第10話 始まりの一歩


蛇塚の言葉を胸に、僕は変装スーツに身を包んだ。黒を基調とした緊張感あるデザイン。顔全体を覆うマスクは、僕の素顔を完全に隠し、まるで別の存在に生まれ変わったような感覚を与えた。


「お前はこれから“シルエット”だ。」蛇塚が僕の背後で静かに言う。


「シルエット…影のように動き、正体を隠し続ける存在。」


「その通りだ。」蛇塚は頷き、壁際に設置された鏡を指差す。「鏡を見てみろ。」


指示通りに鏡を見ると、そこに映っていたのは僕ではなく、“シルエット”という新しい存在だった。黒いスーツが光を吸い込むように闇に溶け込み、目元のシールドが仄かに青白い光を放っている。


「これが…僕の新しい姿か。」


思わず呟く。僕が僕でなくなる瞬間――でも、それは恐怖ではなく、不思議な安心感をもたらしていた。



「さて、初任務に取り掛かるぞ。」


蛇塚が差し出したのは、小型のタブレットだった。画面には、あるエリアの地図が表示されており、赤いマーカーが複数箇所に点在している。


「これは…?」


「ここ最近、サタージャの目撃情報が集中している場所だ。お前にはまず、このエリアをパトロールしてもらう。」


「一人でですか?」


「そうだ。ただし、無理はするな。サタージャを発見したらまず連絡を入れろ。その上で、必要なら応援を送る。」


「了解しました。」


僕はタブレットを受け取り、スーツを確認しながら歩き出した。蛇塚の声が背中から届く。


「忘れるな。お前の任務は目立たず、影のように動くことだ。」



任務地に指定されたエリアは、住宅地と商業施設が入り混じった雑然とした場所だった。夜の街は静まり返り、人気のない通りに街灯の明かりがぽつぽつと灯っている。


スーツの内蔵システムが周囲の音を拾い、耳元の通信機に届けてくれる。それは通常の音よりも鮮明で、遠くの物音すら聞き取れる精度だった。


「本当に影みたいだな…。」


僕は慎重に足を進めながら、注意深く周囲を観察する。サタージャが出現したという情報を頼りに、指定された地点を巡る。


その時、耳元でかすかな音がした。


「助けて…!」



声の方に駆け寄ると、そこには三人の人間を囲むようにして立つサタージャがいた。


「オレをミテクレヨー!!!」

サタージャは叫ぶ。


感染によって変貌したその姿は、人間だった痕跡をほとんど残していない。硬質化した皮膚、異様に伸びた手足、そして光を宿さない瞳。



喉の奥に嫌な感覚が広がる。かつては誰かの友人や家族だったはずの存在が、今では怪物となり、目の前で暴れている。それと同時に昔から思っていた事が頭の中に広がった。感染しただけの人。その人が加害者になり、被害者がでる。


(なんでこんなことに)


しかし、そんな時間さえ今は不要だと気づく。


「おい、こっちだ!」


剣を構えながら、サタージャの注意を自分に向けた。鋭い爪がこちらを狙って振り下ろされるが、剣を振るって何とか防ぐ。


「こいつ…速い!」


サタージャの動きは鋭く、何度も攻撃をかわしながら剣を振るう。だが、徐々に動きが読めてきた。僕は隙を見つけて剣を振り下ろし、その刃がサタージャの脚を貫いた。


「ぐぅぅっ…!」


サタージャが崩れ落ちる。もがきながら地面に這いつくばるその姿を見て、僕は一瞬ためらった。


「どうすればいいんだ…。この人を元に戻せる方法は…。」



耳元の通信機が鳴り、蛇塚の声が響いた。


「七夕、落ち着け。感染者はもう元には戻らない。だが、これ以上暴れさせるわけにもいかない。鎮静剤を使うか、応援を呼べ――」


その言葉を遮るように、アルスが低く響く声で言った。


「その必要はない。」


「なに?」


蛇塚が戸惑う中、僕の体が青白い光に包まれ、アルスの姿へと変わった。金髪の長髪をなびかせたアルスは、冷静な声で続ける。


「私の剣を使えば、このサタージャを人間に戻し、かつ無害化することができる。前もそうだったはずだ。」


「前も…?」


「そうだ。お前たちの上司に聞いてみるといい。」アルスは、冷たい眼差しを蛇塚に向けた。「情報が降りてきていないのか?それとも、上が都合よく隠しているだけか?」


蛇塚はしばらく黙り込み、歯を食いしばった様子で言い返す。


「…どういうことだ。」


「深く考えるな。お前のやるべきことは、目の前の現実を受け入れることだ。」



アルスは光の剣を構え、倒れ込むサタージャにゆっくりと近づいた。


「心配するな。お前は再び人間に戻れる。そして、眠りの中で正気を取り戻すだろう。」


剣が青白い光を放ち、刃先がサタージャの胸元に触れると、その体が徐々に収縮し、元の人間の姿へと戻り始めた。


「ほ、本当に…戻った…。」僕の中で七夕としての意識が感嘆の声を上げる。


地面には傷つきながらも、完全に人間の姿を取り戻した若い男が横たわっていた。その表情は穏やかで、どこか安らぎさえ感じられる。


「これでいい。」アルスは剣を収め、ゆっくりと後退した。



「信じられない…そんなことができるのか。」通信越しの蛇塚の声には驚きが隠せない。


アルスは冷静に答えた。


「私は奇跡を起こす存在ではない。ただ、やるべきことをするだけだ。そして、彼らを救う方法はまだ残されている。それを無視するのは愚かだ。」


その言葉に蛇塚は黙り込んだが、やがて短く息を吐いて言った。


「…次から、その力を使うことも考えておく。」


「次からではない、今からだ。」アルスの声は揺るがない。


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