第2章 同じ境遇の男の子
第12話 Training
幼稚園の頃まで、自分の家が変わっていることに気が付かなかった。香月や蔵之介と普通に回転扉を使って遊んでいたし、わざと落とし穴に落ちる遊びもやったことがある。そのたびに3人揃って服を汚し、母親に怒られたっけ。
そんな家が一般的ではないと知ったのは小学生になってからだった。他の子の家に遊びに行って「回転する扉はどこか?」と尋ねたら怪訝な顔をされたのは今でもよく覚えている。
自宅に招待した友達を落とし穴に落として遊んだら大泣きされてしまい、俺と蔵之介は母親からこっぴどく叱られてしまった。その子はそれ以来この家に遊びに来ていない。
香月は自分の家が他の家と違うことをいち早く察知したらしく、何かと理由を付けてこの家に友達を呼ばないことに成功している。
今でも友達に遊びに行っていいか聞かれるようだが、『自宅の玄関の改修工事が長引いて、正面からも裏口からも家に入れない』と言い訳しているらしい。じゃあ俺たちは普段どうやって家に入ってるんだよ。
回転扉に落とし穴、隠し部屋まであるこの忍者屋敷のような家は、今でも年に1、2個新しい発見がある。
3年前の年末の大掃除の際に偶然地下室が発見されたほか、昨年は古い箪笥の裏に逃げ込んだゴキブリを追いかけていったところ、箪笥の裏に穴があり、そこから外に出られるという謎の抜け道も見つかっていた。
そういう状況だから新しい回転扉が発見されてもおかしくはないのだが、さすがに急に隣の部屋からブロンドの美少女が出てきた昨夜の出来事には驚く。
たぶん40秒は声を発することができなかったと思う。どこぞの女海賊だったらその間に準備を終えて出ていってしまいそうなくらいの時間、俺と天王寺さんはお互い声を発することができなかった。
朝6時前。目覚ましなしで目を覚ました俺は道着に着替えて1階に降りると、玄関脇の和室の1つ奥にある畳張りの道場にて、日課の朝の修行を積んでいく。
夏至も近くなりすっかり明るくなった外から、障子を突き破るようにして日光が降り注ぎ畳に反射する部屋の中で、まずは右腕を鋭く動かして上段突き、中段突き、そこからフッと息を吐いて裏拳に移行すると、それに連動して左足を回し蹴りのような体勢から振り抜く。
何度も繰り返してフォームを体に覚えさせると、上段蹴りに移行してピタリと体を止め、その体勢のまま、身体の力を抜いていく。
幼少期から蔵之介や香月と共に何度も繰り返した忍者の体術の基本、いわゆる
若干右肩が痛い。たぶん昨日、香月に関節技を決められた時に痛めたのだろう。狭い部屋の中で蹴りまで入れて関節技に持ち込むとか、あいつも随分器用なことをするな。
なんやかんやで女性の分、蹴りの一発一発に大きな力はないが、香月の器用さと繊細な技の精度は男性を上回るものがある。
しかしまさかこの家に、香月以外の同級生の女の子が住むことになるとは思わなかった。
しかもハーフのブロンド美少女ときた。こんな古いだけが取り柄のような家にまるで似つかわしくない。笑顔を絶やさず、快活で人当たりもいい。そんな子が急に隣の部屋に住みだすなんて誰が想像できるのか。
加えて彼女が暮らすことになった部屋と隣の俺の部屋は、回転扉越しに繋がっていた。俺もあの部屋に17年近く住んでいるが、あんなところに隠し回転扉があるなんてまるで想像していなかった。低いところに設置されていた分、まったくの盲点だった。
これが歩いて通れる回転扉ならまだ分かる。なぜご先祖様はあんな低いところに回転扉を設置したのか。一晩明けてもその疑問は解決しないままだ。
改めて昨夜の出来事を思い出す。偶然にも回転扉が開いて、彼女は俺の部屋に文字通り転がるように入ってきた。
若干悲鳴のようなものが上がったのだが、蔵之介は風呂に入っていて部屋に不在。香月は自室でヘッドフォンで音楽を聴きながら薬草の調合をしていたらしく、まったく悲鳴に気づいていなかったらしい。
新しい回転扉が見つかった以上プライバシーの面に問題が発生する。最初は驚いたもののなんとか冷静さを取り戻した俺は彼女に部屋の変更を勧めたのだが、彼女は部屋を移りたくないと言う。
確かに部屋を移動するとなるとあの重たそうな持参の箪笥2つも一緒に動かさないといけないし、今日引っ越したばかりなのに再度家具を別の部屋に全部移すのは相当骨だ。
幸い回転扉は閉めるとそこに扉があったことに気づかないレベルで木壁と同化したことから、話し合いの末、蔵之介や香月含め家族には内緒にしようということでまとまっている。
仕方ないからポスターでも貼って扉に気づかれないようにしようかと提案したが、床に近いところにポスターを貼るのは余計に不自然ではないかと天王寺さんの指摘が入り、俺の案は却下されてしまった。
その時は仕方ないと思ったものの、一夜明けて起きた後に壁のほうを見ると、実はその壁は扉になっていて、すぐそこに美少女が寝ているという事実が重くのしかかり、それが朝から気になってしかたない。
煩悩を振り払うためにも朝の日課の修行に精を出しているが、集中力はいつもの20分の1といったところだろう。
「…おはよー。葉太郎くん、早いねぇ」
道場と廊下を隔てる引き戸がゆっくり開いて、昨日からこの家で暮らし始めた美少女が顔をのぞかせたことにも0.1秒くらいで反応できたのは、間違いなくいつもより集中力が落ちた状態で修行していたからに他ならない。
扉のほうを振り返ると、そこには白いレースのパジャマから昨日着ていたものと同じ制服に着替えた天王寺さんが、少し体を縮めるような体勢で立っていた。
「…あ、練習の邪魔しちゃった?」
「う、ううん全然。もう終わりに近い状況だったし問題ないよ」
一夜明けてもどうも自分の言葉は緊張を帯びている。相手が美少女であることもそうだが、明らかに昨夜回転扉を開けて俺の部屋に入ってきたことも緊張感を増す一つの要因となっていた。
不可抗力だから仕方ないのだが、白のレースをあしらったパジャマは胸元が少し空いており、一瞬だけその胸元が見えてしまったのだ。
もう一度言うがこれは不可抗力だし、俺が扉を開けたわけではない。俺は無罪だ。
「…葉太郎くんは毎朝この時間から練習?してるの?」
「練習…、まあそうだね、毎朝この時間は修行してるところ」
「修行…!マンガみたい!あれ?香月ちゃんと蔵之介くんは?」
「あの二人も朝の修行中。庭の奥では蔵之介がトレーニングしてるし、香月は犬の散歩ついでに毎朝20km走ってるから、たぶん今外」
「に、20km?」
「え、20kmくらい走…らない?」
「普通の家では毎朝そんなに走らないよ…」
大富豪の家に生まれたお嬢様に"普通の家"と言われたのは若干引っ掛かったが、確かに、俺も朝っぱらから香月が20km走るのに慣れてしまっていた。
仕事もあるから香月は帰宅部だったが、冷静に考えたら学校の陸上部より走っているのは間違いない。
「み、みんな凄いね…」
「まあでも護衛任務に備えて体づくりはしないといけないからなぁ」
「…でもさ、こんな朝からは大変じゃない?」
「大変っちゃ大変だけど、もう朝の一つの行事みたいなもんなんだよね。朝飯を食べる、歯を磨く、顔を洗う、修行する、これがみんな同じくらいの優先度って感じ」
「へぇ…。でも凄いよ、本当に。なんか私、こんなふうに朝から頑張ってくれている3人が護衛についてくれていると思うと、余計に頼もしくなっちゃった!」
そう言ってニコっと笑った彼女を見て心が熱くなってしまった俺は、ごまかすように再度骨法の技の動作を繰り返す。
「ねぇ、終わるまで部屋のはじっこで見ていてもいい?」
そう笑顔で尋ねてくる彼女に対して、気恥ずかしい俺は慌てて無言で軽く頷くと、彼女は嬉しそうに道場のはじっこに移動し、正座して俺の修行を眺めていた。
これは身体面の修行というより精神面の修行ではないか。内心そう思ったのは彼女には内緒にしておこう。
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