45 オイカケッコ
「あの……捕まえるって?」
おずおずと問うたのはリッツである。
「言葉通りの意味だ、リッツ=パドガヤル。言い方を変えれば拘束する、縛り上げる、まあなんでも構わないさ。とにかく、私は諸君から逃げ回る」
物騒な話だ。
いやそれよりも、リッツが聞きたかったのはそういうことではない。
「ええと。今日明日って、今から明日の太陽が沈むまでずっとですか?」
「もちろんだ。昼夜も問わない」
あっけらかんとしてマティアは答える。
「……場所は?」
「そうだな……上級生の邪魔をするわけにはいくまい。ここから、演習場までということにしておこうか」
サラッと言ったが広い、広すぎる。
全員、唖然としていた。
「ああそれと、夜に諸君らが寮で休息を取るのは構わないが、その間に私が捕まればそこで級長は決まる。これは覚えておくように」
「あの……先生はどうやってお休みになるんですか?」
不安そうな顔で訊いたのはアンネロッテだ。
「ふむ、君は本当に優しいのだな。だが心配には及ばんさ、私はひと月程度なら野営の経験もある」
それはいつ、何の、どういう経緯からですか?
などとは誰も尋ねられなかった。
「……わかりました。とにかく二日間、僕たちは逃げるマティア先生を捕まえる。そして捕まえた者が二年間、このクラスを束ねる級長となれる」
やや達観したように、アスベルが話を要約した。
「その通りだ、アスベル=ロゴス=フィズ=マンスター。そして級長となれば、得られるものは名誉だけではない」
マティアの話によると、主任教導師の実質的な副官となる級長には、毎月の報奨金も支給されるのだとか。
衣食住など、一応生活面での苦労はしない訓練生ではあるが、貰えるものがあるとなれば俄然モチベーションも変わってくる。
とりわけ借金返済中のリッツにとっては、願ってもない話なのだ。たとえ微々たる額であっても、少なくとも「利息分」の足しにはなるだろう。
「給金を稼ぐのも、立派な騎士の本分だ! では、そろそろ始めていこうか」
その発声とともに、後ろからとある教導師が姿を見せた。何やら渋い表情をしている壮年男性だった。
「アマルガン先生ですね。あの方は、聖教国出身の法術士です」
隣のミリアムが教えてくれた。彼女を推薦した教導師とのことで、そういえばリッツも何度か見た気がする。
「大事なことを言い忘れていた。この訓練では協力、妨害、何でもありだ。己の知恵と力と、それから人脈。すべてを駆使して挑みたまえ」
後ろで控えていたアマルガンが大きく溜息をついたかと思えば、彼は携えていた木製の大きな杖を掲げて魔道の詞を囁いた。
「【
この場にいる訓練生全員に、淡い光が降りてくる。
ただ、体に変化は見られない。
「この術は?」
とリッツが問えば、
「そうですね、衝撃を和らげるというか……痛みからの保護を目的とした術、とでも言えばいいでしょうか」
法術士であるミリアムは即答した。
心得のある者には、詞と視覚だけでわかるものらしい。
「……なるほど」
ともかく、広い意味では「防護の法術」のようである。
わざわざ事前にそんな保険まで用いたということは、つまり皆が争うことを前提としているのだろう。
だが、もっとそれ以前に――
「もちろん、私もただで捕まってやるつもりはない。当然ながら『反撃』も覚悟しておくように」
こっちの方が直接彼らの安全にかかわる。
そういう配慮だったのかもしれない。
◆
悠然としたマティアの雰囲気はさながら立ちはだかる戦神であり、これから逃げ回る者の立ち姿とは到底思えなかった。
「さて。これから十を数える間に、各自で準備を整えておくといい」
逃げ手が提示するのもおかしな話ではあるのだが、
「一つ、二つ……」
ゆっくりと、指折りマティアは数え始める。
「なあリッツ、どうするよ?」
エリックが頭を掻きながら訊いてきたが、
「どうもこうも、俺はやるぞ。なんせ借金があるからな」
「あ、そうなの?」
意外と前のめりなリッツに驚いていた。
「でもまあ、せっかく目立つチャンスだし……なんかおもしろそうだよな!」
元来こういった祭りごとは好きなのだろう。段々と彼の表情にも、やる気がみなぎってきたようだ。
「七つ、八つ……」
追われる側だというのに目まで閉じて、その場から一歩も動かない。
しかも携えているのは、訓練用の剣を一本だけ。
「九つ……十!」
数え終えてマティアが開眼したその瞬間。二十余名の訓練生は、全員がほぼ一斉に飛びかかっていた。
「はっは! そう来なくては、おもしろくないものな!」
戦神は、やはり笑っていた。
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