第2節 訓練生
33 マティア=エイドリス
ミネは元気で暮らしている。
因縁の公爵ヴォルター=オールストンとの対話を経て、リッツは彼女の無事を知った。それだけで心が少し軽くなったような、そんな気がした。
「……さて、これからどうしたもんか」
はからずも、勢いに任せて公爵の後を追ってしまったわけで。
新訓練生がこの後どういう流れで行動するのか、それをまるで確認しないまま飛び出してしまったことに、一抹の不安を覚えるリッツであった。
◆
「入隊早々、さっそく行方をくらませるとは……いい度胸をしているな、貴様」
リッツの前で腕を組み、仁王立ちしているのは若い女の教導師。
ヴォルター公爵と別れた後のことである。
やはりどこへ向かえばいいのかさっぱりわからなかったリッツは、職員であるトオリル=チャッドに再び案内される形で、講堂の一室へとやってきた。
そこには当然、自分以外の新訓練生二十余名が全員揃っており、リッツは後からのこのことあらわれたことで、皆の注目を集めてしまった。
視線も、何もかも居心地が悪い。
しかも鬼の形相で立ちはだかっている教導師のオマケ付きだ。
「何か、申し開きはあるか?」
「ありません……すべて、自分の身勝手です」
公爵を追っかけて抜け出したのは完全にリッツ個人の事情であるため、申し開きなどできるはずもなかった。
鉄拳制裁、懲罰訓練、その他もろもろの覚悟もしていたのだが、
「……よろしい。だが、今後勝手な行動は慎むように」
予想していた代償の数々を課せられることはなかった。
だからリッツも、恐る恐る尋ねてみた。
「あの……何も、罰などは無いのですか?」
「貴様がなぜこんなことをしたのかは知らんが、過ちを認めて反省しているなら、一度だけは大目に見る。もっとも……罰してほしいのなら話は別だがな」
リッツは思い切り首を横に振る。振り過ぎて頭がフラフラするほどだ。
そんな様子に女教導師は溜息を吐いて、
「……言い訳などしようものなら問答無用だったが、私もそのくらいの人を見る目はあるつもりだ」
きっぱりと言い切った。
最初の形相からはおよそ想像もつかないほど、彼女は理性的だった。
すれ違えば人目を惹くような、凛々しく整った立ち姿。リッツはどこかで見たと思っていたが、この女教導師は竜退治の折、自分たちの救援に来た女騎士だ。
とはいえ、今はそれに触れるべくもないが。
彼女はリッツを講堂の一席に座らせた後、そのまま教壇に立って宣言する。
「ようやく全員揃ったな。私は、マティア=エイドリス。諸君らの主任指導官を務めることとなった教導師だ」
主任指導官。
各年齢でまとめられた訓練生には、それぞれ指導にあたる教導師が選抜される。その世代別指導の責任者となるのが、主任指導官だ。
訓練生は初等、中等、高等で各二年の昇級を経て十八になる歳に全課程を終えるので、アリアン中央騎士団院には六人の主任指導官が存在することになる。
マティアは、そのうちの一人というわけだ。
「諸君らが初等訓練生の間、私が責任をもって指導にあたる。教導師としてはまだ二年目の若輩だが、一つよろしく頼む」
とてもはっきりとした口調でものを喋る女性である。
加えて、一振りでカエルムドレイクに致命傷を与えるなど、まだ若いが相当な実力者であることをリッツはすでに知っていた。
ただ中には、それを承知していない者もいるようで、
「よろしいですか? わたくしは魔道の研鑽のために入隊したのですけれど……失礼ですが、マティア先生には魔道の心得があるようには思えません」
発言からもわかる通り、高飛車な女子訓練生がそんなことを申し出る。
しかしマティアは眉一つ動かさず、手元の紙きれに視線を落として何かを確認している様子だった。
「……ロザミー=フォン=ラインバック。ふむ、デニス貴族の令嬢か」
おそらく紙きれは名簿だったのだろう。女子訓練生は名乗っていないが、マティアは彼女のことを知っているふうに呟いた。
「確かに私は、魔術士でも法術士でもない。ゆえに私が魔道の講義で教鞭を振るうことはないだろうな」
「でしたらわたくしは、専門の方に師事願いたいのですが」
この女子訓練生は、要するに「主任を変えろ」と暗に言っているのだ。
不穏な言葉を重ねる彼女に、大半の訓練生は引き気味だった。もちろんリッツもそのうちの一人である。
ところが言われているはずのマティア自身は随分と落ち着いたものであり、特に動じている様子もない。
リッツの目には、かえってそれが不気味に映った。
「安心しろ。魔道の科目には、その道に秀でた教導師がしっかりと指導にあたる」
それでも女子訓練生は食い下がり、
「ですから――」
「くどい!!」
𠮟責が講堂全体に反響した。
まるでピシャリと戸や窓を打ったようで、問答に関係のない訓練生まで姿勢を正してかしこまる。リッツは耳に痛みすら覚えた。
教壇の上に立つマティアからは、激しい怒気も感じられ、
「……貴様、何か勘違いをしてはいないか? 訓練生は見習いだ。たとえ生家がなんであれ、それ以上でも以下でもない」
声は荒げずとも、内包された怒りが伝わる。
「魔道の研鑽? 立派なことだな。なら貴様は、今すぐにでも祖国へと帰るがいい。デニスには魔術学院もあるだろう」
「そ、それは……」
「できんのか? それはなぜだ、言ってみろ!」
姿勢よく直立したまま、マティアが強く詰問した。
ついさっきまで自信に満ちた表情だった女子訓練生、ロザミーは震えあがって押し黙っている。
「……そうやって気に入らない者をとっかえひっかえしていたのかわからんが、ここではそんなもの通用しないと思え。今の貴様らは、ただの未熟な小童だ」
女教導師の声以外、講堂には物音一つしない。
ここにいる訓練生は、ほとんどが貴族子弟や有力氏族の跡取りである。だからリッツのような平民、しかも孤児などはきわめて少数派と言えるだろう。
そんな家柄で育ってきた者たちであれば、このように面と向かって叱責される機会などなかったのかもしれない。
「さっき私がそこの少年……」
マティアがリッツにチラと目を向けた。
何か無言の意図を感じて、リッツもすかさず答える。
「リッツ=パドガヤルです」
「……リッツ=パドガヤルに対して寛容を見せたから、侮れるとでも思ったか? 答えろ、ロザミー=フォン=ラインバック」
「け、決してそのような、ことは……」
最初の威勢はどこへやら。
彼女はすでに泣き出しそうな顔をしていた。
「まあいい……だがこれだけは覚えておけ。我々教導師は諸君らの上官だ。私が右を向けと言えば右を向き、進めと言ったら進む。まずはそこからだ」
そのまま二、三歩教壇を歩くと、マティアの怒気は薄らいで、
「……代わりに教導師である私には、訓練生を導くという責任がある。諸君らが輝かしい『騎士』となれるよう励むのが、目下私に課せられた使命だ」
初等期の二年間、確かに預かった。そう言って言葉を締めくくる。
静まり返った講堂で、長い髪が陽光を映して煌めいた。
アヴァラン聖教の教義には「世の理を構成する概念は、十二の精霊である」と言及されている。その一柱「女神フランマ」という名を、リッツはふと思い出す。
かの精霊は炎を司り、猛き戦神、燃え盛る情熱とも呼ばれ、少年はまさしく眼前の女教導師、マティア=エイドリスの姿にそれを見たのだ。
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