第6話 忍者屋敷にいらっしゃい

 「本当にごめんね…。今からでもホテル取ろうか…?」


 高校からの帰り道。駅へ歩く道すがら、天王寺さんがこの質問をしてくるのはもう5回目だ。昼間に日本での滞在予定先が俺の家であり、なおかつ俺たちが何も話を聞いていなかったことを知った彼女は、それからずっとこんな調子だった。


 学食で突然とんでもないことを言われた時は、色々な任務を経験してきた俺たちもさすがに声が出たものだ。


 父親からは天王寺さんの警護の依頼としか聞いていなかったが、冷静に考えてみると昼間は同じ学校にいるからいいとして、夜はどうするのかしっかり聞いていない。


 確かに夜、ウチにいれば警護として成立する。これほど楽なことはない。ただ同級生の男の家に滞在するのが社会通念上許されるのだろうか。そしてこんな大きな情報を伝えていない父親に腹が立つ。


 天王寺さんの口からはその後、今回の件のあらましが語られた。


 "勉強"のため日本に来たかったこと。父親からなかなか許してもらえず、父の古い友人である忍者の家に滞在すること。その家の子どもたちに警護を任せることを条件にようやく許してもらえたこと。すでに荷物は俺の家に送られていること…。


 俺たち3人がまるで知らない情報ばかりで、いつも冷静な香月が驚きのあまり水をこぼしかけ、蔵之介の鼻からは焼きそばの麺が飛び出す始末。


 「男の子だけじゃなく、私と同級生になる女の子も住んでいるからまあいいだろうってパパが許してくれたんだけど…」と天王寺さんは言うが、自室で怪しげな薬を作っている香月と同じ家に暮らすことが一番危険であることを、依頼主である天王寺さんのお父さんは分かっていないらしい。


 「何か言いたそうな顔してるわね…」

 「な、なんでもないでござるよ…」


 自宅の最寄り駅に向かう電車の中で、ふとそんなことを考えていた俺のことを香月が睨む。表情から読み取るんじゃないよこの拷問大好き女。


 評判の美人である香月だけでも目立つのに、そこに天王寺さんもいるものだから、帰り道は常に周囲の注目を集めた。なるほど、確かにこれは警護の一つや二つ頼みたくなる天王寺さんのお父さんの気持ちも分かる。


 今は俺たち3人が天王寺さんを囲むように立っている分、まだ声は掛けられないで済んでいる。ただ俺たちがいなければ自宅の最寄り駅に着くまでにひっきりなしに男に声を掛けられるのは間違いない。




 「だからって住むのが俺ん家ってどういうことだよこのバカ親父!」

 「バカ息子よ、どうした急に」


 自宅に戻ると、今回の騒動の中心人物である父親は縁側に置いた座布団の上に座って、のんびりお茶を飲んでいた。どうした急に、じゃないんだよ。その座布団没収するぞ。山田くん呼んじゃうぞ。


 「隠岐さん、この度は私のワガママですいません…」

 「おお、君が城太郎の娘さんか。…大きくなったね。城太郎は元気かい?」

 「ええ、おかげさまでパパ…父は大変元気です!」

 「それは良かった。自分の家だと思ってくつろいでくれ」


 大体の男は天王寺さんの美貌にドキリとするものだが、父親は一度天王寺さんを見据えると、その後は何事もなかったようにまたお茶を啜りだす。それは良かったじゃないんだよ。


 「おい親父、それは良かったじゃなくて、こっちは今回の依頼の経緯を聞いてるんだよ」

 「考えてもみろ、桜ちゃんは一人で日本に来るって言っただろう。一人っきりなのに護衛が昼だけだとなぜ思った。お前の推測力が足りていない。義務教育から受け直すんだ」

 「何が推測力だ、今朝急に護衛任務言い渡されて、そこまで推測できるか!ホテルでいいだろ、こんなむさくるしい古いだけの家より」

 「バカ息子よ、先祖代々受け継がれたこの忍者屋敷のセキュリティはホテルをしのぐのだ。そして何より、城太郎からはその分の金をもらっている」

 「結局金なんじゃねえか…」

 「今時忍者はウケないのだ。テーマパークのショーに出演するより報酬がいい」

 「あなたはそれを本人の前で言わない!」


 父子で口ケンカをしていた俺たちの間に急に人影が現れたかと思うと、座布団に座ってお茶を飲んでいた父親が、緑の和服姿の女性にフライパンで殴られた。父親は頭を抱えてその場にうずくまり、うめき声をあげる。


 長い黒髪を後ろでまとめたところを赤いかんざしで止めた母・桔梗ききょうが、にこやかな笑顔でこちらを振り返る。


 旦那をフライパンで殴った後に笑顔でいられる女性は日本であなたくらいですよ。天王寺さんが引いてますよお母さま。


 「…あなたが桜ちゃんね?はじめまして、いえ、お久しぶりね。葉太郎の母で、蔵之介と香月の母代わりをやっている桔梗です。ウチのバカな夫が言っていたように自分の家だと思ってくつろいでね?」

 「あ、はい!桔梗お母さん、よろしくお願いします!」

 「え、親父も母さんも天王寺さんと会ったことあるの?」

 「まあ昔ちょっとね。それはいいとして、香月、桜ちゃんにこの家のこと案内してあげて。同い年の女の子っていうことで桜ちゃんの頼みの綱はあなたよ、分かってるわね?あと桜ちゃんの荷物はもう部屋に置いてあるわ」

 「もちろんよママ。桜行こ、桜の部屋やお風呂とかも案内してあげる!」


 そう言って香月が天王寺さんの右手を取ると、縁側から和室を通り抜けて俺たちの部屋のほうへ駆け出した。


 「で、あなたたちだけど、蔵之介はともかく、葉太郎、あんたくれぐれも桜ちゃんの着替えやお風呂のぞいちゃダメよ?」

 「のぞくわけねーだろ…」

 「あーら、香月がこの前あなたに脱衣所のぞかれたって言ってたけど?」

 「ちげーよ、あれは香月のバカが脱衣所の扉全開で着替えてただけだ」

 「フフ、桜ちゃんの着替えのぞいたら…。分かってるわね?」


 母親は微笑みながら、右手に握られたフライパンを少し上げる仕草を見せる。はははお母さま、まさか息子をフライパンで殴る母親なんてこの世にいませんよね?


 その光景を隣で見ていた蔵之介も乾いた笑いを浮かべていた。見た目に似合わず気配りができて、この家の家事もこなすことで母親の評価が高い蔵之介だが、不慮のアクシデントに遭わないことを心に誓ったのだろう。


 と、その時、2階の香月の部屋のほうから天王寺さんの「キャア!」という悲鳴が聞こえてきた。そして同時に香月の「あ、ごめん!そこの壁回転扉になってるの言い忘れた!」という声も聞こえてくる。


 「え?あなたたち、家に帰る時に桜ちゃんにこの家のことちゃんと説明しなかったの?」

 「誰も今から行く家は忍者屋敷だよなんて言わねーだろ…」

 「バカおっしゃい、家の壁の一部はどんでん返しの回転扉になっているとか、掛け軸の奥が抜け穴になっているとか、玄関の脇に落とし穴があるって普通説明するでしょ!当たり前でしょ?ちゃんと説明しないと生活できないじゃない!もう蔵之介!あなたもちゃんと説明しておきなさい!」

 「か、母ちゃんごめん…」

 「葉太郎はこんなんだから期待してないけど、蔵之介、あなたには期待してるんだから、いつも気を~」


 プリプリと怒り始めた母さんは、流れで俺だけではなく蔵之介にも説教を始めた。いや、同級生を家に連れてくる時に、玄関の脇に落とし穴あるから気を付けてねなんて一般家庭では説明しないんだよ。

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