第四話 フェーカナ島

 フェーカナ島、観測所の麓に広がる街。

 そこは、都会育ちだったカグヤの知る人里の風景とは大きく違っていた。車や信号、高層ビルは見当たらない。大きい都市とも呼べないだろう。


 しかし、賑わいのある街だ。

 通りに立ち並ぶ屋台、張りのある売り声。

 行き交う馬車、空を飛ぶ鳥族らしき配達員。

 駆けて行く子どもたちの無邪気な笑い声。

 ——潮風の踊る、煉瓦造りの白い街。


「おお……」


 ファンタジーなゲーム世界の村を実写化したらこんな感じか、などと思いながらカグヤが周囲に見惚れていると、アルトが屋台を見聞しながら声をかけてくる。


「カグヤ君、苦手な食べ物はありますか?」


「え、ああいや。好き嫌いは特にない。アレルギーもなかったはずだ」


「あれるぎー、とは何か分かりかねますが、了解です。とりあえずなるべく消化の良いものを探しましょう」


(……もしかしてこの世界、横文字が通じないのか)


 そんな。出会った人たちは皆それっぽい名前だったのに。とカグヤは一抹の不安を覚えた。


 この世界、今のところ言葉は通じるが文字はどうだろう。そういえば最初に聞いた年月日の数え方も聞き覚えのない感じだった気がする。あとでアルトに詳しく聞いてみなければ。

 先ほど言われた通り、カグヤには学ぶことがたくさんあるのだろう。


 屋台がたくさん出ている大通りをゆっくりと歩く。想像通り屋台の看板文字は読めない謎の文字列であった。

 しかし、焼ける肉のおいしそうな匂いや、焼きとうもろこしのような甘い匂い、コーヒーのような香ばしい匂い。食欲をそそられて、ソワソワとしてしまう。

 アルトの後ろを付いて回り、最終的には野菜のスープ(?)と肉(?)の串焼き、パン(?)を購入した。見ていた感じ、金銭単位は『エニー』らしい。パンひとつで95エニーだった。


 屋台通りの先にあった噴水広場のベンチに腰掛け、渡されたものをカグヤはしげしげと眺める。知っているものと似ているとはいえ、口にするには少し勇気が必要だった。


「毒は入っていませんから、どうぞ」


「おう……いただきます」


「イタダキマス?」


「あー、俺の住んでたところの、食べる前の挨拶というか、感謝みたいなもんだ」


「記憶、変な箇所だけ残ってるんですね」


「しゅ、習慣だから! 身体に染み付いてるんだ。そっちにもなんかあるだろ? 多分」


「そうですね。……『古き龍の恵みに感謝します』というのが一般的です」


 なるほどとカグヤは頷く。次はそれに倣おうと思った。そしてまずパンを一口。


「! うまい」


「先ほどの屋台、焼きたてだと書いてありましたからね」


 良かった。文化が違いすぎてとんでもない味のものが出てきたらどうしようかと思っていた。カグヤは安堵する。

 少しざらりとした粒っぽい食感はあるが、温かくてふかふかしている普通のロールパンだった。ちぎってスープに浸して一口。こちらもおいしい。

 思い切って湯気が立ち上るスープの具材も口にする。うっすらと胡椒を感じる素朴な味付けだった。葉物と根菜が柔らかく刻んで入れてある。食感や味は人参と白菜に近かった。


「あったけ〜」


「かきこまないように」


「お母さんじゃねーんだから」


 串焼きも齧ってみる。こちらも温かくて柔らかい。塩が効いていておいしい。脂は少なめの鶏肉……だろうか。


「うまいけど、これはなんの肉なんだ?」


「雪告鳥ですね」


「聞いたことねえけどほぼ鶏肉ってことか……」


 この場所の食べ物はカグヤでも食べられそうである。それがわかっただけでも大分安心できた。

 食べ進め、二十分ほどで完食する。


「ごちそうさまでした」


「それも故郷の感謝の言葉ですか?」


「ああ。こっちだとなんていうんだ」


「……食事を終えた後は無いですね。お礼は言いますが」


「まじか」




◆◆◆




 共に立ち上がり再び歩き始める。噴水広場を抜けると、商店街のような場所へ出た。


「次はどこに行くんだ?」


「カグヤ君には、なるべく早くこの世界の常識を学んでもらおうと思っています。なので図書館へ」


「勉強か……」


 カグヤは勉強があまり好きではない。好きな分野を突き詰めるのは得意だったがそれだけだ。

 とあるきっかけから不良学生をやめて高校進学のために頑張った時期もあるが、それでも苦手意識が消えたわけではない。成績は控えめに言って中の下である。一応卒業の目処は立つ程度だったが。

 先程の読めない文字を覚えられるだろうか。英語もおぼつかないというのに。



 商店街の奥に聳える立派な門構えの建物——おそらく図書館に入った。アンティークな装飾がなされた館内は少し薄暗く、しかし涼しい。勉強しにきた若者や学者のような人々の姿もいくらか見てとれた。

 ずらりと並んだ書物を視線でなぞっていく。また、当たり前だが全て読めない。ひらがなとカタカナとアルファベットを足して三で割りました、みたいな文字列なのだ。

 カラー印刷技術はまだないようで、どの本の表紙も単色紙に箔押しがあったりなかったりな簡素な装丁だった。


「広いので迷わず着いてきてくださいね」


「はーい母さん」


「僕はカグヤ君の母親ではありません」


 先程の焼き直しのような軽いやりとりをしながら進んでいく。

 やがていくつかの本を手に取ったアルトは、本棚のある部屋を出て、廊下を挟んで向かいの部屋へとカグヤを促した。

 そこには机がずらりと並んでいて、奥には黒板もある。勉強するための場所のようだった。


「そちらへ掛けてください」


 座ったカグヤの前にある机へ、二冊の本が置かれた。


「子供向けの暦についての本と、ルラ文字についての学習本です。……まず確認ですが、この表紙の文字は読めますか?」


「いや、読めない」


「わかりました。ではなるべく図や口頭で解説していきましょう」


 第二回、アルトによる授業タイムが始まった。




◆◆◆




 黒板に描かれるさまざまな図、それをカグヤは眠気に耐えながら見つめていた。

 文字と暦、どちらを先に学びたいかと聞かれ、なんとなく暦を選択したのだが……。


「——このように、一年はアーチアの月からアーデアの月まで十二ヶ月、一週間はスービャからアーデまでの七つに区切られています。聞いていますかカグヤさん」


「悪い。知らない名称が多すぎてあんまり頭に入ってこない。せめて紙と書くものがほしい」


「ああ、でしたらこちらをどうぞ」


 アルトは鎖を外した時のように、瞬時に手の上にノートと鉛筆のようなものを召喚してみせた。

 カグヤは受け取りながら言葉を重ねる。


「ありがとう。というかそのシュンって物出すやつはどうなってんだ」


「収納魔法です。基礎術の一種なので、いずれカグヤ君にも覚えてもらうものですね」


「へえ、俺もこれを……」


「できるかどうかはカグヤ君の頑張り次第ですよ」


「努力しまーす」


 言いながら、カグヤは紙に先程の授業内容を思い出しながら鉛筆を走らせはじめる。忘れてしまう前に、聞こえた音を自分の知っている文字で書き起こしたかった。高校の授業を思い出される。


「えーっと最初の月、つまり一月がアーチアで……悪いアルト、ゆっくり最初から順番に言ってくれ」


「分かりました。よく聞いてください。アーチア、

アーチア・ベート、ルーシア、ルーシア・ベート、イーディア、イーディア・ベート、グィーラ、グィーラ・ベート、イーア、イーア・ベート、スービア、アーデアです。……書けましたね? では次に——」


 アルトはそのまま曜日にあたる単位や細かい時間の表し方までゆっくり言ってくれたが、やはり繋げて言われると呪文にしか聞こえない。

 しかしカグヤはカツカツと必死に鉛筆を走らせ、なんとか聞こえた音をカタカナで書き起こした。ほぼ気合いである。字が汚いのはご愛嬌。急いでいればこんなものだ。


「あー、手が疲れる……そういや今日はこの表し方だとどう言うんだ?」


「今日は蒼天暦五千年、ルーシアの月、イーディ第六の日です」


「えーと……」


 先ほどしたためた『年月日表』と睨めっこしながら、カグヤはそれを自分の知っている単位に並び替えてみた。


「三月の、水曜の、六日ってことか! うおおなるほどな……!」


 こうして脳内で結びつくと気持ちいいものがある。この世界の暦が以前の世界と似たような配分で助かった。


「どうやら納得がいったようですね。僕からすると聞きなれない表し方でしたが」


「これもアレだ、俺の故郷の読み方なんだ」


「興味深いですね……」


 カグヤが記憶喪失だとしてもちょっと無茶な言い分だが、アルトは深く突っ込まないでいてくれた。


 その後、休憩を挟んで文字の授業に移る。


「ルラ文字の一覧をひとまずお見せします」


 アルトが杖を出してひと振りすると、黒板にずらりと文字が浮かび上がる。おおと驚いたのも束の間。


「ん?」


「どうかしましたか」


 どの文字も見覚えがないものだが、カグヤはその並び方に既視感があった。


 ——五十音表である。

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