蒼の牢獄⑦-2

 直弥に連れられているヴィクターは、呆然とし、憔悴していた。


 両親との幸せな日々を取り戻すために、復讐を誓い戦ってきた。


 それなのに、両親を自身の手で倒すという事は、その未来を己の手で破壊するように感じた。


「俺は…俺は……」


 ヴィクターはそう呟くが、その言葉に意味はなく、何をすべきかも分からなかった。


 命からがらヴィクターを家へ連れ帰った直弥は、事情を晴臣はるおみに伝えた。


 晴臣はるおみは、驚愕しながらも話を聞いていた。


 そして、彼自身もヴィクター両親と深い関わりがあったのにも関わらず、必死になってヴィクターの世話をしていた。


 その様子を目にした後、直弥は自分の家へと向かう。


 帰り道は既に太陽が沈んでいた。


 冷たい夜風が頬を刺す度に、直弥は自分の体を無理やり前に進ませた。


 見上げれば薄っすらと分厚い雲で空が覆われていた。


 何となくそれが自分の心や未来を表しているようで見るのが嫌になった。


 仕方が無く街灯が薄く照らす足元を見た。


 道の端に虫の死骸が転がっているのが目に入ると、なぜかヴィクターの両親を思い出した。


 首を振ってその考えを頭から追い出す。


 周囲の環境も、より一層陰鬱な気分にさせるが、直弥は頭を振って次の手を考えながら家にたどり着いた。


「今のヴィクター君に何を言っても意味がないだろう」


 本当は、彼を慰める言葉をかけるべきだろう。


 彼の憔悴している姿を見ると胸の奥が締め付けられるようだった。


 しかし、研究ばかりしてきた自分には言葉が思いつかない。


 それに、もし思いついたとしても、今のヴィクター君にはどんな言葉も届かないだろう。


 彼の心は今、深い漆黒のヘドロの海に沈んでもがき苦しんでいる。


 感情に寄り添い、適切にその心に働きかける言葉を話すのは得意じゃない。


 それなら今出来る事は一つしかない。


 戦うための武器を作る事だ。


 新しくて強力な武器を早急に作らなければならないと考えていた。


 先ほどの戦闘で直弥は何とか撤退できたが、ヴィクターの母と戦っていた時、攻撃を当てる事が出来なかった。


 高速で高火力な魔法の連射、そして敵の攻撃を防ぐ魔法障壁も展開していた。


 焔雷弓を使い、威力と速度を増加させた麻痺雷弾を当てる事が出来れば、ダメージを与える事が出来るかもしれない。


 しかし、弓を構えて撃つという動作を相手は許してくれない。


 それでは遅い。


 だが、ヴィクターを除くと探索者の中では自分より強い人物はいない。


 その証拠にダンジョン地下25階以降に到達した人物は皆死んでいる。


 ヴィクターの両親が過去に到達した地下30階の記録は更新されていない。


 恐らく、あのゾンビのようになったヴィクターの両親が、地下25階付近に到達した探索者を倒していて、逃げる事も出来なかったのだろう。


 可能性だけ考えれば、伊藤 健樹いとう けんきは強く、倒せるかもしれない。


 しかし、彼は国家戦略情報局こっかせんりゃくじょうほうきょくの人間だ。


 ダンジョン探索に力を割く余裕はないだろう。


 ヴィクターが倒すしかない……。


 攻撃力とスピードを兼ね備えた彼しかいないのだ。


 平常心のヴィクターなら、多少苦戦してもあのレベルの相手なら全力を出し、勝利できるだろう。


 しかし、死体のようになったとはいえ、両親を己の手で倒すのには、かなりの心理的な負担がかかり、全力は出せないだろう。


 ならば、彼が全力でなくても勝てるだけの威力のある武器を作るしかない。


 元々、四次元バックや武器強化の研究でエンチャントの技術を開発していたが、それはまだ完成に至っていない。


 ならば、既存の技術で強力な武器を作るしかない。


 魔法技術で早急に開発できる強力な武器は思いつかない。


 ならば、科学技術だ。


 人類が今まで積み上げてきた物から応用すればいい。


 魔法技術で刀や武器を強化する時に、魔力を流す。


 すると、振動が起こる。


 これは今までの装備に使ってきた、リンク・シンクロナイズ理論だ。


 この振動に注目した。


 これをさらに増幅させて、適切な振動数にする。


 そうすれば、昔からある超音波カッターの技術と融合させられるかもしれない。


 そうすることで、少ない力で敵を切り裂き、一撃で魔法障壁も突き破れるかもしれない。


 新しい武器の開発方針が決まり、さっそく設計に取り掛かる。


 魔力を流し込むことで発生する原子の微細な振動を、超音波カッターの技術として併用する。


 言葉にすれば簡単だし、その理論を実現できると直弥は確信していた。


 しかし、その振動数をどう調整して適切な切れ味と魔力の強化を両立するかが最大の問題だった。


 何度も図面を引き直し、理論を再計算して、時には実験をしながら最適な周波数を探していた。


 この障害、かならず乗り越えて見せると直弥は決意する。


 本来ただの探索者ならここで諦めるのもありだ。


 金は十分稼いだのだから。


 しかし、直弥はここで立ち止まってはいけないと思っていた。


 影縫い組の時から目にするあのフェニックスと盾の模様。


 今回のヴィクターの両親の背中の金属にも描かれていた。


 そして、それは月面基地にも描かれている。


 一見すると関係のない事象なのに、この模様が共通して描かれていた。


 最初はただの好奇心で、何となく気になった程度だった。


 しかし、過去の月面探索の動画、ヴィクターの両親を見ていく毎に、好奇心が不安に変わり、嫌な予感が膨らんでいく。


 しまいには、寒気がするほどの恐怖を感じた。


 これは偶然ではない。


 全てに絶対何かの繋がりがある。


 きっとこれは自分たちの知らない大きな力が働いていて、無視して生活すると巨大な災厄となって自分たちを襲うと確信に近い予感を抱いていた。


 そして、その事が直弥の心をさらに重くした。


 だが、皮肉にもその不安と恐怖が、新しい武器を作るモチベーションとなり、直弥を図面に向き合わせた。





 対してヴィクターは家に帰ってから何日も自室に引きこもっていた。


 思い出すのは、両親との過去の日々。


 元気いっぱいでいつも優しかった母。


 魔法を教えてもらうことが多く、上達すると自分の事のように喜んでくれた。


 豪快ながらも温かく、剣術の稽古をしてくれた父。


 つい張り切り過ぎて一緒に母に怒られていた。


 だが、隠れて実物の刀を見せて、使わせてくれた。


 別に何か特別な事はしていないのだが、秘密を共有しているようで、とても楽しかった。


 こんな日々が何時までも続き、これほどの愛を受けた恩返しをいつかしたいと思っていた……。


 それが崩され、周囲の色どりが無くなったような気がした。


 両親の無念や自分の怒りを復讐する事で果たせば、再び世界が元に戻ると考えていた。


 そして、その為に日々の練習を続けてきた。


 しかし、復讐の為に力を付けたのに、目の前に立ちはだかったのはかつての両親だった。


 最初は分からず罵った。


 無意識にあの腐敗臭がする汚い腐った物体を両親と認識したくなかったのかもしれない。


 認められるはずがない。


 あの醜いモンスターのような存在が、かつての両親だったなんて……。


 現実と感情が混ざりあって、視界が歪んで見えるように感じた。


「二人は動いてはいるが、あの状態では生きてはいない……」


 頭では理解しているが、心が拒否する。


 あの二人の背中に付けられている装置と、その表面の模様を見ると、何者かが裏で手を引いていて、本当の復讐の相手はそいつだ。


 だが、そいつと両親を倒せる能力があるのは自分しかいない。


 自らの手で倒さなければいけない。


 そのおぞましい運命を呪い、現実逃避からベッドの中へ潜る。


 そこで見た夢は、楽しかった両親との日々だった。


「ヴィクター、美味しい?」


「うん!?」


 自分と同じ碧眼を持つ母の優しい声を久しぶりに聞いた気がする。


 晴臣が作った香ばしい肉料理を頬一杯に口に入れる。


 うま味と幸せが温かさと共に体中に広がっていく。


「一杯食って大きくなれ。きっとすぐに俺より強くなれるぞ」


 ガハハハと野太く豪快な笑いを飛ばす父。


 そうだ、俺はこの世界を守りたかったんだ。


 この世界を取り戻したかったんだ。


 この幸せがいつまでも続けばいいのにと思いながら食事を続ける。


 両親を見ると、その温かい笑顔が徐々に消えていく。


 目の前にある肉から急速に水分が失われ、硬くなる。


 そして、鼻をつく腐敗臭が広がり始める。


 肉を噛んでいた歯が、ガリッと音を立てて、感触が砂のようになり、口の中で異物感と酸味が広がる。


 皿にある肉に再び目を移すと、青黒く変色し、ビチャビチャと湿った音を立てながら液状して、腐りはてた死肉となった。


「おぇ!」


 胃がひっくり返るような感覚に襲われて、慌てて嘔吐する。


 俯いて胃の中の物を全て出していると声をかけられる。


「ダメじゃない。ちゃんと食べないと」


 いつもとは違う冷たい母の声がする。


 急いで声の方を振り向く。


「だってそれは、私たちのお肉なんだもの」


 表情の抜け落ちた母が、再び笑みを作る。


 しかし、それはどこか歪んでいた。


 それから、ゆっくりと皮膚が裂け、肉と皮が腐り落ちていく。


「そんな悪い子には、お仕置きだ」


 野太いがどこか冷たい父の声。


 素の姿は変わり果てた母と同様、腐乱死体のゾンビのようだった。


 そして、その手には刀を持っている。


 ヴィクターは叫びながら咄嗟に立ち上がり、手に持っていたナイフで父を刺した。


「ど、どうして、ヴィクター」


 再び父の顔を見ると、元の姿に戻っている。


 その顔は、驚嘆と悲しさで染まっていた。





 そこでヴィクターは再び叫ぶと、ベッドの上にいた。


 そう、夢だ。


 眠ると常に同じような夢を見る。


「ま、また夢か……」


 何度見たか分からない悪夢から覚め、カラカラのかすれた声が自然と出た。


 目が覚めたことを自覚しても、現実と悪夢がどこか繋がっているような感覚に襲われる。


 寝汗でシャツが体に張り付き、息苦しさが増していく。


 薄暗い部屋の窓ガラスに、ぼんやりとあの腐敗した両親が映っているように見えた。


 急いで別の場所に視線を変えても、ふと視界の隅に腐乱した両親の姿が浮かび上がる。


 皮膚の剥がれ落ちた手が、自分に向かって伸びてくるように錯乱し、ヴィクターは震えながら頭から毛布をかぶった。


 ゴクリと唾を飲み、冷汗がねっとりと背中を伝い、手足の感覚が麻痺したように感じた。


「なぜだ! なぜこんな仕打ちを受けなければならない!」


 両親の無念を晴らすのと、過去の幸せを取り戻すために戦ってきた。


 その俺が、なぜこの手で二人を討たなければならないんだ!


 訳が分からない。


 怒りと悲しみ、絶望が混じり合い、胸の奥の理性が引き裂かれるようだった。


 その場でベッドに手のひらを叩きつける。


 返答の代わりにベッドが波を打った。


 荒い呼吸音だけが部屋に響く。


「あれだけ毎日、復讐のために訓練を続けて努力してきたのに、これがその仕打ちか!」


 ヴィクターが叫ぶと、なぜか過去の記憶が蘇り、その時の自分の声がする。


 努力というのは、結果が出るまでやる事を努力というので、結果が出せなかったらそれは努力じゃない。


 影縫い組かげぬいぐみ佐藤 幸雄さとう ゆきおに自分が言ったことだ。


 ヴィクターは煩いとその声を頭を振ってかき消そうとした。


 あいつらは犯罪者だ。


 俺は違う。


 大体、直弥も含めて、他の奴が俺の強さについてこれないのが悪いんだ!


 他の奴が強ければ、両親はあんな姿にならなかったかもしれない。


 そうじゃなくても、俺が両親を討伐しなければならない運命ではなかったかもしれない。


 弱さが悪い。


 そして、この騒動の背後にいる奴が悪い。


 必ず倒す……。


 ヴィクターは幽鬼のようにゆらりと立ち上がり、木刀を持って中庭に出た。


 より力をつけるために。


 復讐と怒りに逃げたその碧眼には、怪しい炎が猛っている。


「力だ……。力がもっと必要だ……」


 俺は両親を救えなかった。


 立ち向かうことも出来なかった。


 俺の弱さのせいだ。


 弱者は罪だ。


 弱さがすべてを壊す。


 弱さが両親との幸せな日々を奪い去った。


 弱者に未来を生きる権利はない。


 だから俺は強くなる。


 どんな犠牲を払ってでも、必ず力を手に入れ強くなる。


 俺や両親をこんな目に合わせたやつを滅ぼしてやる。


 それが俺に残された唯一の道だ。


 その結果、隣にいる者が、己の影だとしても構わない!


 ヴィクターは、そう決意をして無心で木刀を振った。


 何度も、何度も、彼の手の皮膚が破れて血が出ても永遠に……。


 ヴィクターの碧眼には、ただ復讐の炎だけが灯っていた。


 ヴィクターはそれから数日間ひたすら庭で訓練を続けていた。

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