蒼の牢獄⑦-4

「直弥!」


 ヴィクターは、回避しながら注意のために声を上げる。直弥もそれを聞いて、攻撃態勢を取りながらその場から離れる。


 魔法が飛んできた方向を見ると、腐敗した男女の探索者、ヴィクターの両親だった物がそこにいた。


 ヴィクターは瞬時に魔力を高めて、影幻影、分身を生み出す。同時に、突撃してきた父だった物と対峙する。


 直弥は以前と同じように、母セラフィナだった物に攻撃を仕掛けて対応しようとするが、防戦で手一杯だ。しかし、そこにヴィクターの分身が来て直弥をサポートする。


 ヴィクターはかつての父と鍔迫り合いをしながら、自分の体が重く、固まるのを感じる。


「これは、父ではない。もう、父さんじゃないんだ!」


 打ち合いで相手の刀をはじきながら自分を鼓舞する。本来なら打ち合いをするまでもなく、回避、攻撃できるはずだ。しかし、この悪臭のする相手に、どうしても父の顔が重なって、体が固まってしまう。


 父だった物の攻撃を受け止める度に、ヴィクターの手は痺れ、体中に伝わる重さが増していく。そして、相手が攻撃する毎に、かつての記憶がよみがえり、目の前の相手に刃を向けることを躊躇させ、体が強張ってしまう。


 体が上手く動かないなら、力を込めるしかない。


 ヴィクターは、雄たけびを上げながら全身の魔力を高める。すると、自分の隣に青い光の粒子が集まり、少女の形を作る。


「背中の装置を破壊するのです。恐らく、帝国が作った機械」


「分かっている!」


 いつものように役に立つのか立たないのか分からないアドバイスを受ける。だが、本当に俺が倒していいのか? もしかしたら、助ける方法があるかもしれない。


 そんな幻想を振り払い、全力で魔力をさらに上げる。頭の中にあるスイッチを押したようなイメージを作る。


 そうすると、なぜか自分以外が水中にいるような緩慢な感覚になる。


 ゆっくりとした動きで、父だった物が刀を上段から振り下ろしている。それを超振動の打刀で、手首ごと斬る。そのまま体を回転させながら背中にある金属の塊を、フェニックスと盾の模様の上から両断した。


 その瞬間、父の体がビクリと痙攣して停止した。ヴィクターは顔が見える位置に回り込むと、一瞬生前の父が重なって見える。


 強くなったなヴィクター……。


 生前の父だったらそう言っただろうか。そう思ったが、違う、これは俺の弱さだ! とヴィクターは自分に言い聞かせた。すると、すぐに元の腐敗した姿に戻る。


 崩れ落ちる父を目の当たりにしながら、嘔吐しそうな気色悪さと、痛みを感じた。目の前の光景が、あの悪夢か現実なのか境界があいまいになる。いや、心の奥底では、夢であってくれと叫んでいる自分がいた。


 だが、父が完全に地面に沈んだ後、その手には打刀の感覚がヒンヤリと伝わってきたかのように錯覚した。ただそこに残ったのは、空虚な気持ちと悲しみだけだった。


 直弥の方はやはりひたすら防戦だった。セラフィナの様々な高火力の魔法攻撃に盾を使って耐えるばかりだった。焔雷弓えんらいきゅうを使う暇がなく麻痺雷弾まひらいだんを使えない。


 そもそもヴィクターの母は、ホバリングしながら高速で動いているうえに、周囲に魔法障壁を張っていて防御力も高い。それを破れる火力も出せるのか不明だ。


 直弥自身も風の魔法で加速して、スピードを上げているが、それでも足りない。加えて、ヴィクターの分身が隙をついて攻撃をしているのだが、火力が足らなすぎる。


 次の手を考えていると、ヴィクターの分身が、炎の魔法が直撃したことにより消滅した。


「ちょっと不味いな」


 と直弥が口にした瞬間、光の線が豪雨のような魔法攻撃を逆流していった。直後に魔法障壁がガラスの割れるような音と共に割れて無効化された。


「ヴィクター君!」


 直弥の前には、打刀を抜刀したヴィクターがいた。無傷でここに居るということは、戦いが終わったのだと判断した。


 ヴィクターは母だった物に全力で接近しようとする。相手の攻撃は、持ち前の運動能力で回避し、魔法を打刀で切り落としながら前に進む。


 だが、母セラフィナだった物は、高火力、高速連射と後退移動をし続けているので距離を縮めることができない。


 その動きは、風のように滑らかで速く、ヴィクターの攻撃を寄せ付けない。優雅とも言える動きから、皮肉にも生前の優しさを感じてしまった。


 それが操られているからなのか、ヴィクターの思い込みなのか……その違いさえも分からなくなりそうだった。


 大量の魔法が壁のようにヴィクターを襲い、全身を包み込む。だが、ヴィクターは歯を食いしばりながら、何とか一歩でも距離を縮めようと奮闘する。


 目の前の母は、明らかにヴィクターの記憶と鷹村の話から聞いた、生前の力を凌駕していると思った。


 ヴィクターは、雨のように降り注ぐ母だった物の魔法攻撃を回避、対処している。被弾はしていないが、ヴィクターの心は全く落ち着いていなかった。


 探索用スーツの下は、汗で背中が滲み、胸の鼓動が耳元で鳴り響く。どんなに冷静に対峙しようとしても、母の姿が頭から離れない。


 ヴィクターが防戦一方になっている時、一筋の光が豪雨のような魔法攻撃を逆流していった。それが母だった物に直撃して、その動きを止めた。


 直弥の焔雷弓えんらいきゅうから放たれた、麻痺雷弾まひらいだんだ。ヴィクターに攻撃が集中していたため、直弥が相手を狙い、麻痺雷弾を放つ隙ができた。


 その結果、魔法のシールドを破壊されたヴィクターの母に当てることができた。そして、麻痺雷弾まひらいだんが直撃して、麻痺状態になった隙をヴィクターが見逃すはずがない。


 一気に接近をして、母セラフィナの横を通り過ぎるように斬撃を繰り出し、背中の金属の塊を切り裂こうとした。


 視界の端に母だった物の顔が映る。僅かに残された面影が、ヴィクターの手を震えさせ、打刀の軌道を変えようとした。


 だが、ヴィクターは叫びながら力づくで無理やり、刀を正確に振った。


 斬撃の度に、ヴィクターは自分の心が壊れるのを自覚する。本当にこうするしかないのか? と疑問が湧いてくるが、これは、かつての母じゃないと言い聞かせる。


 しかし、最後に切り裂いた一撃は、重い罪悪感を手から伝わる感触からヴィクターに侵入し、心を蝕んでいった。そして無力感が津波のように押し寄せてきた。


 機械を破壊されて、再び痙攣が起こったように、母だった物が震えて停止する。慌ててヴィクターが駆け寄ると、生前の姿が重なる。


 頑張ったじゃない。よくやったわ! と言いながらウインクして、頭をなでてくれるのだろうか?


 崩れ落ちる母の遺体を支えながら、終わってしまったのか? という疑問が脳裏に広がった。


 だが、そんな軟弱な幻覚や思いが、自分が弱者であると指摘されているようで、自分を殴り倒したくなる。


 ふざけるな! と自分を叱咤することで、母はすぐに腐敗した姿に戻った。


 その後、ドロップアイテムも何も出なく、朽ちた遺体だけが残った。


 ヴィクターは震える手で、両親を四次元バックに入れるために並べた。一人ずつ収納しても良かったのだが、仲が良かった二人を並べてあげたいという気持ちがあった。


 そして、四次元バッグへ入れようとしたところで、また再び生前の両親の姿が重なって見えた。そして、「ありがとう」と言ったような気がした。


 その直後ヴィクターは、頭を抱えて地面に膝をつき、泣き叫んだ。


「違う! 違うんだ、そうじゃない!」


 嗚咽と共に放たれる声は、まるでダンジョン全体を響き渡らせ、地上にまでも届くかのようだった。


 ヴィクターは、何度も何度も自分の弱さを責め、拳を地面に叩きつけた。両親を救えず、自分の手で討ったという無力感と罪悪感が、体の芯から沸き上がっていた。


「お、俺が、皆が弱くなかったら、こんな事にならなかったんだ! 許しを求めるのは俺の弱さだ! 悪だ」


 獣の慟哭のような声を出しながら、ヴィクターは両親の遺体を四次元バッグへ収納していった。


 そのヴィクターの背中を直弥は黙って見つめていた。ヴィクターが今、どれほどの苦しみと悲しみの間でもがき苦しんでいるのか、想像すらできない。彼にかける言葉も見つからない。


「僕にできることは武器や装備を作ることだけなんだ……」


 自虐的になる思考を振り払い、直弥は冷静に自分のすべきことを模索する。


 こんな悲劇を再生産してはならない。たしかにダンジョンの資源は必要だ。だけれど、皆に強さがあれば、こんな残酷な結末を少しでも減らすことができる。


 だから、早く強化された武器と防具の量産を進めなくてはならない。そのためには、自分の武器工房を営んでいる両親に作り方を教えなければならない。そして、伊藤健樹にも。


 直弥は自分の使命を深く胸に刻み込んだ。そしてもう、自分の名を広めることにはあまり興味がなくなっていた。


 ヴィクターが両親の遺体を回収した後、二人はギルドに戻ってきた。ギルドの買取場で、ドロップ品を売る時に、地下三十階を攻略したと直弥が伝えた。


 ギルド職員や周囲が盛り上がる中、二人は探索で疲弊しているためという理由で、質問やインタビューを受けずにすぐに帰宅した。


 これは、あまりにも疲弊して憔悴しているヴィクターを見て、誰も止めることはできなかった。


 しかし、地下三十階攻略の情報は、ニュースで報道されて大騒ぎになった。


 過去、明治神宮攻略最高が地下二十九階、到達が三十階。長い間、その記録が破られることはなかった。


 そして、今日攻略最高階層が、地下三十階と更新された。しかも、前回の更新者の息子で、影縫い組を討伐したヴィクターだ。その偉業と見た目で、世間では何かの祭りのようになっていた。


 しかし、ヴィクターは部屋にこもり涙を流し、嗚咽していた。そして、その声は晴臣はるおみの耳にも聞こえていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る