第三章

蒼の牢獄③-1

「では、行ってくる」


「それでは行ってらっしゃいませ。どうか今日もご無事で……」


初ダンジョンを終えた次の日、今日もダンジョンへ向かうヴィクターに晴臣はるおみが頭を下げて見送る。


玄関から出ていくヴィクターは昨日とは違って笑顔だ。これはめったに見ない事だが、その笑みには少し影がある。



監獄のように見えるギルド。明治神宮の森の中に佇むそのギルドは、多くの人が出入りしている。


装備を整えて綺麗な身なりで出入りしている人もいれば、足を引きずりながらボロボロの身なりの人もいる。


そんな中ギラついた碧眼のヴィクターは、今日も堂々とダンジョンへ入っていた。彼の眼にはダンジョンしか映っていない。



ヴィクターはダンジョンに入ると、まずは昨日と同じ階層でスケルトンを探した。


昨日庭で確認した体の強さと、魔力の身体強化を確かめるためだ。それと、昨日感じた視線に警戒をしていたが、特に何も感じる事が無かった。一応警戒しつつ、ダンジョンを探索していく。


人の出入りが多いダンジョンの入り口から離れ、一人になる。



ヴィクターは自分が他者よりも強いことを自覚している。進化を重ねて自分よりも強い者がいる事も知っているが、それでもヴィクターは己の力に自信があった。


その強さを頼りにされ、足手まといを増やすつもりはない。目立ちたくない等は考えていないが、とにかく最短で強くなり、両親の死の謎、復讐を果たしたいのだ。


両親の死の謎が分からない場合も、このダンジョンを破壊しつくせば、復讐を果たしたと言えるだろう。



その邪魔になるのなら仲間などいらない。



冷酷な考えで探索していると、複数の気配を感じた後、カランコロンと乾いた音が木霊している。


ヴィクターは得物が来たと思い、体中に魔力をいきわたらせる。


スケルトンが視界に入る前にヴィクターは弾丸のように飛び出した。


その踏み込みはもはや人間の力とは思えずに床の石畳を割り、一歩一歩のスピードがジャガーのような肉食獣の狩りのスピードよりも速く、力強かった。


顔面に風を感じながらヴィクターはスケルトンを視界に入れる。もはや嗅ぎなれた腐敗臭も漂っている。相手は4体、それぞれ錆びた剣と槍を持っている。


スピードを落とさずに横並びになっている左側から狙う。



これはバカの一つ覚えでなく、相手も最初は左手に武器を持っていて、攻撃態勢に移行したら両手で構えるという一般的なスタイルだからだ。


要するに無防備な部分から攻撃しつつ、自分の隣はダンジョンの壁にして挟み撃ちを避けているのだ。



相手が気付かぬうちに一体の首を切り落とす。


その次にヴィクターはそのスピードの勢いを殺さずに壁に駆けあがり、そこを地面に見立てて強く蹴った。


まるでピンボールを強く壁にたたきつけたように直角に飛び、その勢いのまま片手で刀を突き出し二体目のスケルトンの頭部を破壊した。粉砕する頭部の感触が心地よい。


流石に速い、昨日と段違いだ。そして、魔力もほとんど消費されていない。ヴィクターは自分の力が思った以上に上昇していることに笑みを浮かべる。


だが、二体目のスケルトンを破壊した時には、他のスケルトンが攻撃態勢をとっていた。ヴィクターの頭に槍が迫る。


しかし、ヴィクターの笑みはそれが見えていても消えない。


ガチン! と金属がぶつかった音がする。


そこには、刀を持っていない手を使って鞘で槍を弾き飛ばしたヴィクターがいた。


「単純な力も比べ物にならんな」


ヴィクターは、淡々と零しながら袈裟斬りに目の前にいるスケルトンを斬り倒した。


けれど、残ったスケルトンもただ棒立ちになっていたわけではない。横に回り込み、ヴィクターの胴体を横に切り裂こうと錆びた刀が振られている。


その時、ヴィクターは再び地面を強く踏み込み、高く跳躍した。


その速度はカタパルトから発射される戦闘機のようで、スケルトンはその速度に追いつけず、むなしく刃を空に切らすだけだった。


ヴィクターは軽業師のように空中回転し、天井に足をつけそこを地面に見立てて勢いよくジャンプして急降下する。


その時足を突き出して稲妻のような踵落としをスケルトンの頭部に命中させ粉砕した。



ダンジョンの湿っぽさとモンスターの腐敗臭が残った中で、魔石を回収する。


自分の力が満足のいく上昇率だった。これなら下の階層へ行き、より強い敵と戦うべきだろう。


「それに、刀の方も心もとないしな……。早くより良い刀を手に入れなければ」


ヴィクターは刀身を見つめながら呟いた。


見た目は変わらないが、百万円もしたのにどうも刀に歪というか、ダメージが蓄積しているような気がする。


今のところ問題はなさそうだが早く稼げる階層へ向かうか、ダンジョンからのドロップ品などで武器を強化しないと大赤字だ。


金の為に探索をしている訳ではないが、長期的な活動には金が必要だ。世の中は世知辛い。



ヴィクターは、スケルトンを倒しつつ、次の階へ降りる階段を探した。



下層へ向かう階段は、それほど時間がかからず見つける事が出来た。階段は石畳で縁どられているが、階段そのものは木製だった。


どこか和風の雰囲気の古い神社や城にありそうなものだった。


階段の上からは下の構造が暗くて見えず、薄い霧のようなもやがかかっている。それは、来るものを飲み込む怪物の口のようだった。


ヴィクターは多少の気味の悪さを感じつつも階段を一人で降りていった。



地下二階から出現するモンスターは、鎧のスケルトンという名前だ。単純にスケルトンが鎧を装備しただけなら問題のない敵だ。



下の階層は、古い神社等の和室が無限に広がっている階層だった。


3メートル程の板張りの廊下が広がっており、その左右が襖になっていて多数の部屋になっている。


その襖は、ひどく古びれていて所々破れている。破れている場所から中をのぞくと畳の部屋に古い和式の家具が並んでいるようだった。


廊下も部屋も薄暗いのだが、蝋台が所々に立っていて、頼りない灯りがぼんやりと周囲を照らしている。


天井は高く、6m程あるが、天井の梁がかすかに見える板張りで作られていた。


それは、古臭く頼りない灯りで照らされているため、そこに何かがいたり、死体が隠されていても肉眼では判別できそうにない。



一歩ずつ足を進めるごとにギシ、ギシ、と床板が不気味な音を立てる。


それは、ここに侵入者がいるぞと周囲に声をかけている警報のようだった。


その呼び声に答えたのか、ヴィクターは曲がり角の先に気配を感じた。


それと同時に、ヴィクターが足を踏む時よりも重い床の軋みが聞こえる。


またガシャン、ガシャンと金属がすれたり、細かくぶつかる音が近づいて来る。


その中には、カチャカチャと骨のような軽い音が不快に鼓膜に囁きかける。


その一定のリズムを保った分厚い鉄板が擦れあったような鋭い音が、回廊に鈍く響き渡る。


ヴィクターは、無意識にゴクリとつばを飲み込んだ。そして目を凝らすと、曲がり角の土壁に影が映っている。


蝋燭で作られたそれは、ゆらゆらと不規則に動きながら徐々に大きくなる。


その壁に張り付いているうごめく影は、その異形がどこか虫の群体のようで、壁の汚れや窪みを食いつくすように消していく。


まるで影の主と遭遇した探索者の末路のようだ。


ゆっくりと音と共に、徐々に壁を侵食していくそれは、人が作る影よりも大きい。



ヴィクターは深く息を吸い込み、八相の構えのまま待ち構える。


だが、どこか筋肉が固く、動きが重いように感じた。鼓膜を揺らす音が大きくなり、感覚が近くなる。


それとともに、自身の呼吸の音が荒くなり、鼓動が胸を叩くのが激しくなり、速くなる。


吐き出される息は熱いのに、周囲の温度が下がったかのように全身の体温が冷えたように感じる。


自分の戦闘力は高く、積み重ねた練習通りに戦えば必ず無傷で勝てる。ヴィクターは、そう自分に言い聞かせた。


だが言葉とは裏腹に、影の主が奏でる音は、ヴィクターの頭の中で金属を指を引っ掻き続けるような不協和音を奏で、胃の中では無数のミミズやムカデが這いまわるような不快感を捨てきれなかった。



金属音が激しくなり、その主は曲がり角から出てきた。


一瞬の静寂の後現れたそれは、のしかかる様な重圧のする巨体の主だった。


角のような金色の前立てがある兜。巨大な大袖や草摺りが目立つ胴鎧は、返り血で塗られたような赤で、所々黒いしみが目立つ。


床に立っている両足には金と赤で装飾された見事な脛当てが、不動の山のように錯覚してしまう。


そして、その平安時代の大鎧を着た持ち主の顔は、怒れる髭の生えた鬼の形相をした面具をしており、隙間からは骨が見える。


そのくぼんだ骨の目は、生命の全てを吸い込んでしまうかのような闇で塗りつぶされ、ヴィクターを見据えていた。



計画通り魔力を剣に纏わせて戦うんだとヴィクターは考えていたが、普段なら考える前に行動に移していたのに気付かず、頬に汗が伝うのを感じた。


相手は大きくて、鎧を着ているが所詮スケルトン。


雰囲気に飲まれるな。


過去に両親を亡くした時に、あの絶望と恐怖の中待ち続けた時も、剣術の練習を愚直に積み上げて……。



そう思考している最中、突如巨大な爆発音のような物がヴィクターの鼓膜を揺らした。


咄嗟に刀を上げると金属が激しくぶつかり合い、耳をつんざくような音が鳴り響いた。


後ろに吹き飛ばされそうになるのを踏ん張って堪えた。


一瞬で思考の海から引き上げられ、状況を把握する。


考えに没頭しすぎて、相手の動きを見落とした。


鎧のスケルトンはいつの間にかヴィクターの眼前まで来て、大きな太刀を振り下ろしていた。



このままでは危険だ。鎧のスケルトンは2mを超える大柄で、その体から想像できる通りに力がかなり強い。


ヴィクターは、歯を食いしばり耐えているが、じりじりと押し込まれる。


鎧のスケルトンが太刀を引き、再び斬撃を上段から降ろす。


上段を防御。全身を雷が落ちたかのような衝撃が襲う。


次は横一線。スケルトンの太刀を追って空気の切れる音がする。


側転で回避。逆さになったヴィクターの頭の下を太刀が通り過ぎ、髪を数本切り落とす。


次は斜め下からの斬り上げ。スケルトンが面頬の奥で笑みを作っている気がする。


再び打刀で防御。衝撃に押され、両腕に痺れを感じる。



このままではまずい。焦りが胸の中で膨らんでいる時、ある事に気付いた。


そう、魔力の身体強化を一切使っていない。


ヴィクターはありったけの魔力を全身に行きわたらせ、身体能力を強化する。


体全体に電流が走ったかのように力がいきわたり、鎧のスケルトンの刀をはじき返す。


それから一旦後方にジャンプをして距離を取った。


「ここからは全力だ!」


今できる最大の攻撃で、形勢を逆転させるんだ。


ヴィクターは左手に持った打刀の刀身に魔力を込めると、刀身から炎が噴き出た。


打刀の周りの温度が上昇し、周囲に陽炎が出来る。



圧倒的な攻撃力で受けた重圧を丸ごと叩き切るんだ。



自分にそう言い聞かせたヴィクターは、地面を踏み込む。


突風を残しつつ、鎧のスケルトンに迫ると、ヴィクターは上段から打刀を振り落とす。


スケルトンは太刀で防御。刀身がぶつかると同時に火花が散り、打刀が太刀に食い込む。


ヴィクターの左右二連撃。一度目の防御で太刀が赤化し、二度目で溶断される。


好機と捉えたヴィクターの踏み込んでの袈裟斬り。赤い剣線を描きながらスケルトンへ迫る。


火の粉が舞い散る中、ヴィクターの圧倒的な魔力で底上げされた攻撃。


鎧のスケルトンは、たまらず体勢が崩れるのを無視して後ろへ転がるように後退した。



何とか逃れたスケルトンだったが、胸部の鎧は大きな切り傷があり、その周囲は焦げていて煙が出ていた。


焼け焦げた臭いが周囲を漂う。スケルトンの太刀は半場から溶断され、恐らく次の攻撃には耐えられそうにもない。



しかし、ヴィクターの方も焦りが生じていた。



思った以上に魔力の消費が激しい。次で一気に決めないと、今日の探索が続行不可能になってしまう。


常に練習で積み上げた事を自信としているヴィクターだが、裏を返せばそれしか経験がないのだ。


本来積み重ねるべき人間的な経験や失敗、窮地を体験したことがない。


そのため、無意識に必要以上の攻撃出力で不安や恐怖を振り払おうとしている。



ヴィクターは意を決して再び突撃をする。



カタパルトから発射された戦闘機のように一気に間合いを詰め、下からすくい上げるように斬りこむ。


スケルトンも必死の抵抗で籠手のついた両腕をクロスさせ、斬撃を防ごうとした。


しかし、ヴィクターの持つ剣術と、魔力を後先考えず全力で込めた身体強化と炎の剣の前ではその防御は紙同様だった。


火花を散らしながらスケルトンの両腕を一瞬で溶断し、そのままの勢いで宙へジャンプする。


そして宙返りして天井に張り付き、すぐに天井を足で蹴り急加速する。


ヴィクターは、強い重力加速度と頬に風を感じながらスケルトンの頭上で剣をふるう。


両手のない鎧のスケルトンは、防御することも出来ずに、兜割を食らい、頭上から臀部まで両断された。


切断面が赤化した鎧と骨が左右に分かれて床に落ちる。



ヴィクターはその場で膝を床につけた。呼吸も荒く、頬に汗が伝っている。


全身を400メートル全力疾走したかのような疲労感がのしかかり、筋肉も限界以上のバーベルを持ち上げたかのように悲鳴を上げている。


最初の上の階の強化と違い、強力な身体強化を使った反動だ。



あれだけ毎日練習したのに、なんだこの様は。


あまりにも不完全な勝利、いや勝利とはほど遠い結果ではないか!


とヴィクターの胸に焦りと不安が渦巻いていた。



息を整えようとその場で佇んでいると、後ろからツララが突き刺さるような殺気を感じ、急いで横にジャンプした。


ヴィクターは、襖を突き破りながら和室に入る。


先ほどまでいた自分の場所に、折れた太刀を持った骨が通りすぎるのが見えた。


通り過ぎた骨の先を見ると、鎧のスケルトンの切断面が再結合して復活していた。

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