27 アリアンの騎士
「やった……やったよ!」
「なんてこった。俺たち……百年竜を倒しちまった!」
意外と元気な様子のコルツと、魔力切れでしゃがみ込んでいたエリックが、二人同時に歓喜した。
「生きた心地が、しません……」
放心状態だったアンネロッテも、ようやく我に返ってポツリと漏らす。
そんな彼らの様子を一瞥しながら、リッツは大きく深呼吸して竜の目に突き刺していた得物を抜いた。
剣も腕も、というか全身返り血だらけだった。
炎に焼ける森と血のにおいは強烈で、それだけでむせ返りそうになる。
「リッツ! やっぱり君はすごいや!」
「ほんとお前……さすが、俺の見込んだ男だぜ!」
褒めそやしながら駆け寄ってくる二人にも、リッツは得意げになることはない。というより、なれなかったのだ。
「いや……実際、これはあんたらのおかげなんだ。何か一つでも狂っていたら……」
消し炭、八つ裂き。いずれにしても悲惨な形となっていたはずだ。
確かにとどめを刺したのは自分だが、それまでの完璧なお膳立てなくしてこの作戦を為しうるのは困難だった。
彼らが少しでも行動を間違えていたら、結末はまったく変わっていただろう。
それが彼の本心だった。
そんなリッツの様子を見て、コルツ、エリック、そして少し離れたアンネロッテが、一度顔を見合わせた。
「何言ってんだよ! どっからどう見ても、お前の手柄だろが!」
「そうですよ。あなたが導いてくれなかったら、この結果は得られませんでした」
「ぼくなんか、ただ真っすぐ走ってただけなんだから!」
なんなら少し呆れたように、三人は「百年竜討伐」最大の功労者を労った。
仲間の言葉に緊張が解けたのか、リッツは脱力する。
「はは、ありがとう。ああそれと……こいつが早々に奴の右目を潰してくれたから、っていうのもあるかな」
リッツが目を向けたのは、コルツの皮袋にすっぽり収まっている飛竜の子供だった。
脅威が去ったからか、子竜はのんきにあくびをしていた。
「そうだコルツ! そいついったい何なんだよ!」
「いや、この子は……そのぉ……」
「ふふ、まあいいじゃないですか。リッツも言うように、その子のおかげで道が拓けたわけですし……」
アンネロッテが微笑んだその時、リッツはふと周囲の異変を感じ取った。
「風……」
うねる空気と近づく気配。
まるで悪い予感を運ぶような、とてつもなく嫌な風だった。
「いや……まさか、そんな馬鹿な話……冗談だろ!?」
冷汗が止まらなくなる。
このような理不尽、あっていいはずがない。
「お、おい。リッツ?」
「全員、今すぐここから逃げ――」
同じ鳴き声、同じ羽音。
炎に照らされ映し出される、その忌々しい姿。
とうに闇夜へと変わっていた上空から一体、二体、三体と、斃したはずの巨大な竜が、次から次へと彼らの前に舞い降りた。
「……は? 嘘だろ?」
現実を疑うように、力なくエリックがこぼす。
虚脱感も無理はないのだが、けれどもさっきまで死闘を繰り広げていた相手のことを見紛うはずもなかった。
立て続けに現れたそれは間違いなく百年竜――カエルムドレイクそのものだった。
「あ、あいつらだ! あの飛竜を喰ったのは、きっとあいつらだよ!」
慄きながらコルツが叫ぶ。よく見れば竜の口周りは血に塗れ、さっきまで皮袋の中であくびをしていた子竜は打って変わって怯えていた。
事ここに至って、四人の少年少女たちが死力を尽くしようやく退けた大型竜が今、再び眼前に立ち塞がっていたのである。それも三体同時に、だ。
断末魔に引き寄せられた?
血のにおいを嗅ぎつけた?
そんなこと今となっては、もうどちらでもよかった。
待ち受けるのは、揺るぎない死。
押し寄せる不条理に、全員がそれを強く意識した次の瞬間だった。三体のうち一体のカエルムドレイクが、あらぬ方向を見上げて吼える。
「……なんだ? なぜ、あんなところ――」
リッツが思考するよりも一寸早く、それは起こった。
天から地へと、真っすぐに降る一条の光。
厳密には光の筋に見えただけなのだが、とにかくそれが上向きに吼えたカエルムドレイクの首と胴とを、バッサリ両断してしまった。
竜の首が、地面にずり落ちていく。
「よお……まだ、生きてるか?」
一歩、二歩と近づきながらその人が言った。それはどこかで聞いたことのある、低く割れたような声だ。
リッツは己の目と耳をすぐには信じられなかった。
けれども彼は紛れもなく自分の拾い主、そしていつか借りを返さねばならない男。
「……ザイー……ル?」
ザイール=チャガヴィその人だった。
「ああ。よくがんばったな、リッツ」
ポン、と肩をたたかれる。
この男と出会ってからというもの、ろくに褒められた記憶もなかった。それどころか毎日叩きのめされて、弱い自分を否が応でも自覚させられる。
自分が誓ったことではあるが、リッツにとってはとても苦しい日々だった。
「後のことは……俺たちに任せておけ」
そんな折から、ザイールの口をついて出た一言である。
騎士団院の救援が到着したのだ――師の短いねぎらいの言葉で、リッツはそれをようやく理解した。
「【
聞こえたのは、魔道の詞。一瞬何かが光っただろうか。
巨竜が吐いた炎で煌々と照らされる森の奥に、うっすらと人影も見えていた。
直後だった。
残る二体のカエルムドレイク。その体から放射状に光が伸びたかと思えば、光は連なって瞬く間に竜の全身を閉じ込めてしまった。
驚いた竜は足掻くものの、光の檻は強力でびくともしない。
「動きは封じた。マティア、後は頼むぞ」
「お任せを!」
人影の見えた方向から、誰かが駆けてくる。
リッツの目の前を疾走していったのは、年若い女。
「グギャアアァァ!」
竜が叫んだ。
けたたましい苦痛の叫びだ。
女は光の隙間からカエルムドレイクの懐に飛び込み、身動きの取れなくなったそれらの喉元に鋭い一太刀を浴びせたのだ。
二体の竜はびくびくと痙攣すると、そのまま崩れ落ちていった。
光の檻も、消えていた。
「こんなものか!」
女は堂々として胸を張った。
なびく髪が炎を反射し、艶のある輝きを放っている。目鼻立ちの整った顔と鎧姿も相まって、さながら戦女神を彷彿とさせた。
「ザイール。あまり一人で先走るんじゃない」
「……アマルガンか」
「まあ……教え子が心配だったというのはわかるがな」
「そんなんじゃねえよ。ったく、じじいといい、お前さんといい……」
後から現れてザイールと言葉を交わしたのは、リッツの模擬戦を担当した試験官であった。おそらく彼が魔道で竜の動きを止めたのだろう。
そして男のさらに後ろには一人の老兵。その老兵は、緊張と心労からすっかり疲れ果てていた四人の受験者を見つけると、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「若人たちよ。ここまで、よくぞ耐え抜いた」
歳を重ねた、けれども重みを伴ったよく通る声。少年少女たちの奮闘を讃え、慈しみさえ感じられる。
それでリッツは思い出した。少年の記憶が正しければ、この老兵は試験前に壇上で演説もとい挨拶していた人物ではなかろうか。
「あんた、もしかして……」
言いかけて、しかし無視できない異変に気付く。
また、魔獣の咆哮が森に轟いた。
突っ伏していたカエルムドレイクの一体が、息を吹き返したのだ。
その雄叫びは憤怒を帯びて、激しい憎悪に満ちていた。竜は怒りのまま這うようにしてこちらへと突っ込んでくる。
鋭い牙の生え揃う大顎が開かれた。
「じいさん、危ない!」
リッツは叫ぶ。
だが後方から迫りくる巨竜を視界に捉えても、かの人は身じろぎ一つしないどころか自然体で向き直っていた。
老兵は襲い来る竜の細長い首元に回り込むと、あろうことかそれを掴んで投げ倒してしまったのである。
カエルムドレイクは全身が細くしなるような、それでいて巨大な身体を持つ竜だ。その巨竜が背負い投げられて、ものの見事にひっくり返る。
その衝撃たるや、まるで地鳴りと勘違いするほどであった。
「う……そだろ……?」
リッツは呆然とするしかなかった。
手負いの竜は衝撃に、叫びを上げる間もなく絶命していた。
およそ人間の所業とは思えないが、眼前の老兵――アリアン中央騎士団院の総長オズワルド=バーゼルにとって、それは些細なことだったらしい。
何食わぬ顔で服の袖についた埃を払っていた。
リッツたちが四人がかりでイチかバチかの戦いの末、なんとか倒した百年竜。それを赤子の手を捻るがごとく、いとも容易く葬ってしまった。
総長だけではない。試験官も女騎士も、そしてザイールも。
すべてが規格外だった。
「これが……アリアンの騎士……」
己が目指す高みの凄さを目の当たりにしたリッツは、ただただ、圧倒されるばかりであった。
—――
ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。これにて第1章終幕、そして物語は第2章へと続きます。
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すでに評価を頂いております方々、感謝感激です。
お目汚し、失礼いたしました。<(_ _)>
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