第7話 風呂場の扉は閉めましょう

 築100年近く経つらしい自宅は近所では有名な屋敷だった。


 そのだだっ広い面積もそうだが、それ以上に"忍者屋敷"として有名で、玄関から入ると正面から弓矢が飛んでくるとか、廊下を静かに歩かないと落とし穴に落ちるとか、そんな噂が近所で流れていることは俺も知っている。


 実際は玄関から入っても弓矢は飛んでこない。ただ玄関の引き戸を左から開けようとすると落とし穴に落ちる。1階の裏口に繋がる廊下の真ん中には落とし穴が設置されていて、静かに歩かなくても落ちる。噂話なんてそんなものだ。


 古びた、歩くとギシギシいう木の階段を上がり2階の廊下にたどりつくと、天王寺さんは興味津々な表情で回転扉を開け閉めしていた。


 いわゆる"どんでん返し"と呼ばれる回転扉だ。敵からこっそり逃げる際、隠し部屋に逃げる際に使用するつもりだったらしい。


 階段を上がって一番手前にあるのが、俺と蔵之介が"実験室"と呼んでいる香月の部屋。その隣が蔵之介の部屋で、更に奥が俺の部屋。その隣、一番奥の部屋は空き部屋になっていて、向かいの部屋を姉が使っている。


 階段から上がってすぐ、蔵之介の部屋の向かい側は一見単なる壁だが、よく見ると少しだけ色が変わっていて、押せば回転扉として開くようになっている。


 今は物置として使われている部屋が隠し部屋扱いだったんだろう。ご先祖様も思い付きでこんなところにどんでん返しと隠し部屋を設置しないでほしいな。建築基準法ちゃんと満たしてる?


 2階の廊下には俺の部屋の前あたりの天井に隠し階段も設置されているのだが、子どもの頃に遊びで開けたくらいで、今開けることはほとんどない。


 この隠し階段、開けるのはいいのだが閉めるのが面倒なのだ。屋根裏部屋には博物館に寄贈すれば喜ばれそうな大昔の古文書のようなものが大量に放置されていて、埃を被って眠っている。


 一番奥の空き部屋の広さは10畳ほど。1人部屋としては十分な広さだろう。空き部屋のため物が置いてあった気がするが、天王寺さんが暮らすためかいつのまにか片付けられ、部屋は綺麗になっていた。すでに布団も一組置かれ、何やらヨーロッパ風の、クラシック調の箪笥のような棚が2組、壁際にならんでいた。


 築100年の家の和室にはまるで似合わないこの2組の棚は、イギリスに住んでいた時に天王寺さんが愛用していたものなのだという。


 今朝俺たちが学校に行った後に天王寺さんの荷物が入った段ボールの箱と共に届き、俺たちの帰りを待っていたというわけだ。


 ここまで大がかりな引っ越しなのに、引っ越し自体聞いたのが今朝だったことに未だに納得いっていない俺ではあるが、それ以上に自分の隣の部屋に可愛いハーフの女の子が引っ越してくる緊張感のほうが上回っている。


 「なーにニヤニヤしてんのよヨウ。キモ」

 「…してねーよ」

 「ねえ桜、隣の部屋のこの男に何かされそうになったらいつでも大声あげてね、対不審者用の日本刀があるから」

 「あ…、うん…、その時はお願いしようかな…?」


 あるからじゃないんだよ香月。いきなり日本刀なんてワードが出てきて天王寺さんが引いてるぞ。


 香月の部屋には香月の両親の私物だった日本刀が二振り飾ってある。学園のマドンナの部屋に日本刀が飾ってあるなんて、たぶん学校のみんなは言われても信じないだろう。




 いざ荷解きの時間となったわけだが、さすがに俺と蔵之介の男2人が女の子の荷物が入ったダンボール箱を開けるわけにはいかない。そちらは天王寺さんと香月に任せ、俺たちは出たゴミの処理やその他の雑務をこなしていく。


 ゴミを捨てに行ってまた部屋に戻るたびに、棚には小物などが配置され、窓際には薄いピンクのカーテンも設置されるなどしたことにより、人が暮らしている感じが増してきた。


 築100年近い和室の雰囲気に薄いピンクのカーテンはあまり合わないが、天王寺さんはというと初めて親元から離れて暮らすワクワク感のほうが上回るようで終始上機嫌。そのニコニコした笑顔を見るたびに自分の顔が少し熱くなる気がした。


 だいぶ陽が傾き始める頃には引っ越し準備も佳境に入り、残るダンボール箱は3つほど、残りは全部本ということで俺と蔵之介も部屋に入れてもらい、本の整頓を手伝うことになった。


 箱から出てくるのは日本の小説だけでなく、英語で書かれた小説なんかもあって俺には到底読めたものではない。


 「桜凄いね、こんな英語の本も読むんだ…」

 「全然凄くないって香月ちゃん…。細かいニュアンスとかは理解できてないところもあるんだから」

 「いやでも凄いよ、俺、こんな英語で書かれた本なんかサッパリ縁がないもん」

 「葉太郎くんはどんな本を読むの?」

 「基本はマンガばっかりだよ、小説なんていったら年に1冊、2冊読むかどうか…」

 「何が小説よ、エロ本ばかり読んでるくせに。机の下の…」

 「香月ちゃん!今日もかわいいね!学校も楽しかったね!夕ご飯はなんだろうね!」


 強引に話を変えた俺と、そんな俺をジト目で見る香月を見て天王寺さんは笑う。引っ越し初日にエロ本の置き場までバレたら俺が生きていけない。


 おい蔵之介、お前も一緒に笑ってるんじゃないよ。お前が箪笥の上から3番目の奥に宝物を隠していること、今ここで発表していいんだぞ。


 「いいなあ、3人は仲良くて。同じ家で仲良く暮らしててうらやましいな…」

 「桜、何にもいいことないわよ。この前私、ヨウに脱衣所のぞかれたんだから」

 「ちげーよ、あれは香月が脱衣所の扉開けっ放しだっただけだろ」

 「私が扉開けっ放しだったことに気づいてのぞきにきたのよ、この変態に気を付けなよ桜」

 「赤ん坊の頃からお前の裸見てんのに今更興奮しねーよバーカ…ぐぇ」


 畳の上に座りながら本の整理をしていた香月が、その場で腕の力だけで体を持ち上げると、右足を鋭く伸ばし俺の肩を蹴り飛ばしてきた。


 一瞬スカートの奥の白いものが見えた気がして、思わず「…白」なんて言った途端、立ち上がった香月に何度も踏みつけられてしまう。すいません今のは僕が悪いです、痛いです許してください。


 天王寺さんはというと、香月が器用に、腕だけで体を持ち上げて俺のことを蹴った光景に驚いたようで口を開けていた。美人はどんな表情でもかわいいな。ぽかんと口を開けているだけでかわいい。


 「香月ちゃん凄いね…。さすが忍者さんだ…」

 「そう?こんなのみんなできない?」

 「できないよ、こんなことできるのはゴリラくら…ぐへっ」


 俺の放った余計な一言は香月の導火線に更に火をつけたらしい。もう一度俺のことを踏みつけると、カカトで俺の腹をグリグリとやり始める。それは拷問に近いよ香月ちゃん。


 あまりの痛みについ悲鳴に近い声を上げたところで、見かねた蔵之介が割って入りその場は収まった。蔵之介、お前も見てるだけじゃなくてもっと早く助けろよ。


 「香月ちゃんは強いんだねえ…」

 「そう?ならもっと強いところ見せてあげる」


 感情が入っていない声でそう言った香月は蔵之介の腕を振り払うと、俺の左腕を手に取って上に上げつつ、俺の左肩を自分の右足で跨ぎ、そのまま関節技をかけてきた。コイツは体術も器用にこなすが、拷問の研究により編み出した関節技が専門だったりする。


 左の肩がまるでもげそうな痛みに襲われたため畳を叩きタップすると同時に、下から母親の「ごはんよぉー」という声が聞こえたことで、ようやく俺は開放された。


 こんな危険性の高いヤツの裸なんかをわざわざ脱衣所にのぞきに行くヤツはいない。ゴリラの着替えをのぞきに行くようなも…すいません香月さん心の中を読まないでください右腕は勘弁してくださいギブ!ギブ!

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