第七章

蒼の牢獄⑦-1

 夕凪ゆうなぎ紅蓮の盾ぐれんのたてと別れた日からしばらくたった。ヴィクターと直弥は、いつもの通り赫牛鬼かくぎゅうきとのボス戦を何度も繰り返して簡単に倒せるようになった。


 ここで二人はあまりにも力をつけてしまった結果なのか、二人にとってダンジョン探索はあまりにも難易度が低下してしまった。地下十六階からの敵は、普通の鬼と今までの火炎姫かえんひめ、お面の巫女や屍神主ししんじゅ蜘蛛鎧武者くもよろいむしゃだった。


 地下二十階のボスは鎧を着た大型の鬼で、それも問題なく倒せた。次の階層からの新たな雑魚敵は、地下五階のボスだった阿修羅神主あしゅらしんじゅと、ヴィクターも直弥も攻略方法が分かっている敵ばかりで、苦戦することなく先へ進めた。


 また、この間に直弥が紅蓮の盾ぐれんのたてのメンバーで得たデータから、魔力や攻撃力が上昇する武器の量産を計画しだした。実家の両親に技術を教えているらしい。さらに、人類史上初となる、エンチャントとモンスターにも有効な銃器の開発にも取り掛かっているようだ。


 地下二十五階の蛙と鬼が合体したボスを倒して、地下二十六階へ向かった。今までは岩山のような場所だったが、森の中に廃神社が所々にあるような地形だ。


 ここまで来て力は付いてきたが、ヴィクターはなぜか嫌な冷たい感覚が胸の中でうごめき、大きくなってきた。それは、もうすぐで両親が死んだとされている地下三十階に近づいているからかもしれない。


 地下三十階に何かあるかもしれない。だが、それが何であれ必ず己の力で叩き潰す。


 夕凪は復讐を終えた後に、一区切りがついた程度の感情しか湧かないと言っていた。それは復讐の意志が弱かっただけに違いない。俺は必ずやり遂げて、胸の中にある燃えているどす黒い炎が消えるだろう。


 両親が消えてから無くならない悲しみから解放され、昔のように世界が彩られるに違いない。もうすぐ正しい世界、生活に戻れるだろう。止まった時計の針が再び動き出すのだ。


 そうしてそれは、必ず実現する、いや、実現させる。そう考えると天にも昇るような高揚感が得られ、嫌な冷たい感覚を消し去っていく。


 また、最近ギルドでは、ヴィクター達がもうすぐ未攻略エリアの地下三十階をヴィクター達が攻略するのではないかと密かに噂になり、盛り上がっていた。あまり他人の評価を気にするヴィクターと直弥ではないが、その事も何かしらの心理的影響を与えているのかもしれないと考えた。


 不安と高揚が混じる中で探索をしていると、前方の上の方から気配がする。見上げると、二階建てよりも背の高い木の上に焔天狗がいた。ここからは、焔天狗が雑魚敵だ。


 ヴィクターはその場で魔力を高め、氷の斬撃を連発する。焔天狗は持ち前のスピードで避け、攻撃態勢をとる。しかし、ヴィクターが居た位置に視線を戻すとその姿は無い。


 どこだ!?


「ここだ!」


 焔天狗が声がした背後の方を振り返ると同時に、視界がずるりと下に落ちていく。飛ぼうとしたが、力が入らない。回転しながら落下する視界の中をよく見ると自分の首から下の部位が見えた。


 あぁ、一瞬で接近され斬り飛ばされたのだなと理解し、永遠と思考と視界は闇の中に消えていった。


「もう過去のボスでももう相手にならないね」


「あぁ」


 焔天狗に接近するために飛び上がっていたヴィクターが着地した。そのタイミングで直弥が声をかける。階層が下に下がった分、焔天狗や他のモンスターも強化されていたが、ヴィクターも直弥も強くなっていて、攻略法も分かっていたので敵ではなかった。


 そのまま敵を倒していき、地下二十九階で異変を感じた。地形は今までと変わっていない。環境の問題ではなく、何か強大なのしかかる様な重圧を感じる。


 過去に両親が地下三十階に到達してから長い年月が経った。だが、最高到達階層は変化していない。単純に、この地下二十五階以降に来て活動を始めた探索者は、すべて殺されている。恐らくその理由がある。


「直弥、恐らく強敵がいるぞ」


「うん、かなりの重圧だね」


 二人はいつものように走りながら探索するのではなく、歩きながら慎重に周囲を警戒しながら先を進んだ。


 その時にダンジョンの奥から強烈な魔力が飛んでくるのをヴィクターは察知。瞬時に抜刀。高温の火球が飛んでくる。氷を付与して叩き切る。


「誰だ!」


 魔法が飛んできた方向を見ると、そこにはボロボロのゾンビのような二人の探索者がいた。腐敗臭がこちらまで漂ってくるほど腐乱していて、顔には蛆が沸いている。


 劣化が激しく判断がしにくいが、旧型の探索者スーツを着ていて、刀を持った大男と、魔法使い型の女性のゾンビだと分かった。それぞれに僅かに残った頭髪が、短髪の黒と長髪の金色だ。


 刀を持った男の方は、両脇を絞めて刃が右頬の隣にある状態で、刃先が上を向いている八相の構えをしている。


「今度の敵は、腐った死体か……。汚らわしい」


 ヴィクターがそう呟いた瞬間、刀を持ったゾンビのような敵が飛び出した。ヴィクターもそれに合わせて突撃。お互いの刀がぶつかり合い火花が飛び散り鍔迫り合いになる。


 直弥の方も魔法使い型のゾンビが雷の魔法を飛ばしてきたので、盾で防ぎながら麻痺雷弾まひらいだんを打つタイミングを伺っていた。


 その中で違和感を感じる。ギルドの説明では、こんなモンスターの名前は出てこなかった。地下三十階までは過去に到達していて、それぞれの階層に何のモンスターが出るかは名前だけは調べることが出来た。


 この階層には、焔天狗ほむらてんぐや過去のモンスターしか出てこないはず。それに、それぞれのゾンビは、背中に銀色のリュックサックくらいの金属の塊を背負っている。そして、その金属の表面には、の模様が描かれている。


 これは、月面基地の映像や、影縫い組かげぬいぐみが使っていた魔炎精のパッケージに描かれていたものと同じだ。という事は……。


「ヴィクター君! 気を付けて。こいつらはダンジョンのモンスターじゃない! 影縫い組かげぬいぐみと繋がりのある何かだ!」


 直弥は即座に気が付いた情報を共有するために叫んだ。ヴィクターも直弥の声を聞きながら、どこか敵の違和感を感じていた。


 戦う前の敵の刀の持ち方、戦っている時の左右の無駄のない連撃。攻撃の重み。どこか強い既視感を感じる。自分の剣術と似ている。


 相手を攻略するために観察すればするほど、過去の記憶に引っ掛かる。古びれたボロボロのあの旧型の探索スーツ。長身長の体。あの刀……。


 見たことがある。知っている。いや、忘れるはずもない。直弥と戦っているあの金髪の女ゾンビの装備もそうだ。昔よりも力やスピードが桁違いだが、それでも忘れるはずもない。


 嘘だ!


 ヴィクターの頭脳が何かを訴える。が、心はそれを否定しようとする。空気がのしかかったようで重く、音が消えてしまったかのような緊張感がヴィクターを襲う。


 ヴィクターは、地面を蹴り突撃をする。狙うは、左半身の胴。下から切り上げながら敵の全体をぼんやりと見る。これは、決められた戯曲のようにそうしなければならないような気がして、体が勝手に動いた。今ならもっと違う選択肢があるはずなのに……。


 そしてなぜかヴィクターは敵の次の行動が分かる。というより知っている。ゾンビのような探索者は、左足を蹴り、右足を軸に回転を始めてヴィクターの斬撃を回避しようとしている。


 上から来ると分かっていたヴィクターは反射的に打刀を頭上の防御に回す。相手の一撃が重くのしかかる。まるで巨岩が落下してきたかのような衝撃だ。


 普段なら受け止めるまでもなく、身を反らし、反撃に転じられる。なのに、体が固くなり、力も思うように入らない。目の前の敵が、ただの腐敗したモンスターではなく、過去から連れてきた何かのようで、相手の剣が重く感じる。


 おぉ、これを受け止めるか!


 と忘れられない過去にある聞こえるはずのない太く優しい声が、相手から聞こえたような気がした。咄嗟に相手の刀を弾き飛ばす。金属がぶつかり合う音が洞窟に響き、腐敗した肉の匂いが鼻腔を蹂躙する。


 この二人は、父さん、母さん……なのか?


 そんなはずはない……と心が叫んでいる。しかし、あの構え、剣筋……、そして、女型の魔法、否定できるものは何一つなかった。喉元までせり上がってくる感情が、理性を飲み込んでいく。


「う、嘘だぁ。嘘だぁ。嘘だぁ!」


 ヴィクターは何とか現実を否定しようとする。しかし、否定するための根拠を探せば探すほど、記憶の断片がよみがえり、それが目の前の腐敗した二人と重なる。


 父が教えてくれた剣技、母の魔法。それは紛れもなく、眼前の二体と一致し、過去に自分を守ってくれたものだった。


 なぜ俺をこんな目に合わせるのだ? 両親と過ごした時間は宝石のように美しく、真水のように透明だった。それなのに、こんな姿で俺の前に立ちはだかって、なぜ、思い出を汚すんだ?


 幼い頃、父と共に剣の稽古をした記憶が掘り出される。母の優しい微笑みが、脳裏をかすめる。しかし、それらは目の前にいる腐敗した存在によって、全て腐ったものに塗り替えられていく。


 眼前の全てを破壊したい。力で消滅させて無かったことにしたいが、体が動かない。


「どうして……」


 嗚咽混じりのヴィクターの絶叫がダンジョンに響く。普段のイメージから想像もできないヴィクターの声に直弥は驚く。そして、ヘルメットをして分かりにくいが、泣いているように思える。


 直弥も敵と戦いながらで余裕が無い。そんな中、脳をフル回転させて状況の把握に努める。


 普段は研究バカで変態技術者だが、その頭脳は驚くほど高い。いつもなら考えられない。ヴィクターが泣くなんてことは。怒る以外の感情をほぼ見せない。


 しかし、今目の前にいるのは、復讐と怒りに燃える戦士ではなく、ただの傷ついた少年だ。ここまでヴィクターを混乱させ、精神的に傷つけるのは何だろう?


 男女のゾンビの敵。相手の古い装備。女ゾンビの残った金髪の頭髪。冷静に分析した直弥は、瞬時に真実にたどり着いた。だが、その結論が最悪過ぎる。


 あぁ、これはヴィクター君の両親、それも本物だ。


 本当なら肩を叩いて慰めてあげたいが、その衝動を押し込めて冷静に今出来る事を考える。心の中で怒りと悲しみがどろどろに交じり合うが、今はそれを押し殺すしかない。


 咄嗟にヴィクターを見るが、ゾンビ化したヴィクターの父が攻撃をしようとしているのに無防備のまま動いていない。


「ヴィクター君!」


 呼びかけるが、ヴィクターは動けない。目の前の現実を拒絶して、縛り付けられたかのようにただ立ち尽くしていた。


 直弥は渾身の力で咄嗟に盾を投げた。狙いは完璧だった。ヴィクターの父親の腕に命中し、その衝撃で一瞬の隙が生まれた。


 冷静に考えて、この場で敵を倒すことは不可能だ。今出来る最善は、一刻も早くヴィクターを連れて離脱することだ。


「今の僕らは戦えない!」


 冷静に告げたが、直弥自身も焦っていた。我武者羅に麻痺雷弾まひらいだんを周囲にまき散らす。周囲に着弾した麻痺雷弾が、あたり一面を青白く照らした。


 相手に当てるのではなく、逃げるために周囲に放たれたそれは、敵の行動を確かに阻害した。その隙に直弥は、ヴィクターの腕を引っ張り、何とか無理やりダンジョンから撤退することに成功した。

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