43 遠乗り

 広い広いアリアン中央騎士団院の演習場を駆ける。

 竜退治で向かわされた森の方ではなく、平坦で見晴らしのいい草原を、借りてきた馬でザイールと二人で駆け回った。

 この草原では、実際に訓練で馬を走らせることもあるという。

 今からその日が待ち遠しい。手綱を握りながら、リッツはそんな気分になった。


「やっぱり、遠乗りは気持ちいいな」


 築山の上で馬を休ませながら、爽やかな汗を拭う。

 本当は弓でも携えて狩りなどできれば最高だったが、生憎と騎士団院の敷地での私的な狩りは許可されていないらしい。


「そういえばリッツ。お前さん、魔道実習を受けたらしいな」


 おもむろに、ザイールがそんなことを口にした。


「ん? ああ。結果は、知っての通りだけどな」


 リッツは馬のたてがみを撫でながら返事をする。


「……怒ってないのか?」

「俺が? なんで?」


 質問の意図を測りかねて、リッツはそのまま聞き返してしまった。

 ザイールは意外そうな顔をして、しかし笑うだけでそれから何も言わなかった。

 おかしな師の姿にリッツは一旦腕を組んで、


「いや、待てよ……? あんたなんで、俺に推薦入隊のことを黙ってたんだ」


 まったく別の話だったが、怒りと聞いてそんなことを切り出した。思わぬ方向からの切り口だったからか、ザイールは一瞬ポカンとする。


「はっはっは! そりゃお前、そんなもんがあるって知ったら、最初から真面目に努力なんてしなくなるからだろうが!」


 もう一度笑い飛ばしながら、至極まっとうな返答をされた。

 たとえ訓練生になっても、昇級できなければその未来に待つ騎士とはなれない。中途半端に入隊されても困るのだ――ザイールは弟子にそう告げた。

 リッツはぐうの音も出なかった。


「けど、あんたにこさえた借金の話だが……いったいどれくらい払えばいいんだ」

「ふうむ。たしかに、額は決めてなかったな」


 決めてなかったのかよ。リッツは内心で突っ込んだ。


「ルデール金貨八十枚。こんなんでどうだ? 後で借用書も書いてやる」


 古くからの歴史の名残で、アストニア大陸では「ルデール貨幣」と呼ばれる共通硬貨が市場で用いられている。

 金貨は銀貨二十枚、銀貨は銅貨二百枚と等しい価値を持ち、このうち街で一人が生活するのに必要な額は一日銀貨四枚ほどだ。

 つまり単純計算で、約一年分の生活資金をリッツは借金したことになる。


「賊討伐としては、妥当だろ?」

「う……まあ、返せなくもないけど……」


 十歳からここで働き始めていたリッツには、全く蓄えがないわけでもない。だが数字で示されると完済への道のりが遠いことも、同時に実感する額だ。

 先立つものが無ければ厳しい。


「だから騎士になって返せって話なんだよ」

「それはわかるけど……騎士って、そんなに稼げるのか?」


 素朴な疑問をぶつけてみた。


「……人によるな」


 煮え切らない。


「ちなみに、ザイールは?」

「俺は教導師として給金を受けているから……年に金貨二百枚くらいだ」

「に、にひゃく!?」


 ――俺の返済必要か?


 そんな思考も頭をよぎるが、約束したのはリッツ自身だ。

 反故にするのは道義に反する。


「もっと貰ってるやつもいるけどな。とにかくお前さんも騎士になれば、こんな金額さっさと返せるさ」


 だから早く一人前になれ。そう言ってザイールは、一足早く馬に飛び乗った。中等期の訓練生は今日が公休日ではないようで、これから指導に向かうらしい。

 忙しいことだ。

 そしてその去りぎわに、


「ああそうだ。リッツ、お前さん……『利息』って知ってるか?」


 などと言い残して、颯爽と築山を降りていった。


「利息……?」


 残されたリッツは、訝って一人呟いた。

 もとは辺境の村でのほほんと羊飼いを営んでいただけの少年が、そんなこと知るはずもなく。そして当然、この二年の間にザイールから習ったわけでもなく。


「まあいいか。後でエリックにでも訊いてみよう」


 とりあえずそのことは考えずに、リッツはひとしきり遠乗りを堪能して初めての公休日を満喫した。

 自室に戻った彼が真相を知って愕然としたのは、もはや語るまでもないだろう。

 悪い大人もいたものである。

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