第2話 スイス生まれの天丼育ち

 「お前たちには護衛任務についてもらう」


 12畳ほどの和室に父・隠岐葉一おきよういちの声が響く。50歳手前、スキンヘッドに蓄えた口ひげ、深夜にコンビニに行けば確実に道端で職務質問をされそうな風貌。


 上座に正座し真面目な顔で語る父親と、その奥に掛けられている誰が書いたか分からない掛け軸が妙にフィットしている。


 朝7時の和室。父親の正面には俺を中心として香月、蔵之介と並んで正座していた。一般家庭では朝7時に集められて、父親から「今から護衛任務をやってもらう」なんて言われることはないだろう。本当に何を言っているんだこのハゲ。


 「護衛任務…ですか?」

 「そうだおぼろ。お前たち3人には今日から、とある人物を護衛してもらう」

 「承知しました、頭領様」


 父親ハゲから"朧"と呼ばれた香月が真面目な顔で頷く。承知しましたじゃないんだよ香月。お前、普通の女子高生は朝から護衛任務頼まれて、はいそうですかって答えないの。分かる?


 俺たちは父親からそれぞれ、コードネームのようなものをもらっている。龍宮香月は今呼ばれたように"朧"。俺の右手に座る才木蔵之介は"才蔵さいぞう"。


 そして俺、隠岐葉太郎は"葉隠はがくれ"。息子のことを"葉隠"なんて呼ぶ父親がこの国に他にいるとはとても思えない。


 「親父ぃ、で、どなたを護衛すればいいんで?」


 隣に座っていた蔵之介が姿勢を正し父親に尋ねる。父親である隠岐家25代目当主の葉一も、そんな蔵之介の姿を見て再度姿勢を正す。


 隠岐家は代々忍者を生業とし、戦国時代から現代まで続いてきた。昔家系図も見せてもらったことがある。古びて黄ばんだ紙に読めない字で色々書いてあったが、かろうじて"隠岐"という文字は分かったものの、その他に読み取れた文字はなかった。


 蔵之介と香月は戦国時代から隠岐家に仕えてきた家の出だ。俺たちが2つか3つの時に、蔵之介と香月の両親は任務中の事故で他界。それ以来俺の両親は2人の親代わりとなり、この家で育ててきた。俺と同様、忍者として必要なスキルを叩き込みながら。


 「護衛対象はとある戦国武将の血を引く娘さんだ。父親は私と同い年の古い友人でな。今は一家でロンドンに住んでいるんだが、今回父親が仕事の拠点をパリに移すのだそうだ。ただ娘さんがパリ行を嫌がったらしい。ひと悶着あって娘さんだけルーツのある日本に来ることになった。スイス生まれのロンドン育ち、大変気立てのいい、とてもかわいい娘さんと聞いている」


 戦国武将の子孫でスイス生まれのロンドン育ち?随分マンガみたいな経歴のお嬢さんがいたものだ。日本生まれ日本育ち、たまに修行と称して山に放置されることがある田舎忍者の末裔の俺からすると、住む世界がまるで違う。


 「で、なんでそのスイス生まれの天丼育ちのお嬢さんを護衛しなきゃいけないわけ」

 「葉太郎…いや葉隠、天丼じゃない、ロンドンだ。友に『日本で娘を一人にさせられない。頼む友よ、護衛をつけてくれ』と言われてな。幸い娘さんはお前たち3人と同級生。私の力でお前たちが通う高校にねじ…入れてもらった。すでに今朝羽田に着いて、もう学校に向かっている」

 「は?今日登校してから任務スタート?それを今言うのか?」

 「そうだ、この話が決まったのは昨日だからな」


 話を聞いていてもう頭痛しかしない。こんな簡単に任務を受ける父親もそうだし、急に頼む依頼主もどうかしている。というか、羽田から学校に直接ってなんだ?その間の護衛はいらないのか?


 「そんな急に言われて、なんで親父も話を受けたんだよ」

 「金が良かったからな」

 「このハゲ…」

 「ハゲじゃない、自ら髪を剃ったのだ」


 そうドヤ顔で語る父親の綺麗に剃られた頭を、和室に差し込んだ朝日が照らす。今この男、悪びれもせず報酬が良かったって言ったぞ。


 「いくら金が良かったからって、今からはい任務スタートはねーだろ」

 「バカ息子よ、今の時代、金が全てなのだ。現代の忍者は儲からない」

 「だったらとっとと廃業しろよ、このだだっ広い家の一角使って和風カフェでも開けよ」

 「葉隠よ、お前に忍者としてのプライドはないのか」

 「報酬良かったから当日スタートの任務受け付けるあんたにプライドうんぬん言われたくねーよ…」

 「お前の昼食の弁当の食材費はどこから出ている。お前の学費はどこから出ている。お前はこの任務をやるしかないのだ」

 「しかし頭領様、任務とはいえ私たちも授業がありますが、そこはどうしましょうか」


 俺たち親子の生産性のない会話に割って入るように香月が父親に尋ねる。確かにそうだ、俺たち3人が一緒に暮らしていることも、忍者として育てられていることもクラスメイトどころか生徒たちには言っていない。


 いきなりその護衛対象の女の子の隣に行って、「私たち忍者!今から護衛するからね!」なんて言うわけにもいかない。


 教師陣はなぜか俺たちが忍者であることを知っているようだが、さすがに俺たちも授業を抜け出して護衛するわけにもいかないだろう。トイレや更衣室までついていくわけにもいかない。


 「それについてはもう校長に話をつけてある。お嬢さんはお前たち3人のクラスに転校する」

 「は?朝依頼受けてそのままクラス指定して転校生ねじ込むことなんてできるわけ?」

 「お前たちの高校の校長は昔、私が命を助けたことがあってな。それから貸しがあるのだ」


 校長の命助けるってどういうシチュエーションだよ。令和だぞ今。元号安土桃山時代と間違えてるんじゃないか?


 「まあ確かにクラスメイトだったら護衛はできますねえ」

 「さすが蔵之介だ、理解が早い。お前たち、あとは任せたぞ」

 「あとは任せたぞじゃねーんだよバカ親父、そのカツ丼のお嬢さんは俺たちが護衛だって知ってるわけ?」

 「ロンドンだバカ息子よ。お嬢さんはお前たちが護衛であることは知っている。たぶん。お前たちが忍者であることも知っている。たぶん」

 「日本に行ったら忍者がお前の護衛につくなんて言われて、はい分かりましたなんて言う女子高生、いるの?」

 「いいか?クライアントである私の友は娘さんの幸せと、悪い虫がつかないことを心から願っていた。本来はお嬢さんを一人日本に送るのは反対だったのだそうだ。友は何度も反対したようだが、日本で勉強したいという娘さんも折れなかったらしい。そこで条件を出した。護衛付きなら行ってもいい、とな。いいところのお嬢さんだ。金も弾むぞ」

 「結局金じゃねーか。俺は気楽な高校生活を送りたいんだよ。家に帰って修行する日々じゃなく、平和に友達と学校帰りにファーストフードでも食べに行きたいわけ。分かる?」

 「お前の高校生活に平和の二文字はない。命を懸けてお嬢さんを守れ。さあ、この話はもう終わりだ。お前たち、もう登校の時間だぞ」


 そう言って父親は強引に話を打ち切った。どうやら俺は親ガチャでとんでもない外れクジを引いたらしい。親から平和な生活を奪われてしまっている。前世で何をしたらこんなに親ガチャを大きく外すのだろう。


 溜め息をつきながら立ち上がろうとしたところで、ふと父親が俺の左手に視線を移した。


 「バカ息子よ、その左手に握られた紙はなんだ?新しい暗殺依頼書か?」

 「元号を考えろよバカ親父」

 「あ、それ葉太郎の進路希望調査票っすわよ」

 「余計なこと言うんじゃないよ蔵之介」

 「なんだと?当然進路希望は第一希望が忍、第二希望が忍、第三希望が忍だろうな?」


 全然忍んでねーだろそれ。もっと忍べよ。忍者の言葉の意味もう一回辞書で引き直せ。


 進路希望調査票に大きな字で忍やら忍者なんて書くヤツいるわけ…あるな、さっき蔵之介が進路希望調査票に忍者って書いたって言ってたな…。


 「親父、葉太郎のヤツ、希望調査票に"公務員"なんて書いてるんですよ?信じられます?」

 「信じられねえのは蔵之介、お前の頭だよ。普通の高校生は忍者に就職希望しねーよ。明るい未来に就職希望させてくれ」

 「え?ヨウ、公務員なんて書いたの?私もう忍者って書いてパパにサインもらったよ」

 「香月、俺は親ガチャどころか友ガチャも大失敗したらしい」

 「…葉太郎、お前、俺のサインが欲しいのか?」


 正面の声の主に視線を移すと、顎に手を当てながら俺たち3人のやり取りを眺めていた父親がふと、何かひらめいたような表情を浮かべていた。


 まがりなりにも人生17年この父親を見てきた俺には分かる。絶対これはロクでもないことを思いついた時の顔だ。


 父親は警戒するような俺の視線に気づいたらしい。少し笑みを浮かべながら口を開いた。蓄えた口ひげが持ち上がる。


 「葉太郎、今回の護衛任務が成功した暁には、お前のその公務員と書かれた進路希望調査票にサインすることを考えてやってもいい」


 あのね、俺は今サインが欲しいの。分かる?この進路希望調査票、提出日今日なの。

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