17 昼食

「キミ、ちょっといいか?」


 模擬戦に無事勝利したリッツは試合の場から離れようとしたのだが、担当試験官に呼び止められてしまったので立ち止まる。


「なんでしょうか」

「彼を医務室まで運んでやってくれないか」


 彼、とはもちろんそこで伸びているヨハンのことだろう。

 壮年試験官の依頼にも、リッツは露骨にイヤそうな顔をしてしまった。もっとも、自分をあれだけ侮辱した輩を介抱しろと言われているのだから、拒否反応も仕方ないのだが。


「……キミと彼の間に埋まらぬ溝があるのはわかる。しかし『騎士』とは、時にそうした溝をも乗り越えなければならないものだ」


 予行演習だと思ってくれ――試験官は静かに、そして諭すようにしてリッツに投げかけた。その言葉は真摯なもので、リッツも渋々ながら従うしかなかった。



 言われた通り、リッツは医務室へヨハンを送り届けた。

 その間、彼はずっと気絶したままだった。

 目が覚めたとき、あろうことか自分がリッツに運ばれたと知ろうものなら、たぶん屈辱のあまりもんどり打つことになるだろう。


「まあいいや。俺には関係ない」


 自分としては頼まれごとを遂行しただけなのだから、余計なことは考えなくてもいい。

 そこで「ぐぅ」とリッツの腹の虫が鳴った。


「……そういや、もう昼か」


 道理で腹も空くはずだ。

 今朝、出がけにバラットから弁当を貰っていたのを思い出す。

 試験中は中央棟にある大講堂や、中庭などが受験者のために開放されている。それらのうち、医務室から近いのは中庭だ。

 最後の試験は午後からなので、ここらで昼食をとっておいた方がいいだろう。リッツは足早に中庭を目指した。


「ははは……いくらなんでもこれは多いよ、バラット」


 腰を落ち着けて特製弁当のふたを開けると、その量に思わず苦笑した。

 肉、肉、野菜にまた肉、魚。ギュッと敷き詰められていた。しかも茶色の要素がかなりを占める。

 パンを片手に食べるにしても、おかずの量があまりに多い。


「食べきれるかな……でも、残すのはもったいないぞ」


 考えてみれば、騎士団院の炊事場では食材に困ったことはなかった。

 おかげでリッツも食いっぱぐれたことはなかったが、それは同時に、この地の豊かさを象徴するものだ。


「わあ、すごいや! ごちそうじゃないか!」


 キラキラと目を輝かせた少年が目の前に立っていた。しかし話しかけられたものの、別に顔見知りなどではない。

 ただ、ヨハンのように害意があるわけではなさそうだ。むしろ人畜無害な印象を与えるような、ずんぐりとして図体の大きい素朴な男子だった。

 とはいえ身なりは、他の受験者同様に小綺麗である。


「あ……急にゴメン……君のごはんがあんまりおいしそうだったから、つい」

「いや、別に構わないけど……あんたは?」

「あ、あ、ぼくはコルツ。コルツ=アルバートだよ。君と同じ受験者さ」

「ふうん……俺はリッツ=パドガヤル。よろしく」


 リッツは彼、コルツを上から下まで観察した。「同じ受験者」といっても喋り、雰囲気、体型と、どれをとっても洗練さのカケラもない。

 ありていに言ってしまえば、貴族のボンボンそのものだった。


「……で、コルツ。少し食べるか?」

「いいのかい!?」

「ああ、ちょうど多すぎて困ってたんだ。むしろ助かるよ」

「やった! ありがとう!」


 物欲しげな目を察してそう提案してみると、コルツは弾けんばかりの笑顔でお相伴に預かっていた。

 なんとなく、リッツは故郷で飼育していた馬のことを思い出した。

 もちろん他意はないのだが。


「けどあんた……昼飯、食べてないのか?」

「い、いや……食べたんだけど、少~しだけ足りなくて……」


 その「少し」がどれほどなのかは知らないが、バラットが作ってくれたせっかくの料理だ。リッツにとっても、無駄にするよりは誰かに食べてもらえた方がよほどいい。


「ごちそうさま! ああ~、次はいよいよ『実践』試験かあ……」


 コルツは分けてもらった弁当をペロッと平らげてしまった。そして食べ終えるや否や、彼の表情はみるみるうちに沈んでいく。


「発表まで、何が出題されるかわからないんだっけな」

「うんうん、そうなんだよ。まあ……ぼくはそれまでの試験も散々だったけどね」


 筆記に関してはリッツも他人事ではないのだが、落胆しているコルツの様子には失礼ながら、そうだろうな、といったところだろうか。

 もしかすると彼は「家の事情」から受験に送り出された者なのかもしれない。


「しかし実践、か……」


 ザイールにもわからない、その年独自の試験という話だった。


                   ◆


 受験者たちが各々昼休憩を取っている頃のこと。

 試験官の教導師たちが会議室に集まって、何やら喧々諤々と言い合っていた。


「午後からの実践試験だが……やはり少し過酷すぎやしないか?」

「何を今さら。だいたいそれを決めたのは、お前たち上級教導師ではないか」

「……私は筆記試験の担当だ。それに今回の実践だが、ギュンター殿が半ば強引に決められたのだ。合議も経ていない」

「では、そのギュンターはどこへ行ったのだ?」

「もう次の試験の準備に行かれた」

「話にならんではないか!」


 あまり穏やか、とは言い難い雰囲気だ。

 とりわけ慎重に意見しているのがリッツの模擬戦を担当した壮年教導師で、そこに不満を述べているのは、ヨハンの課題試験で槍を交えていた中年教導師である。

 他にも教導師たちが歴々と、椅子に腰かけている様子だった。

 その中にはザイールの姿もある。


「良いではありませんか。『騎士』の任務は多岐に渡ります。実際こんなことだって、そのうちあるかもしれませんよ。くくく」


 湿っぽい雰囲気の教導師が、これまた湿っぽい口調で笑う。


「アルノルド卿……貴方の提案した模擬戦も大概なのですよ? あえてルールを後出ししろだなどと、だからと陰口を言われるのです」

「何か言いましたか? アマルガン殿」

「……いえ」


 アマルガンと呼ばれた壮年教導師は、短くため息を吐いた。


「はっはは! まあ何かあったとしても、あたしらがなんとかしてやるよ!」

「ええ。微力ですが、受験者の安全は守ります!」


 年若い女性教導師の姿もあった。

 しかし教導師という特殊な立場ゆえだろうか。ここにいる者たちの中には、一部を除いて騎士らしい騎士というものがほとんど見当たらない。


「まったく……皆、気楽なものだ。総長、どういたしましょう」

「ふむ。試験内容をここに至って覆すことはできまい。各個配置につき、異変のなきよう十分注意を払うのだ。なに、案ずることはない……」


 ここはアリアン中央騎士団院なのだから――総長オズワルドは力強く言い切って、会議はそこで打ち切りとなった。


「リッツ……こりゃあどうやら、大変な試験になっちまったみたいだぞ」


 会議中、腕を組んで黙って見ているだけだったザイールが、天井を仰いで独り言を呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る