第8話 スキル発現、マリフガード!!

 領域レベルとは、迷宮探索ギルドが定めた迷宮順応率を指す。


 迷宮順応率とは、人間がダンジョンに順応したパーセンテージを示している。


 ダンジョンに潜れば潜るほどに、筋力、筋持久力、瞬発力、心肺持久力、敏捷性、平衡性、柔軟性……身体能力が底上げされていくことが発見され、ソレはダンジョン内に充満している『オド』と呼ばれるエネルギーが原因とされていた。


 オドによる身体能力の上昇には限界があるとされていたが、近年の研究により、オドを取り込んだ後に『肉体を酷使』することで、人体におけるオドの許容限界率が引き上げられることが判明した。


 その結果、事実上、オドによる身体能力の上昇に限界はないと通説が一転した。


 オドの許容限界率は、いつしか迷宮順応率とも呼ばれるようになった。


 オドを受け入れる許容量を一種の閾値しきいちとし、領域レベルという基準に落とし込み、ダンジョンの入出可能階層判定に取り入れたことによって、迷宮探索ギルドは小規模、中規模ダンジョンにおける死亡率を大きく引き下げることに成功した。


 そして、人間が一定の領域レベルに到達した際、人体の一部が人外遺物アーティファクト化し、人体構造や物理法則を超越した動作を可能としたり反応を起こす現象を――技能スキルと呼ぶ。


 MRIを使用して可視化した脳内の活動状態により、技能スキルを使用する際の脳の活動状態を確認した結果、脳科学者が困惑する衝撃の事実が判明した。


 技能スキルを使用する際、人間の脳は『0%』使用されていたのだ。


 つまり、人間の脳は完全に活動を停止している。


 脳の10パーセント神話、というものがある。


 『人間は、脳の10%かそれ以下の割合しか使っていない』と、まことしやかに語られている都市伝説である。


 当然、都市伝説は都市伝説で、人間の脳は通常生活でも100%使われている。


 一瞬であろうとも、脳の使用率が0%というのは有り得ない。有り得るとすれば、脳死状態に陥った時である。


 だからこそ、技能スキル使用時においても通常通りに活動しているように見える人間の脳の使用率が0%になっているというのは……異常であり、未だに、その明確な理由が見出されていない。


 なお、技能スキルを使用する際の感覚について、とある迷宮探索者は『脳の蓋を開く』と表現している。


 現在においても、大量のオドが人体のどこに格納されているかはわかっていない。


 なにもかも不明のまま、手探りで領域レベル技能スキルは活用されている……各国間の迷宮産業戦争が激化するにつれて、世界は、消極的受容力ネガティブ・ケイパビリティの強化を余儀なくされていた。


 そして、今、詩宝ノアはその不確実性の高い技能スキルを使用していた。


 彼女の技能スキルは、神域と呼ばれる領域レベルに属している。


 独立行政法人技能評価委員会によって、最高位の評価を受けている技能スキルであり、個人の特色により数多に発現する技能スキルにおいては使い勝手が良いと、己でも自負しているものである。


 その名は、『神速』。


 発動と同時、一瞬で、ノアは最高速度である時速500kmにまで至る。


 その速さは超電導リニアと同じであるが、その肝心は自在に『加速と減速、転換と静止を可能とする』ということである。


 時速500km以内であれば加速減速は自由自在、かつ、時速500kmのまま直角に曲がったり、時速500kmから一瞬で0kmに至ったりすることも可能だ。


 なおかつ、発動中、『周辺の事物は、神速による加速減速の影響を一切受けない』。


 急加速、急減速しても、ノアも周りのモノもへっちゃらというわけである。


 ありとあらゆる面で物理法則に反しており、長年、研究されているものの一切その理由は判明していない。


 ノアは、神速を発動していた。


 彼女にとって、この技能スキルは秘すべき切り札である。


 今まで、発動したことがあるのはたったの4回……その4回とも、使わなければ自分は死ぬと明確に判断したからである。


 だからこそ、彼女は逃げ切れると確信をもっていた。


 この技能スキルを使えば、あの邪神たちから逃れられ――


「どこ行くんじゃあ?」


 ぎょっと、ノアは目を剥く。


 彼女にしか到れない筈の時速500kmの世界……その世界に、当然のように追いついてきたリトルはこちらに手を振る。


「トイレかのう? 一旦、配信止めた方がええか?」

「フハッ、女性レディにおいそれと斯様かようなことを尋ねるな」

「そうですよ、デリカシーがありませんね」

「おぬしだけには言われとうないわ!」


 本来であれば、時速500kmの最中で言葉が耳に届くわけはない。

 

 ノアの神速による保護がなければ、誰がなにを言っているのかもわからなかっただろう。


 にもかかわらず、当然のようにノアを追い越していった三邪神は、持ち込んだポテチを三柱でシェアしながら雑談に花を咲かせている。


「エンディングで走るアニメは名作って言われてますよね」

「あるあるじゃのう! わしらも、こうして並んでると青春っぽくて良いのお!」

「フハハ、さすがは詩宝ノアといったところか。配信中でも、次々と場面を変えた方が良いと身を持って教授するとは」


 くるりと。


 三邪神は、ノアの方へと振り返る。


「「「エンディング再現、する?」」」

「なんなのぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! なんなのもぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 上へは逃げられない。


 泣きながら下へと逃げていったノアは、技能スキルの使用限界時間を迎え、その場に膝をついて項垂うなだれる。


「マリフ! なんで、おぬし、のり塩しか持ってきておらんのじゃ! 配信中のノアちゃんが、青のりをつけた歯でしゃべるわけにはいかんじゃろうが! 気が利かんのう!」

「仕方ないでしょう、安売りしてたんだから」

「下らん雑事すらこなせんのか、貴様は」


 当然のように。


 ノアが必死で逃げた先に座り込み、円座になったリトルたちはポテチを食べていた。


『一瞬で捕まってて草』

『ノアちゃん、「神速」使ってなかった……?』

『「神速」使ったノアの先回りしてるのマジ?』

『大体、画面に映ってなくて笑った』

『ノアが逃げ出したと思ったら、次の瞬間にはポテチ食ってたからね』

『詩宝ノアって、迷宮探索者としても最高峰レベルだよな……?』

『なんで、「神速」使ってエンディング再現する必要があるんですか?』

『最後らへん、速度落とした時に走り方映ってたよね』

『なんで、コイツら、超大規模ダンジョンで十傑集走りしてんだよww』

『再現度高くて草ァ!!』


 コメント数はうなぎのぼりで、盛り上がりに盛り上がっていた。


 そんな最中で、ノアはようやく気が付く。


「う、嘘……こ、ココ……?」


 ダンジョンは、下層に下りるにつれてオドの量が増していく。


 そのオドの量は、最高峰の迷宮探索者としても名高いノアですらも体験したことのないものだった。


 つまり――


「み、未到達階層……」


『未到達階層ってマジ???』

『盛 り 上 が っ て ま い り ま し た』

『許可とれてんの?』

『とれてるわけねーだろww』

『放送事故のオンパレードで草ァ!!』

『ホントに死ノアじゃね?』

『コレ、通報した方が良いの???』

『マジで、救助は呼んだ方が良いかも』

『ノアです……「神速」で逃げ込んだ先は未到達階層でした……ノアです……』

『さすがに、キモオタ三邪神でもヤバい』

『未発見モンスターとか出てきたら、ホントに逃げた方が良いよ』


「なんじゃあ……?」


 コメントを読んでいたノアは、間の抜けた声を聞いて顔を上げる。


 ポテチをむしゃむしゃと食べているリトルの見上げる先で、シュルシュルと音を立てながら七つの龍頭をもった七頭龍が現れる。


 迷宮探索ギルドに保管されているあらゆる資料を頭に叩き込み、己の脅威と成り得るモンスターの姿形や特色を把握しているノアは、一見にして、そのモンスターが『未発見モンスター』であることを看破する。


 迷宮探索者の教習で、指導員から口酸っぱく言われることがある。


 ――『未』の付くものからは逃げろ。


 つまり、未到達階層や未発見モンスターのことであり、今まさにノアが目の当たりにしている脅威のことだった。


 お、終わった……神速のクールダウンは間に合わない……死んだ……。


 生ノアが、脳裏で死ノアを描いた瞬間。


 唐突に。


 予備動作ひとつなく。


 七頭龍は、猛烈な勢いで火炎ブレスを吐いた。


 死――真っ赤に染まる視界の中、眼前に飛び込んできたふたつの人影、そしてその人影は人体をひとつ抱えていた。


「「マリフガード」」

「ぐぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 その一身で、火炎ブレスを受け止めマリフは燃え盛る。


 ひとり、盾にされて火あぶりになっているマリフを見つめ、ノアは甲高い悲鳴を上げて泡を吹き失神した。

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