第五話 黒外套の男

「手が止まっていますよ。分からないところがあるなら遠慮なく仰ってくださいね」


「だ、大丈夫だ! さっきと同じように読み上げてくれるか」


「はい」


 読み上げに合わせ、謎の文字と平仮名を紙の上で対応させていく。するとどうだろう。カグヤの予想通り、ほぼ五十音表と同じものが出来上がった。

 これなら覚えられるかもしれない。


(——すごい。でもなんというか、都合が良すぎるような)


 暦といい、文字といい。まるで誰かがカグヤのいた場所の文化に寄せて作り上げたかのような、そんな奇妙な違和感があった。目の前のアルトは真剣な顔をしているので、この文字たちがジョークというわけではなさそうだが。


「カグヤ君、理解できそうですか」


「……ああ、いけそうだ」


 文字対応表を見ながら、ゆっくりとだがノートの端に『かぐや』と書いてみる。アルトはそれを見て目を見開いた。


「おや。……記憶が欠けているだけで、貴方自身は勉強の仕方、一定の勉学を修めてきているようですね。普通の子供ならこんなにするするとは進みません」


「褒めてるか?」


「それはもう。この調子なら日常生活に適応するのも早そうです」


「へへ……」


 カグヤは素直に照れた。



◆◆◆




 ——ところで。


 勉強とは別に、カグヤが気になっていることかある。

 部屋の隅、カグヤの位置から三つほど机を離した壁際にずっと腕を組んで凭れている男がいるのだ。


 ここは所謂、騒ぐほどでなければ声を出しても許されているフリースペース。人は疎であった。しかし、黒い外套を纏い、深く被った帽子のつばから金眼を覗かせるその男は、さっきからじっとカグヤのことを見つめていた。

 アルトはそのことについて言及しないので、まあそういうもんかと思っていたのだが。


 帽子の男が壁を離れてカグヤのそばに寄ってきて、ノートを覗き込み始めた。近い。それに視界に入る顔がやたらイケメンだし気が散る。


(なんだこいつ)


「続いて地形の話もしましょうか。まずこの国は……」


(嘘だろ、アルトはこいつ無視して話進めるのか?)


 流石に視線に耐えかね、カグヤはこう言った。


「おいあんた。気が散るから離れてくれ」


「……驚いた。僕が見えるのかい?」


「何言ってんだ。最初からずっとこの部屋にいただろ」


「ほう。外套が効いていない。嗚呼なんという悲劇! これも龍神のお導きか——こうなったら勤勉な君、僕と一緒に来ておくれ」


「あ?」


「ありがとう黒髪の君。感謝するよ」


「あ?」


 話が通じないタイプか。

 この間三秒、カグヤは一言も了承した覚えはない。気障ったらしくウィンクしてみせた男は、パチンと指輪のついた指を鳴らす。するとカグヤは瞬く間に男に俵担ぎされていた。瞬間移動のように。


「ちょ、何すんだ不審者!」


「カグヤ君!?」


「おいアルトこいつなんとかしてくれ!」


「姿が見えない——この僕ですら感知できないとなると上級隠匿魔法か。何者だ、待て!」


 アルトが素早く杖を構えるも、帽子の男が一歩早かった。


「では、失礼♪」


 彼はガラリと窓を開けて跳躍。内臓に浮遊感。カグヤを抱えたまま二階の窓から飛び出したのである。


「う、うわあああ!!」


 高いところから見る白い街並みが綺麗、とか感想を並べる余裕もなく。カグヤは海へ落下した時の記憶がフラッシュバックする。最悪であった。


「ちょっと叫ばないでもらえるかな? ありがとういい子だね」


「むぐ、ぐ」


 口元に指を当てられると、チャックを閉じられたかように開かなくなる。魔法だろうか。魔法の光と共に軽やかに着地した帽子の男は走り出す。

 拉致である。誘拐である。離せ離せとカグヤはもがくも、余裕そうな男はそのまま路地裏へと入り込む。


「安心しておくれ囚われの君。誓って僕は君を害さないし、夜になる前には解放するさ。ちょっと兵士から逃げている途中でね。今捕まるわけにはいかないんだ。隠匿魔法を君にも拡張するよ」


 ふわ、とそよ風のような感触が身体を包む。これが隠匿魔法なのだろう。


「ふむ。僕の隠匿魔法は見破るけれど、ちゃんと術はかかるんだね……君は特異な光か火の属性持ちだと思ったんだけど、また違うのかな」


「?」


「まあ今は好都合さ。もう防音効果も付与されたから口の拘束も解こうね。さあ行こうじゃないか、愛しの人の元へ……!」


「愛しの人ってなんだよ、離せ人攫いがー!!」


 路地裏の向こうからガシャガシャと鎧が擦れるような金属音と男たちの声が聞こえる。兵士に追われているのは間違いなさそうだった。

 カグヤはその方向へ頼む見つけてくれと念じるが、きっと今かけられた魔法でそれも叶わないだろう。




◆◆◆




 あちこち路地を曲がり、信じられない脚力でパルクールよろしく壁を乗り込え、どんどん島の奥深くへと進んでいく男。


「そういえば名乗っていなかったね。僕はオリー・アルベガ。しがない放浪者さ。よろしくね黒髪の君」


 カグヤは半目でそれに返す。


「緋守カグヤだ。なあオリー、よろしくしないから早く帰してくれ。酔ってきた」


「まあまあ」


「まあまあで済ませんなよ!?」


「ハハハ。さて着いた」


 オリーはやっと足を止める。

 彼の目的地、それはこの古びた酒場のようだった。入店すれば食事と酒の匂い、低い笑い声とジャズ、グラスの触れる音が彼らを歓迎する。十八歳であるカグヤはこういった場所に入ったことがなく、少々ギョッとする。

 確かに大人な雰囲気のある場所だが、ここにハニーとやらがいるのだろうか。


「おい、そろそろ下ろせって」


「黒髪の君が逃げないならね」


「ケッ」


 隙あらば逃げたいところではあるが、もう正直ここまで来た道も覚えていない。飛び出したところで迷うのが関の山である。そして流石にそろそろ腹を圧迫されるこの体勢が苦しい。カグヤはそう思った。


「……下ろせ逃げねえから。ちゃんと言った通り、夜までに図書館まで帰せよ?」


「ああ、もちろんだとも!」


 笑顔になったオリーはカグヤを下ろし、「さあこっちだ」と腕を引いた。しょうがないので着いていく。


 酒場の奥。そのステージの上には楽器を演奏する人々とマイクスタンド。——そして、華やかな桃色のドレスに身を包んだ、白髪のとても美しい女性が歌っていた。


「見えるかい? 彼女はカーラ。この酒場の歌姫だ」


「あの綺麗な人がお前の愛しの人なのか」


「ああ……大切な人さ」


 ステージの方を見ながら呟かれるオリーの言葉に周囲の大きな拍手が被る。どうやら歌姫カーラが歌い終えたらしい。


「みんな、ありがとう。昼の部はこれでおしまい。夜の部まで引き続き食事を楽しんでね」


 優雅に周囲へ手を振り、ステージ後ろへ引っ込んでいく彼女に合わせ、オリーもステージ後ろの別室へ躊躇なく歩いていく。


「ちょ、そっちは従業員用の部屋じゃねえのか」


「いいんだよ、僕は出入りの許可を得ているからね」


 いまいち信用できない。しかし腕を掴まれているので、カグヤもその別室へ足を踏み入れるしかなかった。

 部屋に入ったオリーは外套を脱ぎ、魔法で収納した。カグヤにかけた魔法も解いてから、高らかに一言。


「やあ、会いに来たよカーラ! 昼の部の公演お疲れさま」


「! まあ、オリー。貴方また抜け出してきたのね」


 先ほどまでステージにいた歌姫、カーラが鏡の前に座っており、オリーを見て立ち上がった。そこにオリーはすかさず手元に花を出現させ、カーラへ手渡す。

 いちいち動作が気障ったらしいとカグヤは思った。それがしっかり似合ってしまう風体なのもちょっと気に入らない。


「君に会いたくて、ついね。君が良ければ、この後の昼食を共にしないか?」


「まったく、いつも突然な人。いいわ。……でも、後ろの子はどうしたの?」


 場違いなカグヤは「あー、っと」とその言葉に目を逸らす。そこに笑顔でオリーがこうフォローする。


「彼は少し事情があってついてきているだけさ。気にしないであげてほしい」


「貴方のことだから、途中で気づかれて、周囲にバラされたくないからとそのまま連れてきたんじゃなくて?」


「ハハハ、やっぱり君には全部お見通しだね」


「バレてんじゃねーか」


「ごめんなさいね。この人、本当に人の話を聞かないでしょう? でも決して悪い人じゃないのよ。許してあげてほしいの」


 カーラはカグヤに向かって声をかけ、薄桃の瞳が申し訳なさそうに伏せられる。彼女の身につけるネックレスやピアスが嫌味なくその微笑みに輝きを添え、一挙手一投足が美しすぎてカグヤは言語を失いかけるが、なんとか返事を絞り出した。


「あ、ス、はい。夜までに帰してもらう約束を取り付けました、んで」


「よかったわ。約束が守られそうに無かったら私に教えてちょうだいね。こらしめるから」


「カーラ……」


「お昼ご飯、この子の分も払ってあげるのよ?」


 もちろんだとも、と残念な顔を隠さず言うオリーをカグヤは小突いた。

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