第25話 十二人の怒れる妹

 暗がりの中に。


 椅子が、一脚、置いてある。


 そこに縛り付けられている若い男は、噛まされた猿ぐつわ越しに荒い呼吸を吐いて、ギョロギョロと蠢く目玉で必死になにかを探していた。


 その探し物は、眼の前にあった。


 一本の糸を使って、天井からぶら下げられている写真。


 荒くなった息でゆらゆらと揺れて回転するくらいの至近距離、縛り付けられた男は、死に物狂いでその写真に映る少女を凝視する。


「うーっ!! うーっ、うーっ、うーっ!!」

「…………」


 男の前にも、またひとりの男。


 高級爪やすりで、丹念に『砂糖菓子』を磨いているスーツ姿の眼鏡の男……柔和な笑みを浮かべた彼は、蚊の一匹も殺せそうにない慈しみ溢れる表情で、丁寧に丁寧に表面の砂糖を剥がし取った。


「知ってますか」


 眼鏡の男は、とんとんと、縛られている男の目の上を指で叩く。


「人間の皮膚の厚さは、部位によって異なり最も薄いのは……まぶた。約0.6mm。皮膚は、『表皮』、『真皮』、『皮下組織』と三層状にわかれていますが、各部位の平均をとれば約2mm……貴方の身体で言うところのココ」


 彼は、次いで、男の額を指でノックする。


「額だ」


 ふーっと、息を吹いて。


 細かい砂糖を吹いて落とした眼鏡の男は、ツルツルになった砂糖菓子の表面を見せつける。


「僕は、お菓子作りが趣味でね……このグレイズされた砂糖菓子、表面の厚さは貴方の額と同じなんですよ。見てください。この砂糖菓子の表面、綺麗に砂糖グレイズは剥がし取られていますが、中身のお菓子には傷ひとつない」


 ふっふっと、縛られている男の口から熱い空気が漏れる。


「さて、予習が終わった僕は、本番で……貴方の額になにをすると思いますか」


 眼鏡の男は、そっと、爪やすりを彼の額に押し当てて――縛られている男の口から悲鳴が迸り、ガタンガタンと椅子が揺れる。


「もう一度、聞きますよ」


 ゆっくりと、爪やすりを動かし始めて眼鏡の男はささやいた。


「彼女の名前は?」


 猿ぐつわが外れて、縛られている男は絶叫した。


「と、藤堂ひな!! 藤堂ひなっ!! ほ、他のことはなにも知らない!! ほ、本当だ!! ただ、俺は依頼されただけで!!」

「……依頼?」

「と、藤堂修二だ!! ゆ、有名な迷宮生物学者の!! む、娘がDtuberから引退するように仕向けて欲しいと!! た、大したことはしていない!! た、ただ、あの子が下層に向かわないようにそれとなく誘導していただけだ!!」

「へぇ……なぜ、下層に向かわないように誘導を? 引退と結びつきませんが」


 眼鏡の男の興味に、希望を見出したのか。


 血混じりの唾を吐き散らしながら、男は必死で声を上げる。


「じょ、上層のレッドスライムを倒し続ける配信なんて伸びるわけないだろう!? か、代わり映えのしない配信を続ければ視聴者は離れる!! あ、あの子のDtuberに対する執着は異常だった、だから、万が一にも人気が出ないように!!」

幼気いたいけな少女に対して酷いことをする」


 ため息を吐いて、眼鏡の男は少しの哀れみも混じっていない笑みを浮かべる。


「あ、あんたの目的はなんだ!? あ、あんな子になんの用事がある!?」

「街の通りで見かけて気に入りましてね」


 唖然としている男の前で、眼鏡の男は苦笑する。


「冗談ですよ、『貴方に話すようなことじゃあない』という意味です。では、僕は、コレで失礼します」

「ま、待て!! 俺はどうなる!?」


 男の問いかけには答えず。


 部屋から出ようとした眼鏡の男へと――縛られている男は、大声で起死回生の一手を放った。


「お前も、瀬戸セト獅蝋シロウのようになるぞ!!」


 ドアノブを回しかけていた手が――止まる。


 その様子を見て、縛られている男はニヤリと笑った。


「藤堂ひなには、これ以上ないほどのボディガードが付いている。知らないのか。あの瀬戸セト獅蝋シロウが、手も足も出ずに完敗したDtuberがいる……125領域レベルの俺を上回るあんたでも、真っ向からかかれば太刀打ち出来ないぞ」

「…………」

「俺が協力する!! Dtuberには詳しいんだ!! あの三人組に対する対策も、既に講じている!! だから、俺に協力させてくれ!!」

「…………」


 ゆっくりと、振り向いて。


 眼鏡の男は、縛られている男へと砂糖菓子を放り投げた。


 いつの間にか、切られていた高速バンドを解いた彼はソレをキャッチする。


「ソレ、自信作ですよ」


 無言で。


 縛られていた男は、その菓子を口に運んだ。






 新宿超大規模ダンジョン、第1246階層。


 青ざめた顔で、ヒナは頭上を覆っている巨大な粘体を見上げる。


「小手調べ用に準備した、グランドスライムとかいうヤツじゃ。まずは、ヒナちゃんには――」

「む、無理ですよ無理無理無理!! 倒せませんからっ!!」


 必死で。


 両手を振って拒否するひなに対し、顔面が陥没しているマリフはため息を吐く。


「だから、私の最高傑作、ひな専用フルアーマー・モニターを使えば余裕ですって。見てくださいよ、私の愛らしいお顔が陥没して戻らない程のこの威力。PCモニターを右ストレートで破壊するアメリカンキッズのパワーでも、傷ひとつつけることすら叶いません」

「なんで、全身、モニターでドレスアップして配信しないといけないんですか!! 嫌ですよ!! 顔面、ぐちゃぐちゃにして視聴者プレゼントにしますよ!?」

「ヒナよ、そうモニターを振り回すな。フハッ、どれ、神たる我が勧めるギャルゲー原作のアニメでも見て落ち着くが良い」


 セティが電源ボタンを押した瞬間、どこにも繋がっていない筈のモニターにヘッドドレスをつけた青髪の少女が映し出される。


にいやぁ? くるぅ?』

「セティさん、勝手につけないでくださいよ!」

「フハッ、我の大切な十二人の妹の萌えを存分に味わうが良い!!」


 ぶんぶん、ぶんぶん。


 マリフから提供された人外遺物アーティファクト『ド◯キとかで売られてそうな激安PCモニター』を振り回していたヒナの手から、勢いよくモニターがすっぽ抜ける。


「「「「あっ」」」」


 くるくると回転しながら、そのモニターはグランドスライムへと飛んでいき、直撃した瞬間――パァンッと音を立て、その巨体は四方に弾け飛んだ。


 勢いは止まらず、方向を変えたモニターは空を飛ぶ。


 くるくると。


 ゆっくり回転したまま、激安モニターは第1246階層を回遊し始め――


『お兄ちゃん♡』

「ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『お兄ちゃま♡』

「ウボォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『あにぃ♡』

「ギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『お兄様♡』

「ヒィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!」


 第1246階層に棲まう深層のモンスターたちは、断末魔を上げながら弾け飛び、逃げ惑いながら肉塊へと変じていく。


 とんでもない勢いで、ヒナの領域レベルが上昇し――その度に分裂していく激安モニターの速度は増して、増殖を始めたモニターたちによる一方的な虐殺は加速していく。


『おにいたま♡』

「ヒギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『兄上様♡』

「ジュァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『にいさま♡』

「アヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『アニキ♡』

「ヴォアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

『兄くん♡』

「ギュボアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 あっという間に。


 第1246階層は血の海へと沈み、飛び散る肉片と臓器がダンジョン内を埋めていく。


 そんな阿鼻叫喚で溢れるダンジョンへと。


 藤堂ひなを求めて足を踏み入れた男は、先ほどまで縛られていた手首を撫で擦る。


「あの眼鏡野郎、詰めがあめぇんだよ……殺されかけて、協力するわけねぇだろうが。俺の『気配遮断』の技能スキルでもなければ、こんな深層にまで追ってくることは出来ねぇだろうし、藤堂ひなを半殺しにでもして先に確保すれば、なにかしらの交渉材料に使え――」


 殺気。


 修羅場を幾度も潜り抜けてきた男は、今までに感じたことのない濃厚な死の気配を感じ――


『兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま兄君さま』

「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 謎のアニメ映像を流しながら、猛烈な勢いで迫ってくるPCモニターを視認し――悲鳴を上げながら逃げ出した。


『兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ兄チャマ』

『兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や兄や』

「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 自分のことを、兄と呼びながら猛追してくる十二枚のモニター。


 そこに映っている二次元の美少女たちは、壊れたように兄を求めながら鋭利なかどを振り回し――壁と床を削り、火花を散らし、深層のモンスターを叩き潰しながら迫ってくる。


 血で真っ赤に染まったモニターから愛らしい声を上げ、兄を求める妹たちは見つけ出した『お兄ちゃん』を追いかける。


 そして、足がもつれた男は勢いよく転び――


『お兄ちゃんお兄ちゃまあにぃお兄様おにいたま兄上様にいさまアニキ兄くん兄君さま兄チャマ兄やお兄ちゃんお兄ちゃまあにぃお兄様おにいたま兄上様にいさまアニキ兄くん兄君さま兄チャマ兄やお兄ちゃんお兄ちゃまあにぃお兄様おにいたま兄上様にいさまアニキ兄くん兄君さま兄チャマ兄やお兄ちゃんお兄ちゃまあにぃお兄様おにいたま兄上様にいさまアニキ兄くん兄君さま兄チャマ兄や』

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 お兄ちゃんとなった男は、耳がつんざくような悲鳴を上げて――第1246階層は静まり返った。


「「「「……………………」」」」


 三邪神とヒナは、ゆっくりと顔を見合わせて――


「「「「……………………」」」」


 無言で、配信を終了した。

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