第2話

  どのぐらい経ったか、シラフは目覚めた。起き上がってみると、おじとホルチの寝床が空だった。綿の漏れた布団の中で、ジガとアギが頭を合わせて、つやつやと寝ていた。薄汚れた顔からも無邪気な幼さがみとられる。こんな小さい子供がどうしてここに来てしまったか。やせ焦げて、かわいそうだった。もっとアギの顔は血の気がなく、息までが弱かった。

  「かわいいだろう」というホルチの声が聞こえてきた。シラフ振り返ると、ホルチは低い扉をくぐって入ってきた。彼は手に何個かススメの卵大の石炭のような物を握っていた。

  「どうして彼らまでがここに来ちゃったの」シラフは、アギとジガを一目見て、ホルチに尋ねた。

  「誰が分かるもんか」とホルチは軽くため息を付いて、一つの黒いものをシラフに渡した。

  「何?これ」シラフは黒いものを回して見ながら聞いた。それは硬くて、皮の凸凹が手を傷めるほど荒かった。

  「もうそろそろお腹が空いてきただろう。食べて。一日の料理だ」とホルチはそのものをかじり始めた。

  「何だと?これを食べるの」シラフは目を見張って、驚きの声を上げた。

  「木の種だ。火の国にある全ての食べ物の中でこれだけが本物だぞ」とホルチは頬張りながら言った。

  「街にそんな多くのおいしそうな料理屋がいるのに、こんなものを食べるとは…」シラフは信じがたく口ごもり、黒いものを横に置いた。

  「あそこの料理屋で食べると、君が何かを売らないといけない。すると、家に帰るところか、君が誰だかも忘れてしまうよ。このものは石のように硬くて、味もないが、君に力を与え、完全な体で家に帰せるから」とホルチは真剣な声で言い、シラフの横に置いた木の種をかんだ。すると、鈍い音が出て、その物が二つに割れた。ホルチがそれをシラフの掌に置いて「街で売っているすべての物に手を出すな。すると、家に帰らなくなるから、しっかりと覚えておけ」と言った。

それから、ホルチは、残った二つの木の種を小さく切ってから、アギとジガのマフラーの先に置いた。シラフは、おずおずと木の種をかんでみた。それは、硬いだけではなく、木の皮のように苦い上に、ねばねばとした味がするのだ。あごが疲れるまでかんでも、柔らかくなることはなかった。シラフが全ての我慢と意地を取り出しても、食べきれずに、残りをポケットに入れた。

  ホルチは、素早く食べ終わってから、外出する準備を始めた。彼はジガの服から、一個のボタンを切り取って、ポケットに入れた。

  「何をしに行くの」シラフは、ホルチの動きを変に感じながら聞いた。

  「家に帰る準備はまだ整っていない。まだいくつかのものを取り戻さないと」と、ホルチはシラフを見て「ジガとアギと三人で留守番して。どんなことがあっても、家から出るな」と慎重に言った。

  「僕も手伝おう」シラフは昨夜おじとホルチの話を思い出しながら言った。

  「危ないよ。君は何でここに来たか、ちゃんと考えてみて。それさえ分かれば家に帰られるよ」とホルチは、靴の紐がきつく結びながら言った。その動作は、戦闘に入る軍人のように真剣だった。

  「僕も行こう。一人より、二人で力を合わせれば、何とかなるだろう。それに、君が僕を助けたように、僕も力になりたいよ」とシラフは真面目に言った。

  「一緒に行けば、確かに手助けになると思う。だけど、決してやってはいけないことがあるから、僕の言った通りするんだぞ。いいか」とホルチはしばらく考え込んでから言った。

  「分かった」シラフは息を深く吸った。これから何をするかさっぱりだが、簡単ではないことをホルチの真剣な目指しが物語っていた。ホルチに付いて家を出たシラフはびっくりした。何と外は夜のままだった。彼らの小屋は窓がないため、すっかり昼になったと思っていた。

  「まだ夜明けていないの」シラフは周囲を見回して聞いた。暗闇の中からがらくたのような建物がぼやけて見え、ほっそりとした静けさに包まれていた。

  「昼間は既に過ぎたよ。今は次の日の夜だから」ホルチはさりげなく言った。

  「何だと?僕は一日ずっと寝ていたの」シラフは目を見張った。

  「ここの人はほとんどそうだよ。みんな昼間があることを知らない。夜だけ目覚めている。君が昼間を思い出しているなんてすごいぞ」とホルチは意外と言わんばかりの顔をした。シラフは訳を分からなかった。昼間が知らないってどういうことか。もうちょっと訳を聞くつもりだったが、その暇はなかった。ホルチは、まるで伝染病が流行っているところに行くかのように、マフラーで顔を覆い、目だけ出して、にぎやかな街に向かった。シラフも彼に倣い、マフラーをきつく巻いて、後ろに付いた。街中に人々が混み合って、相変わらず商売でにぎわっていた。変な店の看板や立ち並んだ札を除けば、この街は、美味しい料理や山のような宝物にあふれた美しい街だった。ホルチは、これらに目もくれずに進み、高い建物一階にある大きな店の前に立った。その上に「火の国一の百宝店」という巨大な看板が掛けられてあった。また、高いところからぶら下げられたいくつかの立札に「顧客の喜びは我らの喜びだ」、「火の国一高い値段の記録保持者」、「あなたの魂、人格、時間、愛で抱え切れない多くの宝物を交換できることをご存知か」という文字が見える。ホルチは、すぐに入らなかった。シラフを連れて、街の反対側にある大きな柱の裏で立ち、店の中をしばらく観察した。すると、親しみにある人影が見えた。なんとおじが、中部屋から出てきて、カウンタに立ち、あれこれ拭くのだった。

  「おじを知らないふりをするぞ」とホルチは呟き、シラフを連れて店の中に入った。彼らが、カウンタに近付いたかいないか中部屋から目のくらむほど金一色に染められた太った女がぶよぶよと出てきた。彼女の付けたピアスやイヤリングが耳や顔を覆い、ネックレスが首を隠し、ペンダントとブローチが胸を占めていた。それだけではない全ての指が金一色の指輪に埋もれ、腕にも数多くのブレスレットがはめられていた。彼女が体を動く度にそれらのアクセサリが金属のぶつかる音を立て、キラキラと眩しかった。シラフの目がくらみ、痛くなった。

  「気を付けて。黒魔女に」とホルチはシラフにだけ聞こえる声で呟いた。これは     「黒魔女」というより「金色の魔女」と言ったほうがふさわしいではないか、とシラフは目をまばたきながら思った。黒魔女は、目をホルチからシラフに移して「あら、新しい顔ぶれだな。今年のか」とカウンタの後ろから体を乗り出して、二人を欲深く嗅いだ。それから「何を売るか」と目を光らせた。

  「値段によって、何を売るか決めたいの」ホルチは、シラフを引いて後ずさりした。

  「うちの店は、大きさでも、値段の高さでも火の国一だぞ」と黒魔女は、金属のぶつかる音を立たせながら、ぴかぴかとした腕を上げて、自慢そうに親指を立たせた。

  「本当に?」ホルチは声を上げて「だったら、僕は詳しく計らせてもらいたい」とカウンタの中に小山のように積まれた彩りの宝石を眺めながら言った。

  「賢い子だわ。君は想像も付かないたくさんの宝石をもらうぞ」と言ってから、黒魔女は、おじに向かって「金の鏡を持ってこい」と命じた。

  「ここはうるさいな。話がはっきりと聞こえないけど」とホルチは、道路の向こう側にあるもう一つの大きな店へ目を走らせた。それを見た黒魔女は、慌てて叫んだ。

  「坊や、焦るな。中へ入ろう。倉庫の中は静かで、大きな鏡があるから」とホルチを中へ案内した。

  「おい。君、腹が減っていると言っていたな。ここはかなりかかりそうだ。向こうの店に行って売れば」とホルチは黒魔女に付いて行きながら、シラフに向いて叫んだ。それを聞いた黒魔女は氷の呑み込んだように立ち竦んだ。彼女は首に付けて金色のカギに触りながら「待って、坊や。いい値段を上げるから、ここで売れば」と言った。

  「もう待てない。お腹が空いてたまらないから」とシラフはホルチの教えたとおり、お腹を押さえながら反対側の店へ歩き出した。すると、黒魔女は慌てて叫んだ。

  「分かった。分かった。これはどうだ?同時に計ろう」彼女は店員たちを疑わしく見回してから、目をおじに止めて「君を一番大人しいと信じているから、一刻も離したことのない宝物を持たせているぞ。倉庫を開けて、この子を計ってやれ」と言った。そして泣き出さんばかりの顔で首に付けていた金色のカギを取り、いかに愛しく唇を付けて「ちょっとだけ…ちょっとだけ…」と口ごもりながらおじに渡した。それから険しい目でおじを睨んで「私の物に手を出せば、君を永遠に闇に閉じ込むぞ」と一言一言で吐き出した。

  ホルチはシラフを一目見てからおじに付いて倉庫へ行った。シラフは彼らの背中を見ながら、一人で狼の巣に残されたようにぞっとした。彼はホルチの言っていたことを思い出して、さらに緊張した。彼の話では、ジガが火の国に来たばかりの時、黒魔女のくれた一個の餅を食べて、お返しに健康を奪われたという。「もし黒魔女が倉庫に入った隙間に、おじが、ジガを街角に隠しておけなかったら魂まで取られただろう」とホルチは怒りに満ちた顔で言い続けた。「彼女は、火の国一の狡猾で、強欲なものだ。」それから、ホルチが慎重な顔で「一番気を付けるのは、彼女に何も約束しないことだ。僕が出てくるまで、彼女を止めればいい。おじと二人で何とかしてジガの健康を取り戻すから」とジガの服から切り取ったボタンを見せて緊張気味に言った。話によれば、もし何かを約束してしまえば、体に付けてあるボタン、指輪や服の切れなどに約束のものを付けて取るそうだ。ジガの健康を彼のボタンに付けて取ったのをおじは見たので、同じボタンを探せばいいらしい。「しっかりして。何も約束しないこと。ホルチたちが出てくるまで、黒魔女を引き留めること」とシラフは何度か自分に言い聞かせた。

  「新鮮そのものだ」というきもい声が耳に響き、シラフはびっくりした。いつの間にか、黒魔女は彼の背後に近付いてきたのだった。彼女は、飢えた目でシラフの頭から足まで詳しく見ながら興奮を抑えきれずに叫んだ。店の中で騒いでいた人々はしんとし、シラフを見た。彼らの目に、羨ましさと嫉妬があふれていた。

  「坊や、一瞬でお金持ちになるぞ。全身が宝だったことを今日知るぜ」と痩せこけた老人が唾を飛ばして話した。

  「ぼけ、邪魔するな。まだ何で来た?売れるものがあるか」と黒魔女は老人に怒鳴り付けた。

  「寄生虫め。わしのようなものがいなければ、君のようなものが生きられるか」と老人が勢いよく言い返した。

  「何だと?寄生虫?誰と話していると思うか。出て行け」と黒魔女は唇を震わせて叫んだ。

  「誰?自分の名前も知らないくせに?外に何と呼ぶか。黒魔女め」と老人はまだまだ負けない口ぶりだった。

  「黒魔女?私…私…」黒魔女は言うことを見つからず、怒りに満ちた声で「名前なんか知らなくても、君のような何もないこじきよりはましだ」叫んで、老人を店から掘り出した。店に騒いでいた人々は、見物する目付きで、面白げに笑ったり、ガヤガヤと呟いたりするのだった。

  再び店に入ってきた黒魔女は喘ぎながら、突然本業を思い出した顔でシラフに近付いた。シラフは、彼女の険悪な顔付に怯え、後ずさりした。

  「坊や、来いよ。これを食べながら話そう」と黒魔女は、顔色を一変させ、カウンタの中から白い皿に盛った餅を取り出してきた。なぜか、餅の匂が、シラフの鼻を喜ばせ、食べたくてたまらない気持ちになった。彼は思わずに手を伸ばした。前に置かれた鏡に、人々が彼をひそかに見ているのが映った。最も、黒魔女は、息を潜めて待っていた。それは、まるで猫がネズミを狙っている時と似ていた。シラフは、はっと我に返り、ホルチの話を思い出した。

  「何を上げても食べるな。全て餌だぞ。もし食べたら、何でも彼女の欲しい物を上げなければならないから」と言った話が耳にひびき、シラフは手を引いた。

  「いやだ」シラフは、全身の力を振り絞って目線をほかのところに移して言った。

  「これは火の国一のおいしい料理屋のお餅だぞ。本当に食べないの」と黒魔女は、餅をさらにシラフに近付かせた。シラフは「これを食べたら、家に帰らないぞ」と自分に言い聞かせながら、お皿を押し返した。

  「こんなおいしいものを食べないとは…」黒魔女は唾を呑み込みながら、皿をカウンタに置いて「何を売りたいの」と思いのまま行かなかった不満を顔に出して聞いた。

  「値段を聞いてから決める」シラフは言葉を慎重に選んだ。本当に少しだけも油断すれば、騙されそうで、掌に汗がかいた。黒魔女がシラフを鏡の前に立たせて、詳しく見た。

  「魂、健康、愛を売れば、ここにあるのを全部あげよう」と黒魔女はカウンタの内側に積んである大きな金銀の山と宝石の山を指さした。

  「どんな幸いか」隣に立っていた中年女が叫んだ。

  「もう一つの新しい記録になるか。これまでこんな高く付いた人はいないぞ」若い男が興奮に満ちた声で「チャンスを逃すな。こんなときに、早く売れよ。僕らのような古い浪人は、全部を売ってもこんなに付かないよ」と言った。人々の騒ぎで、シラフは慌てて、これからどうやって時間を延ばすかと思い、ホルチたちの入った扉を見た。人影がなかった。

  「聞いたか。火の国でこんな高い値段をあげるのは、私しかいないぞ。では、これで…」と黒魔女は高慢な顔で言いながら、シラフの首に付けたマフラーを取ろうとした。

  「待って」シラフは後ずさりして、マフラーを彼女の手から引き取った。

  「何だと?本当に売る気か。それとも冗談しているか」と黒魔女は怒りっぽく言って、シラフを疑わしく見た。

  「全部を売るつもりはない」シラフはできるだけ落ち付いた声で言った。

  「何を売る気か。仕事の邪魔をするな。君だけじゃないから」と黒魔女は、何か思い付いたようにホルチとおじの入った扉をちらっと見た。

  「その…その金をもらうには、何を売ればいいか」とシラフは先の大きな金の山の横にある小さな金の塊を指した。

  「それは、親の愛で買えるわ」と黒魔女はすぐに答えた。彼女は、このような商売に熟練しているようだった。

  「親の愛でこれだけもらうの」シラフは思わずに驚きの声を上げた。

  「君は十歳ぐらいだからな。もし二十歳になったら、これの二倍ぐらいぞ」と黒魔女は八百屋がジャガイモを売る顔で平気で話した。

  「これをあの子に渡せ」黒魔女は、隣に立つ店員に言い渡した。

  「いいえ。待って」とシラフは慌てて言った。だが、彼の声が彼女の耳に届かなかった。というのは、いきなり一人の若い女が店に駆け込んで、シラフを横に押し飛ばしてから「誠実な愛はいくらか」と喘ぎながら叫んだ。

  「その子が先だ」と黒魔女が言いかけたところ、若い女は彼女の話を遮って「せっかく心を決めたところなの。早く売りたい。じゃないと…」と道路の向こう側の店を一目見た。黒魔女は、客が向こう側の店に行くのをよほど嫌いらしく、女を銀色の鏡の前に立たせた。そして「一箱金と一箱宝石」と叫んだ。

  女は薬指にはめてあった指輪を黒魔女に渡して、店員のくれた金と宝石を受け取りながら「誠実な愛がなければ、私たち後でどうなるだろう」と呻いた。

  「心に愛がなくても、体が宝石で飾られるぞ」と黒魔女は冷たく笑い、女の指輪を壁に掘った黒い穴へ投げ込んだ。

  それを見たシラフは、恐れを抑えきれずに、混雑する人々の間を抜き店を出ようとしたところ、流れ込む人々に押されて、まだ鏡の横に立たされた。だが、黒魔女は、彼のことを構う余裕はなかった。今度は、中年の夫婦が、鏡の前に立ち、彼らの時間と健康を売った。黒魔女は、いかに気前がいいか、まだ高い値段を上げた。囲んでみていた人々は、喜びの声をあげ、彼らを祝福した。夫婦は、一瞬に老けた体を重そうに動かし、金銀と宝石を入れた大きな箱を運びながら「我が家は使え切れない財産を手に入れたな」と喘いだ。

  「来い。もじもじするな。商売はこのようにするもんだ」と商売のうま味にはまった黒魔女は目を赤らめて、唖然と立ち竦むシラフに向いて叫んだ。シラフは、我に返って、逃げ出そうとしたところ、何人かの店員に囲まれて、黒魔女の前に押し出された。

  「冗談するな。ここに入ってきて何も売らず出られると思うか」と黒魔女はカウンタの中から一枚の紙を取り出して「指を押させ」と命じた。すると、店員たちが駆け寄って、シラフの指を紙に押させようとした。シラフが懸命にもがいていると、突然一つの拳が飛んできて、店員たちをばらばらに倒し、彼の手から引っ張って走り出した。ホルチだった。彼らは、いくつかのブロックを走り抜いて、店員の追いかけを危うく逃げ切った。

  「すまない。危険な目に合わせて。思っていたより時間がかかったな」とホルチは息絶え絶えに言った。

  「大丈夫だ。ぎりぎりだったけど」シラフも息を重ねて言った。彼はまだブルブルと震えるが、何も売らずに済んでほっとした。そして「どうだった?見つけたの」と肝心のことを聞いた。

  「なんとか見つけたよ」とホルチは、ポケットから同じ形のボタンを二つ取り出して「これでジガは家に帰れるぞ」とうれしく言った。それから、湧くようににぎわう赤い街を眺めて「これからおじとアギの失くしたものさえ見つければ」と呟いた。

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