第2節 入隊試験

11 敵意

 少年少女らは、皆それぞれに期するものがあったのだろう。

 騎士団院の総長オズワルド=バーゼルの言葉によって、参集した受験者たちの士気は瞬く間に高揚した。

 リッツもこの日のために乗り越えてきた二年という歳月を、喪った母や故郷のことを思うと、内に秘めていた熱い感情が呼び覚まされるようだった。

 ところがほどなくして、その熱意は一旦しぼんでしまうことになる。

 なぜなら最初の試験というのが、リッツの最も苦手とする「筆記」だったからだ。


                  ◆


「落ち着け……大丈夫だ。最初から予想していたことじゃないか」


 自らに言い聞かせるよう、リッツは人目もはばからず独り言をこぼす。つい先ほど、はじめの関門である筆記試験が終わったところだった。


 さすがは、王都が誇るアリアン中央騎士団院――とでも言うべきか。

 試験は一番大きなな館である中央棟、その中にある大講堂で行われたのだが、一人一席の机と椅子が用意され、受験者二百余名の全員が同じ空間で試験を受けた。

 解くのに必死だったからリッツも細部まで記憶してはいないが、その机や椅子、そして筆記用具に至るまで、日常で使用しているものとは造りが違う。

 壁や天井にも意匠が凝られており、試験など抜きにして一度ゆっくり見学してみたいと思うほどだった。


「……アヴァラン聖教の十二精霊の名前なんて、知ってるわけないだろ!」


 それでは、肝心の筆記試験の手応えはどうだったのかといえば、リッツの様子から芳しいとは言い難いようである。出題された設問の一つに悪態づいていた。

 実はそれに限って言えば過去に幼馴染から教わっていたのだが、当時の彼はそんなものまるで興味がなかったので、すっかり忘却の彼方だった。


「けど、わかるところはすべて埋めた。答えにも自信はある」


 彼自身も言うように、リッツは決してしくじったというわけではない。むしろよく解けた方だ。ただ、学ぶ時間があまりにも足りなかった。

 もっと言えば、読み書きもできない村の羊飼いでしかなかった少年が、たかだか二年で貴族や富裕層の子らに並ぶ知識を詰め込むなど、それ自体に無理があったのだ。


「切り替えろ……! 次の試験で挽回するんだ」


 昼は働き、夜は鍛錬を積む中でここまで解けたのだから、何も悲観することはない。リッツは自分に発破をかけた。

 次は技術。己の強みを活かすのはそこなのだ。


「……極東の蛮族め。お前なんかが騎士になんてなれるものか」


 試験会場となっている訓練場へそろそろ向かおうと廊下を歩いていた矢先、吐き捨てるような台詞が聞こえてきた。

 もともと耳のいいリッツではあったが、これは明らかに聞こえるように言っている。そしてそれが自分に向けられたものであろうことを、彼はすぐに理解した。

 なぜなら極東――スラヴァ人の受験者など、自分しかいなかったからだ。


「……何か言ったか?」


 別に聞き流してもよかったのだが、生憎と今のリッツは筆記試験を終えたばかりで、少し気が立っていた。

 声の主は探すまでもなく、すぐ後方に立っていた。


「おっと、聞こえてしまったか。やっぱり野蛮人は地獄耳だな」

「なんだと」


 赤みがかった髪を後ろ側だけ刈り上げた、つり目の少年がそこにいた。

 あれだけ堂々と言っておいて、白々しいにも程がある。


「田舎者、それも極東の未開人に騎士だなんて、おこがましいって言ったんだよ!」


 あからさまな敵意。背丈が同じ程なので、目線もまったく同じ位置だ。

 もちろん知り合いなどではない。

 一方で、この少年の目には既視感があった。より正確に言うならば、この少年のような眼差しをした者たちのことを、リッツはよく覚えていた。


「しくじった……『そっち側』のやつか」


 相手には聞こえないように、ごく小さく呟いた。

 王都に来てからの二年間、リッツは騎士団院の炊事場で働いていた。

 給仕長のバラットと、その孫娘であるメーファ。そこでの仕事仲間は、自分も含めて皆スラヴァ人だ。

 客のほとんどは訓練生か騎士であり、だいたいは目の前に運ばれてくるボリューム満点の料理のことしか見ていない。

 しかしながら、たまにのだ。

 特定の家柄に連なる者以外を、あるいは異邦、とりわけ聖教の外からやってきた民を、過剰なまでに厭う輩が。

 おおらかだった故郷の村では経験したことのない、謂れなき憎悪。はじめの頃、リッツはそれに大きく戸惑った。


『んなもん、無視だ無視! いつか隙を見て背中から蹴飛ばしてやりゃあいい!』

『じいちゃんの言う通りだね。相手にするだけ損だよ』


 二人の同胞は口を揃えて言っていた。

 この少年は、おそらくそうした連中と信条を同じくする者なのだろう。だが同胞の金言を破り、今回は相手にしてしまった。


「どうした、さっきから黙り込んで。聞こえなかったか? それとも図星で何も言い返せないのか!?」


 髪の色と同じ赤い目が大きく見開かれ、リッツに圧をかけてくる。

 さっきからうるさいな――リッツも段々苛立ってきた。

 バラットの言う通り、蹴っ飛ばしてでもどかすべきだろうか。しかしこんなところで騒ぎを起こし悪目立ちするのだけは御免被る。


「そこの受験者二人、何をしているんだ。次の会場へ移りなさい」


 リッツが悶々としていたところで廊下の先、少し離れた場所から男の声がした。たぶん試験官の教導師だろう。

 よく見ると、受験者と思われる少女が近くで事情を説明しているようだった。


「……聞こえただろ。もうあんたの言う通りでいいから、俺は先に行くぞ」

「なっ! おい、逃げるのか! この野蛮人!」


 これはしめたと、リッツは強引に話を打ち切ったのだが、あしらわれたことがよほど気に食わなかったのか、赤髪の少年はまだ吠えていた。

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