第3話 帰国子女のお嬢様

 私立雑賀学園高校・通称"雑高"は、俺の家の最寄り駅から各駅停車に乗って4駅先から歩いて、商店街を抜けて10分ほどの距離にある共学の高校だ。毎年それなりの進学実績を挙げていて、この近くじゃ結構優秀なほうだろう。


 1学年160人で4クラス、男女共学と、この点は特段他の高校と大きな差はない。差があるといえばクラスに3人忍者がいて、校長が昔忍者に命を助けられていることくらいだろうか。


 2年2組の教室内は、どこから聞いたか転校生の話で盛り上がっていた。情報源が複数だったため、共通の情報は"女の子"ということくらい。


 出身はアメリカだのオーストラリアだのメキシコだの、朝から様々な偽情報が飛び交っていた。情報戦はすでに始まっていたらしい。


 一応俺と蔵之介、香月が3人同じところに住んでいるのは内緒だから、香月は先に登校し、俺と蔵之介はノロノロ歩いて始業時間の10分前にようやく教室にたどり着く。


 その頃にはもうクラス中が転校生の話題で持ちきりであり、最後列のちょうど真ん中にある俺の席の1つ斜め前では、香月が自分の席に着いて仲良しの女友達と何やら笑顔で話していた。


 周りの男どもがそんな香月を見て顔を赤らめている。学園のマドンナは大和撫子を絵に描いたような和風美人で、分け隔てなく接する人柄も評判。成績も優秀。忍者として訓練されている分、スポーツもなんでもござれ。これで人気が出ないほうがおかしい。


 ただしそんな学園のマドンナは料理がド下手で、趣味は薬草の調合による新薬作り、拷問の研究であることは、雑高の中で俺と蔵之介しか知らない事実。


 休日ともなると香月の部屋からはゴリゴリと何かを潰すような音が聞こえてきて、たまに窓の隙間から紫の煙が立ち上っているのを俺も蔵之介も見たことがある。


 薬の実験台は当然俺と蔵之介だ。「新しい薬ができた、今度は自信作」と言って飲まされたことも何度かある。頭痛が10日間取れなかったり、ケツに変な"おでき"ができたりと、香月の人体実験には俺も蔵之介も手を焼いていた。まるでジュースを作る感覚で新薬を作ってくるから本当にタチが悪い。


 料理も掃除も、実際は香月の隣の席に座る蔵之介のほうが得意なんだよな。調理実習で香月が紫の煙を立てないよう、蔵之介は隠れて色々とサポートしている。


 新薬の研究より料理の研究のほうが将来よほど役に立ちそうなものだが、すでに進路希望調査に忍者と書いているこの幼馴染みのマドンナにとっては薬の開発のほうが重要らしい。


 「たぶん席は葉太郎の隣だろ?いいよなあ、アメリカからの帰国子女の女の子が隣なんてよ」

 「え?俺はインドって聞いたぜ?」

 「俺はマダガスカルって聞いたぞ」


 自席に着くと、近くにいたクラスメイトの男友達たちが一斉に声をかけてくる。マダガスカルからの帰国子女なんて聞いたこともねえよ。アイアイでもやってくるのかよ。


 俺の左隣、つまり香月の後ろの席は空いていた。俺の学年は直前で入学辞退者が1人いたらしく159人。2年2組は39人学級で、4月からずっと、俺の隣の席だけ誰も座っていない状態だったのだ。


 なんとなく机を広く使えていたようで気分も良かったのだが、さすがにずっとそんなわけにもいかない。こればかりは仕方ない。


 しばらくして予鈴が鳴り、ほぼ同時に教室前方の引き戸が開かれ、担任の服部先生が「うぃーす」とけだるげな声を発しつつ入ってくる。


 この40手前の社会科教師はそれなりに顔もいい。いわゆる"イケオジ"で、女子生徒からも人気があると聞いている。フランクな性格で男子生徒からも「服部ちゃん」の愛称で呼ばれるなど支持も厚い。


 「お前ら、ゴールデンウィークは楽しかったか?俺はずっと仕事だった」


 いきなり陰鬱な話するねこの教師。少し白髪交じりの頭をポリポリとかいた服部先生に、クラスメイトたちは急かすような視線を送っている。


 そう、クラスメイトたちは服部先生にゴールデンウィークの思い出を聞きたいのではない。早く転校生を紹介してほしいのだ。


 かくいう俺たち3人も、朝、親父から転校生の護衛任務を聞かされているだけで、"可愛らしい女の子"という予備知識しかない。これから護衛することになる女の子の顔も名前も知らないのだ。そういう意味では持ち合わせている情報量はクラスメイトたちとそう大差ない。


 「あー、お前らに報告がある。急な話だが、今日からこのクラスに転校生が来ることになった」


 服部先生がそう言い終わるかどうかのところで教室内からワっと歓声が沸き起こる。どんだけお前たちは転校生を楽しみにしていたんだ。そんなに日々の生活に娯楽がないのか。


 そんな俺たちを、服部先生はまるでイベントのMCのように手で制す。転校生がやってくるというのにここまで表情を変えない教師も珍しい。


 「まあ落ち着け、転校生が来るってのはいつの時代も興奮するイベントだけどよ。天王寺、入ってきていいぞ」


 教室の前扉のほうを向いた先生が声を掛けると、少し高めの「はい」という声と共にネイビーのセーラー服に身を包み、チェックのスカートの下から少しだけ膝をのぞかせる少女が、軽やかな足取りで教室内に入ってきた。


 先ほどまで歓声を上げていた教室の中が一気に静まりかえる。クラスメイトたちが息をのむ声が俺の耳にも入ってくる。息をのむほど、目の前にいる女の子は可愛らしい。


 斜め前の席を見ると、その美貌に見とれたのか香月がポケーっとした表情を浮かべていた。前の席の蔵之介は固まっている。


 腰まで届く、ストレートで艶のあるブロンドの髪、背は香月より少し小さい160cmくらいだろうか。香月もスタイルはいいが、セーラー服の上からでも分かるくらい出るところは出て、へこむところはへこんでいる。


 教室の後ろに座っている俺でも分かるほど澄んだ青い瞳。整った目鼻立ちを覆う小さな顔、そして吸い込まれるような桃色の唇…。たぶんこの子が街中を歩いていたら、10秒で10人くらいからナンパされるだろう。


 ここまで羽田空港から一人で来たのだろうか。来るまでに50人くらいにナンパされたのではないか。空港から護衛についたほうが良かったんじゃないかと思えて仕方ない。


 「初めまして、天王寺桜てんのうじさくらと申します。皆さん、お会いできて嬉しいです。これからよろしくお願いしますね!」


 ニコりと微笑みながら、少し高めの、よく通る声で彼女が自己紹介をし終えるかどうかのところで、教室内はまるで揺れるような歓声に包まれた。


 天王寺桜を見て湧かないクラスはないだろう、そう思った。

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