第28話 ピンボールで遊ぼう!

「ど、どうしよう、お父さんが……っ!!」


 今にも泣き出しそうな顔で。


 狼狽えているヒナに向かって、瞑目めいもくしているセティはつぶやく。


「ヒナよ、落ち着け。貴様の父親は人質だ。人質としての価値がある間は無事、つまり、一時間という時間制限タイムリミットは命の保証を示している」

「……マリフ」


 真顔で、リトルはささやく。


「一時間。まともにやったら、ココから新宿駅の東口まで辿り着くのは不可能じゃな?」

「えぇ、無理でしょうね」


 カメラ外から。


 床を這う形で触手を伸ばしたリトルは、ヒナ、マリフ、セティの視線を集めてから、その先端で『配信用カメラ』を指した。


 次いで、その触手は、ヒナたちの足首から伝って背中を通り耳元から出てきて、ぼそぼそとささやき始める。


『配信を監視されとる。山田はわざと泳がされたようじゃな。山田が事情を話してから、電話が来るまでの間にラグはなかったからのう』


 次の瞬間。


 ヒナたちの『目』に、マリフが発する文字が直接投影される。


『山田は、時間測定器タイマーでしょうね。この第1246階層から地上までに出るまでにかかる時間で、こちらの実力を測ろうとしている。実力差によっては、我々が、ヒナたそに付いていった時点で姿を晦ますつもりでしょう』 


 ゆっくりと。


 動き始めたモンスターの血は、血文字となってセティの代弁を始めた。


『一時間……現在いまのヒナであれば、丁度、地上に出るくらいの時間か。今直ぐにでも出発しなければ間に合わない。フハッ、ヒナを孤立させて狩るつもりらしい。随分と慎重な性格をしている。我らの実力を測り損ねているが見くびってもいない』

『我々が、ヒナたそを抱えて走るのは?』

『無理筋じゃろ。わしらの誰かがヒナちゃんと共に画面から消えた瞬間、直ぐにでも姿を晦ますつもりじゃぞ』

『つまり』


 画面外のモニターが光って。


『わたしひとりで、地上に向かうしかないんですね』


 ヒナの言葉を伝える。


「ヒナちゃん……」


 そこで、リトルは肉声を発する。


 心配そうなリトルに対し、微笑んだヒナはふるふると首を振った。


「わたし、ひとりで行きます。大丈夫です。皆さんのお陰で、強くなりましたから。たぶん、上手いことやっつけられると思います。コレ以上、皆さんにご迷惑をかけるわけにはいきませんし、わたしひとりで行ってきます」

「あの父親」


 マリフは、苦笑してイヌ耳を動かす。


「貴女の配信の邪魔をしていたんでしょう? 見捨てちゃったらどうです? 相手はプロで、領域レベル125を退けている。死ぬかもしれませんよ。今後もDtuberとして活動していくなら、身内の障害は取り除いた方が都合良いでしょ」

「わたし、父子家庭なんです」


 ぎゅっと。


 両手を握り締めて、ヒナは気丈に笑ってみせる。


「お母さん、小さい時に病気で死んじゃって……それから、お父さんとふたりで頑張ってきました……まだ、お父さんの研究が認められてなくて貧乏だった頃……小さい丸テーブルの上で、わたし、チカチカ光る照明の下で歌いながら踊ってました……キラキラ……してたんです……あの時、お父さん笑ってて……」


 その当時を思い出したのか。


 ヒナは、楽しそうに微笑んで語る。


「お母さんがいなくなってから、ずっと、塞ぎ込んでたお父さんが笑ってくれて……キラキラ、キラキラ……わたし、あの時、光ってたんです……モニター越しに見た素敵なお嬢様みたいに……綺羅びやかなドレスを纏った舞踏会……あのキラキラを……もう一度……もう一度だけ、お父さんに見せてあげたいんです……だから……」


 真っ直ぐに。


 ヒナは、三邪神を見つめる。


「わたし、行きます」


 無言で。


 セティは、ヒナの肩を優しく叩いた。


「ヒナ、貴様は素晴らしいDtuberだ」

「えぇ、悪玉の私が吐き気を催すくらいに良いエピソードでしたよ」

「マリフ……こういう時くらい、気持ちよく送り出してやらんか」


 微笑を浮かべて、リトルはヒナへと言葉を手向ける。


「ヒナちゃん。ヒナちゃんは、もう、立派なわしらの推しじゃよ。じゃから、わしらは追っかけファンじゃ。必ず追いつくからのう。先に行ってて欲しいんじゃ」

「リトルさん、セティさん、マリフさん」


 深々と。


 ヒナは、三邪神へと頭を下げる。


「本当に! ありがとうございました! わたし、行ってきます!」


 そして、ヒナは駆け出す。


 その背へと、リトルは大きな声で呼びかけた。


「いってらっしゃい、ヒナちゃん!!」


 ヒナは笑いながら「いってきます!」と叫び返し――眼鏡の男の肩に手がかかる。


「と、でも」


 刹那。


 配信を視ていた眼鏡の男の全身に怖気が走り、勢いよく振り向いたその視線の先で――リトルは笑っていた。


「言うと思ったかのう?」


 配信画面から。


 リトル、セティ、マリフの三邪神が消えている。


 眼鏡の男――依頼人には『クゥ』と名乗っている彼は、つい先程まで画面に映っていた三邪神のひとりが眼前にいることが信じられず、隠れ家としていた廃ビルの一室でジュージューと肉が焼く音を聞いていた。


「ヒナたそのお父さん、そっちもう焼けてますよ」

「フハッ、食すが良い食すが良い!! 我ら、大盤振る舞いで、業務スーパーよりカルビ肉を持参した!!」

「……はぁ」


 いつの間にか。


 拘束から解放されている藤堂修二ヒナの父は、困惑しながら、ひっくり返ったモニターの上で焼かれている肉を突いていた。


 数秒前まで、配信カメラの先にいたマリフ、セティはヒナの父と歓談している。


「こ、これは……」


 理外。


 生まれて初めて、混乱を示したクゥは乾いた声を上げる。


「ど、どういう……?」

「まばたき」


 リトルは、笑いながら彼へとささやいた。


「まばたき、したじゃろ?」


 震える手で。


 クゥは、眼鏡を押し上げる。


「ま、まばたきの合間に……第1246階層から地上まで上がって……ぼ、僕の居所を掴んだ挙げ句、人質まで解放したとでも……あ、有り得ない……そ、そもそも、あ、貴女は、と、藤堂ひなを追いかけて……」

「追いかけて」


 貼り付いた笑顔で、リトルは言った。


「追い越した」

「…………」


 すっと、リトルの右拳がクゥの顔の横へと運ばれる。


「ピンボール」


 はっはっと、自身が発した荒い息がクゥの心の臓を揺らした。


 ぶるぶると全身が震えて、その拳の脇から得体の知れないナニかが……ナニかが、うじゅるうじゅると蠢きながら這い出てくる。


「ピンボールで、遊びたいかの?」

「…………」

「頷け」


 耳朶へと。


 リトルの息がかかる。


「頷け……お主は、わしの推しをけがしたのう……ただ、一生懸命、Dtuberとして活動してきた可愛らしい女の子の……夢の源である父を攫い、脅し、彼女の未来を奪おうとした……わしが……私が愛したDtuber人間の土壌を……その下賤な心で穢した……貴様の存在は……私の癇に障る……」


 最早。


 視界の隅に入るソレは人の形をとっておらず、人間の断末魔をミックスしたかのような不明瞭な言語が交じるようになっていた。


頷け鬆キ縺


 ガクガクと。


 全身が震えたクゥが頷いた瞬間――弾ける。


 猛烈な勢いで弾け飛んだ彼の全身は、天井にブチ当たり壁に直撃し床にめり込み、凄まじい勢いで密室の四方を破壊しながら弾け、吹き飛んだ瓦礫片を超える速度で、幾度も幾度もバウンドしながら線となって――ようやく、止まった。


 びくびくと。


 痙攣するクゥの前で、リトルはにっこりと笑った。


「お主、ピンボール玉な!」


 与えられたその役割は、当然のように……男の耳に届くことはなかった。

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