16 決着
運が良かった。たまたま休憩時間と重なったのだ。
おかげで愛弟子の試合が見れる。
「……試験官ってのも楽じゃねえな。まったく」
ザイールが訓練場の端で、やれやれといった雰囲気で一息ついていた。入隊試験の間、教導師は試験官としての役目があるため一日中忙しいのである。
試験内容を決定するのは上級教導師の専権事項だが、一般の教導師も当然労働力として駆り出されるのが通例だ。
そしてご多聞に漏れず、ザイールもその任に就いていた。
「お、そろそろ始まるな。相手は……セルバンテス家のお坊ちゃんか」
彼が目で追っていたのは、とある少年の動向。その合否で自らの稼ぎが変わるかもしれないのだから、頑張ってもらわねば困るのだ。
もっとも自分が鍛え上げたのだから、実力についてはさほど心配もしていない。
「くくく。あいつも厄介なヤツと当たったもんだな」
セルバンテス家の血統主義は有名な話だった。ただそこまで力のある家柄というわけでもなく、家人も往々にして凡庸というイメージが強い。
それがこうして入隊試験に受験者を送り出したということは、あのヨハンという少年はよほど期待されているのかもしれない。
実際、課題試験の腕前は冴えていた。
「まあ……お披露目の相手としては、もってこいだろ」
ザイールはほくそ笑んだ。
「ザイールよ、休憩か?」
「じじい」
「総長と呼べと、いつも言っておるだろうに……」
「へいへい。総長閣下」
オズワルドが渋い顔をした。彼は先ほど、観客席から降りてきたところだった。また試験の様子を眺めていたのだろう。
「ずっとブラブラしているが、じじいは暇なのか?」
「……口の減らぬ奴だ。だがまあ、試験中は私の出番もないのでな。こうして未来ある若者たちが励んでいる姿を見ておるのよ」
「やっぱ暇なんじゃねえか」
「はっはっは!」
オズワルドは悪びれもせず笑い飛ばす。多忙な教導師たちとは打って変わって、総長ともなれば悠々自適といったところか。
「……あれが、そなたの秘蔵っ子か?」
視線の先には、しなやかな体つきをしたスラヴァ人の少年が一人。今まさに模擬戦に臨み、相対する少年と舌戦を交えつつ間合いをはかっている様子だった。
「そんな、大それたもんじゃねえよ」
興のない言い方をすれば債務者である。
もっとも、ここまで己が面倒を見てきたという背景を考えれば、ただの「債権者と債務者」という関係には留まらないだろう。
「ふむ。山犬らしくないではないか」
「……野良犬だって、拾っちまえば多少の情も移るだろ」
「はっは。まあそれでも、ああして受験させているのだから一貫してはいるか」
ザイールは総長の言葉を否定も肯定もしなかった。
そうする間に模擬戦は、互いに斬りかからぬままの探り合いになっていた。
「して……そなたの見立てはどうなのだ」
「どうって?」
「〈平原の山犬〉自らが、手塩にかけて育て上げたのだろう? それに見合う力はついたのか、ということだ」
「はは、未熟も未熟……まだまだ半人前だよ。なんたってガキなんだからさ」
伊達に稽古つけちゃいない――そう言わんばかりのザイールの反応にも、オズワルドは白髭をさすりながら黙って聞いている。
まるでこの話に続きがあると、わかっているかのような様子だった。
「……三勝九十六敗」
おもむろにザイールが呟いた。
「……? はて、それは何の勝敗だ?」
脈絡のない数字に、老総長は頭の上に疑問符を浮かべる。
「リッツ……あのガキの模擬試合での成績だよ。俺があいつを拾ってからのな」
「なんと、ほとんど負け続けではないか」
総長も意外そうな顔をするが、
「……当たり前だ。なんせ対戦相手は、すべて俺なんだからな」
「そなたも容赦がないのう……」
「はは、実際あいつも相当きつかっただろうぜ。挑んでも挑んでも打ち負かされるんだ。なんなら故郷の村で死んでた方がマシ……そう思ったこともあったろうさ」
手加減なしだった。間近でリッツの心が折れかける様を何度も見てきたザイールだからこそ、彼の言葉に脚色などは一切ない。
「うむ、だが――」
ニヤリと意地の悪い笑顔を向けるオズワルドに、ザイールは反射的に同じような表情で返した。ただ、口元は少し引きつっていたが。
「ああそうだ……負かされたんだよ。十かそこらの小僧に、この俺が」
「それも三回も、な」
追い打ちをかけるように付け加えられ、ザイールも少しだけばつが悪そうにしながら、ぼりぼりと頭を二、三回掻いた。
「……最初は当然まぐれだと思ったさ。けど二回目もあればさすがに疑念を持つ。そんで三回目で……確信に変わった」
「ほほう、それはどのような確信だ? 申してみよ」
オズワルドの問いに感嘆とも畏怖とも表せないような、ザイールは何とも言えぬ神妙な顔つきになった。
「っの! 外道がっ!」
そんな折、膠着状態だった模擬戦が動く。
痺れを切らしたヨハン少年が、挑発に乗って勢いよく踏み込んだのである。
同時にリッツも下げていた剣の先を素早く切り返し、全身を使って捻るように刀身を大きく振り上げた。
構わずヨハンは突っ込んで、そのまま剣を下から上へと、思い切り薙ぎ払う。
「くたばれ! 蛮族!」
体重の乗った重たい一撃だった。剣は訓練用なので鋭い刃がないとはいえ、一発もらえば昏倒するのは間違いないだろう。
ただし――
「戦いの『勘』……ってやつなのかね。あのガキ、それが図抜けてやがる」
当たっていれば、という話ではあるのだが。
渾身の薙ぎは空を切って、代わりにいつの間にか振り下ろされたリッツの剣が、ヨハンのうなじを襲っていた。
「があっ……!」
ゴツン、と鈍い音がした。
首の後ろへ会心の一撃をまともに浴びて、ヨハンは地面に叩きつけられる。
あまりの勢いから顔面をまともに強打したようで、その後は突っ伏したまま動かなくなってしまった。
「……殺しては、いないよな?」
尋ねたのは、壮年試験官。
「当てたのはつかの部分ですから。しばらく起き上がれないかもしれませんが、死んではいないと思います」
ゆっくり大きく息を吐いたリッツが、質問に答えていた。
「そうか。ともかくこれで勝負ありだな……では、そこまで!」
落ち着いた発声のもと、模擬戦の終了が宣告される。
「……さて、それじゃあ下っ端教導師はせっせと働きますよっと」
弟子の戦う様を見届けたザイールは、大きなあくびを一つしてから、緩慢な動きで元の持ち場へと戻っていった。
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