第六話 招かれざる影

 昼食は問題なく進んだ。仲睦まじい二人の間に入るのは憚られたので、せめてもと隣のテーブルへずらしてもらった。


 食事自体は酒場でそのまま摂ることとなり、屋台飯とはまた違った品々を味わうことができた。……タダで食らう高級肉は最高の一言である。カグヤは単純なところがあるので、これだけで結構オリーのことを許せてしまう。

 またこの世界では十八歳から飲酒が許されているらしいが、そこは気が引けたので断った。


(実際、お似合いなのかもな)


 横目で二人を見て、お互いに恋をしている顔だとカグヤは思った。とても幸せそうだ。

 オリーがなぜカーラさんとの昼食のために兵士に追われていたのかはわからない。しかしカーラの方はそれすら分かった上でこうやって付き合っているようだった。


「よォ楽しんでるか兄ちゃん」


 近くの席にいた鼠とパンダの獣人らしき男二人が酒を片手に声をかけてきた。完全に出来上がっている。


「オリーに巻き込まれたクチだろ? わかるぜェ、あいつはいつも台風の目だからなァ」


「カーラちゃんの方もベタ惚れでやんの。みんなの歌姫を独り占めしてくれちゃってマァ」


「でもよ兄ちゃん、オリーって謎なところが多いんだぜェ。自分の素性はほぼ明かさない。多分知ってんのはカーラちゃんだけだ」


「そうそう。放蕩貴族の坊ちゃんがお忍びで来てるんじゃねーかってのがもっぱらの噂よォ」


「ふーん」


 気の良い獣人二人組は、その後も色々と話をしてくれた。どうやらカグヤと同じくらいの歳の子供がいるらしく、世話を焼きたくなったらしい。厳つい見た目に反して口から出てくるのは妻への惚気や子供の成長話だった。


 昼食も食べ終わり、そのまま雑談に興じていると後ろからオリーに声をかけられる。


「お待たせ、待ちぼうけの君」


「おー。もう良いのか?」


「十分過ぎるほど愛を語らったとも。もう仕事へ戻ってしまったけれど、カーラも君にありがとうと言っていたよ。君もどうやら退屈しなかったようで何よりだ。順応力があるというか、年上に可愛がられるのが得意なのかな?」


「オッサンたちの惚気話聞いてただけだ、ほっとけ」


「ハハハ、では次の話だ」


 オリーはパチンとウィンクをした。


「——僕にできる範囲で一つ、誠実な君にお礼をさせておくれ」


「え? さっきの肉じゃねえの」


「いやいや。僕はそんなケチな男じゃないさ。それに、これは口止め料でもある。わかるね?」


 オリーの口調は普段の仰々しさそのままだったが、こちらに向ける金の瞳の真意に気づけないほどカグヤは鈍感ではなかった。


「……そんなにここのことがバレたくないのか」


「そうとも。彼女との関係は僕の生きる糧と言っても過言ではないからね! 彼女の素敵な点は星の数ほどある。幾つ挙げてもキリがないくらいさ」


 まずい。あんまり深掘りすると本当にカーラへの賛辞が止まらなくなる気がしたので、単刀直入にカグヤの思っていることを話すことにした。


「——簡単なものでも良いから、俺に魔法を教えてくれ」


「!」


「あんたも最初に会った時の俺を見てたろ。色々事情があって、世界の常識を一から学んでんだよ」


 オリーは驚いた後、真剣な顔で頷いた。


「ふむ。僕はそれで構わないよ。……むしろそれで済むなら万々歳さ」




◆◆◆




 酒場の裏、空き地のような場所へ出た。酒を持ったまま観戦しに来ている客たちも数人いてちょっと気が散るが、しょうがないだろう。


「魔法の基礎の基礎からでいいんだね?」


「おう。何も知らない子供に教えるくらいの簡単さで頼む」


「ハハハ、分かった。……魔法は基本、決まった文言を詠唱して使うものだ。空気中のマナを取り込み、身体を変換機として狙った形で出力する。補助や上級編として道具などを使う場合もあるけれど、今回は無しでいこう」


「おう」


「マナ自体は無属性、使われる魔法は七属性ある。こういうのは実践した方が早いね」


 オリーは足を肩幅に開き、右手を前に掲げる。促されて、カグヤも同じポーズを取った。


「まず初級火魔法だ。僕の言葉を復唱して。古き龍と尊きマナにこいねがう——【火よ】アヴァ


「ふ、古き龍と尊きマナに希う――【火よ】アヴァ!」


 まず、オリーの右手の先には拳大ほどの火が灯る。

 しかし、カグヤの方は火どころかバフっと音を立てて見えない衝撃のみが放たれた。手首に反動が返ってくる。


「っ痛え!?」


「? おかしいな、魔法が初めての子供でも基本詠唱で失敗なんてするはずがないのに」

 

 その後他の属性の詠唱も試したが、結果は同じ。若干右手を痛めるだけで終わった。

 しょんぼりと自らの両手を見るカグヤ。どうしてだろう。恥を捨てて厨二病めいた詠唱をこなしたというのに。現代日本出身にはやはり無理なのだろうか。


「まじか俺……一般人以下……?」


「うーん……僕は魔法教師じゃないから細かいことはわからないけど、とりあえず詠唱内容自体はこれで合っている。無反応じゃなく『何か』が手から出ている感じがするから、体内変換はできていると思うんだけどね……」


 見物客側から「真面目にやれよ兄ちゃん!」などとヤジが飛んでくる。カグヤは「うるせー!」と返す他なかった。これに「嗚呼なんという悲劇。これも龍神のお導きか——」なんて戯けてみせるオリー。以前も聞いた気がするが彼の決め台詞なのだろうか。そうしていると、


「あれ、なんだ?」


「光ってんぞ」


 見物客たちの側からザワザワという喧騒が聞こえてくる。見物たちが見上げている方向へ、オリーとカグヤは揃って目を向けた。



 ——海の向こうから、一つの赤い光が飛来する。



 ドォン!と酒場の向こう側へそれは着弾したようで、立ち上がる土煙と数々の悲鳴にその場は騒然とする。


「な、なんだ!?」


「……カーラ!」


 オリーは鬼気迫る顔で真っ先に酒場へ走って戻っていく。カグヤは「あーくそ、今日は何回トラブルに巻き込まれればいいんだ!?」と叫びながらそれに続いた。




◆◆◆




 駆けつけた土埃の向こう、酒場の屋根に開いた大穴。ちょうどステージに落ちてきた『それ』は、三メートルほどの巨躯を持っていた。左右にねじれ上がった太く赤い二本角、鎧を身に纏った牛頭人身の怪物。

 カグヤはこれを物語の中で見たことがあった。


「ミノタウロス——」


 口からこぼれ落ちたその名称に、ぎろり、と赤い目がカグヤの方へ向いた。


「っ」


 恐怖で喉が鳴る。

 横のオリーは普段の気障ったらしい微笑はどこへやら、鬼気迫った怒りの滲む声で叫んだ。


「彼女をどこへ連れていく気だ、赤魔!」


 ミノタウロスはオリーの言った通り、血を流し意識が朦朧としているカーラを抱きかかえている。


(そうか、あれが赤魔……)


 赤い角を生やした怪物。確かにあれは聞いていた赤魔の条件に当てはまっている。尋常ではない殺気を身体中から立ち上らせているその様は、さながら悪鬼であった。


「オォ——!!」


 ミノタウロスは咆哮を轟かせ、筋骨隆々な脚で周囲のテーブルや酒瓶を薙ぎ倒しながらこちらへ突進を始める。十秒もあればこちらに激突すると感じ取ったカグヤは、回避するべく横へ転がった。

 しかし、額に青筋を浮かべ怒りに満ちた表情のオリーは動かない。


「オリー!」


 馬鹿、死ぬ気か! そんなカグヤの声を遮って、オリーは黒い外套を出現させ、翻す。


たぎ金焔きんえん、このマナと血をもって命ず」


 瞬間、黒い外套は金色に燃え上がった。


「——【焼滅】カフ・アヴル


 放たれた金の外套の質量が瞬間的に倍加する。


「!!!」


 金の炎は外套ごとバネのようにしなり、突進してきたミノタウロスを信じられない威力で反対側へ突き飛ばした。さらに外套はその身体を絡め取ってそのまま勢いよく燃え上がっていく。

 一方でオリーはというと、初撃で吹き飛ばしたミノタウロスの腕から飛び出したカーラを受け止め、燃え上がっていくミノタウロスなど目もくれずに彼女の容態を確かめている。


「カーラ、カーラ! ……良かった、流血量は大したことないね」


「オ、リー……?」


「ああそうだ君のオリーだとも! 怖かったろう。痛むところはないかい、すぐに医療班へ連れていくからね」


 そんな二人の後ろで、金から赤の炎の塊に変わったミノタウロスがゆらりと立ち上がる。


「まずい、まだ生きてる!」


 カグヤは割れた酒瓶を持って二人の元へ駆け出す。自分の魔法が使いものにならないと分かった以上、思いつくのは周囲のものを投げつけて気を逸らすか、死にかけた例の肉盾戦法ぐらいのものだった。


「グオオオオ!!」


 ミノタウロスは吼える。

 オリーもカーラを抱きかかえている以上回避は間に合わず、ああ——。




「赤魔の弱点はズバリ! その角なのダ!」




 大槌が空気を裂いて振り落とされる。その衝撃は燃えるミノタウロスの片方の角を粉砕、その床ごと深く陥没し、沈黙させた。

 翻る焦茶の三つ編み。オーバーサイズの白い制服。

 軽々とその身体の三倍以上ある大槌を床に突き立て、小さな彼女は宣言する。


「機動班、先行して現着でス!」


 ——リリナ・セレスタイト。

 機動班を率いる一級長が、ここに到着した。

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