第三話 白銀塔観測所

 白銀塔観測所。

 ここは、白い煉瓦でできた灯台のような建物だった。


「お疲れ様ですアルト二級長」


「はい、貴方も根を詰めすぎないように」


「アルト二級長、後ろの子は」


「先ほど目を覚ましました。しばらくは僕が預かります」


 すれ違う職員たちに次々と応対するアルトを見て、カグヤは思ったことを口にする。


「……アルト、お前って偉い人なのか」


「今は副所長代理をしていますから、そうですね。でも普段は研究班所属です。僕は戦闘が不得意で、こういった立場に立つのは本意ではないのですが」


「代理?」


「後でお話ししましょう」


 そういえば、ディオンが『観測所の問題』でアルトの気が立っていると話していた。それと関係あるのかもしれない。

 長い階段を登り扉を開けると、眩しい光が差し込む。


「さ、大きな段差がありますので足元に気をつけて」


 さらりと手を出され、それにカグヤも応じた。病み上がりへの気遣いを感じる。先程のマッドな言動とは大きな差だ。基本的に公私は使い分けられるのだろう。あくまで基本的には。


 一歩踏み出せば、周囲には青く輝く海が広がっていた。遠くから波の音がする。展望台であるここでなら、辺りを三百六十度ぐるりと見回すことができた。

 カグヤは潮風と日差しに目を細めながら、この場所の立地を理解する。


「なるほど! ここ、島なのか」


「そう。ここは海上に作られた人工島、フェーカナ島。観測所と小さな街で成り立っています。ルシフェラード王国の東端で、限界境域のすぐそばなんですよ」


「へえ……」


 カグヤが思い浮かべていたチョコかけドーナツの穴の中、中心から左へ少しズレたところにチョンと旗が立つ。

 海を見渡して、高い壁に仕切られた区画、その奥の浜辺に目をやる。カグヤが保護されたのはあの辺りだろうか。


 遠くに見える白銀塔を仰いだ彼は、ポケットから髪飾りを取り出す。


「マリーン……あいつ、俺を人がいる場所へ最短で連れてきてくれたんだな」


 カグヤは、銀鈴が海の青をキラキラと反射する様子を見ながら呟く。

 その目は遠く、思案に揺れていた。




◆◆◆




「カグヤ君、上を見てください」


「! でっけー望遠鏡」


「ここが観測所と呼ばれる所以、その名の通り大望遠鏡です。第三次赤魔侵攻時に設計図は失われてしまったものの、現在に至るまで大事に整備されながら使われています」


 展望台からさらに階段と梯子を登った先。

 人が二十人中に入っても余裕がありそうな巨大な筒状の物体が、斜めになって空を仰いでいる。ところどころに見慣れない紋様が刻まれていることを除けば、カグヤもよく知る望遠鏡と同じ形をしていた。

 その周りには職員が三人ほどおり、本やペンなどを持って記録作業しているのが見える。


「これで白銀塔を観測してるんだな」


「はい。隊員が交代で常時稼働させています。基本的には白銀海域から抜け出してきた赤魔を見つけるために使いますが、マナ観測機としての側面も持ち合わせています。今回の異変も望遠鏡で観測されたマナの大きな揺らぎが第一報でした」


 今回の異変、というのはカグヤが保護された一件だろうか。戦闘なども繰り広げたが、どんな風に観測されていたのだろう。


「俺たちが龍と戦っていたのも見えたのか?」


「残念ながら、マナ密度が高すぎる関係で白銀海域を直に細かく視認することはできないのです。できるのは限界境域から外のみ。白銀海域内は、マナの動きを観測することで中の様子を予測しています」


「それで、揺らぎってやつが見えた……」


「ええその通り。地鳴りも起きるほどの、最大レベルの揺らぎでした。島に避難勧告を出す直前、突如反応が消えたのです」


「マリーンがあいつに攻撃を当てて、煙みたいに消えた時か」


「僕もそう考えています。その後僕と所長で緊急調査に出て——貴方を保護したわけです」


 長い長い説明を経て、説明の軸が現在のカグヤに戻ってきた。


「なんか、本当になんとなくだけど。周りのことがわかってきた気がする」


「それは良かった」


 アルトは微笑む。

 その後ろから、子供のような高い声が飛んできた。


「ちょっト! そこに突っ立ってる二人ー! 通りマスから道開けテ!」


「ああすみません、リリナ一級長」


「はいどうモー!」


 ぽてぽて。そんな足音を響かせ、ちょっとカタコトで話す小学校低学年くらいの女の子がやってきた。

 アルトと同じ白いコートをブカブカに羽織った所謂萌え袖状態で、一本線の上に星が描かれた腕章を身につけている。焦茶の三つ編みを後ろに四本垂らし、橙色の瞳と長い耳を持っていた。


 そんな彼女は直径二メートル程の大きさの丸い鉱石を持ちあげながら平然としており、信じられない怪力にカグヤは目を剥く。今にも潰されそうな質量のはずなのに、とちょっと心配も混じった。


「すっげえ……」


「ややっ、そこにいるのは昨日保護された子カナ? 初めましテ。あたしはリリナ。リリナ・セレスタイトだヨ! 機動班所属の一級長なのダ」


 ぺかー!と眩しい笑顔。余裕そうに喋りながらも頭上に持ち上げている鉱石は微塵も動いていなかった。


「よろしく。俺はカグヤ」


「カグちゃんよろしくネ! 首輪取ってもらえたんダ、なら大丈夫な子ってことカ!」


「経過観察ですけどね」


 アルトが横から言葉を挟む。


「貴方、また観測班の手伝いですか」


「人手不足ってまじ大変! 緊急で代理やってるアルちゃんだって分かってるデショ? それにウチの班はできる子達ばっかりだもン。あたしがちょっと抜けたくらいヘーキヘーキ!」


 鉱石を持ち上げたままリリナはその場で軽やかにスキップして、アルトとカグヤの周りを回ってみせる。とんでもない体幹だとカグヤは思った。


「グレイ二級長が今頃必死で探してるでしょうに……」


「アハハ。お説教きらーイ! じゃ、あたしそろそろこれ運んでくるネ! じゃあねアルちゃん、カグちゃん!」


 リリナは「急ゲー!」と階段をぽてぽてすごい勢いで降りていった。


「あんな小さい子もここで働いてるのか」


「彼女は幼く見えますが、あれでも五百十一歳のエルフ。僕の大先輩ですよ」


「ごひゃ……え!?」


「エルフ換算だとまだまだ若輩らしいですが……それでもこの施設の主力所員に間違いありません」


 この世界にはエルフのようなファンタジーっぽい種族もいるのかとカグヤは驚愕した。確かにすれ違った職員の中にも猫耳が生えている人や尻尾が生えている人がいた気がする。見間違いだと思っていたが。……この世界にはいわゆる亜人も存在するようだ。


「アルトは何族なんだ?」


「貴方と同じヒト族です。所長もそうですが、あの人は鍛えすぎてちょっとヒト族離れしていますね」


「あー……」


 ところで。先程リリナも話していた内容がカグヤは引っかかっていた。


「なあ。人手不足ってさっき言ってた『問題』と関係あるのか」


「色々と見聞きしてお気づきですか」


「聞いてもいいか?」


「構いませんが……これはこちらの問題なので、貴方には直接関係ありませんよ」


「こっちは命を救ってもらってるんだ、恩人が困ってるなら何か手伝いたいと思うのは普通だろ?」


「……」


「最初は首輪の件もあって刺々しく当たっちまったけどさ。力になれることがあるなら手伝うぜってこと。俺は魔法とか使えないけどな」


 アルトは顔を顰め、こめかみに手を当てた。やれやれのポーズである。


「カグヤ君貴方ね、僕が言えたことではありませんが、相手に対して心を開くのが早すぎますよ。もう少しなんとかなさい」


「そ、そうか……?」


「まあいいでしょう、お話しします。——この観測所の副所長、セレネ・セレスタイトが行方不明なんです」


「え!? 大事おおごとじゃねえか」


「彼女は放浪癖のきらいがありますから、一日二日帰ってこないくらいなら問題になりませんでした。ですが、今回に限っては三週間の無断欠勤です。現在捜索隊を動員して島中探してはいるのですが……いまだに成果は出ていません」


「そんなことが、って、セレスタイトってさっきの子も」


「ええ、リリナ一級長は副所長の妹さんです」


「あ、なるほど」


 そんな話をしていると、ぐうぅ、とカグヤの腹の虫が盛大に鳴った。羞恥で彼の顔がちょっと赤くなる。


「げ」


「ああ。カグヤ君は、目覚めてから食事を摂っていませんでしたね。せっかくですし、街へ出ましょう。この島のことをもう少し知ってほしいですから」


「それは、ありがたいんだけどよ。人手不足なんなんだろ? 俺にばっかりついてていいのか」


 先程のリリナの言っていた人手不足という言葉が思い出される。

 アルトは二秒ほど黙ってからこう返した。


「……僕はカグヤ君の首輪を外しましたが、監視対象からは外していませんよ。目を離して、予期せぬ事態を巻き起こされでもしたら大変です」


「そうだけどよ」


「ディオン所長からは貴方を任せると仰せつかりました。これは立派な任務です。……少なくとも、カグヤ君はこちらの事情をわざわざ心配する必要はないんですよ」


 カグヤはアルトの視線が一瞬緩んだように感じた。それは、子供を見る大人の庇護の目だった。なんだかムズムズする。


「子供扱いしてないか。俺、十八だぞ」


「歳の問題ではありません。確かにこの国の成人年齢は十八ですが、この蒼天大地の常識も知らないカグヤ君は三歳の子供同然です」


「おい言い過ぎだろ」


「さて、どうですかね」


 くすりと笑ったアルトは階段を降り始め、振り返ってカグヤに言う。


「これから学ぶことはたくさんあります。さあ行きますよ」


「待てって」


 カグヤはアルトを追いかける。

 『先輩ちょろすぎ笑』と記憶の奥の誰かに言われた気がしたが——カグヤはここに拾ってもらったことが、とても幸運なことだったのかもしれないと思い始めていた。

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