第9話 二重の仮面



翌日の朝


朝日が部屋に差し込む頃、僕はまだ悩みの渦中にいた。蛇塚刑事からの提案――ヒーローマンとして登録し、彼のバディになる。その選択をすれば、犬を守れるかもしれないが、同時に新たな危険に足を踏み入れることになる。


「どうするべきなんだろうな…。」


足元の犬はじっとこちらを見つめている。その無垢な瞳に、僕は無性に胸が締め付けられた。


「君を守るためなら、やるしかないのかもしれないな。」


心に決意を固めた僕は、朝食を済ませて犬の世話をした後、塚田制服店へと向かった。


 


店に入ると、昨日来たばかりの加藤さんが既に作業台に向かっていた。軽快にペンを走らせているその姿は、どこか堂々としていて頼もしい。


「おはようございます、加藤さん。」


「おはよう、七夕さん。」彼は振り向き、柔らかい笑みを浮かべた。「今日は一緒に仕事ができるのを楽しみにしていましたよ。」


その笑顔にどこか親しみを感じつつも、僕は彼の強い眼差しに少し戸惑いを覚える。


「こちらこそ、よろしくお願いします。」


加藤さんはデザイン経験が豊富だと聞いていたが、その腕前は本物だった。彼の描いたスケッチは、どれも洗練されていて、美奈さんや他の同僚たちも感心していた。


「本当にすごいですね。どこでこんな技術を?」僕が尋ねると、彼は軽く笑いながら答えた。


「まあ、長い間、いろんな場所で学んできたんです。特に正義感を感じるような服をデザインするのが好きでね。」


「正義感…?」


「ええ。服って、その人の内面を表すものだと思うんです。だから、その人の生き方や信念をデザインに反映させたいんです。」


彼の言葉には不思議な説得力があった。その中に、何か隠された意図があるようにも感じたが、深く追及することはできなかった。



その日の夕方、家に帰って間もなく、また玄関がノックされた。


「七夕さん、また来ましたよ。」


聞き覚えのある声――蛇塚刑事だ。僕はため息をつきながらドアを開けた。


「刑事さん、今日は何の用ですか?」


彼はニヤリと笑いながら、ドアの外で煙草をくゆらせていた。


「昨日の提案、考えはまとまりましたか?」


「…まだ少し迷っています。でも、考えています。」


蛇塚はそれを聞いて小さく頷いた。そして低い声で言った。


「時間は限られています。今も君を追う者たちは街中にいる。早く決断しないと、この家にいる犬もろとも捕らえられるぞ。」


その言葉に、僕は無意識に足元の犬を見た。


「…わかりました。やります。ただし、本当にこの子を守れるなら。」


蛇塚の目が少しだけ輝いた。


「そうか。それなら早速、ヒーローマンとしての登録手続きを始めよう。変装についても準備が必要だ。」



翌日、蛇塚に連れられた施設の一室。無機質な空間が広がり、僕は軽い緊張を覚えていた。


「登録手続きを始める前に、少し確認しておくべきことがある。」


蛇塚は懐から小さなデバイスを取り出した。それは針型の先端を持つ、手のひらサイズの検査機だった。


「これは?」僕は疑問を口にした。


「お前の血液を採取する。ヒーローマンとしての適性があるか、あるいはサタージャの可能性がないか確認するためだ。」


「…そんなこと、必要なんですか?」


「必要だ。登録には絶対条件だし、俺も君の正体が気になるからな。」


蛇塚はデバイスを僕の腕に当て、静かに針を刺した。小さな痛みとともに血液が吸い上げられる。


「結果がすぐに出る。」蛇塚はデバイスのディスプレイを注視する。


そこに表示された文字を見た瞬間、蛇塚の顔が固まった。


ヒーローマンの可能性:なし

サタージャの可能性:なし


「どういうことだ…?ヒーローマンでもサタージャでもない…?」


蛇塚は目を細め、僕を真剣な眼差しで見つめた。


「お前、一体何者なんだ?」


僕は深く息を吸い込み、覚悟を決めた。


「アルス、頼む。彼に説明してくれ。」


次の瞬間、青白い光が僕を包み、視界が変わる。気づけば僕はアルスの姿――金髪の長髪に金の紋章、ナイトロングコートを纏った姿になっていた。


「これが僕――アルスの姿です。」


蛇塚は驚きに目を見開き、一歩後ずさった。


「本当なのか…?天使が…?」


アルスは、金色の目を細めながら一歩前に出た。その声は、深く低く、空間に響き渡るようだった。


「蛇塚刑事、私は完全な天使ではない。だが、七夕四郎を蘇らせ、この世に送り返したのは私だ。」


蛇塚が息を飲むのを見て、アルスはさらに低い声で語りかけた。


「私は全能ではないが、全てを知っている。悪魔たちがこの世界で仕掛けた計画、そしてお前たち人間が何も知らずに踊らされている現実を。」


「お前が求めるのは正義か?それともただの秩序か?その答えを知るために、この男――七夕四郎の力を使え。彼の意思は正義に向いている。」


蛇塚はアルスの言葉に戸惑いつつも、真剣に聞き入っていた。だがその時、アルスの肩が小さく震え、声が途切れる。


「――すみません!アルス、代わってください!」


一瞬で光が消え、僕――七夕四郎の姿に戻る。


「刑事さん、本当に彼は僕の中にいるんです!だから、僕を信じてください!」


蛇塚はしばらく沈黙していたが、深いため息をついた。


「わかった…。君とアルス、両方を信じよう。ただし、今後はアルスと話す時、彼の姿で応じてもらうことになるだろう。」


「それでも構いません。僕も彼を頼りにしているんです。」


蛇塚は満足げに頷き、僕に手渡された変装スーツを指差した。


「それじゃあ、“シルエット”として正式に動ける準備をしろ。次は本番だ。」


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