第3話 モブ兵士の最期、

 死の嵐と僕が認識した存在。


 灰色の巨大な体躯、人族の平均的な身長の男性を二人縦に並べても届くかという高さ、丸太のように太い手足、盛り上がった筋肉、額から伸びる一本の真紅の角。

 魔族の中でも鬼と呼ばれる種族が、その身よりも大きな大剣を持ち佇んでいた。

 その特徴的な姿を、僕は知っていた。


 いや僕だけでない、誰しもが、幼い子どもですら知っているその姿。

 その強さ、恐ろしさを知らせる詩がいくつもあるほどだ。

 

 魔王軍には三大魔と呼ばれる恐ろしい魔族がいた。

 その三大魔の一角。

 屠殺剣とさつけんのディーガであった。

 その圧倒的な膂力で振るわれる大剣は、堅牢な砦ですら打ち砕き、何十、何百もの勇士が屠られ、国すらも滅ぼしたこともある。


 勇者セイン以前の、かつて勇者と呼ばれた者たちの何人かも、このディーガの前に敗れている。


 おそろべき暴力の化身。


 ディーガが何かを言う、勇者がそれに何かを返す。

 音が遠い、耳からは滝のような音が聞こえる、目の前のことなのに、意識が、感覚が遠くに感じる。


 胸から冷たい何かが身体全体にゆっくりと広がっていく。

 おそらく僕の死が、迫っているのだろう。


 怖いと思う感情すらも鈍く、薄れていく。

 死の嵐に飲み込まれずとも、僕の死そのものはすでに確定的だった。


 光と死の嵐が激突する。

 その余波だけでも凄まじい衝撃であり、僕の身体も少し飛ばされた。

 

 僕程度では到底認識ができない、僕なんかが及ぶこともできない戦いがそこにはあった。

 目では終えず、感知もできない。

 僕に分かるのは、閃光のような剣の打ち合いや攻防の果てに生じた衝撃のみ、大気の震えのみである。


 そしてそんな光景も、僕の全ての感覚が鈍くなり、遠くなる。

 眼の前が霞んでいく。

 僅かにあった苦しさも今は消え、気持ちもどこか凪いだものだ。

 僕よりも優れた人であっても、あれだけあっけなく死の嵐、ディーガにその命を散らされたのだ。


 今眼前での戦いを見れば、僕という存在がいかに無力で、なんの影響も与えられないということが分かった。


 僕にはなにもできなかった。


 出来るはずもなかった。


 英雄と呼ばれる存在のあまりの遠さ、自分という存在から地続きでないことが、これだけ明確に示されたのだ。

 自分よりも強い仲間も、憧れの人も、まだ僕という存在から想像が出来る強さだった。


 でも、これは違う。


 仲間の剣のように追いつこうすることも、隊長の剣のように憧れることすら許されない。

 勇者も、死の嵐も、人間の僕が100年かけたとしてもあるいは1000年時間があったとしても、到底届かない領域にいる。


 僕という人間が全ての生を捧げても及ばないだろうということを、ただただ現実として突きつけてきた。

 手を伸ばすことですら許されないと知り、諦めのような感情がゆっくりと心に広がった。


 ああ、やはり僕は、所詮モブ兵士だったのだ。


 僕だけではない、オリバーも、ヴァン隊長でも…。


 僕には何もできない、でも、それでもせめて、勇者の勝利を、人類の未来を願った。

 でも、きっと大丈夫だ、勇者だけでない剣聖も、賢者も、聖女もいるんだ。

 僕のようなその他大勢の1人が死んでも、モブ兵士が一人いなくとも、きっと魔王を倒し、平和もたらしてくれるのだと。


 自分の死を受け入れ、僕はゆっくりと目を閉じた。


 目を閉じるとどこか安らぎがあった。夜眠る時の、眠りに落ちる直前のような。


 ただ目を閉じた暗さだけでなく、その暗さの奥に落ちていくような。


 身体と意識が引きずり込まれ、意識が収束し、拡散し、闇に溶けるような。


 これが僕にとっての死ならば、この理不尽の中、自分の死を自覚出来るだけきっとマシな死に方なのかもしれない。


 なんなら、前世でトラックに轢かれた時よりもまだ覚悟も準備もできるくらいだ。


 結局転生しても、僕はまたこんなところで死ぬ。

 

 またしても両親よりも、家族よりも先に死ぬことに申し訳なさもある。


 でもまあ、仕方がない。

 モブの人生など、少しの運の悪さで簡単に終わる。


 もし、次生まれ変わるならば、もう異世界ファンタジーはお腹いっぱいなので、せめてもう少し平和な世界に生まれたいな…。


 そうして僕の意識は、ゆっくりと薄れて…。


 突然の悪寒。


 肌が粟立つ。


 強烈な違和感に気持ち悪さ。


 自分の中ではない、それは明確に、外から感じられた。


 死を前にして、全ての感覚が消えようとする中、それでも感じられた不快感、嫌悪感。


 死の直前だった僕の意識を、引き戻すほどのなにか。


 一体何なんだ…!


 感覚を頼りに視線を向けると、その先に何かがいた。

 肉の塊だ、牛ほどの大きさの肉塊、無数の目がある何かが僕からそう遠くない地面から、そびえ立っていたのだ。


 そしてその無数の目は、彼女を、勇者セインを見つめていた。


 あれはいけない、絶対にまずい。


 少しずつ、何かが、何かは分からないけど、決して放置してはいけない力が、あの肉塊の中で高まっていくのを感じる。


 魔力でも闘気でもないそれがなんなのかは僕にも分からない。

 でも、それが成ってしまえば、とてつもなく良くないことが起こる。


 頭でも、心でも分からずとも、魂が理解する、醜悪で、おぞましいなにかだ。

 あれだけの気配を発しているのに、何故勇者が気づかないのか、いや、あるいは気付けないのか。


 そんな存在に何故僕が気付けるのか、何故今気付けたのか、疑問は多々ある。


 でも、やることは一つだ。


 僕の消えようとする命を、残された最後の力を、あのおぞましいなにかを排除することに使う。


「ぐ…、お、おおおおぉ!」


 体内の中で、僅かに残った魔力を、気を循環させる。

 遠ざかった感覚が少しだけ戻ってきた。


「がっ…?!」


 同時に全身に強い痛みが走る。


 凄まじい痛みだ。


 それも当たり前か、腕も足も折れてるし、おそらく肺も潰れて、内臓もいくつかやられている。


 身体の中で痛くない箇所はほとんどない。

 死の淵にあるからなのか、燃え尽きる前の蝋燭のようなものなのか、普段よりも遥かに多い魔力と気を自分の中に感じた。


 口から大量の血を吐き出す。

 肺を一瞬だけ空にし、おそらく最後の、最期になるであろう呼吸をした。


 折れた剣を支えとし、無事な右手と左足でゆっくりと身体を起こす。

 どうせ終わる命だ、着地を考える必要もない。


 気と魔力で身体強化をし、残った左足で全力で地を蹴った。


 地を蹴った瞬間、おそらく足が砕けたけど最早どうでもいい。

 型もなにもない、折れた剣をあの「何か」なにかに突き刺し、刺したところにありったけの魔力と気、僕の命を注ぎ込む。


 効果があるかも分からない。


 でも、このまま終わるのだけは嫌だった、絶対に嫌だった。


 あの光が、輝きが、勇者が、彼女が、何かに屈するのを、何かに苦しめられる可能性が少しでも減らせるならば。

 その他大勢の僕の命にも意味が生まれる。


 モブ兵士の僕でも、役に立てたと思える。


 勇者さえいれば、きっと未来を照らし、切り開いてくれるはずだから。


 矢のような速さで、僕の身体がなにかにぶつかった。

 剣が刺さり、肉塊に沈む。


 勇者が一瞬僕の方を見た、おそらく急激に高まった僕の気と魔力を感知したのだろう。

 その表情には驚きがあった。


 「……!!」


 彼女がなにかを叫んでいるが、残念ながら僕の耳はもう聞こえない。


 僕も一瞬だけ彼女に目を向け、そして笑ってみせた。


 いい感じに笑えていればいいのだが、そう思ってるのは僕だけで、いびつな笑顔だったりして。


 そしてなにかに視線を戻す。

 気味の悪い感触が剣を通じて伝わってきた。

 その目は今全て僕に向いており血のような、それでいて真っ黒な液体が目から流れていた。

 おぞましい力はまだ高まっている。


 「ぐ、お、おおおおおっ!!!


 叫び、僕の中のありったけを剣に通す。


 それは熱となり、力の奔流となり、なにかの中で膨れ上がり、爆発した。


 視界が白く塗りつぶされる。


 僕の身体も爆発に巻き込まれ、白い視界の中、もうあるかも分からない剣を強く握りしめる、そこにあると思い込む。

 握った柄の感覚も分からない。


 なにも、分からない。


 それでも、この剣だけは離さない。

 そう強く思い、僕の意識は消失した。

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