第2話 モブ兵士、初陣の始まり

 意識が覚醒する。

 視界はまだ揺れながらも、ゆっくりと色を帯び、ぼやけた輪郭をハッキリとさせた。


 僕の目に最初に映ったのは赤い空だった。

 不吉で不気味な空。濁った色の空。


 自分に何があったのか、何をしていたのか、少しずつ思い出してきた。


 どうやら僕は、仰向けに倒れているらしい…。


 うまく身体が動かせない。


 思うように動かない身体を意思の力でなんとか少し動かし、状況を確認しようと肘を支えに少しだけ身体を起こす。


そして視線を前へと向けたその時。


 息をのむ。


――目の前に広がるのは、死の嵐だった。


 怒声と懇願、様々な声が、叫びが戦場を満たしていた。


 死の嵐は、圧倒的な武力であり暴力、自分が今まで積み重ねたものを木の葉を払うかのごとく簡単に崩し、壊してしまう理不尽。


 何もかもが届かず、何一つ通用しない理外の存在、今自分がこうして生きているのは本当に単純な、奇跡なような幸運なのだろう。


 自分よりも遥かに優れていたオリバーも、憧れたヴァン隊長も、あっけなく、比喩ではなく文字通り粉々に死の嵐に飲み込まれ、血と臓物となっていた。


 そして今も、周囲の兵士達が、戦士達が、騎士達が、魔術師達がその命を散らしている。

 俊敏さで知られるの豹人族の戦士が、避けることも叶わずに肉塊となった。

 強靭で屈強なドワーフの騎士が、構えた大盾ごと、堅牢な鎧ごと両断された。

 熟練の魔術師が幾重にも張った、砲弾すらも跳ね返し、防げるであろう結界が紙を裂くかのように簡単に破られる。

 その魔術師も後ろにいた集団もまとめて薙ぎ払われ、飛び散り、肉塊となった。


 あまりにも、信じがたい、でもどうしようもない今がそこにある。


 ふと自分の身体を見る。


 右手には剣が握られていた、名工と言えるドワーフ達が打った名剣、ミスリル製の剣は半ばから折れていた。

 剣だけでなく、左手と右足は折れ、不自然な方向に曲がっている。

 なるほど、そりゃうまく身体が動かせない訳だ。

 

 呼吸をする度に血が混じり、溺れるような苦しさを感じる。

 おそらく肋骨も折れ、それが肺を傷つけているのかもしれない。

 大きく凹んだ鎧の下は、あるいはもっとひどい状態なのかもしれなかった。


 でも不思議と何故か痛みはほとんどなかった。


 付近に回復術師はおらず、そもそもいたとしてもこれだけの傷を治せる高位の術師など、そう簡単にいない。

 それこそ聖女でもない限り。


 だからこそ、間違いなく、逃れようもなく、僕はここで死ぬ。


 それが、現実だった。


 眼前で吹き荒れる死の嵐は、一度吹き飛ばした僕を再び飲み込むだろう。


 今も、周囲に死をまき散らしながら僕の方に急速に迫っていた。


 今の僕のように、運よく最初の一撃で生き残れた者も何人かいた。


 うめき声をあげながら、あるいは意識を失ったまま、理解したものもいれば理解できないまま、その死の嵐に飲み込まれていった。


 死にたくないとは僕も思う。


 だが、あまりにも突然であり、激動とも言える状況に、僕の心は全く追いついていなかった。


 どこか現実感が薄い中、今尚死を振りまく嵐が再び僕を飲み込もうとする。


その時だ。


 光が割って入り、死の嵐を弾き飛ばした。


 僕の横に光は軽やかに降り立つ。


 血と臓物の臭いが広がるこの死地に、清涼な空気と共に現れたのは、僕たちにとっての、いや人類の、全種族の希望の象徴。


 現代の伝説を刻む一人。


 ――勇者


 輝くような金髪が風になびき、白銀の軽鎧に身を包んだ、勇者セイン。


 僕の横に立つのは、勇者セイン・アルテミアスその人だった。


 彼女は、勇者セインは一度だけ僕を、周りを見た。

 周りの惨状を、死が満ちた戦場を、僕の状態を見た。


 一瞬美しい表情を曇らせた彼女だったが、すぐにその青い眦を死の嵐へと向けた。

 その時小さく彼女が「ごめんなさい」と呟くのが聞こえた。

 間に合わなかったことなのか、それとも僕を治せないことなのかは分からない。

 勇者も回復の術は使えるが、それは殆ど自己に対するものだ。驚異的な回復力も本人にだけ有効なことは周知の事実であり、それでも僕や周りを治せないことに申し訳なさを感じているのであれば、彼女は本当に優しい人なのだろう。


 そして僕もここでようやく初めて、死の嵐が何かを認識できたのだった。

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