第5話 悪魔の囁き
夜道を歩きながら、僕は胸の奥に渦巻く疑問と恐怖を抱えていた。何度目になるかわからない「俺は何者なのか」という問いが、再び頭を支配する。アルスとして変身したときの圧倒的な力。その代償として押し寄せる疲労感。
さらに蛇塚刑事の冷たい視線が、僕を追い詰めていた。
「ヒーローか、ヴィランか…。どっちでもないって言いたいけど、そんな選択肢はないのか。」
自嘲気味に呟いた瞬間、不意に頭の中に別の声が響いた。
「いいえ、あなたはすでに選ばれているわ。」
背筋が凍るような冷たい声だった。振り返っても誰もいない。それでもその声は確かに僕の頭に直接響いていた。
「誰だ…?」
問いかけると、闇の中からふわりとした黒い霧が現れ、それが徐々に人の形を成していく。現れたのは、銀髪で整った顔立ちをした少女だった。年齢は僕と変わらないくらいだろうか。白い肌に銀色の瞳が輝き、純白のドレスのような装いが月明かりに映える。だが、その柔和な微笑みの裏には冷たい何かが宿っている。
「初めまして、七夕四郎。私はヘーゼル・ルシフェル。悪魔を統べる存在の一人よ。」
「ルシフェル…?」
思わず後ずさる。その名前が持つ重みと彼女の圧倒的な雰囲気に、自然と警戒心が湧き上がった。
「ええ、正確には“ヘーゼル”と呼ばれているけど、好きな方で呼んで構わないわ。」
ヘーゼルは軽く手を広げながら微笑む。その様子はどこか無邪気さすら感じさせる。だが、その言葉の一つ一つには鋭さがあった。
「あなたが今持っているその力、その青白い剣の存在――すべて、私たち悪魔が創り上げた舞台の一部なのよ。」
「…どういう意味だ?」
「ふふ、まだ何も知らないのね。あなたがその力を得たのは、天使の選択なんかじゃないわ。それどころか――」
彼女は銀色の瞳に不敵な光を宿して言葉を続けた。
「これは、私たち悪魔、それとできそこないの神とのゲームに過ぎないの。」
「ゲーム…?」
ヘーゼルはゆっくりと僕に近づいてくる。体が動かない。彼女の存在そのものが圧倒的で、ただ視線を外すことすらできなかった。
「ネタファヤ菌、ワクチン、ヒーローマン、そしてサタージャ――すべては、このつまらないゲームを彩るための舞台装置よ。そしてあなたも、その中の駒の一つに過ぎないわ。」
「ふざけるな!そんなの信じられるか!」
「信じる信じないは関係ないわ。だって、もうあなたは舞台に上がっているのだから。」
彼女はくすくすと笑いながら、銀色の瞳で僕を見つめる。
「神と呼ばれる存在は、全知だと言い張るけど――実際はただの怠惰な監視者よ。その全知をどこまで信じるかは、あなた次第だけどね。」
ヘーゼルが手を差し出してきた。その手は小さく、少女のように華奢だったが、どこか不気味な冷たさを感じさせる。
「どうかしら?私たちに協力して、この世界を新しい秩序に変えるのは。あなたの力なら、それが可能よ。」
「…ふざけるな。」
僕は彼女の手を睨みつけながら言い放った。彼女の言葉の中に真実がどれほど含まれているかわからない。だが、悪魔に協力するなど絶対にありえない。
「ほぅ…。なかなか気の強い子ね。でも、これで終わりだと思わないことね。私たちは常にあなたを見ている。そして、いずれあなたが私たちを必要とする日が来るわ。」
そう言い残し、ヘーゼルはゆっくりと身を翻した。その姿は黒い霧となり、闇の中へと溶け込むように消えていった。
一人残された僕は、肩で息をしながらその場に座り込んだ。体中の力が抜け、目の前がぐらぐらと揺れる。
「ルシフェル…ヘーゼル・ルシフェル…?」
思考が追いつかない。だが、それを遮るように頭の中にアルスの声が響いた。
「彼女の言葉に虚偽はない。だが、それはペテンだ。」
「ペテン…?」
「そうだ。彼女たちがゲームを語るのは、誤りではない。しかし、彼女たちが全てを支配しているわけではない。」
「……?」
アルスは少し間を置いて続けた。
「神は全知だ。この世界のすべてを理解し、その運命を見通している。だが、全知がすべてを制御するわけではない。彼らの“ゲーム”とやらも、神の知識の外にあるものではない。」
「じゃあ…神はこの状況を黙認しているのか?」
「黙認ではない。ただし、介入しないだけだ。神は創造主であって支配者ではない。すべてを知りながらも、その手を差し伸べるのはお前のような者たちだ。」
アルスの声には、確かな重みと冷静な信頼が込められていた。
「お前の剣は、神の意志が映し出されたものだ。そしてお前が迷えば、その意志も揺らぐ。自分が守りたいものを見つけ続けろ。それが、神の全知を超える力となる。」
夜明け前、ようやく自宅に戻った僕はベッドに倒れ込んだ。けれど、眠ることはできなかった。ヘーゼルの言葉とアルスの忠告が頭の中で交差する。
「僕は…何を守りたい?」
店の同僚たち、美奈さん、街の人々――いくつもの顔が浮かんでくる。それと同時に、彼らがサタージャや悪魔の計画の犠牲になる未来が頭をよぎった。
「守るんだ…僕が、守る。」
そう呟いたその瞬間、僕の胸の奥で剣の輝きが再び灯るような感覚がした。
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