第26話 SAN値下がる系のファンサ

 恐る恐る、ヒナと三邪神は顔を覗き込む。


 あたかも、覗いてはいけない深淵を覗き込んでしまったかのような……恐怖に慄いている表情で、見知らぬ男は失神している。


「よ、良かった、生きてるみたいです」


 ほっと、ヒナは安堵の息を吐く。


 じろじろと男の尊顔を見下ろし、マリフはヒナへと視線を向ける。


「ヒナたそ、この男、見覚えは?」

「え? い、いえ、ありませんけど……えっ、アレ、でも……」


 なにか思い出したのか。


 ヒナの表情が変わって、白目を剥いて大口を開けている男の顔面をまじまじと見つめる。


「あっ、た、たまに三春小規模ダンジョンで見かけた人です。わ、わたし、上層でしか配信してなかったので、よく見かける人のことは記憶にあって……な、なんで、東京にいるんだろ……」

「偶然、で片付けるには噛み合いすぎているな」


 セティは、男を見下ろしながらつぶやく。


「ココは、新宿大規模ダンジョンの第1246階層……軽々しく、踏み込むことが出来るのはノアくらいの強者のみであろう。小規模ダンジョンの上層でよく見かける領域レベルの男が立ち入ることの出来る階層ではあるまい。丁度、偶然、たまたま、ヒナとカチ合ったとは考えにくい」

「つまり」


 リトルは、正解を導き出す。


「この人、ヒナちゃんの追っかけじゃないかの……?」

「えっ!? わ、わたしの追っかけ!?」


 マリフは、うんうんと頷く。


「確かに有り得ますね。ヒナたそ、この数日でチャンネル登録者数も爆増していますし。初期からの追っかけが、活動方針の転換とか我々といったDtuber同士の絡みとか、そのあたりで思うところがあり、思わずストーカー行為に走ってしまったというのは十二分に考えられますよ」

「え、え、えっ……で、でも、本当に何度かすれ違ったくらいですよ……わ、わたしなんかの追っかけなんているわけありませんよ……」

「そんなことないんじゃ!! ヒナちゃんは、とっても魅力的じゃぞ!! 奥ゆかしいファンが、命を賭してでも、己の訴えを聞いてもらうために第1246階層まで潜ってくるというのは有り得る!!」


 頬を染めて、ヒナはもじもじと俯く。


「え、えぇ……? そ、そんなことあるのかな……で、でも、そうだったら嬉しいな……わ、わたしの配信、いつも一人だけは必ず見てくれてて……も、もしかしたら、その人かもしれません……えへへ……」


 まんざらでもない感じで、ヒナはにへらと笑む。


 そんな様子を見て、三邪神はニチャァとキモオタ笑いを浮かべる。


「しかしヒナたそ、有り余る愛でストーカー行為をしてしまったとはいえ、ファンはファン……今現在の方向性を受け入れてもらうためにも、彼を納得させるためのファンサかなにかをした方が良いのではないでしょうか?」

「そうじゃのう……配信にバッチリ悲鳴ものってしまっておるし、世間様に変な誤解をされる前に事を収めておいた方が良いかもしれん」


 三邪神からの提案に、ヒナは目を丸くする。


「ふぁ、ファンサ? あ、アレですか、な、投げキッスとか」

「それは、我が欲しいぞ!!」

「わし!! わしも欲しい!!」

「私も、もらえるならもらっておきたいですよ!!」

「えっ、えぇ……」


 羞恥で顔面を真っ赤にしながら。


 不慣れな動きで、ヒナは愛らしくキモオタ三邪神へと投げキッスを送る。


「「「…………」」」

「な、なんですかっ、その微笑ましい笑顔は!! 娘に送るタイプの自愛溢れる感じ、やめてもらっていいですかっ!! ば、ばかっ!!」


 ニヤニヤしながら、マリフは肩を竦める。


「ヒナたその下手くそ投げキッスはやめた方が良いですね。下手くそすぎて、自分の首を掻き切ったかと思いましたよ。ストーカーが悪化する恐れがありますから、別の方向性を考えた方が良い」

「神たる我が思案するに、今の新機軸……『世界一のお嬢様系Dtuber』を押し出す方向性のファンサが良いのではないか?」

「うむ、わしも同意見じゃ! 今の魅力たっぷりなヒナちゃんを見てもらえれば、きっと、この人も大満足で応援してくれるようになるじゃろ!」


 胸の前で両手を握り、ヒナは一生懸命こくこくと頷く。


「な、なるほど……っ! な、なら、カツラとかドレスとか必要ですかね……っ?」

「「「…………」」」

「え、え、えっ? な、なんで黙るんですか?」


 ぽんぽんと、リトルはヒナの肩を叩く。


「ありのままのヒナちゃんを見てもらうべきじゃと思うんじゃよ」

「先ほどのモニターブーメランで、ヒナの領域レベルは一気に上昇した。ともなれば、その成長をファンに見せることは義務ではないか」

「見せてあげましょうよ、今のヒナたそを。立派になったヒナたそを見せつけて、『ヒナ泣き』してもらいましょう」


 すっと、ヒナの顔から表情が消えた。






 自分を追いかけてくる十二枚の妹モニターたち。


 その悪夢から目覚めた男は、唸りながらゆっくりと身を起こす。


「ぐっ……な、なんだったんだ、あの悪夢は……モニターのバケモンが追いかけてきて……ど、どこだよ、ココは……あの眼鏡の男から逃げ切って……それで俺は……どこにい――うわぁあッ!!」


 物言わず。


 眼の前に立っている怪人を視認し、男は大きな悲鳴を上げて仰け反る。


 眼前で沈黙しているのは、全身をモニターで覆った怪物……顔、肩、腕、胸、腹、足、ありとあらゆるところにモニターが貼り付いており、その大量のモニターには『藤堂ひな』の過去配信が映し出されていた。


「な、なんだテメェは!? し、深層のモンスターか!? お、俺を殺すためにやって来たのか!?」

「…………」


 フッ、フッ、と息を荒げながら、モニターの怪物は無言で応える。


 恐怖で慄く男は、こちらを撮影している自動追尾式のカメラを見つけた。


 モニターの裏にある見覚えのある制服、背格好を確認し、男はその正体に思い当たる。


「と、藤堂ひな……と、藤堂ひな、なのか……?」


 ごくりと、男は生唾を飲み込む。


 お、俺の正体に気付いてたのか……こ、このモニター、ただのモニターじゃねぇ……間違いなく、人外遺物アーティファクト……な、なにを……なにをするつもりだ……?


 男へと、影が差した。


 羊角と漆黒の肌をもつ深層のモンスター……グレーターデーモンが姿を現し、『気配遮断』が切れていた男は大声を上げる。


「う、うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 男は、絶叫し――グレーターデーモンの頭部が消える。


 猛烈な勢いで血しぶきが迸り、周辺が真っ赤に染まって、どうっとグレーターデーモンの全身が横倒しになる。


 右腕のモニター。


 そのモニターを発光させたヒナは、発した強烈な光線によってグレーターデーモンの頭部を一瞬で消し去っていた。


「あ……あがっ……がっ……!?」


 自分の目が信じられず、男は大口を開けてガタガタと震える。


 い、一瞬で……た、たったの一瞬で、グレーターデーモンを葬りやがった……さ、三桁台の領域レベルを持つ迷宮探索者でも手こずる怪物を……こ、コイツ、今まで、この実力を隠していやがったのか……?


 あたかも、煽るように。


 ヒナの顔面のモニターに、スマイルマークが表示される。


 かちかちと、歯の根が合わない男の歯が音を鳴らした。


 た、楽しんでやがる……お、怯える俺の姿を見て笑っている……。


 男が反応を示さないのを見て取ると、ヒナは動き始め――足裏のモニターの画面を粉砕しながら、猛烈な勢いで壁を走り始め、次から次へと深層のモンスターへと飛びかかり――頭を潰し、胸を破壊し、全身を粉々にした。


 その驚異的な力を目の当たりにし、腰を抜かした男は、みっともなくしょんべんを漏らしていた。


 み、見せつけてやがる……じ、自分の力を見せつけて、おっ、俺を弄んでいる……さ、最初から、この時が来るまで俺は泳がされてたんだ……こ、殺される……殺される殺される殺される……ッ!!


 ドゴドゴドゴドゴドゴドゴッ!!


 床を陥没させながら猛烈な勢いで戻ってきたヒナは、血塗れになった画面上のスマイルマークを見せつけてくる。


「ひっ……ひっ……ひぃっ……!?」


 ずいっと、ヒナは前のめりになる。


 画面上のスマイルマークが切り替わって、代わりに藤堂ひなの映像が映し出された。


 映像上のヒナは、憤怒で顔を真っ赤にし、悪魔のような素振りで唇に手を当て――あたかも、自分の首を掻き切るようなジェスチャーをとった。


 その瞬間――男の精神は、限界を迎えた。


「こ、殺さないでくださぃい!! そ、そうですっ!! お、俺は、貴女のお父様に依頼されて、貴女の配信を邪魔立てしておりましたっ!! ど、どうか、命だけはっ!! 命だけはぁあっ!!」


 どこに隠れていたのか。


 そろそろと、Dtuberユニットのキモオタ三邪神がやって来る。


「「「「…………えっ?」」」」」


 ヒナと顔を見合わせて、彼女らは真顔で同時につぶやく。


「「「「えっ?」」」」」

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