第41話 忍者にカップルシートは難しい
「いい買い物したなぁ…!」
ホクホク顔の天王寺さんは、まるで今すぐスキップしそうな勢いで店を出る。同時に歩道を歩いていた通行人たちが彼女の美貌に目を奪われるのが分かった。
最初に入ったお店からフルスロットルだった彼女は、YAMATOの1巻から70巻まで大人買いしただけでなく、妖怪バスター少女ヨーコのフィギュアまで買ってしまっている。
これまた5桁はする代物だったのだが、関係なく手に取りレジに持っていった。「一目惚れ」とのことだ。良かったですね、お嬢様。
当初はフィギュアも使う用、保管用、布教用で3体買うものかと思った俺だが、「フィギュアは使わないよぉ、保管用と布教用だけかな!」と言って2体買おうとしていたご令嬢を、俺はまたしても全力で止めることになった。
天王寺桜の護衛が始まってまもなく2カ月。連れ去られた時より今日のほうが心労が多い。思えば普段彼女がお金を使う場面なんて学校の学食かスーパーくらいしか見たことがなく、"耐性"がなかったのも心労が増す原因の一つかもしれない。
一見金遣いが荒いのかと思いきや、あくまでそれは"趣味だけ"であって、それ以外の彼女の金銭感覚は至極庶民的だった。
お昼ごはんを食べようということになり何軒か見て回ったが、カフェの1600円のランチセットを見て、「ちょっと高いなぁ」なんて言っている。あなたさっきコミックスの1巻から70巻に対して、ノータイムで4万円近く払っていませんでした?
実は1600ドルかとか思いきやちゃんと1600円だったし、彼女の金銭感覚は"あくまで普段は"相当しっかりしているらしく安心する。
「ねぇ、パスタだって!おいしそうだしドリンクとセットで1000円らしいよ!」
天王寺さんが見つけたのは駅からちょっと行ったところ、雑居ビルの2階にあるイタリアンだった。と言ってもそんなに高級という感じではなく、値段はリーズナブル。
それでいて見た目も雰囲気もオシャレな感じが店外まで漂っていて、俺も二つ返事で了承した。
さすがに土曜の昼時ともなれば店内は混雑していて、若者であふれていた。男同士というパターンはほぼなく、男女2人組か、女性2人組ばかり席を埋めている。見た感じ空いているところはなさそうだ。
入口に入ったところで少しばかり待たされることを覚悟したところ、案内役の女性店員さんが笑顔で近づいてきて、「それではお席にご案内いたします!」なんて言う。
どこにそんな席があるのだと思いながら、混雑した店内を店員さんの後についていくと、入口からは死角になっている窓際、コーナーの席に通された。簡易的なソファが奥まったところに"くの字"に設置され、その前には小さな丸いテーブルが置かれていた。
雑居ビルのワンスペースということもあり場所を無駄にしない配慮がされた結果なのだろうが、俺は普通にテーブルで向かい合ったパターンを想定していた。"くの字"だと一列ではないものの、ほぼ隣同士ではある。
"ほぼ隣同士"でランチなんて、そんなドキドキするイベントは予想外だ。体が一気に熱くなる。チラっと天王寺さんを見ると、耳元が少し赤くなっていた。たぶん俺は彼女以上に耳元や顔が赤くなっているかもしれない。
「あの、ちなみに他の席は空いてないんですかね?」
「そうですねぇ…。現在だいぶ混みあっておりますので、30分近くお待ちいただくことになるかもしれません…」
「よ、葉太郎くん、この席にしよ!30分待つのももったいないし、その分色々見て回りたいから!ここにしよ!」
え、ここでいいの?天王寺さんのほうからこの席でいいと言われるとは思わなかった。同じように角っこの席ではカップルが肩を寄せ合って楽しくランチタイムを過ごしている。これから俺たちこのくらいの距離感になるけどいいの?
彼女がいいと言うなら断る理由もない。奥のほうの席に通され、俺はその斜め向かいに腰を下ろす。お互いの肩の距離は30cmちょっとといったところだろうか。息遣いが伝わってくるレベルで距離感が近い。
「はぁい、ではこちらがメニューでございます!カップルシートのお客様、ご注文決まり次第ボタンを押してお呼びくださぁい!」
「「カ、カップル!?」」
思わず俺たち2人の声が被る。え?そうじゃないの?みたいな表情を浮かべた女の店員さんは他の席の注文ボタンが押されたこともあって、すぐに去ってしまった。
残された俺たちは店員さんのカップルシートという言葉が気になってしまって、なかなかお互い言葉を発することができない。斜め右前の天王寺さんは若干俯きながら、右手で左手の指先をつまみ何やらモジモジしている。
俺はなんとか会話を成立させようと口を開くが、言葉が喉元で詰まって、なかなか出てこない。
ふと左手側、他のカップルシートのお客さんの様子を見ると、デザートに注文したのか1つのパフェを2人で仲良く分けながら食べている。
カップルってあんな難易度高いことするのか。護衛任務のほうがよほど楽だろ…なんて思いながら視線を右斜め前に戻した瞬間、ちょうど俺のほうを見ていた彼女とバッチリ目が合ってしまった。
目が合っていた時間は1秒ほどだろうか。思わず俺はパっと反対側を向いてしまった。心臓の鼓動が一気に早くなることが自分でも分かる。
気配からすると彼女も思わず反対側を向いたようだが、距離が近すぎて、彼女の心臓の鼓動が早くなっているのが伝わるようだ。
そのまま30秒ほど経った時だった。右前から「プハッ!」と小さな笑い声がこぼれたのは。反対側を向いていた俺は思わず振り返る。彼女は両手で軽く口元を押さえながら小さく笑っていた。
「おっ、おっかしい…!」
「な、なにが?」
「だ、だって私たち、もう出会ってから2カ月近く経ってるんだよ…?なのに隣に座るとまともにメニューも見れないんだもん…!」
「いや緊張するでしょこの距離は…」
思わずそこで「この距離だといい匂いもするし」なんて言いかけたが、言ったら最後、絶対嫌われる。強引に喉元で止めて、その言葉を胃に流し込んだ。
「よく考えたらさ、この前公園で隣同士でお弁当食べた仲なのにねぇ…。不思議だなぁ、まさか日本に来て2カ月で、男の子ともう一度2人きりでごはんを食べに来る時がやってくるなんて」
「え?イギリスではなかったの?」
「あるわけないよぉ、普段は運転手さんの送り迎えだったし、気になった人もいなかったし、男の人と2人でごはんなんてこれが初体験…。いいなぁ、こういうの。私、本当に日本に来て良かった。…うん、葉太郎くん、そろそろ何注文するか決めよ?」
「お、おう…」
少し落ち着きを取り戻した天王寺さんが、フフっと微笑みながらメニューに手を伸ばす。俺もドリンクメニューに手を伸ばそうとするが、彼女の言葉から受けたあまりの衝撃に手がなかなか伸びない。
今彼女は確かに言った。『普段は運転手さんの送り迎えだったし、"気になった人もいなかったし"』…。
自分の聞き間違いでなければ、彼女は確かに、俺のことを"気になった人"という対象で呼んだのだ。心臓が破裂しそうなくらい動く。命綱なしで崖を登ったことも何度もあるが、あの時より心臓のドキドキが凄い。
「わぁ、おいしそう!どのパスタにしようか迷うなぁ…。ミートソースもいいし、カルボナーラもおいしそうだし、アラビアータなんかもいいなぁ。うわぁデザートもかわいい!ねぇ葉太郎くんはどうする?」
今まで目の前の女の子のことはなんとなく気になっていた。初恋の経験もなく自分のこの気持ちの名前をよく分かっていなかった。
ああ、かわいい。青い瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべメニューを見せてくる目の前の女の子に、いつのまにか俺は完全に心を奪われていたらしい。
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