蒼の牢獄④-6

相手がゆっくり歩いてくるが、ヴィクターと直弥は何もできない。


万事休すと思っていると、相手から思いがけない言葉をかけられた。


「申し訳ありません。どうやら私の思い違いだったようです」


なんと、急に伊藤は頭を下げた。


「ど、どういうことだ……」


ヴィクターは荒い息で立ち上がれない中、何とか言葉を絞り出した。


「説明は、させてもらいましょう。ただ、二人とも今の状況では話もまともに聞けないでしょう」


伊藤はそう言うと、薙刀をその場でさっと振った。


そうしたら直弥の拘束が解けたようで、直弥も咳き込んでそのばで四つん這いになった。


五行掌ごぎょうしょう、水」


伊藤は聞きなれない言葉を唱え、再度薙刀を振った。


そうすると霧のような水滴がヴィクターと直弥を包んだ。


「うほぉ~~。きもちい!」


直弥が叫んでいて気持ち悪いが、これはヴィクターも認めるしかない。


今まで伊藤が与えた二人のダメージが回復する。


ヴィクターは、悔しさで歯ぎしりする。


力の差を認めざる得ない。


今まで死ぬほど訓練してきたのに……。


ぐうの音も出ない完璧な敗北だ。


だが自分の感情は一度おいて、立ち上がり伊藤に話しかける。


「礼は言わんぞ」


「それは当然でしょう」


「それで、なぜ攻撃してきた?」


「説明しますが、それより彼は大丈夫なのでしょうか?」


伊藤が指さした先には、クネクネしている直弥がいた。


「もっと、もっと、僕を殴ってくれ! そして回復魔法をかけるんだ! さぁ、さぁ! あの快楽をもう一度!」


あのどうやっても崩せない要塞のような伊藤がドン引きしていた。


この戦いで一番伊藤にダメージを与えたのは、間違いなく直弥だった。


伊藤は悲しそうな表情を作って口を開いた。


「頭を強く打ったのでしょうか? 申し訳ない。傷は治せても頭の方は……」


「安心しろ。あれが平常運転だ」


「それは大丈夫なのですか?」


「残念ながら大丈夫ではない。ただ、変態でヤバイ奴だが、研究は優秀だ。そこは信頼している」


ヴィクターと伊藤は、二人一緒に溜息を吐いた。


先ほどまで戦っていたが、二人の心は間違いなく繋がっていた。この瞬間だけは……。


「それで、なぜ攻撃してきた。説明を聞かせてもらおう」


ヴィクターは気を取り直し、視線を鋭くさせて伊藤に問いただす。


伊藤も直弥を無視して、真剣なまなざしでヴィクターを見据え口を開いた。


「君は、影縫い組かげぬいぐみ魔炎精まえんせいと言う言葉を知っているかい?」


「何だそれは?」


「近頃このダンジョン内で力をつけている非合法組織と、その組織がばら撒いている麻薬のような物の名前です」


そこから伊藤は、影縫い組かげぬいぐみ魔炎精まえんせいについて説明しだした。


魔炎精とは錠剤で、使用すると魔力や体力が大幅に上昇して探索者が強化される。


また摂取時に進化を超える大幅な快楽を味わうことができる。


しかし副作用が大きく、それが問題になっている。


体の中にある魔力をコントロールする回路のような物やその他の神経、内臓に大きな負荷がかかり短命になる。


また、効果が切れると酷い虚脱症状におちいり、依存性も高い。


この害悪の麻薬のような薬を流通、販売させている組織が「影縫い組」と呼ばれる組織だ。


「ふ~~ん、魔炎精だっけ? 興味があるな~~」


「見つけても食べるなよ! 絶対!」


ヴィクターは、興味を示した直弥に前もって忠告する。


「流石の僕も分かっているよ。食べない、食べない、口に入れない。信用してよ!」


「信用できない! 目を離したら嬉々として口に入れそうだ! さっきも回復魔法の為に殴られようとしていたし」


ヴィクターは「全く」と吐き捨てながら直弥の言動にあきれていた。


もっと常識があれば安心できるのにと心の底から思った。


きっと直弥は「常識」を母体に置き忘れて生まれたに違いない。


「それで、説明を続けてよろしいですか?」


伊藤がしびれを切らして説明を再開した。


「ヴィクターさんは、あまりにも早く力をつけています。しかも他人を助ける等の実績を作りました。


その全ては、薬のおかげで、助けた仲間も影縫い組に所属していると考えたからです」


「なるほど。でも、違うと判断したわけだな。なぜ違うと分かった?」


「それは、魔炎精の服用者は、特定の症状が現れるので」


その魔炎精の症状とは、戦闘が長く続くと攻撃的になり、呼吸が荒くなる。


次に、血管が異常に発達し、表面に大きく浮き出る。


また、瞳が赤色に発光する事がある。


そして末期は、幻覚症状がみられて、仲間同士の同士討ちや意味不明な行動がみられる、と伊藤は丁寧に説明を続けた。


「君には、これらの兆候は見られなかった。戦闘中は怒っていたが、冷静に勝機を探っていました」


「そうか」


「でも、彼が中毒者なのか健常者なのか判断がつかない」


「俺も自信をもって中毒者じゃないと言い切れない……」


伊藤が指さした先には直弥がまだ「僕を殴ってくれ! そして回復魔法をかけてくれ! 体感できる研究を! 新しい扉がすぐそこに!」と叫んでいた。


むしろ薬を大量に摂取すればまともになるのじゃないか? と二人は思ったが、生産性のない疑問は止めて再度方向修正した。


「私は、魔炎精が広がることを恐れている。君達は違ったが、これを使った探索者は寿命が縮むし、精神に異常をきたし犯罪に走りやすい。それに、影縫い組かげぬいぐみはダンジョン資源や金、薬をどこか外部と取引していて、国家の利益に反する」


なるほど、ギルド以外でダンジョンの資源が売買されるとそれは国家ではなく個人で使用する事となる。


それは長期的に見ては国の持続性に大きな悪影響を与えるとヴィクターは理解した。


しかし、疑問がある。


「それで、どうして俺達にその情報を渡すのか? 何が目的なんだ?」


「それは、君にこの影縫い組かげぬいぐみ魔炎精まえんせいの問題の調査と解決を依頼したい」


伊藤は一瞬考えた後、意を決してヴィクターに話しかけた。


その鋭い視線は真水のように透き通っていて真剣そのものだ。


「問題は分かったが、俺達にメリットが無い。影縫い組かげぬいぐみからは何も迷惑をこおむっていない。何よりお前の方が強いだろう……」


ヴィクターは、心底気に食わなそうに冷たく言い放った。


ヴィクターとしては早急に力をつけてダンジョンに復讐をしたいのだ。


影縫い組かげぬいぐみとか魔炎精まえんせいとかに興味はない。


だが、そんな態度のヴィクターを見て伊藤は、態度を崩さずに交渉を進める。


「私は、影縫い組かげぬいぐみが裏でつながっている組織や人物などを調査する必要がある。現場には顔を出せません。それに、報酬は用意します」


「何! それを先に言え」


報酬と言う言葉に目を輝かせるヴィクター。


これは自分が意地汚いからではない。


探索者として活動するには、金や資源はいくらあってももらい過ぎはないのだと、ヴィクターは自分に言い聞かせた。


伊藤は、そんなヴィクターを見て溜息を吐いた後に内容を伝える。


「一つ目の報酬はお金ですね。大体2千万円以上を考えています」


「中々羽振りがいいな。一つ目と言ったという事は、他にもあるのか?」


「はい、情報ですね。ヴィクターさんはご両親がダンジョンで失踪されている……」


「なぜそれを」


ヴィクターは両親の事を言われ、視線を鋭くする。


しかし、伊藤はどこ吹く風で全く表情は変わらない。


「国家戦略情報局員ですから」


「ひと先ず納得しよう。で、それで?」


「残念ながら報酬ですから詳しく言えませんが、あなたのご両親は、単にダンジョンに殺されたのではなく、別の何かに殺されたのかもしれません」


「なに!?」


ヴィクターは衝撃を受けて、目を見開いた。


さらなる情報を求めたが、それが報酬と言われたら引き下がるしかない。


「では、私はこれで失礼します。それと、間違って攻撃した迷惑もここに置いていきます。報酬は、依頼が達成されたらお支払いしますので、返事は結構です。良い決断を期待しています」


伊藤はそう言い残して、その場を去って行った。


伊藤がいた場所には200万円が置かれていた。


「直弥、とりあえず迷惑料はもらうが、今後どうする?」


ヴィクターはお金を回収しながら直弥に尋ねる。


直弥は顎の下に手を持ってきて「う~ん」と暫く考えてから口を開いた。


「依頼を受けるにしろ、無視するにしても、僕達は力不足だ。


とりあえず進化を重ねて装備を更新してから考えよう」


僕も研究したい内容があるしと直弥は続けた。


ヴィクターも直弥の意見に賛成した後、今日はダンジョンから帰る事にした。


「今日も凄いですね!」


買取場で相変わらずでかい声を出す受付嬢。


今日の買取金額は、税金を引かれても70万2千円だった。


伊藤の迷惑料も入れると莫大な金額を一日で稼いだが、疲労と敗北でヴィクターも直弥も素直に喜べなかった。


「ほぉ~~、君達凄いね!」


そんな時にまた横から声をかけてくる男がいた。


どこか軽薄な印象を受ける神崎かんざきだ。


ダンジョン探索者のベテランで、何かあると相談して良いと言っていた男だ。


「君達、こんな短期間で、自分たちの力だけで、この金額を稼げるようになったのかい?」


どこか「自分たちの力だけ」を強調しているような気がしたが、ヴィクターは気にしないで答えた。


特に隠すようなことではないと考えたからだ。


「それで、要件は?」


「いやいや、単純に凄いなぁと思っただけだよ。目覚ましい成長と力、ビックリしちゃうなぁ」


神崎はそれだけ言ってすぐにその場を離れた。


ヴィクターと直弥は、神崎に何か気持ち悪さを感じたが、疲れが思考を埋め尽くして二人はお金を受け取って家へ帰って行った。

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