第七話 生き抜くこと

「動ける怪我人は速やかに屋外へ退避! もう大丈夫! あと一分で医療班も到着しまス! 機動班、対象は二級赤魔と推定! 上級拘束魔法展開!」


 小さな身体から信じられない声量で指示を出すリリナ。しかしそれは、この場では何よりも頼もしく響いた。

 指示を受けた白いコートの集団が床にめり込んだミノタウロスを取り囲み何事かを詠唱すると、上空に光る魔法陣のようなものが広がる。

 また、半壊した酒場の入り口の向こうで「医療班、こっちだ!」と叫んでいるのは、先程酒場で談笑した獣人たちだった。


「助かった、のか」


 まさに場が目まぐるしく動いている最中、カグヤはオリーとカーラに声をかけようと振り返った。しかし、そこに二人の姿はない。


「え、二人はどこに」


「貴方の横にいた二人なら、医療班が来ている方角へ速やかに向かって行きましたよ」


「そうか……ってアルト!?」


「カグヤ君、貴方も無事なようで良かった」


 カグヤの言葉に答えたのは、ここに駆けつけたアルトであった。彼もリリナたち同様、騒ぎを聞きつけて急いでこちらへ向かってきたのだろう、衣服や髪が乱れている。

 汗を拭い、単眼鏡を直しながらもアルトは安心したように息を吐いた。


「本当に探しましたよ。まさか赤魔と遭遇しているとは」


「悪い、すごい心配かけたよな」


 この必死さからして、少し前まで昼食を優雅に楽しんでいたことは言わない方が良さそうだった。


「貴方にはまだ未解明な部分がありますから、監視から外れてもらっては困るんです」


「おう」


「……監視されることに乗り気なのもどうかと思いますが、まあ良いでしょう。ここは機動班に任せて退避しますよ」


 アルトに促されて立ち上がる。すると、後ろから地を這うような低い声がした。




『我は御使也みつかいなり




 悪寒が背中を駆け上がり、カグヤはばっと振り向く。それは拘束されて動けないはずのミノタウロスから発せられていた。


三天楔鬼さんてんけっきよ目覚めの刻ぞ。我等の呼声に応えよ』


 見れば、額の部分に新しい三本目の角が生えていた。避難誘導をしていたリリナの「そんナ、急に一級に進化しタ!?」という一言と共に、魔法陣の拘束をバキバキと割り砕き、ソレは咆哮する。


『災いあれ。災いあれ。この天地に呪いあれ——!』


 巨大な口から炎が放たれ、一瞬にして目の前に迫る。

 カグヤの脳裏に、オリーやカーラ、先程の観客達の楽しそうにしていた光景が甦る。

 屋根に穴こそ空いてしまったが、全焼なんてしたら今度こそ彼らの居場所は無くなってしまう!




 怖い。怖い怖い怖い怖い。

 どうするどうするどうする。

 止めなきゃ止めなきゃ止まれ止まれ止まれ——!




「やッ、【やめろ!!!!!】」


 キリリン、と銀鈴が強く震えた。

 カグヤの心からの叫びは、二重に重なった不思議な響きで辺りに響き——極限まで圧縮された世界を反転させる。

 炎が消え、ミノタウロスが血走った目に驚愕の表情を浮かべた。


 信じられないことが起こっている。

 


 この場で呼吸しているのは、カグヤとミノタウロスのみ。


「はあっ、はあっ、はは、は——」


 カグヤは胸を押さえる。どくどくと跳ねる心臓と右目が燃えるように熱かった。彼は気づいていないが、右目が赫く輝いている。

 なぜだろう。どうしてだろう。仄暗い高揚感が彼の胸中を埋め尽くす。


「なんだこれ……気分が、最悪にい」


 どうしようもない怒りと、今にも喉を突き破りそうな哄笑が脳漿へめちゃくちゃにかき混ぜられる。

 カグヤ自身、突如起こった自分の変化に訳も分からず、よろけて一歩進む。それに対してミノタウロスはガガンと瓦礫を巻き込んで後ずさった。まるで未知のものに恐怖するかのように。


『これは何だ、貴様は、何だ』


 貴様は何だって? それは俺も知りてえよ。

 そう思いながらカグヤは、自分の内側から出てくる感情に溺れていく。


「あ、ハ、」


 ああ。ズレる。決定的な何かが。


 ……。

 そうだ。

 そうだった。

 許しては、いけないんだった。

 許すな。許すな許すな許すな。

 とうに許さないと決めたはずだ。

 とうに救わないと誓ったはずだ。

 オレに牙を向けたものを、オレの大切な人を貶めた唾棄すべき一切合切をこの世から潰して侵して踏み躙ってやると。

 決めたはずだ。

 この愚か者など疾く排除しなければ。

 そうだったよな? オレの、


 ……。…………。

 どうして、君を思い出せないんだ。




「【去れ、身の程を知らぬ赤魔が!】」


『貴様、その力は、グ、オオ——!』


 口がひとりでに動き、カグヤは本能に任せて叫ぶ。瞬間、ミノタウロスの姿がぐにゃりと歪み、空気に溶けて消えていった。

 同時に、騒ついた周囲の時間が動き出す。

 瞳の輝きは消え、冷えていく思考。

 戻ってくる正気。


(……? 今の、誰だ……俺、なにを?)


 全身に力が入らず、カグヤは倒れ込む。

 数秒前までの記憶が瞬時に朧げになった。

 すぐそばにいたアルトが、その体を受け止めてくれたおかげで、頭を打たずに済む。

 しかし、お礼を言おうにも口を動かす力さえ抜け落ちてしまっていた。先程の一瞬で使い切ってしまったらしい。


「赤魔が消えた——カグヤさん!? 大丈夫ですか!」


(よくわかんないけど、みんな無事だ、よかった)


「来てください医療班!」


 何度も苦労をかけてごめんなアルト。そんでまた気絶オチか俺。とカグヤは自嘲しながら意識を手放した。




◆◆◆




「ごめんなさイ、カグちゃん。あたしがついていながら君を危険に晒してしまっタ」


 観測所の病室で目が覚めたカグヤに、状況を説明してくれたアルトと入れ替わりで真っ先に入室してきたリリナからの深い謝罪があった。


「いや、いやいやいや。大丈夫だって。そんな謝んなよ。あの怪物、急になんかぐわーっと強くなって動き出してたし、対処が遅れるのはしょうがないと思うぜ」


「命は一度きリ。もしかしてなんてないノ。今回はあの赤魔がからたまたまなんとかなっただケ。だから、あの場を指揮していたあたしの罪は重イ」


 なおも頭を下げ続けるリリナへカグヤはあたふたとする。

 ここは最初にカグヤが目覚めたのと同じ部屋だった。身体に異常なしだったことを最初に教えてくれたアルトは、こちらを気遣いながらも他の職員に呼ばれ、対応の応援に向かっていった。


「リリナはすごい真剣に俺たちのこと守ろうとしてくれただろ。俺は、そんなリリナを尊敬するぜ。なかなかできることじゃねえって」


 カグヤの心からの本音である。駆けつけてくれた際の彼女がどんなに頼もしかったか、言葉では言い表せないほどだ。その時の感激は瞼の裏に焼き付いている。


「……カグちゃんは許すんだネ……あのさ、これは年寄りの昔話だけど、聞いてくれル?」


「おう」


「私が生まれて十年くらい経った時、すごい大きな厄災が起こったノ。『喇叭らっぱ吹き』が来て、国もヒトも空もめちゃくちゃになっタ。その頃奴隷だったあたしは、そのめちゃくちゃの中で今のお姉ちゃん……セレネに助けられタ」


 リリナの年齢は五百十一歳だと聞いているので、この話は五百年前について話しているのだろうとカグヤは思った。


「あたしはあの時の抱えきれないほどの恩を返し続けるために生きてるノ。それはお姉ちゃんにだけじゃなく、手の届く全ての人へ。……助けるこト。助けられるこト。それがどんなに必要で尊いことカ。十分理解してきたつもりだっタ。でもあたしの力はまだまだ及ばなイ」


 カグヤは静かに言葉の続きを待つ。

 リリナは目にうっすら溜まっていた涙を拭い、にっと笑って宣言する。


「だから——アタシは必ず、カグちゃんをしっかり守れるくらい強くなってみせるヨ。待っててネ」


「ああ、信じてるよ、俺」


 視線が交錯する。小さな彼女の途方もない過去を明確に想像できることはできないが、カグヤに今できるのは、その決意を肯定することだった。


「それはそれとしテ、何か手伝えることがあれば、遠慮なく言ってネ! 今回の件の罪滅ぼしをさせて欲しいノ」


「罪滅ぼしなんて大げさ……あ、でもお願いならひとつあるな」


「なになニ?」


 それは、カグヤがこの島を、世界を見て回りながらずっと考えていたことだった。

 これからカグヤがやりたいことを実現させるためには。

 一大決心。カグヤはベッドから降りて九十度に腰を曲げ、頭を下げた。


「俺を! この観測所で働かせてください!!」


「エー!?」


 先ほどとは逆転した絵面に、リリナは飛び上がって驚いた。


「俺、ここの知識が無さすぎるんだ! 何もかも足りないってこの一日でよーくわかった。生きるために働いて、力をつけて金を貯めて——行きたい場所があるんだよ! リリナって偉い立場なんだよな? 口利きしてくれたりしないか」


 そう。

 カグヤは何としてでも、マリーンの右目に残してきた呪いを解きに白銀塔へ向かいたいのだ。


 しかし、この島で出会った人々とのやりとりや、満足に一般人並みの魔法を使えない現状、襲ってきた赤魔に——何か大きなことがあったような気がするが何も思い出せないので——手も足も出なかった自分を顧みて。

 このまま一人で白銀海域へ飛び込んだとしても、あっという間に赤魔に襲われ海の藻屑になってしまうことがありありと想像できてしまった。

 なので、急がば回れ。確実な方法で実現させてみせる。


「そ、それはできなくはないかもだけド……それって本当に罪滅ぼしなノ……?」


 三つ編みをぴこぴこさせて戸惑うリリナ。その背後から二人の人物が入室してきた。


「おう、いい心意気じゃねえか」


「ここまで無償で知識をお教えしたのは、善意だけじゃありませんしね……しかし自分から言い出すなんて流石というか何というか。ゆっくり誘導する予定だったのに拍子抜けです」


 聞き慣れたその声は、アルトとディオンだった。


「ふ、二人とも……! というかアルトはもう用事はいいのか」


「僕の仕事処理速度を舐めないでいただきたい。リリナ一級長とのやりとりを途中から盗み聞きするくらいには余裕がありました」


「いらんことは言わなくていいぞアルト」


「すみません所長」


 カグヤは入室時の二人の言葉を反芻し、おずおずとこう尋ねる。


「……あの、じゃあ、俺……」


 ディオンはゆったりと頷き、歯を見せて笑った。




「そうだ。ウチはいつでも勇気ある新入所員を歓迎するぜ——ようこそ、カグヤ。白銀塔観測所へ」

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