03-斜陽染めの思い出


 鏡を前に、ナギは化粧を確認した。

普段に比べるとロリータ色を強くしたメイクで、下瞼のアイシャドウが少し薄い。

家族と出かける時も、一人で居る時も、あまりしたことがないメイクだ。

続けて下に目をやり、普段履かないスカートを、何気なしに軽く手で弄る。


 小春日和の平日朝。

皇都中心からやや西のターミナル駅。

駅施設の出口、鏡張りの壁を背にナギは、ユキオと待ち合わせをしていた。


 先日、ユキオと初めて会話し、互いの運命と呼べる罪のレッテルを語ってから。

それ以上の会話はする気がおきず、後日の再開を約束し、連絡先の交換を終えて二人は別れた。

奇妙な体験だった。

互いの顔はよく知っていて、けれど表情はあまり知らなくて。

佇まいはよく知っていて、けれど言葉を交わしたことはなくて。

雰囲気や空気感はよく知っていて、けれど名前すら知らなくて。

けれど、まるで予定調和のように、お互いの未来の罪の告白は同じだと、どこか予想していた。


 既視感に塗れた初対面の関係は、運命の人とさえ言えるだろう。

陳腐な言葉だが、ナギが思うにその言葉がしっくりきた。

だからこそか、お互いに会話をこれで終える気は全くなく、次の出会いの予定もすぐに組まれた。


「ところで、男女で出かけてお互いをもっと知ろうという事は、デートと呼ぶべきなのかな?」

「言われてみれば……。デートの定番って聞いてパッと思いつくのは、水族館とか?」


 とは、ベッドにうつ伏せになりながらの通話の内容である。

その時はあまり意識せずにいたが、改めて異性とのデートと考えると、妙な緊張を感じる。

ナギは落ち着きなく、携帯端末を取り出し通知を確認した。

ない。

チャットアプリを開くが、連絡はない。

待ち合わせの時間まで、まだ少し余裕はあるが、と思った時だ。


「お待たせ、ナギ」

「……今来たところだよ」


 返しながら、携帯端末を仕舞い、ナギは面を上げた。

煌めくような春の柔らかい陽光が、目の前の少年を演出していた。

いわゆるシルバーブロンドの髪の毛は、髪質か、整髪料の都合か、いつも光を反射せず吸い込んで、光沢が少ない。

ふわりと広がり柔らかく健康的な髪は、加齢による白髪とは似ても似つかない。

灰色の髪、と言った方が似合う、珍しい髪色。

どこか幸薄そうな顔といい、まるでそこだけ、非現実を引き連れて歩いているような少年だった。


「キミは、ズルいな。恰好はいつも通りなのに、なんだか画になる」

「ズル罪はお互い様かな? パンツスタイルも素敵だけど、スカート姿も新鮮でいいね」


 目を細めて、嬉しそうに微笑むユキオ。

少し胸が高鳴ってしまう自分に、単純すぎないか、とナギの冷静な部分が呆れ声でつぶやいた。

じっとしていると胸の高鳴りが表に出そうで、それを隠すため、ナギはそのままクルリと一回転。

ふわりと浮き上がるスカートの左右を手に、カーテシー。


「お褒めいただき幸いです、旦那様。……ご主人様の方が好みだったりする?」

「どちらも素敵な呼び方だけど、いつも通り名前か"キミ"って呼んでもらうのが、一番好きかな。

 凛としたナギの声で呼び捨てられたり"キミ"って呼ばれたりすると、ドキドキしてしまうから不思議だね」

「ふーん。へー」


 思わず、ナギの口から力の抜けた言葉が漏れた。

見ればユキオの顔は少し紅くなっており、照れがわずかに見える。

が、どう考えてもより強く照れているのは、ナギである。

ズルい。

ズルすぎる。

ズルなので天罰が必要。

一切隙のない完璧な論理で、ナギはユキオの頭に手を伸ばした。

クシャリ、と髪の毛をつぶしながら、撫でつける。


「……ナギ?」

「……なんで、照れないんだ」

「……照れてるよ、とても」


 ナギが家族にやられて一番照れてしまうのは、こうやって頭を撫でられる事だ。

パパ代わりの人も、師匠替わりのおじさんも、いつもナギを褒める時に頭を撫でてきて、それがたまらないほどに嬉し恥ずかしい。

だからこそユキオを照れさせる最終兵器だったのだが、効果はいまひとつのようで、顔色にさほど変わりがない。


 ナギとユキオの背丈の差は、5cm程度だろうか。

頭を撫でるのになんとか無理がない差であると同時、顔のパーツがさして変わらない高さに位置することになる。

半メートルにも満たない距離。

呼吸の音が聞こえてきそうな距離で、瞳が、鼻梁が、唇が、互いの視界一杯に広がっている。

ナギは、自身の体温が上がるのを感じた。

深呼吸。

目の前の少年の、その体臭が、僅かに香る。


「す、ストップだ」


 と、思わずナギはユキオの頭を手放した。

名残惜しそうにユキオの視線が、ナギの手を追う。

それはそれで余計に恥ずかしい心地が湧いてくるナギだったが、万力を込めて無視し、コホンと咳払いする。


「まずは水族館に行くんだろう? ここから徒歩で、10分ぐらいだったかな?」

「そうだね。では、デートと言うことで、改めて。エスコートさせてもらおうか」


 と、ユキオが手を差し出した。

いつかバーガーショップで、重ねた手。

見かけは白く細い手だが、ナギはその手が、見た目よりも固く、力強い事を知っている。

思わず、固唾をのむ。


 これをデートと呼び出したのは、ナギである。

そして男女のデートで手を繋ぐぐらいは、普通の範疇と言って良いだろう。

だから、普通、当たり前。

何も不自然さのない完璧に自然な通常の行い。

そう心の中で念じて、ナギはユキオの手に向け、手を伸ばした。


 手と手が、数cmの空間を空け、止まる。

最初に、親指が触れあった。

何時かは手の甲側から重ね合ったので、ユキオの指の腹に触れるのは、初めてだ。

思ったより硬い感触に、ナギはふと気になり、そのまま親指と人差し指で、ユキオの親指を摘まむように包んで見せた。

擦りつけるような動作で、その形を、確かめるかのように。

その中身を、味わうように。


 遅れて、ナギの手の甲を、そっと擦るものがあった。

ユキオの中指と薬指だ。

数秒手の甲を彷徨ったかと思うと、目的のものを見つけたようで、ツ、とその線をたどる。

ナギの、中指の骨だった。

手の中心を走る骨を、間の肉と皮がないかのように、感触を確かめるかのような速度で、ゆっくりと辿ってゆく。

どこか官能的で、ナギは、今まで感じたことのない、知らない感情を揺さぶられるのを感じた。

変な声が出そうになるのを、耐える。


「……あ」


 先んじて、ユキオがぽつりと漏らした。

顔を見ると、視線は壁に向いている。

なんだろうと視線をたどると、壁は鏡張りで、顔を真っ赤にしながら手を伸ばし、互いの手を貪りあうような手つきをした二人が、映っていた。


「…………」

「…………」


 暫時、沈黙。

どちらともなく手を動かし、手を差し出したままの形に戻す。


「……歩こうか」

「そうだね」


 何事もなかったのだと、視線で互いに了解。

改めて横に並び、手を繋ぐ。

指は絡めず、握手の延長線の繋ぎ方。

接する部分は少なく、互いの熱は移らないはずなのに。

親指に、人差し指に、手の甲に、先の熱がじっとりと残っていて、離れない。

結局、二人は目的に着くまで、一言も喋ることは無かった。




*




「それにしても、水族館は初めてなんだけど……。楽しめるといいな。まぁ、キミと一緒ならきっとなんでも楽しめるさ。

 へぇ、イルカ……。写真とかはともかく実物は初めてかな。え、カワイイ……。

 ふわぁ……。ねぇねぇこっち向いたよ、お手て振ってる!

 うわぁ、上下反対でするーって泳いで……いいなぁ、すっごい、いい!」

「僕も、水族館に来たことはなかったな。家族の趣味でもなかったしね。でもまぁ、君と一緒ならきっと思い出に残るよ。

 へぇ、南国の魚……。大戦前からここで繁殖させてて生き残ってるのか、資料の価値は素晴らしいね。

 え、こんなにカラフルなんだ……。ふわぁ……。

 並んで泳いでいると全然違う……。え、アナゴ。アナゴなの? はぁ~……」


「え、イルカショー!? あるんだ、ねぇユキオ、行こう! もうすぐだって早く行こう!

 あ、始まった……。キャー! 可愛い、ねぇユキオ見て! わぁ、ワァッ!」

「あっち、クラゲコーナーなんてあるのか! 次行かない? ナギ。ねぇ、行こう!

 はぁー。ふわ……。うわぁ。語彙力消える……すごい……」


「お土産かぁ。お土産コーナーって、割高な割にクオリティが今一な印象が強くて、ボクはあまり買う気に慣れないんだよね……。

 あ、ノート。くじらのノートか。え、よく見たら生地張りか。表紙、これもしかして、さっきのコーナーにあった鯨の解体図なのか。

 コレは良い……。あ、小口塗りされてる。い、色はどれにしよう……悩む……」

「僕もまぁ、お土産って買うの消えモノばっかりなんだよね。あんまり部屋に物を置く気に慣れなくて……。

 あ、タコ。マグネットになっててくっつくのか……。まぁ、タコだしそうだよな。

 コバンザメもあるのか……。あ、こっちは幼生だから半透明なのか。うう、どれにしよう」




*




「堪能したね……。ちょっと侮っていたよ……」

「うん……凄かった」


 僕らは完全に、水族館に敗北していた。

二人して入館時は、なんかデート定番だから行ってみようぜ、合わなくても話題作りと長めのアイスブレイクにはなるだろ、ぐらいの空気だった。

しかし実際には二人してのめり込んで、感嘆符を無限に吐き出す器械となってしまっていたのである。

しかも、二人してお土産までしっかり買っている。

これを敗北と言わずして、何と言うのだろうか。


 館内レストランでの昼食を挟んで水族館を回り切った僕らは、近場のカフェで落ち着いていた。

興奮と感動の余韻に浸りながら、感情をもとにした火照りを冷やそうと、冷たい飲み物を口にする。

甘いカフェラテが、少しだけ頭をスッキリとさせてくれた。


「ユキオは……なんか、こう……もっと動じない雰囲気を感じていたんだけど、実際のところは案外そうでもなかった、かな?」

「それはお互い様でしょ……。僕もナギがイルカに興奮しているところは、ちょっと意外だったかな。意外な顔が見れて、なんだかドキドキしちゃった」

「……そこ」


 と、僕の顔を指さすナギ。

どこだろ、と首をかしげると、ジト目で睨みつけてくる。


「ユキオ、キミは……なんだか、女の子に手慣れている感じがする。

 女の子への言葉の選び方が、とても様になっている。

 ズルい。

 ズルすぎる。

 水族館が初でも、もっと余裕をもってデートしてそうだった」

「そこはかとない、風評被害を感じるな……。

 姉と妹が居るから、デリカシーのない物言いを修正されたから、かな?」


 思わず、遠い目になる。

大怪獣オネエチャンに振り回され、大怪獣ミドリチャンにくっつかれ続けた幼いころ。

ヒマリ姉を優先すればミドリが泣き出し、ミドリを優先すればヒマリ姉が泣きながら駄々をこねる。

感情の制御が未熟だった二人が爆発しない立ち振る舞いを、僕は自然と身に着けていた。


「キミの家族、か。ちょっと話、聞きたいな。

 キミの大好きな人達の話を、キミから聞きたい。

 ……キミを、もっと知りたいから」

「分かった。じゃあ、ナギの家族の事も聞かせてくれるかな?

 僕も、君のことが知りたいから」

「……ズルいな。10ポイントマイナスで」

「何のポイントだよ……」


 呆れ半分で、少し笑ってしまう。

なにせ言ったのち、ストローを咥えて口をプクリと膨らませるナギが、あまりにも可愛らしかったので。

さて、と家族のことに思索の念をやる。


「姉も妹も、僕と比べてとても優秀な人でね。頭もよいし、強い。

 言ったっけ、僕は冒険者をしていてね。けど、姉も妹も、僕なんか比べ物にならないぐらい強いんだ。

 姉さんは明るくて太陽みたいな人でね。すごく積極的で、仕事も趣味も、色んな事に手を出して成功している。

 接していると、とにかく明るい気分になれる、とても素敵な人なんだ。

 妹は、とてもマイペースな娘でね。興味の有無がハッキリしているタイプなんだけど、なんて言えばいいのかな、いわゆる天才肌って奴なのかな。

 興味がないことも、いとも簡単そうにサクッとこなしてみせる、すごい娘なんだ。

 人の気持ちもよく分かって、しんどかったりする時にそっと寄り添ってくれる、とても優しい娘なんだ」


「ボクは、パパとおじさんかな。あぁ、どちらも血は繋がっていないんだけど……。引き取ってくれた家族だよ。

 パパはとても正義感が強くてね、曲がった事や理不尽な事を見たとき、目をそらすんじゃあなく、憤って行動してくれる人なんだ。

 かと言ってこう、視野が狭い訳じゃあなく、人の気持ちが分かっていて、それでもその上で正しくない事はキチンと指摘できる、そんな人だ。

 まぁ、ボクの事を"私の宝物"とか言って過保護気味なのは、ダメダメだけど……。

 おじさんはその分、悪い事を教えてくれる人だなぁ。

 パパに引き取られてしばらくしてから会った人なんだけど、いつも甘い感じのタバコを吸ってる人だ。

 会いに行くと、ボクに気づいてタバコを消して、でもちょっとだけ甘い煙の感じが漂っているんだ。

 ボクの先生みたいな人なんだけど……。まぁ、ダメダメ人間社会不適合者って感じでね。"俺は反面教師だ"なんて平気で言っちゃう感じ」


 と言葉では愚痴っぽく言いつつも、ナギの表情は異なり、懐かしそうに、あるいは嬉しそうに、ポジティブな感情がこちらに伝わってくる。

 可愛らしい反面、なんだか家族好きパワーで負けている気がして、僕は内心呻いた。


「ね、姉さんはちょっと神経質で、甘え下手な所があって……。僕がずーっと無限に褒め続けていたら甘え上手になってきて可愛さ100倍って感じだけど……。

 妹は頑固で、人の言うことを全く聞かなくって……。それはそれで格好いいし、筋道だってお願いすれば割と聞いてくれるようにはなったんだけど……」


 だ、ダメだ、上手く愚痴っぽく言えない。なんか褒めている気分になるぞ。

 そんな僕の様子に気づいたのか、目を瞬き、それからへぇ、と小声で、悪戯な笑みを浮かべるナギ。


「それってボクの真似? 家族の事を話すとき、自慢ばっかりになるのが、恥ずかしくなっちゃった?

 可愛いなぁ、ユキオは」

「……い、いや。ナギが家族を語る姿が内容は愚痴っぽいのにすごく好きって伝わってきて。

 なんか、負けた気分になったから……」

「……う、うわ、何それ……。こっちも恥ずかしくなってきたよ……」


 と、両手で顔を抑えてみせるナギ。

僕も顔が真っ赤になっているのが自分で分かるぐらいなので、ここは引き分けということにしよう。

何故か会話を戦いみたいに評価し始めている謎の自分を無視し、互いに少し、休息。

暫くの後、視線で息は整ったと、互いに確認する。


「父さんは、とても立派な人で、尊敬している部分は色々とあるんだけど……。

 そうだね、僕が学生だった時の話がいいかな。初等部の頃の、話なんだけど」


 僕はいわゆる中卒で、高校には進学していないし、大学には尚更だ。

それに中学は冒険者向けの学校を受験して進学したので、中学時代の思い出は訓練に次ぐ訓練と、合間の授業ぐらいか。

だから学生らしい思い出というと、初等部の頃のものぐらいだった。


「毎年、絵のコンクールがあってさ。

 4年生から6年生の3学年、全員図工の時間に絵を描いて出すことになっていたんだ。

 僕は、最初4年生の頃には箸にも棒にも掛からなくって。

 姉さんは最初から入賞していたものだから、自分も入賞できるものだと思ってたのか、悔しくってさ。

 で、2年目は今度こそって頑張って、家でも絵の勉強とか隙間時間使ってやってさ。

 ようやく努力賞みたいなものを貰えて。

 でも……姉さんは3年連続入賞で、最後は銀賞。

 妹は1年目にして金賞で、その後も3年間ずっと金賞。

 二人とも別に、家で絵の勉強とかしてなくて、授業時間だけだったのにね」


 嫉妬と、恥ずかしさと、悔しさと……そんなところか。

とにかく、負の感情が渦巻いていた事だけは覚えている。

その年はその後に起きたことが衝撃的すぎて、自分自身の感情はあまり覚えていないのだけれども。


「僕は、最初は恥ずかしくって、自分が努力賞を取れたこと、父さんに言えなかったんだ。

 姉さんが父さんに銀賞取れた、って報告して、妹がマイペースに一応って感じで金賞を取れたことを言って。

 姉さんは悔しがっていたけど、それでもきちんと妹に、おめでとうって言えて。

 妹は、なんやかんや言って、嬉しそうにありがとう、って返していて。

 で……姉さんも妹も、言い出さない僕を、心配そうな目で見てきて。

 父さんが……俯いている僕に、跪いて、目線を合わせて。

 ポン、って頭撫でながら、ユキオはどうだったのか、私に教えてくれないか、って。

 泣いちゃったんだっけな、僕。

 何言ったのか全然覚えてないんだけど、まぁ、どうにか努力賞だったことは伝えられたと思う。

 で、頑張ったな、って。日ごろから頑張ってて、それが成果を結べて、本当に良かった、って。

 まぁ、褒めてもらえた訳だよ」


 どこか家族に引け目を感じていた僕が、家族への遠慮を無くしたのは、この頃だったか。

その後色々とあって後戻りしてしまい、翌年の貢献値判定"赤"が決定打となる訳だが……。

それでも、この時に感じた父さんの愛情と、それに対する嬉しさだけは、間違いない。


「いい、お父さんなんだね」

「うん。一般的に親は出来の良い子を贔屓してしまうし、父親は娘に甘いとも言うけど。

 僕は父さんから、そういうのを感じたことはなかった。

 同じ立場で同じことをできる自分は、ちょっと想像できないかな……。

 だからこそ、尊敬しているという事なんだけど」


 向かいで静かに相槌を打っていたナギは、気づけば、目を細め、にっこりと微笑みながら僕を見つめていた。

表情の変わらない、半年間の公園の横顔は、そこにはなかった。

とても柔らかで、何か眩しい物を見るような……、穏やかで愛らしい、笑顔だった。

彼女を宝物と称する父親の気持ちが、少し分かったかもしれない。


「ユキオは、お父さんみたいになりたい?」

「……それは、その、うん。分かるかな?」

「分かるよ。だって、ボクも……パパみたいに、なりたいから」


 先と変わらぬ笑顔で、僕のことをじっと見つめるナギ。

立派な父のように、なりたい。

僕らは二人ともそう思っていて……、それが叶わないであろう事を知っていた。

僕らは、人類の敵対者たる運命にあるもの。

目指す先が、焦れる人が、立派であればあるほど、そこに辿り着けない事を事前に知らされることになる。


 聖剣は、絶対だ。

人類を救った救世主、人類の敵を選別し、社会を構成する人類そのものの要素とさえ化した存在。

だからこそ、僕らは未来に絶望ばかりであることを知っている。

叶わぬ夢を、叶わぬと知りながら見る。

それは心の中が軋み砕けんばかりに辛くて。


 それでも、と僕らは歩み続けることを決意していた。

終わりが分かっているからと言って、歩むことを辞める気にならないから。

焦れたものが、僕らの背を押してくれるから。


 僕らは、互いが互いの眼に背を押されていた。

生まれは異なり、育ちも異なり。

けれど何故かどこか、鏡移しのように互いに自分を見ていて。

相手が立ち上がり歩む姿に、僕らは勇気づけられている。

出会った時に思ったように、それは……"運命"の出会いといって、過言ではないように思えた。

それこそ"運命の糸"を持つ僕が、そうなぞらえるほどには。




*




 それから。

ナギはユキオと、様々な話をした。

何故か話しづらそうにしていた、メイドの話。

姉に妹に連れられショッピングやらゲームセンターへ拉致される話。

逆に、ナギは最近父が忙しくて構ってくれない話。

おじさんは暇そうだが、先生役は終わりといって、駄弁るぐらいしかしてくれない話。

気づけば空は赤く染まっており、別れの時間がやってきていた。


 夕焼けが、辺りを赤く染めていた。

駅前の広場は、多彩な人が行き交っていた。

スーツ姿のサラリーマンに、紺色の作業着姿の男女数人、子連れの主婦に、学生らしき集団。

歩く人、走る人、立ち止まって話す人。

雑多に動くそれぞれの中にて、ユキオとナギは、朝に待ち合わせた場所で立ち止まり、話していた。


「本当に、送らなくて大丈夫かな?」

「大丈夫大丈夫、冒険者じゃあないけど、ボクもかなり腕っぷしには自信がある方だしね」


 多分ユキオより強いのでは、という思いは口には出さない。

目の前の少年は、特段強そうとは言えない。

戦闘態勢に入らないうちに位階までは分からないが、それでも強者特有の自負が感じられないのは確かだ。

ナギは対人実戦の経験はないが、なんとなく、ユキオ相手であれば勝てそうだとは感じていた。


 何より、ナギは帰る場所を知られたくない事情もあった。

今のところナギはホテル暮らしで、ここ数週間は家族と出会えていない。

ユキオに余計な心配は、かけさせてくなかった。


「なら……今日は、ここまでか」

「……そうなるね」


 思わずナギは、ユキオの手を、強く握った。

急な動きに、思わずピクリと動くその手に……、指を絡める。

あ、とユキオが小さく漏らすのに、そっとその手を握りしめた。

遅れ、ゆっくりと、絡まったユキオの指が、ナギの指を、手を、握りしめた。


 あ、と思わず呟き、ナギは視線を壁にやった。

朝にそうだったように、鏡張りの壁には、二人が映っていた。

指を絡め、掌をしっかりと合わせ、手を繋いだ二人が。

遅れてナギの視線を追ったのであろうユキオが鏡に目をやり、う、と呻く。

夕焼けが二人を、赤く染めていた。

仮にどれだけ赤面していても、分からない程に。


「なんだか、いいね」

「あぁ……うん、兎に角、いいね」


 ナギの呟きに、ユキオが同意した。

言葉があやふやになるぐらい、顔が火照って、心臓が高鳴って。

それは隣の少年も同じなのだと、ナギは直感した。


「ちょっと、大分、ドキドキする」

「うん。……ドキドキしても嫌な気分にならないなんて、久しぶりだ」


 八ッ、とナギはユキオの顔を直接見た。

恥ずかしそうで、けれど、どこか寂しそうな横顔。

遅れて疑問符のまま、ナギに視線を戻し……真っ直ぐに、ナギを見やる。

疑問符があり、照れがあり、興奮に似た火照りがあり……そしてその奥に。

寂しい。

なぜか、そう書いてるのだと、その時ナギには読み取れた。


 だからそれは、衝動だった。

後になってもそれを理屈立てて説明はできないし、そうしたくなったからそうした、以外の理由はそこにないように思えた。

手を、引いた。

少し前のめりになるユキオの肩を、空いた手で掴む。

一歩踏み出し、首を傾けて。

啄むような短いキスを、彼の頬に口付けた。


「え、あ、う……」


 同様に声を漏らすユキオが、寂しさも何も吹っ飛んでいるのを確認し。

ナギはそっと口付けしたその唇を、舐めた。

そっと掴んでいた肩を手放し、繋いでいた手を、放す。


「ボクの前で、そんなに寂しい顔をしちゃ、嫌だよ。

 キスしちゃうぞ?」


 コクコクと頷くユキオに、微笑みながらナギは、一歩下がる。


「それじゃあ、今日は……とても楽しかったよ。

 また是非会おう」

「う、うん……じゃ、じゃあまたね!」


 夕焼けの中でもそうと分かるほど、真っ赤な顔をしたユキオ。

彼を最後に視界に収めてから、ナギは身をひるがえし、進んでいく。

すたすたと、なるべく一定の調子を保って歩き続けて、数分。

曲がり角を幾つか越えたのち、行き交う人の波を外れ、人気の少ない道端で呼吸を整える。


「う、うわぁ、ボクは何をやってるんだ……!」


 顔の火照りが、抑えられない。

間違いなく顔が真っ赤なのだと、鏡を見るまでもなく分かる。

両手で顔を抑えながら深呼吸をし……片方の手に、嗅ぎなれない匂い。

それがユキオの手の匂いなのだと、遅れて気づく。


「うううう、ボクのばかぁ……」


 涙目で呟きながら、思わず手を放して……、戻す。

所詮は握っていた手の匂いである、このまま興奮して汗をかいていれば、数分もすればその匂いは押し流されてしまうだろう。

けれどそれは、なんだか勿体ない、と心の中で思ってしまったのだ。

ここは公道で、通行人は少ないとはいえ居る事には居る。

訝し気にこちらをチラチラと見ながら去ってゆく人が多く、集まる視線にますます恥ずかしさが増していく。

ナギの火照りが冷めて、帰宅できるようになるまで、更なる時を必要とするのであった。




*




「おかえりユキちゃん……ユキちゃん?」


 とは、帰宅した僕を迎えた、ヒマリ姉の言葉だった。

二度見三度見し、ついには僕の顔に視線が固定される。

ととと、と小走りで僕の前に来て、上から下から、僕の顔を覗き込んでくる。


「あの、どうしたの、姉さん?」

「ミドリ! ちょっと来てユキちゃん見て!」

「どーしたの、姉さん……。ん? あれ?」


 と、ソファでぐったりしていた妹もこちらに来て、僕の顔を覗き込んだ。

ふむ、と二人顔を見合わせ、こちらに視線を。

代表してか、ミドリが口を開く。


「……兄さん、もしかしてえっちな事した?」

「してな……」


 フラッシュバック。

頬に残る、柔らかい感触。

キスの直後の唇を、ペロリと舐める、真っ赤な舌。


「……いよ、えっちな事なんて」

「えっちじゃない事はしたの!? 兄さんのえっち!」

「1秒で矛盾しないでくれるかな……」


 呆れながら告げると、遅れてヒマリ姉が両手で口を押えた。

2歩、3歩と下がり、ラグの上に崩れ落ちる。

腰近くまであるふわふわの長髪が床につき、うるんだ瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。

前後の流れを無視すれば、悲劇に胸を打たれた女神にも思えなくはない。


「う、嘘だ……ユキちゃんが寝取られた……?」

「寝てないし、姉さんと寝た記憶もないけど……」

「や……やだやだやだユキちゃんは私のなの!」


 と、叫びながら寝ころぶヒマリ姉。

そのまま両手両足をバタバタとやるその姿は、スーパーでお菓子を買ってもらえず駄々をこねる子供そのままだった。

一切嬉しくないパンツが暴れるスカートから垣間見えて、なんだか悲しい気分になる。

10秒ほど暴れてから静かになり、ヌッと立ち上がったかと思うと、いきなり駆けだし僕の前に。

両肩を、ガシリと掴んでくる。


「ミドリ、いい?」

「やるんだね、姉さん」


 くるりと回され、ヒマリ姉が背中側に。

目の前にはミドリが、ふんすと鼻息を漏らしながら、両手を広げ僕を通せんぼの形をしている。


「「姉妹サンドイッチだ!」」

「ぐえっ」


 思わず、潰れたカエルのような声を漏らしてしまった僕を、誰が責められようか。

前後から姉妹に抱きしめられたのは別にいいが、ちょっと力が強すぎる。


「よし、姉さん、このまま我らサンドイッチはソファに移動するが、如何に?」

「オッケイ、ミドリ、指示お願い!」

「了解。このまま直線、1,2の掛け声で行こう。いーち、に、いーち、に……」


 と、そのまま挟んでいる前後二人によりソファへと強制移動。

腰を下ろし、姉さんの膝の上で抱きしめられ、ミドリに膝の上からハグされる形になり、ようやく力が緩み、痛み以外を感じるようになる。

思わず、愚痴が口を突いて出た。


「流石にちょっと、力が強すぎて痛かったよ……。もうちょっと加減してくれ」

「前後から強くされて痛かったから加減してほしい……? セクハラ発言では?」

「えい」


 ペチン、と後頭部を叩くと、グエー、と漏らしながら僕の喉元あたりに顔を沈めるミドリ。

仕方ないので、後頭部を軽く撫でてやりながら、溜息。

ついで肩越しにヒマリ姉に呼びかける。


「姉さんは、辛くない? ミドリは軽い方だけど、二人分の体重だろ?」

「ぐへへ……幸せの重みだから大丈夫だよ~」

「そっかぁ」


 僕は言葉での説得を諦め、そのまま飽きるまでされるがままでいいか、と考えたその時である。

視界に、ミーシャが居る事に気づく。

携帯端末のカメラを向けたメイドに、家政婦は見た、という単語が脳裏をよぎった。


「ミーシャ?」

「大丈夫です、撮影しています」

「何一つ大丈夫じゃないんだけど?」

「これは無音撮影アプリを使っているので、シャッター音なしで撮影ができるんです!」

「大丈夫な背景を聞きたかったんじゃないんだけど……」


 会話の通じなさに諦め、前後の姉妹と謎の撮影を始めるメイドに、されるがままになる。

柔らかに背側から包み込まれ、前からは縋りつき甘えられ、そんな僕をニコニコと笑顔で撮影するメイド。

これで性的な感情は三人ともゼロなんだろうな、と思うと、溜息をつきたくなる。

家族に性欲を覚えて股間が痛くなるのはいつも憂鬱だが、前後の展開がアホらしすぎると、こんな状況に興奮を覚えてしまう自分により憂鬱になる。

そんな折に、ガチャリとドアの開く音。


「……何やってるんだ……?」


 見れば、書斎から姿を現した、父さんだった。

こほん、と咳払いしながら、ミーシャは端末を仕舞い、ててて、とスキップしながらキッチンへ。

ミドリは何事もなかったかのように立ち上がると、ダイニングの椅子に腰かける。

ヒマリ姉は僕をそのままソファに残し、ミドリの隣の席に腰かけ、こそこそ話を始めた。

力尽きた僕は、そのままソファに一人、荒く呼吸することしかできない。


「父さんも……たまには二人を叱ってくれよ……、いやほんと……」

「そうか」


 と、一つ頷き、父さんは姉妹に視線をやる。


「早めに返事をしておきたくてな。仕事について、聞いておきたい事がある」


 叱るんじゃないのかよ、と内心ぼやきながら、深呼吸。

息を整え、僕も落ち着いて父さんに目をやった。


「お前たち三人を、ある仕事に推薦したい。

 ……秩序隊と合同の仕事だ」



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