その「怪物」の血の色

みちにそれ

その「怪物」の血の色


「——はぁ……はぁ……っ」


 薄暗い森の中、一人の少女は走っていた。

 時に背後を振り向いては走り、時にそのデコボコな獣道に足を取られながら走り。乳白色の長髪は薄汚れ、その端正な顔は疲労と恐怖に歪み、碧眼の瞳からは涙がこぼれては落ちていく。


 それはいかにも何かに追われている少女だった。

 泥に汚れていても隠せない質の高そうな絹で編まれた服は少女の生まれの良さを表していた。幼い身体のどこにそんな力があるのか、激しく息を切らしながらも足を上げ全力で前へ進まんとする。


 その原動力は生命の危機にある動物の本能か、進む先に何か希望でもあるのか、それとも——。

 しかし、現実は非情で必死の逃走も呆気なく終わりを告げる。


「——いやがったッ!!」

「っ!! ——ぁ」


 背後からの声にびくりと肩を震わせる少女。

 声の方へ反射的に振り向いた彼女はついぞ足を取られ盛大に転んだ。


「ぅ……っ、ぁあ……」


 全速力で走った勢いのまま受け身も取れず転んだ少女は呻き声を上げながら痛みに身を屈めた。

 もう十分に走った。限界はとうに超えている。

 数多の疲労と身体に滲む鈍痛は命の危機という動力をもってしても少女の再起を妨げた。

 たとえ立ち上れたとしても……もう逃げることはできない。


 ようやく得た休息に強張っていた肉が弛緩していく。

 火照った身体に冷たい地面が心地よい。母なる大地に身体を預け、束の間の時間を享受する。

 そうこうしている間に声の主は近づいてくる。


 あと少しで、辿り着く。

 あと少しで、皆の元に行ける。

 そうしたら——。


 内に宿ったどす黒い何かをぶつけるように、少女は声がした方を見ようとした。

 痛みに瞑っていた目を開き、地に伏したまま首を回して背後の方を。


 ただその前に、開いた目の先で……ふと目があった。

 木に背を預けるように座っている自分と同年代くらいの見た目の少年と。

 灰髪に金眼の幼い少年。薄汚れた髪と同じ色の衣を纏い、頭には黒のゴーグルが付けられている。それ以外は手元にある巾着のみ。


 旅人のような様相であったが、それにしてはあまりに幼すぎる。

 少なくともこんな森に一人いるのはありえないと言えた。少女自身の存在も大概だが、こちらは明らかに何かの事件の産物であるため棚に上げる。


 そして、少年の少女を見る目はひどく無機質で凪いでいた。雰囲気を一言でいうならば「なんか来た」という感じだった。

 おおよそ何かに追われ命の危機にある少女を見る目ではない。

 あるはずもない突然の会合に少女は目を丸くして少年を見続け、少年もボーっと見つめ返す。二人の間で止まる時。しかし、無情にも実際の時は止まらない。


「ちっ、ようやくいやがった。ガキがちょこまかと逃げやがって」

「っ!!」


 苛立ったような例の声に止まっていた少女の時間は動き出し、そちらの方を振り向く。

 不精髭を生やした顔に傷のある男。

 いかにも悪漢といった風貌は少女が捕まったが最後、悲惨な末路を迎えることを容易に連想させた。

 生まれが良さそうな薄汚れた少女とそれを追う男、そして…………一人の少年。


「あぁ? 何だ、ガキがもう一人いるじゃねぇか」


 当然、不可思議な少年に男も目を見張る。有り得ないはずの存在に単純な疑問を浮かべ、注目が引き寄せられる。

 しかしながらふと視界の端にもそもそと動く様子を確認し、再度標的を改めた。


「うっ!!」

「ちょっと目を離したらこれだ、油断も隙もありゃしねぇ」


 一瞬の隙をつき這いつくばってでも距離を取ろうとした少女を男は乱暴に蹴り飛ばす。

 少女は蹴りを受けた箇所を抱えるように蹲った。

 そして、少年はそれを無機質に見続けた。


「おい、そこのガキ。何でいるのかは知らねぇが下手な真似すんなよ?」


 相変わらず座ったまま動こうともしない少年に男はガンを付け、不干渉を促す。

 今は明らかな貴族風の少女の方を優先だ。薄汚れた少年になど用はない。

 とっ捕まえて売り飛ばすか、それとも身代金でも要求するか、はたまたこのままいたぶって殺してしまおうか。


 少しの思考の後、男が決めた選択はそのニヤケた面と柄に触れる手を見ればすぐにわかった。

 カチャリと鞘から剣がズレる音がなる。

 その音にびくりと肩を震わせる少女は……歪む視界に二人を入れながら言った。


「……けて」

「あぁ?」

「た、たすけて……」


 か細い慈悲を乞う声。

 彼女にできることはそれしかなかった。


「ははははは、惨めだなぁ? 誰に言ってんだぁ? お前を助ける奴なんてここにいるわけないだろ」

「おねがい、たすけて」

「いねぇつってんだろぉ?」


 あまりに惨めな少女に嗜虐心からか男の表情がさらに醜く歪む。

 ゆっくりと歩み寄り少女の恐怖心を煽るようにゆったりとした速度で鞘から音を立てながら剣心を露わにしていく。

 シャーと金属音が弓を引くように鳴り続け、そしてそれが終わりを迎える瞬間——、


「ミールの泉」


 ぼそりと、ただ二人の耳にしっかりとある単語が響いた。

 鞘から引き抜かれた剣は止まり、男は背後の未だに座ったままの少年を視界に入れる。


「ガキ、なんか言ったか? 邪魔しないって言ったよなぁ?」

「? ミールの泉」


 興が削がれ苛立ったように意識を少年に向ける男に少年はその無機質な表情同様の無機質な声色で同じ言葉を繰り返した。

 それにカチンときたのは強面の男。上げ足を取ったかのような少年の発言に眉尻を吊り上げる。

 そして神経を逆なでされた男は標的を変更した。


「ガキがっ!! ちゃんと言わなきゃわからなかったか!? 後で殺してやるから黙ってろって言ってんだよ」

「……ミーミルだっけ?」

「あぁ!? そんな泉しらねぇよッ!!」


 まるで話を聞かずに名称が間違っているのか確認するように呟く少年。

その態度に怒りを通り越して激昂した男はズカズカと少年へ歩みを進めた。

 ただ——、


「み、ミールの泉、しってる」


 男の背後からまたも横やりが入るように震えたか細い声が響く。

 男は立ち止まり、少年は声の方向へ顔を向けた。

 そこには未だ地に伏している少女がいた。

 少年の金眼と少女の碧眼が交錯する。


「ほんと? どこ?」

「ほ、ほんとうよ、ばしょはしってるけど……」


 少女に問いただす少年に、返答はするも語尾を濁しながら男の方を向く少女。

 少女は彼の言うミールの泉に心当たりがあるようだった。

 ただ、答えようにも男の存在が邪魔していると目で訴えていた。

 一方、少年と少女の間を分かつように立つ男は自分を隔て会話までし始める二人に足を止め、静かに佇んでいた。

 しかし、ふと強張っていた身体から力が抜けるように脱力すると顔を上げ少年を冷徹な瞳が貫く。


「——お前から殺す」


 怒りの許容度を超え、殺意だけが残った男は絶対の宣告を口にした。

 殺す順序を明確に定め、先に殺る方——生意気な少年へ駆け出す。

 その大きな歩幅は一瞬にして彼我の距離を埋め尽くし、振りかぶった剣は座っている少年の首目掛けて振り下ろされた。


 少女の目には少年の首が断たれたように見えた。

 しかし、少年はスッと首をずらすと放たれた剣筋を間一髪避け、何事もなかったように少女へ歩み寄る。

 少年を避けた剣はその背後の木の幹に食い込み、男は足を支えとして剣を引き抜こうと試みた。

 そんな男の様子は露知らず、少年は少女の元に辿り着く。


「ミールの泉、どこ」

「そ、そんな場合じゃないでしょ! 殺されちゃう!」


 相変わらず無機質に場所を訊ねる少年に、先ほどの光景に目を見張っていた少女は至極当然の反応をした。


「……『あれ』が邪魔なの?」

「え? あれってあの男?」


 少し眉を歪め教えてくれない少女に理由を問う少年。少年の雰囲気に少し気圧されながらも彼の示唆するものがあの男かを問い返す少女に少年はこくんと頷いた。少女もこくんと呼応するように頷く。


「今のは運がよかったなガキ。予定変更だ——まとめて切り飛ばしてやるよ」


 そうこうしている間に男は剣を構えなおしており、まとまった標的に対して一刀両断を試みる。

 大きく振りかぶるように上段に剣を構え、後ろ脚を引き踏み込む逆脚に力を入れる。

 相手は丸腰の子供二人。先ほどのように剣を妨げる木のような障害物もない。

 つまりは詰みだ。


「死ね」


 掛け声とともに強く地面を踏みぬいた男は前方への加速とともに剣を思い切り振り下げた。

 死が近づく気配の中、後ずさる少女に少年は————『昇華者レベル・ランカー』の証を示した。


「——『解錠』」

「っ!!?」


 振り抜かれた剣は少年の前の虚空で盛大な鈍重音を響かせて止まる。

 少年の手には何もない空間から引き抜かれつつある剣が握られていた。

 そして引き抜く勢いのまま男を跳ね飛ばし、その威力に堪らず男は距離を取る。


 男は目を見張った。

 少女は絶句した。

 それはこの世界の人なら誰もが身近で、かつ越えられない試練の克服を示していた。


「っ……こんなガキが、『昇華者レベル・ランカー』だって?」

「う、うそ……」


 あまりの驚愕に男は怒りすら忘れ、目の前の光景にただ茫然としていた。

 少年が『解錠』の言葉とともに引き抜いたのは一振りの長剣。

 少年の背丈以上もある不釣り合いなそれは白銀の光を映しながら男へ向けられている。

 そして、不思議と少年の構えは様になっていた。


「どうやって……何をしやがった!? そこに辿り着くのには人の一生がかかんだぞ!?」

「そんなの知らない」


 ハッと我に返った男は有り得ないがゆえに、訳もなく理由を問いただす。

 彼の発言は至極真っ当だった。

 この世界の誰もがその難しさを知っている。おそらくそれを成し得る人は世界の約半数。もう半数は一生を懸けても辿り着かない。年端もいかない少年が辿り着くはずもない境地だった。


 ゆえに、男には少年の姿が常軌を逸した天才か、はたまた人知の及ばぬ怪物かに見えた。

 そして、それは間違っていない。試練を克服した者は一般人にとって怪物なのだから。

 ただ、そんなことは少年にとって知ったことではない。

 必要なのは、邪魔を排除するのみ。それ以外は興味がない。

 ゆえに、少年は男に終わりを告げた。


「【不退転スヴェイルオース】」

「ぇ——ぁ…………」


 己が『試練』の言葉を紡ぐと同時、爆発的な速度で少年はその場から掻き消え、白銀の一閃はその残光のみを残して男を両断した。

 少女には何も見えず、残ったのは血だまりに沈む男と残心で背を向ける少年の姿。

 驚きの連続に口をぱくぱくさせながら立ちすくんでいた彼女は、少年が振り向くと男に感じたモノとは別種の恐怖に肩を震わせる。

 そして、少年は無機質な表情のまま言った。


「ミールの泉、どこ?」



「ねぇ……ねえったら、聞いてるの?」


 ほのかな月明かりが木々の間をすり抜けるように照らす中、二人の子供は歩いていた。

 片方はびくびくとしながら薄暗い足元を確認するように歩き、もう片方はそれを気にも留めずに歩みを進める。

 先ほどの騒動の後、運良く出会いに恵まれ助けられた少女は感謝を告げた。

 それに対して少年の反応は相変わらず希薄だった。

 返ってくる言葉は「どっち?」の一言。若干の圧を感じた少女は小さい人差し指をピンと立てて方向を示した。

 そして、その方向へ歩みを進める彼に対して少女はそれに付き従うように歩き始め今に至る。


 少女は少年に聞きたいことがあった。

 どこから来たのか、なんて名前なのか、何者なのか、どうやって『試練』を克服したのか、少年にまつわることがたくさん。

 暗い森の中というのもあって話すことによって恐怖を紛らわそうとしたのかもしれない。

 しかし、多くのことを訊ねる少女に対して少年はウンともスンとも言わない。

 時々、「合ってる?」と方向の確認を行うのみ。

 あまりにも反応が薄い少年だった。


「ねぇ、名前くらい教えてよ」


 ただ、愛想が欠如した少年に対して少女は根気強くも尋ねることを止めなかった。

 何度繰り返したかもわからない質問。よほど、彼女は少年に興味があるようだ。

 それか、もしかしたら自分のことについて聞かれたくなかったのかもしれない。

 理由は定かでなくとも行われ続けた挑戦の果て、少女の忍耐は無駄ではなかった。


「……フェル」

「——え?」


 ポツリと紡がれる言葉。

 また黙り込んでしまったが、少年はたしかに返答した。

 少女の顔がパッと明るく輝く。


「フェル……、フェルっていうのね? ふふふ」


 名前を確認するように数度口ずさみ、少女ははにかむ。

 その後、さらに距離が近くなった少女はより深いことを尋ね始めた。

 その中でも特に少年自身の強力な力、『試練』についての話が多くを占めていた。


「さっきのって神様からわたしたちに与えられる試練を克服したってことよね?」

「……」

「わたしと同じくらい小さいのにどうやって乗り越えたの? 身体が強くなるんでしょ? それにどんな能力をもらったの?」

「……」

「あの剣はなに? ねぇフェル、教えてよ」


 矢継ぎ早に尋ねられる質問の数々。

 恐怖が和らいだのかフェルに親しげに、そして楽しそうに話しかけ続ける。

 先ほどよりもより深くなった森は静けさに満ちており、少女の声がよく通った。

 途端、フェルは歩みを止めた。


「ど、どうしたの? もしかして怒らせちゃった?」


 歩き続けていたフェルの急停止に困惑し、何か機嫌を損ねてしまったのかオロオロし出す少女。そんな少女に彼は言った。

 

「……まだ?」

「え……うん、たぶんもう少し。あとちょっと歩いたらつくと思う」


 キョロキョロと周りを見渡し、泉へはあとどのくらいかを推定する少女。

 それに対してフェルは微かに聞こえる草木の揺れなどに目を向けていた。

 ジッと薄暗い森の先を見続けていたかと思うと、フッと視線を外して再度歩みを進める。

 遅れて少女も少年の後を追った。

 

 それからは少女の口数は減った。

 不躾に色々なことを聞きすぎたと反省したのかもしれないし、彼の機嫌を損ねたくなかったのかもしれない。

 彼女は案内に注力し、フェルに方向を指示し続けた。


 そして————目的地に辿り着いた。


「——ここよ」

「……」


 背後からの到着を告げる声にフェルは歩みを止める。


 目の前に広がるのは、月明かりが差し込む薄暗い森と……地面から隆起したゴツゴツとした大岩と……森と…………森と、森だ。


 ただの森がそこにあった。

 泉などどこにもない。それ依然に水すら存在しない。


 どういうことかと尋ねようと背後を振り返ろうとするフェルは、ガサゴソと湧き出す周囲からの音に重心を下げ構え、警戒を露わにした。

 同時に、何かはわからずとも嵌められたと理解した。


 背後に少女はいなかった。

 いたのは先ほど地に沈めた男よりもさらに邪悪に歪んだ表情をもつ怪物しょうじょがいた。


「アぶなかったケド、ベつのえものがひっかカッタ」

「……だました?」

「アなたのじょうしきがかけてるノヨ」


 ニタニタと笑いながら、少年を嘲笑う少女の見た目の怪物。

 冷静に考えればおかしいことだらけだった。

 助けられたとはいえ、こんな真夜中の森で見知らぬ少年の道案内をするなんて。

 男から逃げていたのに、この場所に詳しいかのように泉の方向を指し示すなんて。

 容易に迷う深く暗い森の中で、周りを見ることで場所を確認するなんて。


 ただ、フェルは普通じゃなかった。

 彼女の言うようにあまりにも、無知で常識を欠いていた。

 だから、騙されてしまった。


「フェルはつよいケド、ミんながいればだいじょウブ」


 それは人を森に誘う魔物だった。

 一体が人に化け、浅い森や人の通る道から深い森に連れていく怪物。

 彼等は知っていた。高貴そうで小さい女の子が効果的だと。

 

 時には、金に目がくらんだ盗賊が。

 時には、内心見返りを求める打算に満ちた商人が。

 時には、単に少女を助けんとする親切な村人が。

 

 一人いる少女に連れられ、導かれ、この目的地で袋叩きに合う。

 男も、そしてフェルもその内の一人だった。


 フェルは周囲を警戒しながら、敵の数を確認する。

 一、二、三、四、…………十じゃ足りない数。

 その過程で先ほど見た大岩の影に骨が見え隠れしているのを発見する。

 それは、この怪物の被害者の多さを物語っていた。


 しかし、彼にとってそんなことはどうでもいいこと。

 戦いで考えることは二つ。

 死なないようにすること。そして、前へ進み続けること。

 それがこの歳で試練を乗り越えたフェルが辿り着いた結論である。

 

「どんなチカラかわからなかったケド、じょうものはニガサナイ」

「——『解錠』」


 一斉に飛び出してくる数十の魔物に少年は呟いた。

 鍵を差し込むように右手を空に突き出し、捻る。

 虚空から抜くのは白銀の長剣。

 左手で額に着けていた黒のゴーグルを下ろし、装着する。

 そして、己が乗り越えた『試練』の名を宣言した。


「【不退転スヴェイルオース】」


 一瞬で視界に入れた周囲の魔物はここまで連れてきた少女の見た目の個体と比べて異形のままや力の強そうな男の個体ばかりで戦いに特化した様子だった。

 どれもが被害者から奪ったのか鎧や武器を携帯しており、囲まれているままでは押しつぶされてしまう。


 ゆえに、フェルは即断即決で一方向の強行突破を図った。

 まずは左前方から駆けてくる斧を持った大男の見た目の怪物へ急接近する。

 爆発的な速度で膝下に潜りこみ、下段から神速の一閃を叩き込む。

 反応できなかった怪物は鎧ごと両断され、人のものとは異なるどす黒い血を撒き散らして絶命した。


「っ——ニがすナ!!」


 一体の青年型の個体が大声で周囲に呼びかける。

 あの速度で逃げられたら追い付けるはずもない。その焦りからの指示だった。

 しかし、フェルは逃げるどころか振り返り剣を構えなおした。


 騙された腹いせに叩き潰したいからではない。そんなことは彼にとってどうでもいい。

 単純にフェルは逃げることが苦手だからである。

 精神的にも、そして何よりもその能力的に。


「ァアアアア……ッ!!」


 フェルに一番近かった別の個体が刃こぼれしたなまくらで切りかかる。

 それを半歩下がることにより躱すと同時に腕を切り落とし、次の一閃で首を落とす。

 『前方』へ振った腕のみが掻き消える速度で動き、残った銀光だけがその剣筋を露わにする。

 最小限の動作で行われる殺戮。


 少年は戦いなれていた。少年は強靭だった。

 無表情に戦う姿はまるで人形のよう。

 瞬く間に多くいた怪物が断末魔を上げ絶命していく。


 そして、残ったのはフェルを誘った少女の個体とリーダー格に見えた青年の個体だった。

 標的を絞り、意識をその個体に集約し、『前』を定義する。

 後は進むだけ。『不退転の覚悟』を持って。

 灰色の髪と同じ色の衣をたなびかせ、身を低く保ちながら高速で駆ける姿はまるで狼のよう。

 金の眼光と銀の剣光を置き去りにしながら、獲物を一直線に見据える。


「……終わり」

「ッ!! オマエぇえええええええ!!」


 青年の個体は他の個体に比べ、抜きんでた強さを有していた。

 少年の神速の連撃に身体を切り刻まれながらも致命傷を避け続ける。

 それは魔物の持つ『変身』の特性の応用だった。


 避けられない剣閃を身体の高速変形で回避する。他の個体に比べて群を抜いた変形速度。

 しかし、それを遥かに凌駕するのは少年の速度。

 魔物の強さも大概であったが、試練を乗り越えた彼の強さは等しく化け物であった。


「くっ…………ぅう、ガァ……ッ!?」


 加速度的に増える傷跡は人ならざる耐久をもつ魔物の体力を急激に奪っていき、ついに堪らず深い傷を受ける。

 ダラダラと流れ出る人のモノに似た赤い血は魔物のささやかな抵抗か。

 ただ、それを見つめるフェルの目は依然として冷ややかで感情を映さない。

 それを目の前で見た魔物は、自分の最期を悟った。

 ただ、その瞬間。


「——うごクナッ!!!!」

「た、たすけて」


 フェルの背後から二つの声が響く。

 チラリと背後を確認した彼の視界には、異形の怪物と怯える少女が映った。

 少女の髪はバラのような深紅の色、フェルを連れてきた乳白色の髪をもつ少女とは全く異なる。どこから現れたのか。 元の乳白色の髪の少女の個体はどこへ? あの異形の怪物に変化した?


 瞬時に思考を巡らせたフェルは————目の前の魔物を横凪ぎに沈めた。

 そして、横凪ぎにした勢いで振り向き一瞬で少女を人質に取る怪物に接近したフェルは少女ごと異形の怪物を寸断した。

 怪物は上半身が腰から真っ二つに分かれ、少女は首がコテンと地に落ちる。

 どちらも赤い血を噴き出し盛大に地面を濡らす。


「…………ナ…………ンデ」


 怪物は問うた。

 人質すら気にせず殺した少年の行動を。

 それに対してフェルは言った。


「学んだ。…………みんな見た目によらない」

「……」


 男も少女も魔物も、追っていようが追われていようが、下卑た笑みだろうが可愛らしくはにかんでいようが、どす黒い血だろうが赤い血だろうが、関係ない。

 どれも判断材料であって結局は自分で決めるしかない。

 それが「怪物」か否かを。

 無知な少年はそう結論付けた。

 それは正しくもあり、そして間違ってもいる。


「お……まえが…………ころ、した…………フェ、ル」

「……そうだね」


 フェルは少女の流す赤い血を見ていた。

 人間の流す血と同じに見える鮮やかな赤色。

 しばらくした後、少年は森の奥を去った。


 ——その赤い血がホンモノかは少女にしかわからない。

 


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その「怪物」の血の色 みちにそれ @michinisore

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