誓いの節

4 凄腕

 あれから一週間が経った。

 なんとなく、毎日がぼんやりと過ぎていく。弓の稽古こそ怠らないが、リッツの気分は曇ったままだ。

 そんな息子の様子を初めは見守るだけだったマデリンも、とうとう見るに見かねたらしい。この日、リッツはお使いに出されることになった。


「なんでもいいから、村でおいしいものを買ってきなさい」


 リッツは適当な指示だな、と思ったが素直に従った。

 だがまだ春の初めだというのに、そう都合よく買えるだろうか。


「まあ……何でもいいか」


 それが母なりの気遣いであることもわかっていた。とりあえず、リッツは村で唯一の酒場に向かってみることにした。


                   ◆


「聞いたか? 凄腕の傭兵の話。二、三日前から来てるんだってよ」

「公爵様の次は傭兵かよ、うちの村も賑やかになったもんだな」


 ちげえねぇ、と言って男たちは笑い飛ばす。

 まだ日のあるうちから見知った農夫たちがエール片手に飲んだくれているが、一部の不良農家などは仕事をさぼってこんなことをしている。

 収穫に影響が出ても知らないぞ、そんな気持ちでリッツは彼らを流し見た。


「ようリッツ、めずらしいな! お使いか?」


 口々に声をかけられるので、リッツは適当に返しておく。それにしても酒臭い。

 まだ子供のリッツが酒場に来るなどつまみ出されそうなものだが、客も店主も顔見知りなので気にする様子もなさそうだ。

 腸詰肉とパンを適当に見繕い、それから母のために酒を買った。

 正直これなら家の羊を一頭捌いた方が、よほどごちそうになりそうなものだが。


「あれ……誰だ?」


 酒場の奥に、初めて見る男が一人。村の農夫らと愉快そうに飲んでいる。


「んあ? おおっ……!?」


 そこでリッツはしまったと思った。目が合ってしまったのだ。


「ぼうず、ぼうず! こっち来い!」


 これだから酔っぱらいは嫌いだ――胸の内でため息を吐いたが、近づいてリッツは目を丸くした。


「なあなあ、お前さん。同族だろ!?」


 それは彼が、自分と同じ漆黒の髪色だったからだ。

 男は上機嫌に声を張る。しかし乱雑な長髪と無精ひげに、リッツは少しだらしのない印象を受けた。


「おっさん、スラヴァ人か」


 男はまあな、と言って破顔する。

 ここより遥か東の果て、故郷を出でて同族に出会えたことに、よほど喜びを感じたのだろうか。ことさら上機嫌になった。

 神父よりはまだ若そうだが、酒焼けしたのか低く割れたような声だった。


「ぼうず、歳は?」

「十歳」

「かあ、若い! 名前は?」

「リッツ」

「いい名だ! 部族は?」

「……パドガヤル」

「パドガヤル……中原の出身か! 俺は都市部の……」

「あーもう! いっぺんに聞くな! 一気にしゃべるな!」


 矢継ぎ早にまくしたてられ、リッツは困惑して叫んだ。男もすまんすまんとは言うが、笑うだけでまるで反省していない。

 それにしても、しなやかだが力強い体つきの輩だ。

 よく見れば顔や腕には傷の跡も見える。


「あんたもしかして、そこのおやじたちが話してた凄腕の傭兵って……」

「おうとも、そいつぁ間違いねえ! 人呼んで〈平原の山犬〉ザイール=チャガヴィ様たぁこの俺のことよ!」


 豪語するとその男――ザイールは、仰向けになって倒れてしまった。

 それを見て周りの客もゲラゲラと笑う。だがよほど金払いがよかったのだろうか、店主は見て見ぬふりだった。


「どんだけ飲んでたんだ……」


 リッツは隙を見て、そそくさと酒場から退散した。

 傭兵ザイール。凄腕という話だが、酔っぱらっていて雰囲気を感じなかった上に、通り名にしてもあまり強そうではない。

 正直、変なおっさんくらいのイメージしか抱かなかった。


「……そもそも、平原なのに山犬っておかしいだろ」


 リッツは食糧片手に独り言ちた。


                   ◆


 その日の晩。

 買ってきたパンと肉を頬ばりながら、リッツは酒場で出会った「変なおっさん」の話を母にしてみた。

 聞けばマデリンも村でその男、ザイールのことを耳にした――というよりは、同じスラヴァ人だったため関係性を尋ねられたようだった。

 そこで「知っているのか」とリッツが問えば、


「……スラヴァって、とても広いのよね」


 などと独特の言い回しに終始するマデリンだった。

 要するに彼女も知らないのだ。

 そして驚いたことに、あれだけ飲み潰れていたはずのザイールは、夕方にはもうケロッとしてそのまま村を発ったらしい。

 回復の速さだけは確かに「凄腕」なのかもしれない、とリッツは思った。

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