第39話 副キャプテン剛
「ア・キ・バ!ア・キ・バ!」
電車で隣の席に座る天王寺さんは誰が見ても分かるくらいご機嫌だった。足を揃えてちょっと上げてみたり、小さい声で鼻歌を歌ってみたり、こんな彼女は見たことがない。
梅雨入りが発表され3日ほど。6月後半の空はどんよりとした灰色。通常であればあまり気分が晴れないものだが、隣の美少女の笑顔を見ると落ち込みそうな気分は全て晴れるようだ。
いつもなら彼女の護衛は俺たち3人で行うところだが、今日の護衛は俺一人。マンツーマン。ひらたく言えばデートと言っていいのかもしれない。かといって、彼女に「これってデートだよね?」なんて聞けないから、俺は誘われた時からずっと悶々としていた。
「ねぇ…葉太郎くん、これ、行かない?」
夕飯を食べ終えた後にリビングのソファでくつろぐ俺の元にやってきた天王寺さんが、チケットらしきものを広げおずおず聞いてきたのは今から5日前の月曜夜。
二つ返事でブンブン首を振ると、彼女はクスっと笑い、その表情が安堵の色で満たされた。チケットを見ればボルダリングの体験チケットと書いてある。
ボルダリングかぁ…。普段この仕事をしている限り間違いなく行かないアドベンチャーだ。
聞けばこのチケットは、香月が任務のお礼でもらってきたらしい。香月が行かないということで天王寺さんがもらったとのことだ。まあ、香月が行きたくない気持ちは分かる。
「葉太郎くんはボルダリング行ったことある?」なんて聞かれたが、ボルダリングはない。代わりに幼少期から崖を登る修行はあった。
最初命綱をしていたが、今ではもうなし。小学生から崖を登らされる人生を送っている俺たちはボルダリングと縁が遠い存在だろう。
雨が降りそうで降らない天気の土曜。電車で秋葉原に移動し、昼前に到着次第軽くランチを取りつつ秋葉原観光。そして15時くらいからボルダリングというのが今日の予定だった。
当然これから壁を登っていくだけあって、彼女はワンピースなんていうシャレた格好ではなく、胸のところに黒字で英単語が掛かれている白地のTシャツに水色のデニム、白のスニーカーとラフな格好だ。おろしたブロンドの美しい髪が白いTシャツによく似合う。
俺も近くの量販店で購入した黒のTシャツに紺色のデニム、黒いスニーカーとそう変わらない格好だから若干シンパシーを感じる。
数分後電車は秋葉原駅のホームに滑り込み、俺たち2人は聖地に降り立った。さすがに土曜日とあって秋葉原は人で溢れていて、駅のホームから人混みに流されるように電気街方面の改札をくぐると、駅前にはアニメのキャラクターが描かれた広告などがそこら中に掲げられていた。
「ね、ねえ見て葉太郎くん!妖怪バスター少女ヨーコがいる!」
テンションの上がった天王寺さんが、近くのビルに掲げられた大きなポスターを興奮気味に指さす。指さされたほうを見ると、掃除機を持った黒髪の美少女が何やらポーズを取っている。
残念ながらそちら方面に疎い俺はこのキャラクターを知らなかったことから2、3度頷くしかなかったが、彼女の話は止まらない。
「妖怪バスター少女ヨーコはね、女子中学生ヨーコが教師の体を乗っ取った妖怪を次々に倒していくお話なんだけれど、イギリスでもアニメが放送されてるんだ。録画してこっそり見てたの…。ああもう感激、いきなりヨーコに会えるなんて…!」
今度は天王寺さんの表情が恍惚の色に染まる。目まぐるしく変わる彼女の表情には苦笑するしかない。これだけ興奮している姿を見るだけで、今日ここまで護衛に来て良かったと思えてくる。
同時に、次々に教師が妖怪に体を乗っ取られるヨーコの中学校の治安が心配になった。実際そんな中学校があったら、俺は食い扶持に困らないのかもしれない。
秋葉原に到着したら軽くランチの予定だったのだが、止まらない彼女はそのまま近くのビルに入っていこうとしてしまう。さすがにこんな状態で引き留めるのは忍びなく、予定変更、2人揃ってショップの中に足を踏み入れた。
ショップの中で、彼女はとにかく目立っている。それはそうで、ブロンドで青い瞳の美少女なんてまるでアニメの世界での話だ。アニメから飛び出してきたような彼女が目の前に現れたら、他のお客さんがビックリするのも致し方ないところだろう。
しかもそんな青い瞳を輝かせながら周囲をキョロキョロしているのだ。俺は何かあってはいけないと周りに一層注意を払う。少し強めの警戒心を放った効果か、周りの客は彼女をチラ見しても話しかけるようなことはしてこない。
「うわぁ!副キャプテン
「副キャプテン剛?」
「え、"キャプつよ"知らないの…?突然サッカー部に現れた天才エースと、元々いた一般部員たちの間に挟まれた副キャプテンがチーム内の人間関係を調整していくの。あのね、すんごくドロドロした人間関係なんだ。エースは友達はボールだけ!って言うくらい孤高の存在で…。キャプつよを見てサッカー始めたって人、多いんだよ?」
「絵はなんとなく見たことあるけど、話までは知らなかったかな…」
「読んだほうがいいよ!サッカー、始めたくなるから!」
目を輝かせた天王寺さんが首をブンブン振り回して熱弁するが、そんなドロドロの人間関係を見てサッカーを始めたいと思う人間がいるのか甚だ疑問が残る。
ボールだけしか友達がいないというエースも随分寂しい。そんなエースがいるチームを、副キャプテン剛がどこまで導いたか気になると同時に、そんなチームのキャプテンは一体何をしているのかという疑問が浮かんだ。
コミック、カード、フィギュアが所狭しと並ぶ店内で、天王寺さんは宝の山を開拓する勇者のようにグイグイ店の奥に進んでいく。こんなアグレッシブな護衛対象者も珍しい。
同時に、普段よほど我慢していたことも伝わってくる。彼女がイギリスから持ってきた荷物の中にマンガやフィギュアの類は一切なかった。それくらい普段、実家では父親に怒られないように趣味を隠していたのだろう。
それが急にこんな宝の山に囲まれたら、興奮で"タガ"が外れるのも納得のところだった。満面の笑みを浮かべている姿は見ているこっちも幸せになるところで、この時間がずっと続けばいいのにとすら思う。
「ほんと…、私日本に来て良かった…」
「イギリスにはこういうところ、ないの?」
「うーん、ロンドンに日本のマンガや本を売ってる本屋さん自体はあるんだけれど、こうやってフィギュアとかカードも一緒に売ってることはないかなぁ。カードなんかも今イギリスで人気だから発売はされてるとはいえ、こんな規模のお店はないし…」
「ロンドンにいた頃にそういうお店にはよく行ってたの?」
「行けないよぉ。学校までは家から車で送り迎えだったし、運転手さんやボディーガードさんたちは私がどこに行ったかなんかをパパに報告しないといけなかったからさ、もしそんなところに行ったらすぐパパにバレちゃうんだ。本屋さんは一度だけ、メイドさんたちとお買い物に行った時に入ったことはあるくらいかな。メイドさんたちは黙っててくれたんだけど、初めて入った時は感動したなぁ」
運転手、ボディーガード、メイドと、家庭環境がよく分かる単語が出てきて、改めて目の前の女の子が大企業の社長令嬢であることを認識する。
まさか周りの客も、さっきから店内で目を輝かせているブロンドの女の子が世界的大企業のお嬢様だとは思わないだろう。SNSに拡散された彼女の写真も、丸橋さん曰く投稿が少なくなったとのことだし、周囲の視線からするとたぶん正体はバレていない。
好き勝手そこら中にいけるだけ俺はまだありがたいんだなぁ、なんて思いながら天王寺さんの後ろをついていくと、急に彼女の足が止まった。ブロンドの艶のある髪が揺れる。
「YAMATOだ…」
そう呟く彼女の視線の先には、大量のコミックスが積み上げられていた。
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