10 挨拶

 あくる日、早朝。

 リッツは騎士団院の中央棟、その正面に構える大きな広場に立っていた。大理石材を基調とした荘厳な造りで、立派な噴水も備えている。

 ついに、入隊試験が始まる。


 リッツはざっと周りを見渡した。

 当たり前だが、自分と同じ年頃の少年少女がズラッと並ぶ。おおむね二百人以上はいるだろうか。そのだいたいが、自分と違って小綺麗な格好をしていた。

 そこでザイールの言葉を思い出す。


『入隊試験の合格者は、例年二十人かそこらだ。対して受験者は二百人を優に超える。つまり単純に考えて、十人に一人以上は落ちているってことだな』


 なるほど、ザイールの言う通りだった。

 げんなりしそうだったが、しかし彼はこうも言っていた。


『玉石混交……受験者の中には、そもそも絶対に合格できないようなやつも平然と混ざっている。だから数に惑わされるな』


 その言葉を不思議に思ったリッツは、なぜそんな連中がいるのかと問うた。

 するとザイールは答えた。


『家の名誉や見栄のために、子弟を入隊試験に送り込むやつらが一定数いるんだよ』


 当然そういった輩は厳しい鍛錬など積んでおらず、まったく雰囲気を感じない。

 言われてみれば、この場にそぐわぬ体型をした貴族のボンボンらしき者も、ちらほらと見受けられる。

 もちろん、見た目だけで判断するつもりはないが。


「……わけがわからないな」


 リッツはポツリと呟いた。

 あと少しで試験が始まるだろうか。広場が徐々に緊張感に包まれてきた。


「よっ! 何がわからないんだ? お前も受験するんだろ?」


 そんな折、突然話しかけられた。

 思わずリッツが声の主に怪訝な表情を向けると、隣には人懐こい笑みをした少年が立っていた。リッツよりも少しだけ背が高い。


「わりぃわりぃ。急に話しかけてごめんて、そんな顔するなよ」


 色素が薄めの、顔立ちの整った少年だった。だが他の受験者と比べて装いは質素だ。しかも身に纏う衣服もなんとなく、この辺りのものとは違っていた。


「あんた……誰だ。この辺の生まれじゃないな」

「お、聞いてくれたね? じゃあ答えよう。俺はエリック。エリック=ベンジー。何を隠そう、デニスの出身さ」

「デニスだって? ずいぶんと遠いな」


 この二年でザイールから習ったことの一つに、アストニア大陸の地理がある。

 バレリウス王国から遥か離れた西の果て。山岳地帯の一角に、そんな名前の小さな国があったはずだ。

 一見すればただの小国だが、かなり特異な性質を持っていた。

 それというのが――


「魔術士ってのは全土で希少価値が高いだろ? 売り込みだよ、売り込み!」


 そこは魔術国とも言われており、魔道の研究が盛んな国なのだ。

 騎士団院の入隊試験は王国内にとどまらず、各国から将来を嘱望されている徒弟たちが集う。それはザイールからも聞いていた。

 このエリックという少年も、多分そうなのだろう。


「……ご大層だな」

「なんだよ釣れないなあ……お前、名前は?」

「リッツ。リッツ=パドガヤル」

「そうか、いい名前だな! なあなあその髪、そういうお前はスラヴァ人だろ?」

「……そうだけど」


 どうにも馴れ馴れしいヤツだな――それがこのエリックという少年に抱いた、リッツの第一印象だった。


「静粛に。アリアン中央騎士団院に参集した少年少女諸君、ご苦労である」


 少しざわついてきた空気の中、おもむろに締まった声が響き渡る。受験者全員の視線が一斉にそちらへ向けられた。

 決して通るような声ではないにもかかわらず、皆の注目を一声で集めた。

 これはおそらく、魔術による拡声だ。


「これより、本年における入隊試験を執り行う」


 広場から見て中央棟に上がる階段の上、その壇上に声を発した教導師と思われる男は立っていた。遠くて少し見にくいが、声質からしても厳しそうな壮年の男だ。

 場の雰囲気は一瞬にして、この教導師に支配されたのである。

 そして周囲にはいつの間にか、他の騎士団院関係者も並んでいた。もちろんザイールの姿もそこにあった。


「……それでは入隊試験に先立ち、オズワルド=バーゼル総長閣下から御挨拶を賜る」


 男は受験者たちが静まったのを確認し、一礼してから下がった。次いで「総長」と紹介された人物がゆっくりと前に出る。

 晴天の下、揺れる鎧と衣装の擦れる音、そして足音だけが耳に入る。


「白髪に白髭、白眉毛……結構じいちゃんなんだな、総長って。でもでっけえや」


 隣のエリックがボソボソと独り言を呟いていた。


「皆の衆、よくぞ王都マルトリウスへ……そしてこの、アリアン中央騎士団院へと参られた。歓迎しよう。私が総長、オズワルド=バーゼルである」


 重厚で威厳を感じる声。緩やかに、けれどもはっきりとした喋り方だ。

 先ほどの教導師と違って拡声魔術など使っていないであろうに、しっかりとこの広場全域に肉声を行き渡らせている。


「まさに前途洋々。今年も『騎士』を志す若人が、あまたいることを誇らしく思う。同時に今日までのそなたらの努力にも、心からの敬意を送りたい。眩しい限りだ……老い先の短くなってきた私には、そなたらが全員輝いて見える」


 人の言葉には、自然と場数が現れる――ザイールにそう教わった。

 果たしてこの人物がいくつになるのかはわからないが、彼の言葉はうわべを飾ったものではなく、受験者一人一人に向き合っている。

 少なくともリッツはそう感じた。


「だが今日は……そんなそなたらの行く末を占う大一番となるやもしれぬ。なぜならどんなに望もうと、栄光は一握りの者にしか掴めぬからだ」


 そこで好々爺、という雰囲気の総長が纏っていた空気が変わる。そして一呼吸の間を空けて、立ち並ぶ受験者たちを一瞥した。


「競え! 志ある者たちよ、己が力で道を拓け! そして存分に名を揚げよ! 天高く、星々にまで銘を刻まれる『騎士』となるがよい!」


 私からは以上だ、そう言って総長は下がっていった。

 水を打ったように静まり返った広場は、しかし次の瞬間には誰からともなくパチパチと手を打つ音が鳴り始める。

 それは次第に喝采へと変わり、あっという間に受験者たちの歓声に包まれていった。


「はは、こりゃすげえや」


 エリックが感嘆を漏らす。すぐ隣だからなんとか聞こえたものの、その声はほとんど歓声にかき消されていた。


「こんなの挨拶どころか演説だろ。みんなやる気になっちまった」


 総長ともなれば人を乗せるのも技の内なのか。ともすれば玉石の「石」と思しき者たちまで、士気が昂ぶって腕を高らかに掲げていた。


「……いよいよ、始まる」


 決してというわけではない。だが内側から、ふつふつと闘志がこみ上げてくる。

 リッツにも、その確かな感覚が宿っていた。

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