第5話 Please say it again

 雑高に入学して1年1カ月、ここまで注目を集めて、ここまで大変な日はかつてなかった。


 一度香月の作った変な薬を飲まされて、俺と蔵之介のおでこに赤紫のコブができた時も学校で大いに注目を集めたが、今回とは比較にならない。


 授業が終わればクラスメイトたちは俺たちの周りに集まり、授業が始まると共に散る、その繰り返し。


 ブロンドヘアのハーフの美少女が転校してきたというウワサは学校内に瞬く間に広がって、2限が始まる前には廊下にも人だかりができていた。お前ら、天王寺さんはパンダじゃないんだぞ、散れ。


 そんな注目を集めるパン…天王寺さんは周囲の視線なんてどこ吹く風か、にこやかに微笑みながらクラスメイトたちの質問に答えていった。


 おかげで俺たちの"警護対象"がどんな人物なのかが少しずつ分かってくる。すでに護衛が始まっているのに今更人となりを知るのがそもそもおかしいことなのだが。


 新たに彼女から仕入れた情報で何より驚いたのは、彼女の父が世界に名を轟かせる"天王寺グループ"の総帥であったことだろう。不動産から飲食店、金融関連から観光事業まで幅広く手掛ける天王寺グループの名前は、俗世に疎い俺でも知っている。


 何が「いいところのお嬢さん」だ。今朝がた父親は俺たち3人にその程度の予備知識しか与えてくれていない。相手が世界的な金持ちの娘さんなんて知らなかったし、そもそも自分の父親がそんな世界的な金持ちと友人だったことも知らなかった。


 そんなお金持ちのお嬢様ではあるものの、天王寺さんは自分の出自を鼻にかけることもなく人当たりも柔らかい。


 天使のような笑顔も相まって、クラスで一番の人気者になるのにそう時間は掛からなかった。だからこそ人気者の隣に座る俺への嫉妬の籠った視線は、時間が経つごとに増していく。


 天王寺さんは今朝方日本に到着したばかりということもあって、当然教科書なんか持っていない。スーツケースは職員室に預けたらしく、他の荷物はもう宿泊先に送ったのだそうだ。


 おかげで彼女の持ち物といえば、数冊の大学ノートと文房具くらい。全て市販で、俺でもよく見かけるもの。とてもお嬢様とは思えない所持品の数々が机の上に並ぶ。


 「ねえ葉太郎くん、教科書見せてくれない?」とお願いされて教科書を見せたわけだが、その光景を見たクラスメイトの男たちはまるで親を殺されたかのような目つきをしていた。わあ、物騒。


 この状況で見せない男はいないだろう。教科書を見せたところ「ありがとう!」とお礼してくる彼女の笑顔がまぶしい。俺は天使のようなその微笑みを直視できなかった。




 彼女の人当たりの良さも相まって、昼食を迎える前には、天王寺さんと俺たち3人はだいぶ打ち解けていた。


 当初は警護対象ということで一線引いた対応が必要かと思ったが、なんてことはない、彼女は普通の高校2年生の女の子だ。


 「香月ちゃんはよく学食に行くの?」

 「うん、私料理下手っぴだからさ、自分でお弁当用意できないんだ」

 「えー?香月ちゃん可愛いし、なんでもできそうだし、料理もそう言いながら実はできるんじゃないの?」

 「またまた、そんなことないってぇ~!本当に可愛いんだから。ねえ、もう桜って呼んじゃっていい?」

 「うん!大歓迎!」


 学食へ向かう途中、天王寺さんと香月がそんな感じで仲良くおしゃべりしているその後ろから、俺と蔵之介がノコノコとついていく。


 天王寺さんはすぐに俺たちを名前呼びにするようになり、やり取りもまるで1年くらい付き合いがあるかのような雰囲気を醸しだしていた。


 でも一つだけ言っておくと、天王寺さん、君の隣にいる女は本当に料理が下手だ。気を付けたほうがいい。出てくるのは黒魔術の成果とも言えるような品ばかりだ。


 なんて心の中で思っていると、俺の心の中を読んだのか香月が一瞬こちらを振り向いて睨んでくる。そしてすぐに天王寺さんのほうを向き直ると、再び笑顔でしゃべり始めた。忙しいなこの女。


 学園のマドンナとブロンド美少女の転校生が一緒に歩いている光景は周りの視線を一心に集めていて、中には声を掛けようとする男子生徒もいた。


 しかし香月が天王寺さんより微妙に前のポジションで周囲を牽制するように視線を向け、そのすぐ後ろで俺と蔵之介が周囲を睨むような表情でついていっているためすぐに諦める。


 警護対象に気づかれないように周りを牽制して歩くやり方は、それこそもう小学校の時から父親らに仕込まれている。


 小学生に警護のやり方を教える家庭に生まれたくはなかった。幸いにも天王寺さんは何の違和感も持っていないようで、天使のような笑みを絶やさない。


 その笑顔にやられた男子生徒たちが廊下の脇に屍の山を築いていく。大丈夫?天王寺さん当分日本にいるみたいだけれど、これから皆さんまともな学生生活送れます?




 「これが日本のラーメン…!うぅん!美味しい!」


 学食で普通の醤油ラーメンを注文した天王寺さんの、美味しそうに麺を啜る表情を見て、そしてその可愛らしい声を聞いて、周りの男子生徒が気を失いそうになっていた。本当に大丈夫?みんなこの先この学校で生きていける?


 「やっぱりいいなあ日本は。こんな美味しい醤油ラーメンが500円なんて信じられない…」

 「え、ロンドンじゃ食えねえの?」


 カツ丼を掻き込んでいた蔵之介が、左頬にごはんの粒をつけながら意外そうに尋ねる。俺も香月も彼女の発言に一瞬驚いた。


 「そうなの。ロンドンじゃラーメンは1杯2500円するから。500円なんてもう最高!」

 「へぇ…、私とてもじゃないけどロンドンで生きていけそうにないわ…」

 「大食いの香月と蔵之介はロンドンに1泊2日もできないな」

 「フフ…、ヨウ、なんか言ったかしら?」


 ちょっと茶化しただけなのに、香月から向けられた視線には殺意が込められている。すぐに殺気を放つなっての。学園のマドンナの裏の顔がバレるよ。


 俺の隣でカツ丼を食べきった後にカツカレーを食べていた蔵之介が、とばっちりで殺気を向けられて思わずむせる。幸い向けられていない天王寺さんは気づいていない。場の空気を変える目的も兼ねて、なんとか俺は話題を変えた。


 「…天王寺さんはいいところのお嬢様なんでしょ?もっと普段からいいところに行くのかと思ってたなぁ」

 「そんなことないよぉ!ラーメンも大好きだし、ハンバーガーだって好き!時間があればカフェ巡りなんかもしたいし、日本に来たら行きたいお店いっぱいあるんだから!あ、でも…」

 「「でも?」」


 俺と香月、蔵之介の声が被る。彼女の笑顔が曇り、箸を止めて少し俯いた。


 「…パパがみんなに警護を頼んでるみたいだし、そういうお店行くのも迷惑だよね」


 周りにも聞こえることのない、か細い声が俺たちの耳に入る。よく見ると彼女の両肩は少し震えているようにも見えた。そんな彼女の肩を、隣の香月が優しく包み込む。


 「ううん、桜、大丈夫。せっかく日本に来たんだもん。行きたいところを言って?私たちも一緒に行くからさ?ね、2人とも」

 「おお、仕事は仕事!行こうぜ天王寺さん!」

 「香月ちゃん…。蔵之介くん…。ありがとう…」


 顔を上げた彼女の瞳は、少し涙を溜めたか潤んでいた。そして正面の俺を不安そうな表情で見据える。その表情にドキっとした俺は彼女の瞳をうまく見据えられなかったが、なんとか無言のまま頷いた。


 すると彼女の顔に再度、笑顔の花が咲く。やっぱりこの子には不安そうな表情は似合わない。この子には笑顔が似合う。そう思った。


 「でも桜、お昼ごはんは学食でいいとして、夜ごはんはどうするの?どこか食べに行く?」

 「…あれ?これからの夕食どうするか、香月ちゃん聞いてない?」


 すいませんねお嬢様、我々はこの任務の話を知ったのも今朝でしてね。スイス生まれのロンドン育ちっていう予備知識しか持ち合わせていないんですよ。


 香月も蔵之介も、彼女の問いかけに対して不思議そうな表情を浮かべている。たぶん俺もこんな表情だろう。


 「あれ…?これから葉太郎くんの家でお世話になるから、そこでごはんをいただくようにってパパから言われてるんだけど…?」

 「please say it again」


 戸惑いを隠せない香月がなぜか英語で尋ねた。俺は声を失い、蔵之介はカツカレーを片付けた後に食べていた焼きそばを啜るのをやめた。


 「ごめん天王寺さん、もう一度聞くんだけど、誰の家でお世話になるって…?」

 「え?葉太郎くん、もしかして私が葉太郎くんの家でお世話になるって聞いてなかった…?」


 ごめんね、俺、天王寺さんの出身地とかしか聞いてないんだ。


 隣で蔵之介が焼きそばをのどに詰まらせてむせていた。

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