5,ポルノ依存症と脳―①ポルノ依存症の仕組み
ポルノ依存症は、やはり依存症でありますから、これは中枢神経系の機能異常、つまりは脳の機能異常という訳です。また、同様に、ポルノ依存症は行動嗜癖に分類される疾患でもありました。このことから、ポルノ依存症の病因は、行動嗜癖一般の脳の異常と殆ど同様のものではないかと推測されます。以下では、この推測に従い、ポルノ依存症を行動嗜癖と同様の機序によって生じるものと仮定した際の神経科学的機序について説明したいと思います。……何だか小難しくなってしまいましたが、簡単に言えば、脳科学の視点からポルノ依存症の仕組みを見てみようということです。早速ですが、やっていきましょう。また、本章でも脳科学辞典の行動嗜癖の項目を参照しています。より深く学ばれたい方は、そちらを一読されると良いでしょう。
行動嗜癖では、脳内にある辺縁報酬系、或いは脳内報酬系、一般的には報酬系と呼ばれている脳内回路の異常が指摘されています。報酬系は中脳辺縁系を中心とするドーパミン神経系から成立していて、中脳の腹側被蓋野から側坐核に投射していますが、側坐核を含む腹側線条体だけでなく、眼窩前頭皮質、前部帯状回皮質、扁桃体、海馬、大脳の前頭前野へも投射しているらしいです。この内の「投射している」という脳科学用語は「つながっている、または影響を与えている」といった意味で受け取ってください。
さて、そんな報酬系ですが、これが食べ物や性行為、或いはポルノといった人間に快い感覚をもたらす刺激を認識しますと、腹側被蓋野から側坐核へ一過性のドーパミン放出が誘発されることで、活性化します。この腹側被蓋野からのドーパミン伝達による側坐核への刺激ですが、これによって快感や高揚感がもたらされます。更に、ドーパミンは快感の元となった行動の強化と動機づけに重要な役割を果たすとされていることから、このドーパミンによる側坐核の刺激が、依存形成の一因であると見ることも可能ですし、そういった知見は多くある様です。
そして側坐核だけでなく、我々にとって快い刺激は腹側被蓋野領域から扁桃体、眼窩前頭皮質、前部帯状回皮質、海馬、前頭前野へも一過性のドーパミン放出を惹起します。この際に、扁桃体と眼窩前頭皮質は、報酬を予期させる刺激(報酬系を活性化させた刺激)と、それにより実際に生じた報酬である快情動とを関連づけること(つまり、刺激と行動を結びつける学習)に重要な役割を担い、前部帯状回は、行動とそれにより得られる報酬とを関連づけ、得られる報酬によって行動を選択・制御し、前頭前野の機能は低下します。因みにこの事も無げに書かれている前頭前野の機能低下ですが、これが中々に凶悪で、というのも、前頭前野は執行統制、即ち人間の欲求や行動を理性的に制御する脳の部位であるからです。つまり、ここがダウンすると、人間は理性を喪失して、衝動的になってしまう。
依存症とは、煎じ詰めれば、上記した報酬系の活性化の反復強化によって脳に生じた障害なのです。快い情動を我々にもたらす刺激が報酬系を活性化、扁桃体やその他の部位にドーパミンが送り込まれ、その刺激に対する依存回路が生じる。その際に前頭前野は機能を低下させられ、この報酬系の活性化が行われれば行われるほど、その機能を損なってしまう。つまり、依存の刺激に曝露されればされるほど、より衝動的にそれを求める様になってしまう訳です。
では、早速この依存症のモデルをポルノ依存症に置き換えてみましょう。
①ポルノが報酬系を刺激
②報酬系が扁桃体やその他の部位にドーパミンを送り、ポルノに対する依存が形成される
③報酬系の活性化により、前頭前野が機能低下
④以降①~③を繰り返すことにより、より衝動的にポルノ視聴に依存してしまう
なるほど、中々どうして、確かにこれはポルノ依存症の症状と一致している。
また、この報酬系の回路は活性化によって強化されていくのですが、それと同時に、慢性的に活性化され続けると、馴化や鈍化が生じてしまいます。つまり、刺激に慣れてしまい、飽きてしまう、という訳です。しかし、一旦形成された報酬系の学習自体は消えません。ですから、もう一度、快楽を得るために、より多くの、より激しい刺激を報酬系は求めだします。周辺症状であったエスカレートがこれにあたるでしょう。そして、強化、鈍化、強化、鈍化、という依存症のループから抜け出せず、ドツボにはまってしまう、と、こういった仕組みで、ポルノ依存症になるのです。
以上が、快い刺激による報酬系の活性化からのポルノ依存症の説明ですが、もう一つ、関連して説明しておかねばならないことがあります。それは、不快な刺激がポルノ依存症を、快い刺激と同様に引き起こしてしまう仕組みについてです。快い刺激と不快な刺激で違うのは、不快な刺激のみでは依存症には決してなり得ないということです。けれども、不快な刺激は依存症の原因にこそならないものの、依存症を強化する要因にはなり得ます。というのも、ストレスを処理する脳の部位が報酬系と殆ど被っているからです。具体的には海馬、扁桃体、視床下部がストレス系と呼ばれる、ストレス反応の中枢なのですが、どうでしょうか。ストレス系の三つの内、二つが報酬系に含まれることからも、快い刺激と不快な刺激とは、殆ど脳内の同じ部位で処理されていると言えるでしょう。このことから、報酬系とストレス系とは、極めて強いつながりがあると、推測出来ます。
一旦、ここで話が変わりますが、生体にはホメオスタシスという機能が存在しています。恐らく、読者の皆様も生物学の初歩で学んだかと思われますが、これは生体が常に一定の状態を保つ様に、恒常性を維持する働きです。例えば、暑ければ汗が出るし、寒ければ体が震えます。これは生体における体温を汗や体の震えによって保つホメオスタシスの表出であると解釈出来ます。脳も生体の一部でありますから、当然、このホメオスタシスの原理が働いている訳です。
ここで一つ、質問させてください。快楽の対義語とは何でしょうか?
答えは苦痛です。つまり、快楽と苦痛は、恒常性の二つの極となる。これを脳の部位に置き換えてみましょう。快楽は報酬系、苦痛はストレス系です。つまり、この二つの部位には、一方が強化されれば、もう一方が強化されるという性質があることが推測できます。思えば当然のことでしょう。例えば、我々に対してある映画の濡れ場のみがループで再生され続けたとしましょう。最初こそ、その濡れ場に報酬系が反応して興奮するかも知れません。しかし、次第に飽きてそれを見るのが苦痛になりストレス系が駆動し、別の場面を渇望するようになる。これこそ、報酬系とストレス系のホメオスタシスなのです。
ここで以上の報酬系とストレス系の関係を鑑みた上で、不快な刺激が依存を強化する仕組みについて、見てみましょう。不快な刺激は、当然、脳にとっても不快なものとして処理され、ストレス系が作用し、その働きが強化されます。不快の反対は快です。このため、当然脳は同時に快を求める働きも強化する。即ち、報酬系の渇望を強化するのです。そして、居ても立ってもいられなくなり、最終的には手頃な快楽を与えてくれる依存中の刺激に飛びつくことになる。以上が、不快な刺激、つまり、ストレスが依存症の強化因子となってしまうことの説明です。即ち、ストレスそれ自体には依存を強化する要因は無いものの、それに続く依存している刺激への渇望を強化してしまうのです。また、衝動を制御する前頭前野が元々依存症によって機能不全であり、かつ極端に前頭前野はストレスに弱く、ストレスが存在すると即座に機能停止するため、ストレスによる依存対象への渇望は、通常の快い刺激がある場合の渇望よりも、より衝動的になり、抗いがたいものになると言えるでしょう。これが、筆者が本稿第2章においてポルノ依存症にはストレスが大敵であると述べた所以です。何か嫌なことがあると、すぐ衝動的にポルノを見てしまう。これはストレス系と報酬系の密接な関連によって起こるものであり、実に脳科学的に正しい「ストレス解消法」であると言わねばなりません。その悪影響は置いておくとして、という但し書き付きですが。
以上が、ポルノ依存症の大まかな仕組みです。一般的にはポルノ依存症はドーパミンの病であるとする説が横行していますが、確かにドーパミンはポルノ依存症とって重要な因子の一つではあるものの、これ以外にも背景には全く複雑な脳の働きがあります。したがって、単純にドーパミンのみに注視してポルノ依存症への対策を考えたとしても、要因の一つに対処したのみであり、根本的な解決にはならないのではないか、と、筆者には思われるのです。
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