9 二年後

 季節は巡り二年が過ぎた。

 リッツにとっては、まさしく怒涛の二年間だった。

 武器の扱い、武術に体術。二回りほども歳の離れたザイールが手心を加えずに相手をすれば、まだ子供のリッツでは当然打たれ、いなされ、倒される。

 しかもそれだけではない。

 文字が読めないでは話にならん――と読み書き全般を筆頭に、基礎的な算術から王都での処世にまつわる雑事まで、頭を使うことも数多く教え込まれた。

 そうやって手を変え品を変えての鍛錬、鍛錬、また鍛錬。

 これは確かに「身体に染み渡る」。

 加えて――


「ほれリッツ! こいつは三番テーブルだ、持ってけ! それから次は八番で、あとそいつは十二番だぞ!」


 厨房で大きな鍋や包丁を縦横無尽に振るっている大柄なオヤジが、リッツに顎で指示を飛ばす。食堂は腹を空かせた騎士や訓練生でごった返していた。


「はいはい。ったく、人使いの荒い……」

「リッツ、返事は一回だよ!」

「はい!」


 少し年上で短髪の少女に𠮟咤され、背筋をピンと伸ばした。

 リッツは自らの食い扶持のため、騎士団院の給仕場で働いた。それを条件にザイールのもとで居候をしているのだ。

 そんなこんなで昼は勤労、夜は鍛錬。これを来る日も来る日も繰り返す。だから一日が終わる頃、リッツはもうへとへとだった。


「しかし二年も経てば……様になってきたなあ、おい!」

「あはは! ほんと、来た頃は皿の一つも満足に運べなかったのにね」


 オヤジがバラット、少女の方をメーファという。二人は祖父と孫娘で、驚いたことにリッツやザイールと同じスラヴァ人だった。

 もともとは草原の民だったが、若い頃にバラットが王都に移住してここで働き始めたらしい。今は騎士団院の給仕長で、炊事場を切り盛りしている。

 素性の知れない孤児であるリッツがこうして居付くことができたのも、このバラット=チャッドがザイールと馴染みだったからというのが大きかった。


「……おかげさんでな」


 一仕事終えてまかないを食べながら、リッツはぐったりと相槌を打った。


「がはは! スラヴァの民は同胞を見捨てない!」


 多少の皮肉も込めたのだが、このオヤジには通用しないようだ。


「いよいよ今年なんでしょ?」

「ああ」


 メーファの問いに短く答えた。

 十二歳になったリッツは、ようやくアリアン中央騎士団院の入隊試験を受けられる。誓約を果たすためにはまず、それを突破しなくてはならない。


「駄目だったら、またここで働けばいいさ!」

「ちょっとじいちゃん! 縁起でもないこと言わないでよ!」

「いや、すまんすまん」


 孫に叱られたバラットは頭を掻いた。


「まあ……持ってるものを全部出し切れれば、お前なら大丈夫だ」

「ここでの仕事も、少しは修行に役立ったんじゃない? いけるいける!」


 二人の励ましはリッツを奮い立たせた。

 たしかに過酷な二年間だった。それでも新しい土地や環境に順応できたのは、彼らが気さくだったからだ。

 家族と故郷を同時に失い心に深い傷を負ったリッツにとって、たったそれだけのことだが、これほど心強いことはなかった。


「……試験を通っても、たまにここで働かせてくれよ」


 どうせ同じ敷地に住んでいるのだ。それくらい容易いことだろう。

 バラットとメーファも、屈託なく笑い返した。


                   ◆


 入隊試験の前日。


「では、明日の確認だけしておこう」


 いつものようにザイールとの鍛錬に臨んだリッツだったが、さすがに今日は軽めに体を動かすだけで終わった。


「まずはおさらいだ。試験内容を言ってみろ」

「筆記と技術、それから実践」


 リッツも当然、すぐに答えた。


「そうだ。このうち筆記は……まあ期待しない方がいいな。お前さんも頭は悪くないんだが、いかんせん読み書きを最近覚えたというのが痛い」


 入隊試験を受けるのに、身分や出自は基本的に不問である。だが筆記という分野があるためか、どうしても受験者は貴族子弟や裕福な者になりがちだった。

 彼らはほとんどが幼少から読み書きを学んでいる。

 そこの苦手意識は、リッツも自覚するところだった。こんなことなら、ミネにもっと教えを請うべきだったと何度後悔したことか。


「捨てるべきところは捨てろ。その代わりお前さんには、俺との二年間がある」


 リッツが輝くのは技術。これは簡単に言うと受験者の力比べだ。得物を用いていくつかの課題をクリアしていく。そこには模擬戦も含まれる。

 もともと弓には自信があった。そしてそれ以外も、この二年で飛躍的に上達した。ザイールの「教導」は厳しかったが、その分リッツを強くしたのだ。


「模擬戦は全員行うが、他は自分の得意なことを選べばいい」


 いろいろ触れたがリッツの手に馴染んだのはやはり弓と、それから剣だった。時間を見つけて母の形見をよく振っていたからだろう。


「最後に実践だが……」


 いつも豪放なザイールが、少し歯切れ悪そうにした。


「……ザイールにも、わからないんだろ?」

「ああ。入隊試験はそもそも上級教導師の領分でな、俺みたいな一般教導師は当日に知らされるんだ」


 だからこればっかりは俺にもわからん――彼は半笑いで言い切った。

 過去には魔術書を制限時間内に解読するだの、聖教に伝わる精霊の彫刻を彫るだの、わけのわからない試験もあったらしい。

 とりわけ魔道に関してリッツはからっきしだったので、その手の試験が出ないことだけを祈るばかりだった。


「当然だが……」


 そう前置きして、ザイールが言葉を紡ぐ。


「試験中、お前さんに肩入れすることはできない。通過するための技や知識は教えてきたが、その先は自らの手で掴み取れ」


 それから「ダメだったらバラットのところで一生雇ってもらえ」と、件の人物とまったく同じことをのたまった。


「いや、それじゃ借金がまるで返ってこないな……どうするかな……」


 またザイールは一人でブツブツと呟いていた。もっとも、耳のいいリッツには全部丸聞こえなわけだが。

 とにかく泣いても笑っても、明日が入隊試験の当日なのだ。

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