24 百年竜

 野生の竜は、人も寄り付かないような高所を好んで営巣する。

 元来デニスという国は高い山々に囲まれており、それゆえに多くの竜が生息しているのだという。

 そんなデニスには竜にまつわって、とあるユニークな風習があった。それは固有の種族名とは別に、竜を「年」で呼び分けるというものだ。

 一年、十年、百年と、桁上がりに呼称が変わっていくのだが、それと同時に竜のも上がっていく。

 例えば試験でリッツも遭遇したワイバーンやレッサードラゴン。これらは一年竜と呼ばれ、最も格の低いものを表していた。


 では、このの意味するところとは?


「エリック! おい!」


 リッツは強い口調で呼び掛けた。ともすれば樹上で呆然としているエリックに、戻ってくるよう働きかけねばならない。


「しっかりしろ! 百年竜って、いったいなんのことだ!」


 呼ばれてエリックも急ぎ木の上から降りてきたのだが、その表情にはまったく余裕がなかった。


「胴のない竜、傷だらけの小隊……ああくそ! なんでもっと早く……姿が見えないから完全に油断した!」


 エリックが矢継ぎ早にまくしたてる。断片的でいまいち要領を得ないが、かつてないほど焦っているのだけは伝わった。

 そしてそんな様子から、リッツは出目が最悪だったことを悟る。


「とにかく……あれはダメだ!」


 刹那、夕暮れの森が一気に暗くなった。

 日没ではない。「何か」が頭上で覆いかぶさったのだ。

 コルツとアンネロッテも、ついでに皮袋の中に入っている子竜も、異様な気配に上を向く。


「あ、あわわわ……」

「そんな、こんなことって……」


 全員、あまりの存在感に圧倒されるしかなかった。


「チッ、もうお出ましか!」


 エリックが歯ぎしりする。

 彼のように直接視認したわけではないが、リッツもその存在を少し前から違和感という形で感知はしていた。

 かすかに聞こえた唸り声、そして風を切る翼の音。

 今にして思えば、それらはすべてこの竜が発していたものだったのだ。

 だがよほど遠かったのだろう。聞こえてくる位置がどうにも定まらず、それで気付くのが遅れてしまった。


「こ、こんな竜……いったい今までどこに隠れてたの!?」

「いや、隠れてたんじゃない。ただ飛び回ってただけなんだ。たぶん俺たちの誰も見えないような……遥か上空を」

「じょ、上空!? この試験中ずっと!?」


 コルツなどは、すっかり腰を抜かしてしまう。それでもリッツは毅然と立ち、目の前の脅威への推察を述べた。

 一小隊にあれだけ深手を負わせておきながら、誰からも存在を気取られないなど普通ありえない。ましてや負傷者に教導師が含まれているにも関わらずだ。

 であれば、想定の上を行っていたと考えるしかあるまい。


「カエルムドレイク……!」


 エリックが苦虫を嚙み潰したように吐き捨てた。


「それが、この竜の名前か?」

「ああ。このバケモンなら、空の上を飛び続けることだって朝飯前さ」


 前脚と一体化している大きな翼。尻尾の先から頭の先まで、しなやかな流線形が特徴的な細長い身体。先端にある頭部の顎には、鋭い牙も生え揃う。

 その竜は、一言で表すのならばワイバーンだ。

 しかしながら他のそれと決定的に違うのは、その体躯があまりにも巨大であるということ。これに尽きるだろう。


「こんな大きさで、空を飛び回っていたと言うんですか……?」


 そこかしこに自生する木々と同じくらいの高さを見上げ、アンネロッテが呆然と立ち尽くしていた。


「俺たちの想像なんて軽く飛び越えちまう。なんせこいつは、百年竜だからな」


 地上に降り立った巨竜――カエルムドレイクからはまだ、明確な攻撃の意思を感じ取ることはできない。

 しかしリッツの拳よりも大きな目玉が、ギョロギョロと彼らを回し見ていた。


「ね、ねえ。結局その、って……いったいなんなの?」


 コルツが恐る恐る尋ねた。

 するとエリックは、一層険しい顔になる。


「人が到達するのに必要な年数さ。その竜と渡り合える領域になるまでの、な」

「じゃあ……百年かかるってこと?」


 その答えはなかったが、乾いた笑いがすべてを物語っていた。

 ここにいる少年少女たちは皆十二歳だから、逆立ちしたって届かない。というか、百年もまともに生きていられる人間なんて、どれほどいるというのだろう。

 まったく、たちの悪い冗談だ。


「なるほど、馬鹿げてるな」

「……実際バカげてんだよ、竜ってやつは」


 舌打ちをしたエリックの首筋には、一筋の汗が垂れている。

 そのまま竜は低く唸りながら、頭をリッツたちの方へと近づけてきた。今にも吐息がかかりそうな距離だ。

 恐怖のあまりアンネロッテは目をつむり、コルツは声にならない悲鳴を漏らす。


「……やり過ごせる可能性は?」

「まず無理だろうな……ワイバーン種は気性が荒い」


 竜にとっては取るに足らない存在であろう少年少女だとしても、獲物を目の前にして逃がしてなどはくれないらしい。

 それでも、気を逸らすくらいならできるかもしれない。エリックがブツブツと企んでいるうち、ズラリと生え揃ったナイフのような牙が見えた。

 ついに大きな口が開かれたのだ。

 その時だった。


「あ、あ!? おまえ、ダメだよ!」


 コルツの皮袋に入っていた飛竜の子供が、顔を近づけてきたカエルムドレイクに強く反応した。警戒か恐怖か、とにかく威嚇しているようだった。

 そして幼いながらに甲高く鳴いたかと思えば、喉を震わせコルツの頭くらい、つまり自身と同じ程の大きさの火球を吐き出したのだ。

 火の玉はゴオと音を立てて、そのままカエルムドレイクの右目に命中する。

 驚きと衝撃で大きくのけ反ったのは、百年竜。

 だがそれも束の間、不意打ちに激怒したのか感情を爆発させていた。


「ご、ご、ごめん……お、怒らせちゃった……」


 コルツは半分涙目になって、仲間たちに謝罪するしかなかった。

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