、絶対にコントロール出来る。何があってもこちら側の人間として仕事をしてもらうと獣のような視線で見ていた。




 休憩時間が終わり、メンバーが全員着席すると再び会議が始まった。


「それでは、次は革命後の政府をどのようにするのかを話し合いたいと思います」


 伊藤が落ち着いた声で周囲にしっかりと聞こえるように議題を提示する。


「普通に選挙をして、民主的な政府を作れば良いではないですか?」


 警視総監の神田が常識的な意見を述べる。


 それに対して自衛隊の統合幕僚長の大河原は、暫く考えた後、一言で意見を述べる。


「無理だな」


 口元で手を組んだまま発せられた声は、短いながらも重く会議室に響き渡った。


 それを聞いた神田は、眉間にしわを寄せ、鋭い目つきで問いただす。


「何でよ! 民主主義の否定という事は、独裁? バカげているわ!」


 彼女は今まで、民主的な国家で市民を、そして部下を守るために仕事に努めてきた。


 それを否定して、独裁政権を擁立するなんて心情的に受け入れられなかった。


 自分が守ろうとしたものを自分の手で破壊するために、今まで頑張ってきたわけではない!


 その様子を見た伊藤は、大河原の言葉足らずに呆れながらも、神田をなだめるために説明を始める。


「落ち着いてください。大河原さんの意見は、国民性を考えれば仕方がない物ですよ」


「どういう事よ!」


 ヒートアップしている彼女に努めて冷静な口調で会話を続ける。


「民主的な選挙をしても、日本国民は江戸時代以降、戦略的思考能力が欠けています」


「だからそれが選挙にどう影響するのよ?」


「昔から日本人は、立候補者を政策や過去の実績で選ばず、知名度や見た目、若いからとか、人柄が良さそうだとかの不確かな情報で投票します」


 神田は確かに、と頭を抱え伊藤の話に耳を傾ける。その様子を見て伊藤は説明を続ける。


「この状況で民主的に代表を選んだら、せっかく暴力革命が成功しても、選ばれる人間は、またスパイかそれに手のかかった者、または無能で自分の事しか考えていない政治家を当選させる可能性が高いです」


 その言葉を聞いた神田は俯いたまま暫く沈黙していた。その様子は受け入れられない物を何とか脳に浸透させようとしているようだった。


 それを読み取った伊藤は、話すのをやめ、彼女の返答を待つ。


 しばらくして、大きく溜息を吐いた神田は、口を開いた。


「受け入れたくないけれど、仕方が無いのね。悔しいけれど、否定できる言葉が思いつかないわ……」


「私も不本意ですよ。こんな事」


「どうしてこんな事になったのかしら……」


 神田の悲痛な声が響くも、誰も独裁成立への反論を出せない。


 どんなに嫌でも、民主的に選挙をやったら、とんでもない売国奴や無能が当選するかもしれない。


 そんな事になっては、目も当てられない。そもそも選挙なんてやっている暇はない。アストラルティス帝国という存在がすぐにでも攻撃してくるかもしれないのだ。


「それでは、暴力革命成功後は独裁政権成立という事でよろしいですか?」


「異議なし」


「異議はないわ……」


 再び全員の賛成と陛下の了承を頂いたので、次の議題へと移る。


「次は独裁体制をどうするかですね。名目上独裁ですが、いくつかの組織の合議制が現実的でしょう」


 伊藤の言葉に大河原はコクリと頷いた。そして顎髭をなでながら言葉を発する。


「普通に考えてここに居るメンバーが所属している組織、自衛隊、外務省、警察、総務省、厚生労働省、農林水産省で政権を作るのが無難だろう」


「えぇ、それに加えてダンジョン探索者を纏めているギルドも外せません」


 伊藤がそう付け加えると、大河原は自分の額を2、3回指で叩いて伊藤を睨みつける。


「なぜだ? 私は、反対だ。ギルドが加わる事で権力が分散する。戦時下において、指揮命令が分散すれば、兵力が統制を失い、重大な誤解や作戦ミスを招く」


 重くゆっくりだが野獣が唸るような声と圧力が会議室を支配する。


 流石武官と言ったところか。大河原はその圧力をさらに強めるように、伊藤に反論を続ける。


「特に探索者は民間人の集まりだ。統率のない我々軍人と異なる目的や倫理を持った人間が国家の運命を左右することになる。これは危険極まりない」


 普通の人間なら失禁するような威圧感を向けられている伊藤だが、笑顔のままその意見に反論する。


「確かに大河原さんの意見は一理ありますが、探索者の力とダンジョンの資源は、戦争になったら必要不可欠です」


 矢のような伊藤の鋭い視線と意見に、大河原も反論できない。そのまま伊藤は意見を畳みかける。


「暴力革命時は、我々と内閣で戦力が分散する可能性が高いです。その時に彼らを引き込むことは、絶対に必要です。さらに」


「さらに?」


「今後の国家運営、戦争資源としてダンジョン産の資源は必要不可欠です。なにより、ダンジョン発生前の魔法が関与していない兵器が、ダンジョンモンスターに効果が無い事を考えると、アストラルティス帝国の戦力にも」


「我々の兵器は、無力だと言うのか?」


 大河原は伊藤の言葉を遮り、言葉を発した。


 そして、握りこぶしを作り、机の上で思いっきり握りこんでいた。その威圧感は、この会議室の空間を圧縮したように感じるほどだ。


 伊藤は、彼が自分の戦力の無力さを悔しがっていると分かった上で、さらに言葉を続ける。


「はい、魔法的な要素のない武力は無効化される恐れがあり、そのため、ダンジョン探索者は後の戦争でも絶対に必要です」


「そうか……」


 そこで大河原は大きく息を吸い込み、再び鋭い視線を伊藤に向ける。


「だが、ギルドがあちら側だという可能性もないか? 迂闊に引き込めば、敵を内側に入れる事になるかもしれん」


「大丈夫です」


 伊藤は、ハッキリと言い切った。このような意見があるのは想定済みで、事前にギルドは調査していた。


「ギルドはダンジョン発生から設立されて以来、政府からかなり不遇な扱いをされています。予算もごく僅かしかもらってません」


 そこで伊藤は、再び全員の端末にギルドに関する資料を送信する。


 そこに書かれているのは、政府の圧力でダンジョン内の情報を探索者に共有できずに、死者が増え、ギルド職員も心を痛めていること。


 予算が下りず、初心者講習や武器の支援が出来ていないこと。


 その他にも過剰な税金も含めて、ギルドや探索者が自動的に衰退するように政府が仕向けていること。


 何よりこのような不遇な場所に、欲に目のくらんだ売国奴は来ない事が書かれていた。


 会議の空気がより重くなり、湿度すら感じられるようになった。


「彼らも苦しんでいるのだな……」


 あまりにも惨いギルドと探索者の状況、政府の陰湿さに大河原はどこか仲間意識を持ち、同情的な表情を作った。


 しかし、すぐにその表情は引き締まり、再び伊藤に疑問点を問いただす。


「ギルドが敵である可能性が低いのが分かった。だが、もし今の規制から解き放たれたギルドはどうなる?」


 大河原は長い間、力を統率する側にいた。その力が統率できなければどうなるかも良く知っている。


「ギルドは独自の戦力も資源もある。しかし、その歴史は浅く、管理能力も疑問だ。そんな奴らが暴走したら、敵と戦う前に国家は滅びる」


 伊藤は目を細めて大河原を観察していた。


 確かに言っている事に一理はある。けれど、反対姿勢の本質は、別のところにあると推測している。


 軍人とは、敵の戦力を撃滅する事だけを考えている傾向がある。そのため、なるべく国家すべてのリソースを自分で管理し、リソースを全てそこに使いたいと考えている。


 たしかにそれは、一面だけ見ると正しいが、敵を全滅させても、国家や国民が消滅してしまっては意味が無い。


 まぁ、ここでそれを言い合っても意味が無い。ここは、大河原が納得する形で妥協し、ギルドを体制に参加させるのが先決だ。


 伊藤は、素早く頭を回転させて、彼が飲み込める提案をする。


「ギルドが力を持っているとしても、探索者は個人です。ギルドが完璧に統制出来るわけではありません」


「だったら、なおさら」


 割り込んで話そうとする大河原を手で制して、伊藤は説明を無理やり続ける。


「だから、現役の自衛官をギルドへ幹部としての派遣、そして非常時には探索者は自衛隊の指揮下に入るというのはどうでしょうか?」


 その言葉を聞いた大河原は腕を組んで数拍思考した。そして、少しだけゆるんだ表情を作り返答した。


「それならば私としては異論はない。むしろ歓迎したいところだ」


「では、他に意見が無いようでしたら採決しましょうか?」


 ギルドを迎え入れる事については、それ以外の反論は出ず、すんなり全員賛成で決定した。


「ふむ、それでは次は、誰を名目上の独裁者とするかを決めなければ成りませんな」


 今まで進行を伊藤に任せていた大河原が、顔の半分だけ笑みを浮かべて提案した。


「確かに、それはそうですね。大河原さんか神田さんが適任では?」


 伊藤は咄嗟に答えたが、大河原は首を振った。


「いや、適任は、君だ。伊藤 健樹君」


「えっ!?」


 あまりにも予想外な事を言われて咄嗟に立ち上がる。


 この会議で初めて伊藤が驚かされた場面だ。そして伊藤は、早口になりながらも大河原の提案に反論する。


「私は、まだ20代です! 経験も実績もない若者に、国家の命運を背負わせるなど無謀ではありませんか? いくら何でも滅茶苦茶だ」


 珍しく焦る伊藤を見て周囲のメンバーは笑みを浮かべる。そして内心自分にその貧乏くじが回ってこなくて良かったと思っている。


 そんな周囲の様子を無視している大河原は、口元で手を組んで淡々と答える。


「いや、君しかいない」


「なぜ?」


「アストラルティス帝国と言う魔法文明は未知だ。スパイに手なずけられた人物を、尋問していた時に魔法で死んだことを見れば確かだ」


「それに一体何の関係が」


 大河原は、必死に否定しようとする伊藤に鋭い視線を向けて言葉を続ける。


「君も分かっているのだろう。そのような事が出来るのなら、国家元首に対して、奇襲や暗殺、洗脳も出来るかもしれない。それに対応できる可能性が高いのは、この場で君だけだ」


「そ、それは……」


 伊藤は力なく滑り落ちるように着席する。大河原は、さらに畳みかけるように説得を続ける。


「また、相手との交渉の時に、あまりにも弱いと恫喝される恐れがある。最悪、敗戦後のゲリラ戦等になっても、首相の伊藤 健樹自身が強力な戦力として生き残っていた場合、国家再建の可能性がある……」


 大河原は、個人の武が重要となるのは、過去にタイムスリップしたようだが、仕方がない、と続けた。


 伊藤は、視線を机の天板に向けて考え込んでいる。その様子を見た大河原は、あと一押しと判断して次の言葉を述べた。


「愛国心も戦力も、その他の能力も君なら問題ない。頼む、国家存亡のこの危機に、日本を国民を守るために引き受けて欲しい」


 その言葉と共に大河原は頭を下げた。そして、他のメンバーも頭を下げた。石黒は、周囲を見回した後に、一拍遅れで頭を下げた。


 それを見た伊藤は、一度深く深呼吸をした後に背筋を正す。


 そして、軍隊の起立のように立ち上がり、その場で全員を見渡した後に陛下を見た。


 最後に、会議室が静寂で支配される中、一度まぶたを閉じてぐっと力を入れて、再び開く。


 その瞳には決意が宿っていた。体全体が熱を帯びる。


「かしこまりました。全身全霊で、謹んで承ります」


 こうして伊藤は、名目上だが、暴力革命後に独裁者となる事が決定した。


 これは最悪の場合、全ての責任を命を懸けて引き受ける事を意味する。


 そして、伊藤はやはり内心複雑だった。


 私は、戦士として高い能力を自負していました。これからもこの力を現場に出て行使するつもりでした。


 しかし、国のトップになったら、うかうか前線に出られません。自惚れでなければ、この穴は大きいですね……。


 伊藤が就任前から頭を悩ませ、黙っていると神田が不機嫌に話題を振ってきた。


「ここまで色々決定したけれど、実際問題、暴力革命はどう起こすのよ」


「どういうことだ?」


 軍人の大河原は、神田が何を懸念しているか分かっていないようで疑問を呈した。


「簡単よ。いくら私達が暴力革命を決意しても、国民の賛同が無きゃ成功するわけないじゃない」


 常に市民を見てきた神田の鋭い指摘に、大河原は言葉を詰まらせる。


 何とか返答するが、軍人らしく民間人の視点が欠けている物を口にする。


「政府や経済の中枢にスパイが潜んでいる事実を明らかにしてはどうか? これなら国民も賛同せざるを得ないはず」


 神田はその言葉に首を振り否定する。


「そんなのじゃ足りないわよ。20世紀の日本だってそんな話は陰謀論として扱われていたわ。今も似たようなもんよ。日本人ってそういうのに無関心なの」


 悩ましい事にね、と続けた神田は、深く溜息をついた。それを聞いた大河原は、口をへの字にした後、不愉快を隠さずに口を開いた。


「それではどうする? このまま我々が先に動くとクーデター未遂に終わるというのか? 2.26のように」


「その点はお任せください」


 皆が頭を抱え始めた時に、明るい声が響いた。


 声の出どころは伊藤だ。伊藤は冷静に言いながらも、不敵な笑みを浮かべていた。


「旗役は既に選定しています。政府自ら国民や探索者の不利益になり、信頼を損ねるような手を打つように、必ず工作を仕掛けて見せます。彼らはダンジョン探索者が力を持つことを恐れていますからね」


 言い終えた瞬間、会議室の空気が一変する。


 まるで旧時代の戦艦大和の主砲が目前に迫るような、圧倒的な威圧感に包まれた。


 他のメンバーは思わず息を飲み、誰もが「こいつを敵に回したくない」と心の中で合掌した。


 同時に、彼を独裁者に選んだ判断が正しかったと、全員が確信した瞬間だった。


「その際は、石黒さんに協力をお願いしたい」


 最後に伊藤がそう付け加えて石黒を見た。


 石黒は、なんで俺なんだ! もっと優秀な奴が周りにいるだろ! と思いながら胸を押さえて頷いた。いや、頷かざるを得なかった。

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