第43話 ぺんぺん
「先ほどは大変ぶしつけなことをしてしまい申し訳ございません…」
「いやいや、俺もまともに感想すら言えず、こちらこそすいません…」
イタリアンカフェの入る雑居ビルを出た俺たちは、ビルの目の前の歩道でお互いに頭を下げ合った。周りの通行人からしたら不思議な光景だろう、ブロンドの美少女が秋葉原の歩道で男に頭を下げ、男も頭を下げているのだから。
未だに自分の左頬には、ついているソースを彼女が指でぬぐい取った感触が残っている。もう顔を洗いたくないとまで思ったが、こんな気持ちの悪いことを口にしたら絶対に引かれる自信がある。口を真一文字に結び、一瞬出かかった言葉を飲み込んだ。
そんな感じでお互い10秒ほど頭を下げ合ったところで、なぜかお互いフフフ、ハハハと笑い出してしまった。周りの通行人からしたら不思議な光景だろう、ブロンドの美少女が秋葉原の歩道で男と一緒に急に笑い出したのだから。
「もーおかしいんだから!いきなり男の人の頬についたソースを指で取って食べちゃうなんて本当に私何をしてるの…!」
「俺のセリフだって…!あはは、天王寺さんが指でぬぐい取ってきた時、俺心臓止まりそうになった…!」
「ご、ごめんね…。フフフ…アハハ!私こんなことしちゃうんだ…!」
はあ、はあと笑うのに疲れ苦しそうな表情を一瞬浮かべた彼女に、俺は近くの自販機で買ったペットボトルの水を渡す。彼女は何度も頭を下げながら一気に水を口に含み、一息ついてようやく落ち着いた様子を見せる。
「はあ、はあ、お水ありがとう葉太郎くん…!助かった…。あー、私、こんなに楽しいの初めて…!」
「俺もだよ…。最近こんなに笑ったことないもん」
「…でもさっきの気持ち、本当だからね?」
「さっきの気持ち?」
「うん。この前、危ないところを助けてもらったお礼。どこかで返したかったんだ。まだまだ返し足りないんだよ?」
「ああ…。でもさっきも言ったようにさ、あれは俺たちのミスだから」
「ううん。ミスじゃないよ。ちゃんと私を助けてくれたじゃない?普通さらわれたら恐怖感でもうどうにもならなくなると思うんだけど、なぜか私、ちょっと冷静な部分があったんだ。もちろん怖かったけど、3人が助けに来てくれるんじゃないかっていう謎の自信みたいなものがあったの。そうしたら本当に助けに来てくれた」
「…ほんと、間に合って良かったよ」
「葉太郎くんたちが来てくれた時のあの安心感、本当に言葉では言い表せないくらいなんだ。葉太郎くん、本当にカッコ良かった」
好きな女の子に笑顔でかっこ良かったと褒められるのが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。嬉しさのあまり脳みそから変な分泌物が出るかと思ったほどだ。
たぶん俺はここが秋葉原の路上じゃなかったら、ここで彼女に告白していたかもしれない。
今告白したらうまくいきそうな気もしたが、そもそも俺たちの失敗で彼女に怖い思いをさせてしまったのだから、それにつけ込むようなことはしたくない。俺はグっと言葉を飲み込んだ。
たぶん俺と天王寺さんの間には、これまで薄い壁のようなものがあった気がする。どことなく互いに遠慮のようなものがあったし、気恥ずかしさのようなものがあった。
しかし今回のイタリアンカフェの一件でその壁が取り払われたような感覚を受ける。彼女の前で自然と笑えるようになったし、彼女の笑顔もより自然な感じに見える。
それからはもう楽しい秋葉原ウォークだった。気になるキャラクターショップがあればそのたびに入り、目を輝かせている彼女を見ているだけでも幸せな気分になっていく。
俺の想像の何倍もアニメ、マンガに詳しかった彼女は、自分の好きな作品のプレゼンもしてくれた。今までこうやって自分の"好き"を思い切り、気兼ねなく話せることはなかったのだろう。
途中スイーツを買い食いして、飲み物片手に秋葉原の路地をうろつく。普段土日は護衛任務や浮気調査になることが多かっただけに、こんな楽しい土日は人生でも初めてだ。
路地をうろつくこと10分ほど。出口のすぐそこにあったゲームセンターに入る。彼女はゲームセンターを見るのも初めてらしく、入る前からテンションが上がっていた。
「葉太郎くん見て!スーパーヨシオカートがある!凄いなあ、だいぶ前に一度だけお友達の家でやらせてもらったけれど、ハンドル付きのあんな大きい機械、初めて見た」
「あれ対戦もできるけど、やってみる?」
「対戦できるの!?やる!負けないんだから…!」
空いていたレーシングゲームの席に隣同士座ると、コインを入れて早速レースが始まっていく。世界的人気キャラであるヨシオを選んだ彼女は、さすがに初めてやる分ゲーム慣れしておらず、何度もコースアウトし、そのまま崖から転落していく。
それでもよほど楽しかったようで、終始笑顔。途中持っていた甲羅が俺の運転するカートに見事ぶつかった瞬間、その場でハンドルから手を放し、両手を挙げて「やったぁー!」と叫んでガッツポーズする。
ハンドルを放したことでコントロールを失った彼女のヨシオはそのまま崖から転落していった。グッバイ、ヨシオ。
エアホッケーに興じ、メダルゲームでお菓子を落としてはしゃぎ、プリクラを撮ろうとねだられたことで一緒にプリクラまで撮った。
「ほら!葉太郎くんちゃんと前向いて!もうカウントダウン始まるよ!」
「そ、そんなこと言ってもこれは恥ずかしいって…!」
「いいから!はいピースして!」
『3!2!1!』
「はいチーズ!うん、葉太郎くんもいい笑顔でいい写真!これ、あとで香月ちゃんや蔵之介くんにもあげよーね」
「やめてくれ…。香月にこのプリクラ見られたら俺は1カ月はネタにされ続ける…」
「えー?カッコいいのになあ。…フフフ、いいよ、このプリクラは私たちだけの内緒」
そう言って天王寺さんは優しく微笑むと、プリクラを1枚剥がし、スマートフォンのケースを外してその内側に貼り付け、再度ケースを取り付けた。
「じゃん!これなら香月ちゃんや蔵之介くんにもバレないよ!葉太郎くんもカバーの裏に貼ってくれない…?」
再度懇願するような表情を浮かべられたら、これは貼らざるを得ないだろう。この顔で頼まれて断れない男はいないと思う。
俺は自分のスマホケースを一旦外し、彼女と同じようにプリクラをケースの裏に貼り付けて、再度ケースを付け直した。「えへへ、これでお揃いだね…!」と笑う彼女の笑顔が眩しい。
ゲームセンターを満喫し、そろそろボルダリングへ移動しようかという話になったところで、ふと、出口の近くで彼女の足が止まった。
視線の先を追いかけると、そこには少し大きめの、高さ30cm、幅も30cmくらいの真ん丸なペンギンのキャラクターのぬいぐるみが入ったクレーンゲームが置いてある。
「ぺんぺん…」
「ぺんぺん?ああ、あのペンギンか。そういや香月がこれと同じくらいのサイズのぬいぐるみ、持ってたな。天王寺さんも好きなの?」
「うん。イギリスでもアニメでやってたの。この前香月ちゃんの部屋で勉強してたんだけどさ、あのぺんぺんのぬいぐるみ、すごく抱き心地良さそうだったんだよね…。このピンクのぺんぺんは香月ちゃんの部屋にあるぬいぐるみとはちょっと違う色だけど、いいなあ…」
「…俺、取ろうか?」
俺の突然の提案に対し、「え?いいの!?」と首が取れてしまうんじゃないかと思うくらい急に振り向いた彼女に苦笑しつつ、俺はサイフからコインを取り出して投入した。
たまに任務帰りに香月や蔵之介とゲーセンに寄ることがあるから、この手のクレーンゲームは決して下手ではない。何しろさっき話に出てきた香月のぺんぺんは俺がゲーセンで取ったものだった。
横移動ボタンを数秒押して、一瞬止めてから距離感を確認。一番取りやすそうだった手前のぬいぐるみに狙いを定めると、ボタンを押してアームを奥に移動させ、タイミングよくボタンから手を放す。
アームが下に降りてきて両爪が開き…ガシャと音を立てるが、ぬいぐるみからは少し外れて爪が空を切る。天王寺さんが一瞬「ああ…」と残念そうな声を上げる。
しかし狙いはぬいぐるみ本体ではない。ぺんぺんのお尻の先についていたタグに、右側の爪が引っ掛かった。
狙い通りだ。アームが再度上昇するとタグも一緒に持ち上がり、ぺんぺんはお尻を持ち上げられたなんとも情けない姿を見せる。
それを見た天王寺さんの顔が一気に明るくなる。アームの行く末を期待感を持って眺め、ぬいぐるみが出口に落ちてくるまでずっと目で追っていた。それがまた可愛い。
賞品取り出し口からぺんぺんのぬいぐるみを取り出し、満面の笑みを浮かべた彼女は、ぬいぐるみをギュっと抱きしめて頬ずりし始める。
うらやましいぞぺんぺん。俺も天王寺さんに頬ずりされたいぞ。なんて心の声はなんとか喉元で止め飲み込んだ。
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