02-運命の赤い糸




「行ってらっしゃ~い」

「行ってきまーす」


 気の抜けたミーシャの挨拶とともに、玄関を出る。

普段は姉妹の挨拶もあるのだが、昨日は僕のお祝いと称して遅くまで騒いでいたからか、今日は寝落ち状態だ。

何時もより少ない挨拶に物足りなさを感じつつも、朝の冷たい空気を切って前に進む。

住宅街の一角、あたりの家はどこも庭付きの一軒家ばかりだ。

門構えはキッチリしており、犬や猫を飼っている人も多い。

20年前の決着後、一軒家を建てたころはまだ瓦礫のままの建物や小さい畑などが多かったそうだが、この20年で辺りが様変わりしたのだという。

僕が物心ついたころは、すでに近場で建設ラッシュが行われており、その周りに人気が殆どなかったころの地元は知らない。

世界を救った勇者の地元ということで治安が良くなり、それで高収入者が集まったのだとは聞く。


 10分少々歩くと、駅前広場に。

集まった店舗や商業施設を尻目に、僕の足は駅へ。

近年再開した、非接触のICカードをピタリとやり、改札を抜ける。

階段を上ってホームにたどり着き、眼下に地元の町を見やる。

国有鉄道が再開したのは、5年前だったか。

そのころと比べても高層ビルが目立つようになり、ここが"人の領域"として再開発されたことを意識させられる。

通勤ラッシュと少しずれた時間帯だからか、人の数はまばらだ。

作業着姿で次の現場に向かおうとする中年男性、幼い子供を連れて出かける所だろう若い女性、遠目には園児を連れて集団でどこかに行こうとしている大人たちが見える。


 こうやって一人で外に出ると、なんだか自分が見られているような気分になる。

どう考えても自意識過剰なのだが、そう自分に言い聞かせてもその感覚は消えない。

恥ずかしいような、怒っているような、自分でも名前の付けられない感覚に従い、僕はそっと柱の横に立ち左側を防御。

次いで携帯端末を持ち、髪の毛を弄るフリをして、右側の顔を隠す。

少しだけ安心できて、安堵のため息とともに僕は電車を待った。


 暫くして、電車が到着。

座席はガラガラに空いているが、どうにも電車の座席というものは落ち着かない。

正面に人が座れる作りというのが、嫌なのかもしれない。

距離も短いので問題ないだろうと、僕はドアの横に立ち、腕組みして壁に体重を預けた。


「あ、冒険者さんだ」

「剣、かっけえー」


 園児の声。

指さすその先、対面のドア近くで立つ同業者を見かけて、思わず視線をやる。

ベージュひざ下まで伸びた防刃コートに、腰には杖長剣と杖短剣、おそらく後衛系の装備。

防刃コートの内側、シャツの首元から出ているハイネックインナーは、気のせいでなければ阿畑中製の吊るし服。

自分が関わっている仕事を見ると、なんだか気恥ずかしくなってくる。

視線を外して、窓の外に目をやった。


 高層ビル、緑あふれた公園、広く整備された道、走る車は様々な色だ。

皇国の首都である皇都は、ようやく20年前の大戦の傷跡から立ち直りつつあった。

連邦が陥落し、竜国が滅亡、連合が瓦解、州国も包囲されて半壊、中東方面から暗黒大陸の方面は当時情報遮断で一切が不明。

人類最後の砦であった皇国も無傷とは言えず、魔王軍最高幹部である四死天の侵攻はすさまじい物だったと聞く。

"水と疫病"が北西から、"火と破壊"が北から、"土と地震"が皇都に強襲し、"雷と呪怨"は勇者一行の逆侵攻を待ち受けていた。

"土と地震"の首都直下型地震3連発は、うち2発は防ぐことに成功したが、不意打ち気味の最初の1発は防げず凄まじい被害が出たのだとか。

もちろん、"人の領域"ではなくなり再奪還が未だなされていない、北の大地ほどではないが。


 僕ら冒険者は、その復興の礎の一つである。

"魔の領域"と化し魔物たちが住まうようになってしまった場所を再奪還し、"人の領域"として取り戻す。

人魔大戦以前は一度役割の多くを終えたとされていたが、今再び冒険者は社会に必要されるようになっていた。

子供のあこがれの職業といえば、断トツトップが冒険者だ。

冒険者の死亡率は結構高いのだが、皇都はともかく地方ではまだ復興がしきれておらず、一般人なら安全とはいいがたい。

そういった状況なので、多くの場合親も消極的ながら冒険者になりたがる子供を応援せざるを得ない状況だ。


 ふむ、と窓をみやる。

薄っすらと映った僕は、ミリタリーブルゾンにシャツ、ストレッチの効いたデニムパンツ姿だ。

糸で作れる以上武器は持っていないし、防具も特注のブルゾンやズボンだが、パッと見て分かるものではない。

強いて言えばアーミーブーツが少しゴツいぐらいだが、それだけで僕を冒険者と判別することはできないだろう。


「ね、ぼく知ってる、剣でこーやってぶんってビームだして……」

「違うよ、アレ杖剣だから、ビームじゃなくて魔法撃つ奴だよ!」


 と、子供たちは同業者を見ながら騒いでいる。

気になってチラチラと見てしまうが、彼らが僕が冒険者であると気付く様子は見えない。

ふと、視線を感じ目をやると、同業者が僕を見ていた。

気のせいか、なんだか呆れた顔をしているような気がする。

見知らぬ同業者の呆れた視線に、僕はコホンと溜息、携帯端末を手に弄り始める。

気にしていません、気にしていませんよ、と念じながら、赤くなってきた頬を携帯端末で隠すのであった。




*



 とんとんとん、とノック。

僕が立ち上がり会議室のドアを開くと、両手に紙杯をもった下野間さんが現れた。

白衣をひらひらさせながら、僕の前に紙杯を一つ置くと、そのまま回り込む。

小さな会議室のテーブルの反対側で席に着き、紙杯を傾けて見せた。

習って僕も、ブラックコーヒーに口をつける。

頭蓋が揺れるような、猛烈な苦み。


「うげ……。ミルクと砂糖お願いします……」

「はいはい……。子供舌だなぁ、お前さん」

「こんな苦い物を美味しいと言い出すぐらいなら、子供舌のままでいいですよ別に……。

 同じ黒い物ならコーラが大好きですし、用意いただいてもいいんですよ?」

「アホ言え、どこの企業の会議室でコーラが出てくるんだよ。

 大抵は緑茶かコーヒーだろ」


 遠い目をしながら、差し出されたミルクとスティックシュガーをコーヒーに投入。

マドラーがないので、適当に紙杯をグルグルと揺らしたうえで、口をつける。

もうちょっと甘い方が、と視線が砂糖を探し始めるのを、意志の力で押しとどめる。

少し苦手な濃いコーヒーと格闘する僕に、手を組みながら下野間さんが呟いた。


「最近、どうだ?」

「竜銀級に合格しました。姉さんとミドリと、三人で、ですがね」

「おお、そりゃあおめでとうさん!」


 と、破顔して見せる下野間さん。

確か父さんより年上で、五十歳ぐらいだっただろうか。

白髪交じりの横に流した髪に、少し面長な顔にこけた頬。

研究所ではいつも白衣に便所サンダル姿で、なんだかだらしない人だ。

けれどなんだかほっとする笑顔をする人で、彼の笑顔を見ると、なんだかこっちも笑顔になりたくなるような感じで、素敵な気分になれる。


「良かった良かった、ウチの上の娘もほんと見習ってほしいよ」

「娘さんはバンド活動、どうなんです?」

「横這い。もうちょい練習しろよアイツ、素人の俺よりギターヘタクソな癖して。

 つーか親としちゃ、一人で食ってけるようはよ自立してほしいわほんとに」


 下野間さんの娘さんは姉妹で、上の娘さんはバンド活動、下の娘さんはまだ学生だったか。

上の娘さんのバンド活動はインディーズレーベルから声がかかりプロとなったが、未だに生活費ギリギリの収入程度なのだという。

夢を追ってプロになった時点ですさまじい事だと思うのだが、下野間さんは演奏技術については割と厳しいことを言う。

下野間さん自身もギターが趣味で、かなり上手い。

動画に撮って見せてくれたが、素人の僕にはプロ並みに見えるほどだった。


「お父さんの趣味が切っ掛けで、ギターを始められたんですよね?

 なんだか、見ていてすごくいいなぁって気分になります」

「……お義父さん?」

「え? 娘さんから見てお父さんなので、そう言ったんですが……。何か?」


 急に固まってしまったので、疑問符を告げながら僕は首を傾げた。

何か変な事を言ったかと自分の言葉を反芻するが、特に思いつかない。

すると、難しい顔をして下野間さん。


「何度も言うけど、お前は娘に会わせないぞ。特に下の娘は、なんかお前と相性良さそうなのが嫌だ」

「はいはい……」


 何言ってるんだこの人、と半目になりながらコーヒーをすする。

家族が好きなのはいいのだが、それに毎回付き合わされる身にもなってほしい。

コホン、と咳払いが聞こえる。


「んで……この前の矢避けの加護だったけど、やっぱダメだわ。やっぱ従来の食い合わせのいい加護中心に、効率重視のほうが良さそうだわ」

「まぁ、そうなりますよね……。そもあまり使いやすい加護ではないですし。

 強力ですが他の加護と共用しづらいですし、近接戦闘時に遠距離攻撃を強制回避させられるのは、逆に動きが制限されてしまう。」


 冒険者向けのオーダーメイド服を主に扱う、阿畑中研究所。

その研究部門の部長が、目前で紙杯をすする下野間さんだ。

本来は顧客につくのは営業の人間なのだが、僕には固有の異能である"運命の糸"がある。

生み出した糸は一定期間を過ぎれば僕自身の意志でも消せない、完全に独立した物体となる。

それを当時13歳の僕が、父の伝手を頼りに阿畑中に売り出しに行ってから、かれこれ4年。

なんやかんやあって今は下野間さん相手に、研究開発向け兼自分たちの装備用として"運命の糸"を提供している。


 僕たち冒険者の装備は"加護"と呼ばれる術式の亜種が刻まれる事が多い。

単純な能力増強の加護から属性防御の加護、今ぼやいていた矢避けの加護のような強力な加護まで、さまざまな種類がある。

それらは重複すると他の効果になったりするので、適当に加護を重ねてしまうと意味不明な効果が発動してしまったりする。

よって多くの冒険者はインナーのみを加護装備とし、その上に防刃コートやら皮革や金属の鎧を防具として着ている。

僕を含めた一部の面子はトータルコーディネートをオーダーメイドし、複数の服や装備を重ねて狙った複雑な加護を発動させていた。


「とすると、次の特別納品分は、この前試した風の加護系の延長ですかね?

 肌と服の間に空気の層を作って、温度やら毒やらの影響を減らすやつ」

「まぁ、そうなるなぁ。半分がそれで、残り延長系の強化と、浄化系とで四分の一ずつな」


 僕が提供する"運命の糸"は通常納品分と特別納品分に分けている。

通常納品分は、特段僕が工夫せずに出した標準状態の"運命の糸"で、僕ら三人の装備に優先して使われている。

特別納品分はなんらかの強化状態で作り出した"運命の糸"で、新技術の研究開発向け用途だ。

当然と言えば当然だが、僕の技量の上昇によって強化状態の"運命の糸"の品質はコロコロ変わる。

当然信頼性が重要な通常の製品としては利用できず、このように毎回下野間さんと打ち合わせながら様々な糸を納品する形としているのだ。


 頷きながらノート型端末のキーボードを叩く彼を眺めていると、不意にその手が止まった。

ちらりと僕を見てから、俯き視線を下ろす。


「その……あー、なんだ? 何度目かだが、お前、ウチに就職しないか?」

「…………」


 胸の奥に、澱のようなもの物が溜まるのを感じた。

口が開き、閉じる。

咄嗟に言葉は思いつかない。


「お前の"運命の糸"は、今のところ、前線よりバックアップ、装備開発に一番向いている。

 前線で戦うのも立派な事だが、装備開発を始めとしたバックアップも劣らずに立派な事だろ?

 竜銀級に合格したのも、立派な区切りとも言える」


 瞼が、僅かに熱を帯びる。

歯を噛みしめそうになるのを、筋力で抑える。

意識して深呼吸をし、内心で独り言ちた。

これは、決して僕が前線で戦う才能がないから言われているのではない。

下野間さんも企業で働いている以上企業の利益により貢献する必要があり、僕からより多くの"運命の糸"を入手できるよう入社を働きかけているのだろう。

証拠に下野間さんは、罪悪感からか僕の目を見ることができていないし、これまでも毎回無理に誘う事はない。

決して、僕が、劣っていて英雄になれないとは言っていない。

父さんの息子に相応しくないとは、言っていない。


「もちろん、今の下野間さんのお仕事には満足していますし、尊敬もしていますよ。

 こうやってその下野間さんに評価していただくのは、とても嬉しいです。

 でも、僕は。

 ……今は、このまま前線で戦いたいんです」


 "今は"と告げてしまったのは、断りきらず下野間さんに成果を持ち帰らせるためか、僕の弱さ故にか。

自分でも分からないまま、笑みを作って見せる。

あまり上手くいかなかったのか、眉間にしわを作り、それから苦笑いしてみせる下野間さん。


「……仕方ねぇなぁ。なるべく席は空けといてやるよ。

 ま、辛くなったらいつでもおじさんに言いな。

 コーヒーぐらいは奢ってやるよ」

「ここのとんでもなく濃いのは、勘弁してくださいね」


 僕の下手な笑みに突っ込まないでくれた彼に、軽く頭を下げる。

うんうんと頷きながら、彼がキーボードをたたく音が、僕の耳に残った。




*




 柔らかな土を、厚い靴裏で擦る。

見渡す限り数キロ、平坦な黒土に覆われた空間。

多くの冒険者たちが武装して、武器を振ったり術式を練ったりしている、何時もの訓練場の後継だ。


 下野間さんとの打ち合わせを終えて午後。

僕は郊外にある、ギルドの公式訓練施設を訪れていた。

いくつかある施設のうち、ここは単なる平坦な土のグラウンドが広がった、シンプルな施設だ。

土系の固有持ちの大半が均せる、一般的な組成の土を使っているため、整備が簡単なのだとかなんとか。

事前に申請をしておけば、地形を変えるような術式も訓練できる場所になる。


 とはいえ僕としては、単に研究所からの帰り道にあるからよく寄るというだけだ。

家の庭で素振りはできるし、ジョギングぐらいなら近所でできるが、術式の鍛錬はさすがに訓練場に赴く必要がある。

研究所のアポは、姉妹のメディア系の仕事となるべく合わせるようにしている。


 勇者の娘であり、すでにトップクラスの英雄である二人は、メディアの露出も多い。

本人たちは億劫がっているが、冒険者を一般人にも身近に感じてもらい、憧れてもらうための措置ということなのだろう。

僕が呼ばれたことがないのは、華がないから、と思い込むことにしている。


 予約したブースにたどり着いて、足を止める。

手首の計測機器を起動してから両手を前に出し、集中。

中空に表れた紋章光が図形を描き、汎用術式が発動する。

属性の矢。

炎。氷。風。雷。土。

僕が使える基本属性を想起させる色の矢が放たれ、数メートル先の地面に次々と激突していく。


「5属性の平均発動時間は0.5秒。調子は悪くない、か」


 両手を開け閉めしながら、独り言ちた。

次いで片手を出して"運命の糸"を発動。

五指から飛び出た糸に、それぞれ汎用術式をもとにした属性を取り入れる。

それぞれの糸が色を変え、各属性の力を纏っていることを確認した。


 かつての人類は、固有術式をしか持っていなかったという。

僕の"運命の糸"や父さんの"勇者の聖剣"のような器物系。

ミドリの"陽光の湖"のような現象系。

福重さんの"風の掴み手"のような自己定義系。

ヒマリ姉の"よろずの殴打"のような変則系。

主としてその4系統に分かれており、現象系と自己定義系が戦闘向き、器物系は生産活動向き、変則系はケースバイケースと言われていた。

しかし薬師寺家を始めとした当時の賢者たちが、そのうち現象系や一部自己定義系の固有術式を解明し、性能を落とした汎用術式に落とし込むことに成功したのだ。


 それから約四百年、汎用術式の種類は増え続け、すでに数えきれないぐらいの量となっている。

最近のトレンドは、汎用術式を自らの固有の術式に組み合わせる事だ。

僕で言えば、高熱の糸で敵を焼き切ったり、冷気の糸で敵の体温を奪い行動を鈍くしたりが考えられるか。

阿畑中への特別納品分も、基本的にこの汎用術式を併用した糸を納品することになる。


 と、そんな風に集中して属性付与糸の訓練を続けていた所。

靴音に、目を細める。


「よう、不正くん」

「…………」

「おい、無視してんじゃねぇよ! ユキオ!」

「ユ、ユキオの癖に……」


 叫び声に、溜息をついて振り返る。

赤茶髪に生成りのシャツとジーンズの、大剣を肩に担いだ筋肉質な男。

一歩引いた横には、紺色のボサボサ長髪に、長袖のTシャツにデニムワンピースの女。

やはり城ケ峰と淀水だ、と改めて認識し、もう一度ため息。


「僕に話しかけてると思わなかったよ。自己紹介じゃなかったの? 今の」

「は? 喧嘩売ってるのか?

 竜銀級に不正合格しといてよう!」

「そ、そうだそうだー……」


 大声で叫ぶ男は、城ケ峰ソウタ。

僕と同い年で、金級……つまり竜銀級より一つ低い階級の冒険者だ。

大剣を使って戦う前衛であり、180cmほどの長身。

不思議なことに、若手冒険者ではかなり有望とされている。

僕としては、有望さの評価にもう少し人格面を入れたほうが良いと思うのだが。


 その後ろで追従する女は、淀水コトコ。

城ケ峰の相棒で、小柄でモサモサした長髪の女性。

ベルトに装備した杖剣を用いる完全後衛であり、常に城ケ峰の後ろをついて回っている。

普段は考えの足りない城ケ峰の外付け頭脳をやっているイメージだが、今回は城ケ峰に同調しているらしい。

二人の言葉に、溜息をつく。


「喧嘩売ってるのは君だろ。しかも、ギルドや試験官に」

「ふざけんな! お前が七光りで竜銀級に合格できたのは、みんな知ってるんだよ!」

「つまり、ギルドや試験官が、忖度して合格させたって?」

「お前が卑怯な真似をしたのが悪いに決まってるだろ!」

「卑怯な真似って何さ……」


 疲れてきた僕の言葉に、城ケ峰はニヤリと微笑み、キラリと歯を輝かせた。


「分からん! だが俺より弱いお前が、竜銀級に合格できる訳ないだろうが!」

「実際そう。先に合格するのは絶対ソウタだったはず」

「……アホくさ」


 片頭痛がしそうな理屈に、頭を抱える。

そして困った事に、言っていることに説得力は、全くないとは言い切れない。

僕の位階は52、彼の位階は確か48だったはず。

純前衛の彼と、全距離対応で支援も視野に入れた中衛の僕とでは、1対1で戦えば彼有利と見る向きが強い。

というか、何度か模擬戦という形で戦って、僕が一回負け越していたはずだ。

そういった意味では城ケ峰も一応、竜銀級に合格可能なポテンシャルはあるに違いない。

などとつらつら考えていると、再び城ケ峰が叫んだ。


「んな不正塗れで合格して、ヒマリさんの足手まといになってんじゃねぇよ!」

「……は?」


 一瞬理解ができず、間抜けた声を出してしまった。

自信満々に言ってのけた城ケ峰、しまったと言わんばかりの顔で固まった淀水。

視界が認識できる光景に遅れて言われた内容を咀嚼し、一気にぞっと背中の辺りから怒りがわいてくる。


「お前、何時から姉さんの事を名前で呼ぶようになったんだ?

 前に本人に断られていただろうが」

「いや……うん、本人の前じゃなけりゃいいじゃん」

「気持ち悪いな。ふざけたことを言うなよ」

「ヒマリさんの話になると、キレるの早いな相変わらず……」


 二度目の名前呼びに、僕は思わず右手を緩く開いた。

何時でも糸剣を編めるように意識を集中しながら、僅かに腰を低くする。

反応して、淀水が数歩下がり、城ケ峰が少し腰を落とした。


「まぁいいや、俺がお前に勝って、お前が不正した事を証明!

 んで不正したお前はごめんなさいして冒険者やめろ!

 最後に騙されていたヒマリさんが、真実の愛に目覚めて終わり!グッドエンド!

 コトコ、ちょい待ってろよ、1対1で潰しちまうからさ!」


 気持ち悪いセリフに、意識の奥に冷たい物が漂うのを感じた。

熱に浮いていた怒りは、冷えて硬く重い何かになって、腹の底に沈んでゆく。

代わりに、意志が頭頂から足の指先まで貫くように走った。

……と、そこで。


「コラコラ、止めなさい」


 視界に掌の肌色、と判断するより早く、反射的に後退。

10メートルほどの距離を取りつつ姿勢を低く、どの方向にも走り出せる姿で右手に顕現した糸剣を握る姿勢に。

離れて視界に確認できたのが、茶色のスーツ姿の紳士。

忍者、福重国久。


「福重さん!?」

「……げ、忍者」

「久しぶりだね、ソウタ君、コトコ君。ユキオ君は先日ぶり」

「……えぇ、先日ぶり」


 頭に血が上っていたとはいえ、仲間内で索敵役も担う僕が探知できなかったのは恥ずかしい。

自戒に歯を噛みしめならも、表面を取り繕い、臨戦態勢を解除する。

見れば城ケ峰は剣を振ろうとして、福重さんに取り押さえられた姿勢だ。

城ケ峰が剣を手放し、追って福重さんが彼を離す。


「福重さん! 聴いてたでしょう!? コイツ竜銀級に不正合格したんすよ!」

「例えば、試験官が不正を見抜けなかったとか、そういう話だったかな?」

「そうっす!」

「つまり、私が不正を見抜けなかったと糾弾しているのかい?」

「そ……え?」


 ポカンと口を開ける城ケ峰に、溜息をつく。

竜銀級の試験官は、すべからく既存の竜銀級の冒険者が担う。

つまりは竜銀級の試験にケチをつけるというのは、竜銀級の冒険者を当人と試験官の二人以上敵に回すも同然だ。

先ほどその話をしたばかりなのに、理解できていなかったのだろうか?

自覚できるほど冷たい視線で、城ケ峰を見やる。


「あ、う、いや、その、違います! でもこいつ"赤"ですよ!? なのに俺より早くなんて……!」

「君が、ユキオくんに劣っているからだよ。君より早く合格したのはね」


 "弱い"ではなく"劣っている"という言葉を選んでいるあたり、総合力はともかく、単体の純戦闘力は同程度と見られているのだろう。

福重さんからの辛い評価に、今度は自嘲のため息が出た。

パクパクと口を開け閉めしていた城ケ峰だが、やがて現実を受け止めると、気を付けの姿勢で福重さんに言う。


「申し訳ありませんっした! 精進します!」

「よろしい。では謂れのない批判をされたユキオくんにも謝りなさい」

「え、あ、ユキオすまん! じゃあ今度も俺が勝つからな! 福重さん失礼します!」


 シュタッ、と手を立てるジェスチャー一つで終える城ケ峰。

これで謝罪のつもりなのか、と呆然としていると、城ケ峰はそのまま背を向けて走ってゆく。

流石に純前衛かつ準竜銀級なだけあり素早く、あっという間に見えなくなった。

残された淀水は、じっと福重さんを見やる。


「……私は、まだ納得していませんよ。

 確かに総合力であれば、ソウタはユキオに劣ります。

 しかしユキオには、貢献値という明確な危険因子がある。

 竜銀級に合格させるのは、どう考えてもソウタが先だった。

 その上でユキオを先に合格させたのなら、それは何らかの力が働いたとしか思えませんね」


 冷たい、悴むような声だった。

思わず視線を逸らす僕を尻目に、余裕を崩さないまま、福重さん。


「それは憶測に過ぎないね。

 私はユキオ君が竜銀級の合格基準を超える能力を持っていると判断したし、それを違えるつもりはないよ」

「話をすり替えるな、順番の話ですよ。

 昇格試験の申し込みなら、ソウタもしていた。

 しかしユキオの試験が先に行われ、コイツは歴代4位の若さで竜銀級に合格した。

 彼は比較的有名な"赤"です。

 "赤"であろうと冒険者ギルドは差別せず、基準に達すれば昇進できるという前例になりうる。

 聖剣レプリカの貢献値周りの話は、未だにごたついていますからね。

 そのあたりのアピールを政治家先生あたりに"お願い"されたとしても不思議じゃあない」


 可能性としては、僕も同じことは考えていた。

とはいえ、わざわざ城ケ峰にお前竜銀級の試験に申し込んだ? と聞くはずもなく、想定以上のものではなかったが。

改めて、アイツも竜銀級に申し込んでいたのだと聞くと、胃のあたりがズンと重くなる気分だ。

城ケ峰の事は嫌いだが、実力以外の所で奴に勝ったと思うと、少し嫌な気分になる。


「仮にそうだとして、私にわざわざ言いに来るのはどうしてかね?」

「ユキオは、英雄に向いていません」

「……オイ」


 思わずツッコミを入れるが、淀水は僕を一顧だにせず、福重さんを見つめていた。


「自己管理ができないのにできる気でいるアホの筆頭で、ソウタより頭が悪いです」

「嘘だろ!?」

「"赤"というのは、どうせ限界一杯の時に重責を持たされて、失敗するとかそういう落ちでしょう。

 となれば、歴代4位の若さでこのアホを竜銀級に合格させたギルドにも、責任追及がありうる。

 ならばそれを止めうる若手も竜銀級に合格させた、という功績である程度傷を埋めることもできる」


 思わず叫んでしまった僕だが、昔馴染みの言葉に思わず息をのんだ。

"赤"。

人類の敵対者の証だが、それが具体的に人類にどういった敵対をする予定なのかは、未だ不明瞭なところがある。

基本的には重罪を複数犯す事になるものがこの色で示されるが、それ以外の可能性がないとは言い切れない。

その可能性をもって、昔馴染みが僕が積極的に罪を犯すのではないと信じていてくれるのか。

嬉しいような、恥ずかしいような。

判別しがたい感情に、頬が赤くなるのを感じる。


「ソウタ君の竜銀級試験を早めろ、という話かな?」

「"赤"が歴代4位の若さで合格した、という箔付けを重視しすぎないでください、ということですよ。

 ソウタの試験が来年の誕生日以降になってしまうと、少々困りますので」

「なるほど、主張の内容を理解はしたよ。

 合格基準を緩める気は一切ないが……。

 そうだね、私に特段竜銀級の試験日を決める権限はないが、ソウタ君の試験日はそこまで遠くなることはないと思うよ」

「……ふん」


 鼻を鳴らすと、淀水はそのままスタコラと僕の前に。

ドスン、と胸を、拳で叩いてくる。


「ユキオのくせに、なまいきだ」

「な、なにが?」


 淀水は普段城ケ峰について歩いているからか、こうして二人で話すのは久しぶりだ。

1mもない近距離というのは、猶更だ。

だからか、不意に間近で見た彼女の顔が、記憶よりはるかに整っていて、思わずどもってしまう。

ボサボサの髪は変わらないが、その間から見える相貌は、いつの間にか大人びた女性になっていて。

鼻が思ったより高かったことに、まつ毛がとても長かったことに、その瞳が思ったよりも澄んで輝いていることに気づいてしまう。

艶やかに動く唇に、視線が行ってしまう。


「……私より先に、竜銀級になりやがって」


 絞り出すような、苦しげな声。

それだけ言い残すと、踵を返しスタスタとその場を去る淀水。

何が何だか、と目をぱちくりとする僕に、しんみりと福重さんが呟いた。


「……女難まで龍門さんに似なくても」





*




 明くる日の朝。

早朝のジョグとシャワーを終えて、朝食を終えたころからである。


「ごめ~ん、ユキちゃ~ん!」


 とは目の前で両手を合わせて頭を下げる姉の言である。

キラキラと輝くヒマリ姉に頭を下げられるのは、何時もながら妙な気分だ。


「一緒に出かける予定だったのに……本当にごめんね!」

「大丈夫。姉さんこそ、急な代役なんだろ? 気を付けてね」

「あーもう、城ケ峰君、酷いよね!? ドタキャンとかもう! 私の後輩も受ける講義なんだけど!?」

「それできちんと代役を引き受ける姉さんはとても優しいし、偉いよ。自慢の姉さんだ。

 あと、城ケ峰は君付けじゃなくていいと思うよ」


 プンプンと頬を膨らませる姉の肩を軽く叩いてやり、どうにか送り出す。

朝から慰め続けて一時間近く。

家を出る寸前までぷりぷりと怒っていたので、流石に姉さん相手とは言え、少しばかり疲れてしまった。

その怒りそのものは全く持って正当なので、今度城ケ峰に会ったらお姉ちゃんパンチをお見舞いしておいてほしい。

見送り終えて、さすがにため息が出る。

それを見とがめたのか、リビングから顔をのぞかせた、ミドリの声。


「兄さんお疲れ。予定なくなったけど、今日は可愛い妹を甘やかす日にする?」

「ミドリは今日資格試験でしょ……。そろそろ出なきゃだし、終わるの夕方じゃなかったっけ?」

「バレたか。兄さんはちゃんと休んでね? 研究所行ったり訓練し始めるのはダメだよ?」

「分かってるさ。……大丈夫、ちゃんと休むよ」


 笑みを作って見せると、納得したのかミドリは引き下がる。

数秒、深呼吸。

息を整えてからリビングに戻ると、今度はミーシャから声が。


「予定なくなっちゃいましたけど、どうするんです? 休養日はちゃんと休んでくださいよ?」

「悪かったよ……。反省しています……」


 休養日にこっそりトレーニングをして体を壊しかけたのは、三年前だったか。

姉と妹に全く強さが追い付かなくて焦っていたのが半分、休みに何をしていいか分からなかったのが半分。

そんな僕があまりにも危なっかしかったのか、それ以来家族が休養日に僕と予定を作ろうとし出した。

自己管理ができないと暗に言われているのと同じことだが、事実なので何も言えない。

我が家で最も自立できていないのは僕と目されており、そして恐らく客観的に見てもそれは同じだろう。

自分が無力であることを突き付けられ続けるのは、正直腹のあたりが重くなる感覚だ。


 家を出る準備を整えた上で、あと少しと時間をつぶしているミドリ。

家事をしながら、チラチラと僕に視線をよこすミーシャ。

二人の視線から逃れるように部屋に戻り、身支度を。

リビングに戻り、二人に告げる。


「ちょっと出てくるよ。お昼は要らない。夕方、いつもの夕食前には戻る予定」

「ん」


 と、両腕を広げるミドリ。

何をやっているんだろうと首をかしげていると、今一度ん、と漏らしながら、とてとてと僕の目の前に移動した。

もしかして、とこちらも両腕を開くと、ガバリとこちらに抱き着いてくる。

こちらもそっと、抱き返してやる。

少し高い体温。

首あたりにちょうど来る高さの鼻が、ぐりぐりと押し付けられる。

柑橘系の爽やかなシャンプーの香り。

回された腕がぐい、と僕の腹のあたりを、ミドリの胸元に押し付けた。

股間に、わずかな痛み。

自己嫌悪を、切って捨てる。


「ユキニウム摂取。アンド、今日のミドリウム供給。足りなくなって泣きそうになったら、こっち来てね? ハグハグするから」

「試験中にハグは大変そうだな。足りなくならないよう大事に消費するよ」

「消費……消費? あ、新しい概念だ……。なんかえっち……」


 人聞きの悪い事を言い始めた妹の頭にコツンとチョップすると、グエーとわざとらしい悲鳴とともに離れてゆく。

「ユキニウム……消費……発電……」などとブツブツ呟いているが、何を連想しているのやら。

溜息とともに体を翻ると同時、視界にミーシャが入った。

驚きで止まってしまう僕に、ニコリと微笑んで、ミーシャ。


「次は私の番ですよね? はい、どうぞ!」


 と、ミドリがそうしていたように、両腕を開く。

躊躇しつつ、こちらが少し両腕を開いたところに、ミーシャもこちらに抱き着いてきた。

ミドリに比べると、少し低い体温。

最近好むシャンプーのためか、りんごっぽい爽やかな香り。

どことなく、回される腕の位置は、ミドリのそれより低い。

腰をとまで言わないが、その少し上の辺りを抱きしめられるのは、どこか性的なものを連想させる。

彼女が好むフレンチメイド服は胸元が開いた作りで、視線をやれば胸の谷間が見えそうなぐらいだ。

結果、その辺りが視界に入らないよう、僕は視線をまっすぐに中空に向けたままにするほかない。

抱きしめ返すこともできないまま、中途半端に腕が空中をさまよう。


 姉妹に比べれば頻度は控えめだが、時折ミーシャからスキンシップを求めるときがある。

そんな時、僕には彼女が何を考えているのか分からなくなる。

求められた分にはそのまま応じているのだが、一体どういう考えで僕を抱きしめたがるのだろうか。


 ――数年前、僕はミーシャに告白した。四つ上の少女に対する、初恋だった。

ミーシャはそれをキッパリと断った。

貴方を異性を見ることはない、家族として大切だが、異性として付き合う事は、絶対にないと。

それは年齢を重ねても変わることはない、と。

……住み込みの仕事の、雇い主の息子という立場からの告白が、あまりにも高圧的で愚かなものだったと気づいたのは、その後の事。

けれど彼女はそれさえも跳ね除けて、その内心を真っ直ぐに言って見せた。

それ自体は、良い。

もちろん断られてしばらく僕は落ち込んだし、その後も色々あったのだが、ともかく。


 ミーシャは、告白されて、断ったあとの異性に、ハグを始めとするスキンシップを求めている。

それは僕が告白したときから1年ほど経ってからで、むしろその前は僕と少し距離を置いている所があった。

果たして、もしかしてやはり僕の事が好きになったのでは、と自惚れた事を考えた事はあったが、それも違うらしい。

それとなく聞いてみたが、今でも僕と異性として付き合う気はない、とキッパリ言われてしまった。


 僕に抱き着いているとき、ミーシャはどんな顔をしているのだろうか。

この姿勢のまま彼女の顔を覗き込むということは、彼女の服の、開けた胸元も見るということだ。

それを覗き見るような事が許せず、僕は彼女に抱き着かれている間、常に視線を他所にやっている。

だからその間、彼女の顔を見ることはできない。


 彼女からの好意は、感じる。

いつも甲斐甲斐しく僕ら家族を世話してくれるし、気のせいでなければ、僕を一段と優遇してくれているように感じる。

けれどそんな感じ取れる好意よりも、何よりも。

怖い。

訳が分からなくて、何を考えているか分からなくて、怖い。


 暖かな一軒家。

暖色のリビングで、妹がなんだかニヤニヤした顔で見守る中、メイドに抱きしめられて。

家族愛だったり、恋愛だったり、人によって受ける印象は異なるだろうが、それでも明るくポジティブに感じるだろう光景の中。

僕はただ一人、恐怖していた。

暖かく、柔らかく、僕を包み抱きしめてくれるものに、怯えていたのだった。




*




 休養日、僕は家を出ることにしている。


 一つは、何もやることが思いつかないため。

最初は、休養日に勉強やら運命の糸を作った防具づくりの検証やらをしていた所、家族に見つかって休めと怒られてしまった。

なるほど休めばいいのだなと一日中横になってボーっとしていたら、今度は姉妹を泣きそうなぐらいに心配させてしまった。

それ以来、二人は休養日をなるべく僕に合わせ、僕との予定を作ろうとしてくれている。

情けない話ではあるが、心配だと言われてしまうと反論しづらい。

最近は忙しいからかやや頻度は落ちてきたが、まだまだ二人は僕に予定を割こうとしている。


 もう一つは、ミーシャが怖いから。

先のハグの時に感じた通り、僕は彼女の態度が良く分からず、怯えている。

そのため僕は、なるべくミーシャと二人きりにならないよう、なってもその時間を少なくできるようにしている。

休養日で姉妹に用事がある場合、大抵二人は外出しており、父もまた休みが少なく被ることはめったにない。

となると、休養日に家にいると、ミーシャと二人きりになってしまいかねないのだ。

だから僕は、休養日には外出するようにしている。


 とはいえ、僕は無趣味だった。

読書もあまりしないし、ゲームも妹との付き合いぐらいでやらない。

スポーツは性に合わない上に体が休められないし、ファッションは女性陣のマネキンになるのが趣味で、散歩も性に合わず、映画鑑賞も姉妹への付き添いぐらいでお腹いっぱいだ。

写真撮影はヒマリ姉の趣味で付き合ううちに、ほどほどで良いなと感じている。


 外出しても、用事が思いつかないし、どこにも居場所がない。


 一人で居ると、人の目が気になる。

道を歩くときは、いつも俯くか、髪の毛を弄るふりをして顔を隠す。

話しかけるのも話しかけられるのも嫌だから、有線の目立つ色のイヤホンを、音楽をかけずにつけている。

喫茶店は人の目が気になってしまい、あまり長い時間使えない。

誰もいない外の静かな場所は、それはそれでどうしても寂しく感じてしまう。

けれど人込みの中は、息をするのが辛くなるぐらいに嫌いだ。


 だから僕は、何時もの通り、繁華街の外れの公園にたどり着いていた。

さびれた小さな公園で遊具は錆びてぎこちない動きしかしない。

ほんの僅かなざわつきがあり、繁華街の騒がしさの、その余韻のようなものが漂ってくる。

ベンチはいつも汚れていて、僕はいつもここに座るために大判のタオルハンカチを持ち歩いている。

早速、定位置となるベンチの右端に着席。

イヤホンを外して携帯端末を取り出し、無意味に弄ることで時間と電池を浪費し始める。

何と言うか、まるで、さびれた小さな公園でベンチに座って過ごす、家に帰れない失業サラリーマンみたいだった。

僕はこれでも17歳なのだが、この年で失業リーマンの心地となると、大人になるまで耐えきれるのだろうか。


「あ……」


 ふと、呟きが漏れた。

ボーっとしていて気付くのが遅れたが、三人掛けのベンチの左端、僕と反対の端に少女が一人座っていた。

白黒の、ゴシック服姿の少女だった。

紺色の髪を入れ込み、うなじが見えるようにした髪型。

白いブラウスに、刺繍入りのボタンの多い黒ベスト、膝上のハーフパンツに、黒い編み込みのショートブーツで纏められている。

古めかしい肩掛けの小鞄と、そこから出したのだろう文庫本を読んでいた。

文庫本のカバーは外されており、古めかしいカバー下の装丁が露わになっている。


 視線が合う。

お互いになんとなくの会釈を交換して、そっと視線を外す。

ここ半年ぐらい、この公園に何時もいる女性だった。

パンツルック系のゴシック服を好む女性で、いつも静かに文庫本を持っている。

会っても、別に会話することなどない。

お互い名前も知らない相手で、やっていることも表面上は別々だ。

僕もあまり高い頻度でこの公園に来る訳ではないが、それでも来るたびに居るので、この公園を気に入っているのだろうか。

なんとなく、向こうも同じことを思っているような気がするが。


 そのまま、無言で僕らはじっとする。

いつもそのまま無言で同じ空間を共有し、無言でここを離れてゆく。

さしたる切っ掛けはない。

何故、と問われれば、なんとなく、としか言いようがない。

全くの偶然に、何の理由もなく、僕らは同時に口を開いた。


「「あの」」


 異口同音に、同じ言葉が響き渡る。

動揺に、わずかに息をのむ。

それは向こうも同じだったようで、一瞬目線が揺れるのが見えた。


「その、いつもここで会うけど……好きなんですか? 読書」

「あ、いや、その……これ、ページをめくっていないんだ。いつも同じ本。

 ただ、ずっと何かをしているフリをしたくって……。

 キミは……携帯で、何をしているのかい?」

「僕も。……僕も、何も。

 何かをしている、フリをしています」


 何時になく素直な、取り繕うこともない言葉が出る。

そんな自分に驚きつつも、不思議と僕は、内心の緊張が抜けているのを感じた。

十代半ばぐらいの人間がさびれた公園で何もせず一日居て、それを同世代の人間に知られたとき、僕はそれを"見咎められた"という表現にするだろう。

共感する人は居ない。

距離を置くか、怒るか、心配するか、最大限期待しても、無関心。

その辺りの反応しか返ってこないだろうと思っていたけれど。


「その、少し……話しませんか? 何を話したいのかも、まだ思いついていないんだけど」

「うん。ボクも……ボクも、話したい」


 そっと、手を差し出す。

少女の青い瞳と、目が合った。


「僕は、二階堂ユキオ」

「ボクは、長谷部ナギ」


 遅れて差し出された手を、そっと握る。

柔らかく、暖かく、そして……少し痩せた、疲れた手だった。




*




「ん、おいし……。今の家族とはよくハンバーガーを食べるんだけど、いつも食べる奴よりずっといいや」

「そりゃよかった。僕は普段家庭料理だから、外だと家で作りにくいものにしがちなんだよね」


 個人経営のバーガーショップの、少し奥まった窓際のカウンター席。

青空からガラス越しの柔らかい光を浴びながら、僕らは少し遅い昼食をとっていた。

付け合わせの自家製らしいピクルスを齧りながら、背の高いバーガーにとりかかるナギを見つめる。

紺色の髪を入れ込み、襟の低いブラウスを着ている彼女は、首元が大きく露出している。

前のめりにバーガーにかぶりつく姿勢になると、ちょうど……うなじの辺りが、目に入った。

蠟のように白く、どこまでも滑らかで目で追いたくなるような肌。


 モグモグとバーガーを咀嚼しているうち、こちらを向いたナギを目が合う。

なんとなく微笑んで見せると、彼女もまたニコリと微笑み返してくれる。

話し始めるまで気づかなかったが、案外彼女は表情豊かな娘だ。

どうしても意外に感じてしまうが、ここ半年ほど見ていた彼女の横顔は、いずれも文庫本の同じページを眺め続けていたものだ。

全く同じ横顔のイメージばかりで表情のイメージがないのは、当然と言えば当然だった。


「ユキオは、いつも家族が料理を作っているのかい?

 ボクは今の家族に料理ができる人が誰もいなくてね。

 家族の手料理ってのはここのところ縁がないんだ」

「ああ、ウチは父子家庭でね。今は、うちのメイドが作ってくれている。

 メイドって言っても自称で、子供の頃から同じ家で育ってる、家族みたいな人だけどさ」

「へぇ、ずっとなのかい?」

「……いや、ここ数年、かな。それまでは他の家政婦を雇っていて、その人に。

 家族の手料理、って意味ではここ数年だったか」


 最後に居た家政婦、川渡。

父に対し色仕掛け染みた事をする家政婦が多かった中、ただ一人父に関してモーションをかけなかった女。

そのために比較的信頼され、長い時間家政婦をしていたが。

涙。

温度。

揺れる黒髪。

フラッシュバックから頭を振り、彼女の事を頭から追い出す。

持ったバーガーに今一度かぶりつき、肉とチーズのうま味で思考を埋める。

上品なジャンクさという矛盾した味への感動で、不快さを押し流してなかったことにする。


「とすると……逆、か」

「逆?」

「ボクは……11歳の誕生日。両親を……亡くして、今の家族に出会ったんだ。

 それまでは、母さんが、手料理を作ってくれていた。

 だから、逆」

「……そっか。今の家族は好き?」

「好き。大好き」


 僕は、家族や近しい人を亡くすという経験がない。

母は物心ついた時にはすでに亡くなっていた。

冒険者という仕事柄、同業者が逝去した事は何度かあるが、大規模作戦でよく知らない人間が、という程度だ。

十五年ほど前に妻を亡くした父は、命日や結婚記念日、母の誕生日などに母を偲び続けている。

それをもとに想像するぐらいはできるが、その程度が限界だ。

あまり突っ込んだ話はせず、微笑むナギに微笑み返すだけにとどめる。


 ジンジャーエールのストローに口を伸ばし、吸う。

弾ける炭酸が、その中に閉じ込めた生姜の風味を、口の中で解放する。

口の中の脂を押し流し、最後に風味を残す形となる。

深呼吸。

視線をカウンターの上に落したまま、告げる。


「僕も、大好きだ。優しくて、優秀で、偉大で。

 最高の父さんがいて、姉さんも妹もとても愛してくれて。

 ミーシャ……メイドも、良くわからない時はあるけど……尊敬できる人だ。

 すごすぎる、人たちなんだ」

「……そうだね、ボクも。

 信念があって、尊敬できる人達なんだ。

 ボクのことを大好きだって伝わってきて、優しくて。

 素晴らしい人、ばかりなんだ」


 僕たちは、この噛み合いを予定調和なのだと、どこかで予感していた。

話したことはなかったけれど、半年間、僕らは何もせずに時間を浪費し続ける姿を見せあい続けている。

それが共感の予感を、僕らに持たせていたからなのか。

知らなかったはずの事実を背景とした言葉の交換は、なぜか既視感を感じさせていた。


「僕は、恵まれているんだ。多分、人類トップクラスさ。

 周りに恵まれていて、金銭的に不足せず、社会的身分と、業界上位の能力がある」

「ボクも。生まれてから今まで順風満帆とは言わないけれど。

 それでも今は最高の家族と、最高の目的があって、そこに順調に突き進んでいる。

 間違いなく幸せなんだ。客観的に見て、恵まれているはずなんだ」


 言葉尻に、悲痛さが入り始める。

気づけば二人ともバーガーは食べきっており、サイドメニューのポテトが少し残っているぐらい。

ナギは少し背を曲げ、咥えたストロー越しに、コーラにプクプクと泡を浮かせていた。

僕はそれを咎めるでもなく、じっと外を見つめる。

繁華街の中心を少し離れたとはいえ、そこそこ人通りのある辺り。

3階席の窓からは、嫌になるぐらい緻密な人込みが見える。

高層ビルの合間を抜けようとうごめく人々から少し視線を上げると、その奥には、繁華街にあるギルド支部のモニュメントがあった。


「でも、寂しいね」

「うん、本当に」


 す、と投げ出していた手の甲に温度を感じる。

細く白く、暖かい手が僕の手の上に置かれていた。

指と指との間に、細い指先が差し込まれてゆく。

遅れてペタリと、掌が押し付けられる。

差し込まれた指が根本から奥まで、這うように伸びてゆく。

まるで番を捕食するカマキリのようでゾッとする、けれどどこか淫靡な手の重なりだった。


「ボクと、一緒だね」

「……ああ」


 どちらともなく、肩を近づけ、重ねた。

首が傾き、互いに頬が触れそうなほど近くなる。

視線は窓を、あるいは窓にうっすらと映った僕ら自身を、そして窓の奥にあるそれを見据えていた。

ギルドのモニュメント。

虹色の聖剣を模した。

七色のスペクトル。


 それは、気の迷いであったには違いない。

今日会ったばかりの相手に告げるような言葉では絶対になく、言うべきではない情報なのは明白だ。

そも、世間では家族相手ですら秘める事があるという、その情報。

客観的に見て、血迷ったとしか思えない言葉。

運命やらなにやらと綺麗な言葉で着飾ったところで、それが間違っていることは明らかで。

それでも僕らは、それが当然であると言わんばかりに、告げるべきではない秘密を囁いた。


「僕は、赤」

「……ボクも、赤」


 僕らは世界を救う聖剣によって定められた、犯罪者予備軍だった。

人類の存続を大きく汚す、人類の敵である運命を定められた二人。

幸せで、素晴らしい家族に愛されていて。

得てよいはずがない恵まれた居場所に居る、場違いな人間。

寂しいなどと甘えた事を言っていいはずがないほど恵まれていて、けれどどれほど理屈をこねても、胸の奥の寂しさだけは糊塗すらできない。


 生まれる場所を間違った僕らは、居場所から逃げ出した先でお互いに出会った。

肩を合わせ、頬が触れんばかりの距離。

互いの息遣いが聞こえるような距離で、そっと重ねた手を互いに力ませる。

僕は、挟まった彼女の指を離さないように。

彼女は、僕の手を逃さないように。


 ガラス越しの、柔らかい陽光の元。

喧噪、店内のジャズ調BGM、プチプチと弾ける炭酸の音に、たまに混じるパティの焼ける音。

彼女のシャンプーのものと思わしき華々しい香りに、肉とチーズを主とした濃い料理の匂いが混じった中。

ここで彼女と二人、手を重ねている間だけは、寂しさを忘れることができた。



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