蒼の牢獄⑥-8

 暫く探索すると大きな広間と木製の巨大な扉があるエリアにたどり着いた。


 いつもの通りのボス部屋の前の空間だ。


「そ、そうだな……」


 ヴィクターと直弥は平気な顔をしているが、夕凪ゆうなぎをはじめとした紅蓮の盾ぐれんのたてのメンバーは、コヒューコヒューと呼吸を荒げていた。地面に膝をつきまともに喋られないメンバーも多くいた。


 それを見回したヴィクターは深い溜息を吐いた。


「ボス戦の前に装備の点検をする。休みたければ勝手に休め」


 その言葉を聞いた瞬間、夕凪と紅蓮の盾のメンバーは腰を地面に降ろした。


 体操座りをして自分の膝に顔をうずめた夕凪は、心拍数が上がっていた。


 これは両親の仇の前の緊張なのか?


 それとも、なんだかんだ自分たちの面倒を見てくれる、ぶっきらぼうな年下の少年によるものなのか?


 その両方なのか?


 夕凪には分からなかった。


「そろそろ行くぞ」


 全員の呼吸が整った頃にヴィクターの声が洞窟に響いた。


「基本は俺と直弥が戦う。お前たちは手を出すな邪魔だ」


 あまりの物言いだが、紅蓮の盾のメンバーは全員了承した。


 自分たちが勉強のために見学させてもらっていることと、何よりヴィクターや直弥たちとの実力の差を痛感していて文句が言えないからだ。


 だが、ヴィクターはここで意外な一言を付け加えた。


「もし、ボスが弱体化して止めを刺せそうだったら、最後に攻撃をするのは構わん」


 ヘルメット越しの視線が自分に向いていることに気付いた夕凪は、コクリと頷いた。


 扉を開いた先は、ムッと熱が伝わる広い洞窟だった。天井も大型の物流倉庫のように高い。周囲には自然に出来たように見える石柱が大量に並んでいた。


 そして、中央に鎮座しているのは2メートルを超える鬼のような何かだった。


 筋肉質な体や腰に巻いている虎の巻物は、スタンダードな鬼だが、顔が違う。


 牛のような顔と大きなL字の角を頭につけている。目は赤く怪しく輝き、鋭い牙と爪を持っている。口は半開きで常に涎が垂れていた。


 そして、肌は色黒で所々毛が生えていて、皮膚には呪詛のような文字が全身に走っていた。


「こいつが赫牛鬼かくぎゅうきか……」


 ヴィクターが呟いた瞬間に、地面を揺らすほどの咆哮が洞窟に鳴り響いた。


 次の瞬間、赫牛鬼かくぎゅうきがえずくような動作をして、口から何かの液体をヴィクターの方へ吐き出した。


 ヴィクターは嫌な予感がし、いつもよりも大げさに回避して距離を取る。


 液体はヴィクターがいた地面に降り注いだ。そして、その場所は燃えながら溶け始めている。


「下品な奴だ」


 悪態をつきながら、赫牛鬼かくぎゅうきを見ると、頭の角をこちらに向けて突撃して来る。無造作に建っている石柱を粉砕しながら猛スピードで突撃するそれにヴィクターは回避を余儀なくされる。


「僕を忘れてもらったら困るね!」


 そう言いながら直弥は焔雷弓えんらいきゅうを構えて赫牛鬼の胴体に麻痺雷弾まひらいだんを打ち込んだ。


 風の魔法で加速された弾は、ライフル弾のように回転しながら無防備な胴体に吸い込まれていく。赫牛鬼は、ヴィクターに意識を取られていたために麻痺雷弾まひらいだんに直撃した。


「えっ! 嘘!?」


 が、硬い皮膚に阻まれて弾が止まってしまった。しかし、麻痺雷弾の性質上その場で破裂して中の液体と電流が降りかかる。


「良くやった!」


 一瞬止まった赫牛鬼の前方にヴィクターが打刀で斬り上げを行おうと前に出た。


 だが、その瞬間ヴィクターの体が硬直する。


 そして、麻痺から解けた赫牛鬼は、その筋肉質な腕でヴィクターを横から叩き潰そうと思いっきり振った。


「ヴィクター君!」


 直弥の叫び声と共に、大きな空気が切り裂かれる音がしてヴィクターは横に吹き飛んでいった。


 飛ばされて、パラパラと土煙を上げて地面に激突したヴィクターは、ムクリと立ち上がった。装備に外傷はほとんどない。


「くそったれめ!」


「良かった。間に合った」


 直弥は、元気に怒れるヴィクターを見てホッとする。殴られる直前に直弥が風の魔法で、ヴィクターを咄嗟に吹き飛ばして敵の攻撃から守ることに成功していた。


「あいつの瞳を見ると、硬直の魔法をかけられる。気を付けろ!」


「分かった!」


 ヴィクターは直弥に情報を共有しながら全身の魔力を上げる。自分以外の世界の時間がスローモーションになる。頭の中のスイッチを押すと、隣に光が集まり青い少女が形作られる。ヴィクターだけが見れて、声を聞くことができる謎の存在。


「赫牛鬼は力強いが、知能は低く、焔天狗よりも単純です。そこを突くのです」


 蒼い少女の声を聞きながら、自分と重なるように分身、影幻影かげげんえいを作り出す。


 そして、赫牛鬼に突撃する。一気に相手の眼前まで駆け抜け、横なぎの一閃をくらわそうとする。


 しかし、その時再び赫牛鬼の瞳が赤く発光した。その瞬間硬直するヴィクター。


 赫牛鬼は雄たけびを上げながら、両手の掌を組んでハンマーのように叩き潰そうとする。


 動けないヴィクターは、そのまま上から叩き潰され霧散した。


 その瞬間上から稲妻が落ちるような光が落ち、赫牛鬼の両目が切り裂かれた。


 あまりの痛みと視力が失われたことで、怒りの咆哮が洞窟に響く。


「ちぃ、視覚を奪っただけか。タフだな」


 ヴィクターが地面に着地しながら呟いた。


 赫牛鬼が叩き潰したヴィクターは、分身だった。赫牛鬼の目から見て、自分と重なるように分身を生み出して突撃。麻痺の攻撃を受けたのは、分身の方だった。


 分身を潰そうと両手の拳を動かしたときに、本体のヴィクターは、天井に飛び上がった。逆さ向きになって相手が攻撃をして油断しきったところで、天井を蹴って高速で落下しながら、相手の目を斬ったというカラクリだった。


「だが、これで麻痺の魔法は気にしなくて良くなった」


 ヴィクターがニヤリと笑った時に、赫牛鬼はえずくような仕草を再びし、周囲に炎を纏った液体を闇雲に吐き出し始めた。


 狙いが適当なので、ヴィクターは難なく回避するが、まき散らされた炎の溶解液のせいで、移動範囲が制限される。


 対して赫牛鬼は、自分の吐き出した溶解液に影響されず、炎の耐性もある様で移動に制限がかからなかった。


 赫牛鬼は、手探りで何かを探し、石柱に指先が当たった。そして石柱を両手でつかみ引っこ抜いた。それを扇状に振り回し始めた。


 単純に速く、石柱の重さと赫牛鬼の筋力で攻撃力が高く、当たると危険だ。


 しかも赫牛鬼は、視覚は奪われたが、鼻が利くようで、ヴィクターの位置が大体わかっているようだった。


 細かい攻撃の精度はないが、その攻撃範囲とスピードが猛威を振るっている。対するヴィクターにとっては足場が悪く、相手の猛攻で回避するので手いっぱいで反撃できずにいた。


「もどかしい」


 この一連の戦いを見ていた紅蓮の盾ぐれんのたてのメンバー、特に夕凪ゆうなぎはそのように思っていた。


 あまりにも速度や攻撃力が自分たちと違い過ぎる。手助けしたいが、手を出せない。恐らく、ヴィクターと直弥が自分たちを鍛えてくれていなかったら、あまりのスピードでこの戦いを目で追うことすら出来なかっただろう。


 悔しい。せっかく手を出してよいと言われたのに……。


 睨みつけるように戦闘を見ている夕凪は、飛び出したいような気持ちを胸の中に押さえつけていた。


「ヴィクター君。僕が風でサポートする!」


 そこで直弥が、声を上げヴィクターの体に風の魔法を付与して、加速させた。


 一気に回避スピードが上がったヴィクターは余裕が出てきた。そこで、氷の斬撃を赫牛鬼の足元に飛ばす。しかし、飛んでくる音を察知しているようで回避されてしまう。


 それでも、ヴィクターは赫牛鬼の攻撃を避けながら同じ行動を続ける。


「まるでゲロを吐く送風機だ。いい加減にしろ」


 ヴィクターのその言葉通りに、赫牛鬼はひたすらヴィクターの方へ石柱を振りながら、合間合間に炎の溶解液をかけようとする。


 だが、ある瞬間に赫牛鬼が何かに躓いて大きく転んでしまった。地面を見ると、今までヴィクターが飛ばした斬撃が氷の塊となって地面にとどまり続けていたのだ。


 そして、このチャンスをヴィクターが逃すはずがない。


 残像を残しながら一気に駆け寄り神速の連撃を赫牛鬼に喰らわせる。


 転倒して全くの無抵抗だった赫牛鬼は、四肢を切断されダルマにされてしまう。


 さらに、直弥が焔雷弓を使い麻痺雷弾を連射して追い打ちをかける。


「夕凪!」


 そこでヴィクターは赫牛鬼の腹に突きをくらわせながら、夕凪の名を呼んだ。


 はっ! と一回瞬きした夕凪だが、すぐに表情を引き締めて全身の魔力をありったけ高め、それを剣にも行き渡らせさせる。


 そして、渾身の力で駆けて赫牛鬼の元に行き、全ての思いを乗せてその首に剣を振り下ろした。


 胴と別れた首は、何度かバウンドしながら飛んでいき、次第に消えていった。


「やったのか、わ、私が?」


 暫く自分の両手と剣を眺める。そうすると、ふつふつと今まで押し込めていた感情が湧き上がってくる。


 両親を失った日の喪失感。そして絶望。両親が所属していた探索者グループの生き残りから、この地下十五階の赫牛鬼に二人が殺されたと聞かされたあの日。


 それからの怒りと復讐の感情。


 初めてダンジョンに行った時の先輩冒険者から受けた恐怖。それから孤児院や仲間のためを思い、復讐よりもそちらを優先して頑張ってきて力を付けようとしたこと。


 それでも、忘れたくても、忘れられない憎しみと怒りの対象。


 最近は力に伸び悩み、自分が倒すことは出来ないと思いはじめていた。


 その相手を自分が倒した。


 自然とその蒼い瞳に涙がたまり、長いまつ毛に一度押しとどめられたが、すぐにその雫は頬を流れ落ちた。


「自分は復讐よりも、孤児院や紅蓮の盾のメンバーの方が大事になっていると思っていた。倒しても大きな感情の変化はないと思ったが、違うものだな。倒したよ、お父さん、お母さん……」


 夕凪は声を詰まらせながらどこか遠くを見ながら呟いた。


 ヴィクターは、ドロップアイテムを回収していた。バスケットボール程の魔石が二つと、牛の角のような物が二つだった。


 それを抱えながら夕凪の元へ行く。


「受け取れ。お前が止めを刺したんだ」


 後ろから声をかけられ、ビックリした夕凪はドロップアイテムを見て一瞬考えこんだ。


「いや、私はお膳立てをしてもらっただけだ。それを受け取ることは出来ない」


「お前の意見は聞いていない。それに必要だろうこれは、証明として」


 断られたヴィクターは、有無を言わさずに押し付けようとする。そして、何の証明かは、深く言わなくても二人は分かっていた。


 暫く目を瞑って考えた夕凪は、笑顔を作って答えた。


「いや、今度は私たちが自分たちだけで倒せるように鍛えるよ。その時までいらない。だからそれは、受け取らない」


 と答えたが、結局ヴィクターは夕凪の意見を聞かずに押し付けた。それから夕凪に尋ねた。


「それで、どうだったんだ? 目的を達成した感想は?」


 そこで夕凪は、再び目を大きく見開いた。そうか、腑に落ちた。このドロップアイテムや今までの事は、ヴィクターにとっての料金の支払いで、対価なのだ。彼なりのケジメなのだろう。そう思うと素直に受け取るしかなかった。


 心の中が冷えていく感覚と、寂しい感情が芽生えたが、それでも夕凪は笑顔を作って答えた。


「あぁ、一区切りしたという感覚だ。だが、独力や自分たちのメンバーで倒したわけでもない。それに、私は孤児院や紅蓮の盾という目標もあるからな。本当に区切りがついただけだ……」


 恐らく十人の男がいたら、その時の夕凪の作った笑顔をみると全員が心を奪われると思うが、ヴィクターはヘルメットの中で苦虫をつぶしたような顔を作っていた。それから「そうか」と呟いただけでボス部屋から出て行ってしまった。


 その後は、ボス部屋の先に出現した階段を使い、ダンジョンから出た。


 この先はヴィクターと紅蓮の盾はそれぞれ別で行動するという事に決まった。


 理由は、ヴィクターにとってもうメリットが無いからだ。紅蓮の盾の方も、実力的にこれ以上ヴィクターと直弥の戦闘についていくことが出来ないからだ。


 紅蓮の盾のメンバーと夕凪は、今まで鍛えてくれたことと、戦闘を見学させてくれたことに感謝を述べた。それから解散した後、紅蓮の盾のメンバーが夕凪に声をかけた。


「良いのですか? 夕凪さん。多分、ヴィクターさんのことが」


「良いんだ」


 メンバーが全部言う前に答えた。


 夕凪は、最初にヴィクターに助けられたこと、彼が同じような境遇でひたすら真面目に練習して力をつけていたこと。


 そして、僅かに残る優しさのようなものを感じて心がヴィクターに向かっているのに気付いていた。


 しかし、ボス部屋での最後に行ったやり取りで、自分には無理だと感じた。


「あいつに必要なのは、自分と同等かそれ以上の力をもって隣に並べて、心を復讐や怒りとは違うもので埋めて包み込める存在だ」


 残念ながら今の私には、力も才能も足りない。そして、ヴィクターは力のない者の話を聞き入れない。だから無理なのだ。


 言葉と共に涙を貯めて笑顔を浮かべる夕凪を、メンバーは美しく、もったいないと思った。そしてずっとついて行くとも。


 夕凪の方は、ヴィクターが復讐を遂げて無気力になったり、怪我や何かでダンジョンが攻略できずに、不貞腐れていたら、個人的にはかくまってやっても良いと思った。


 そして、色々な意味で力をつけて稼がなければと決意を強く持った。




 その一連の流れを遠くから眺めている男がいた。


 その男は思った。


 やはり、ヴィクターたちは想像を超える勢いで力をつけている。


 ならば、新たなカード、それも取って置きをヴィクターにぶつけるしかない。


 きっとヴィクターは驚くだろうと、三日月のような笑みを浮かべていた。

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